第四章(最後の戦い)‐三
信玄はこの頃の信長が置かれていた手詰まりの状況を熟知していたので、信長を東でも西でも良いので兎に角動かそうと試みている。
三月、信玄は麾下の穐山伯耆守虎繁より
「美濃岩村城代おつやの方と結婚したい」
との申出を受けた。
おつやの方といえば、信長にとっては叔母に当たる人物である。曾て遠山景任が領していた東濃岩村城は、景任が亡くなった後、織田家より信長五男御坊丸(後の織田信房)が送り込まれて城主となっていた。だが、これが依然幼少であったので、景任の後家であるおつやの方が城代として岩村城の守備にあたっていたのである。男性の活躍ばかりが目に付く時代ではあったが、おつやの方のように政治的活動を行う女性も少なからずいたわけだ。
兎も角も、虎繁からの申出を受けた信玄は、虎繁に次いで濃尾方面の情勢に詳しい馬場美濃守信春を召し出して、この希望を容れるべきか否か諮問した。
信春は開口一番
「虎繁殿らしい」
と独り言のように言った。
信玄は
「我が属将とおつやの方との婚姻が成ったと知れば、信長は怒り狂うであろうな」
と言うと、信春はそのことを否定しなかった。
「信長の叔母に当たる人物ですゆえ、尋常一様の怒りでは済みますまい」
「そもそも虎繁はいつ見初めたのであろう」
「思うに四郎殿(勝頼)御婚礼の使者として岐阜に赴いた際に、岩村城へ立ち寄ったときでしょう。当時は遠山景任殿ご存命の折節、叶わぬ恋だったものが、此度の御屋形様御下命によって再び岩村城に赴くにあたり、ここぞとばかりに我意を果たそうと考えたのでしょう」
「他国への聞こえが悪いように思うがどうか」
「他国への聞こえ? 御屋形様は何故に東濃へ虎繁殿を遣りましたか」
信春の問いに、異なことを聞く、と信玄は思った。
「知れたことで信長を動かすためよ」
「左様でございましょう。では思い悩む必要はございません。信長は怒りに任せ岩村に押し寄せるかもしれません。他国への聞こえなど気にしている場合ではございません」
「なるほどな。挑発して信長を動かす、か」
「それに岩村城には本来の城主である織田御坊丸が在城しております。これを質子として甲府に護送するも良し。後日の取引にも使えましょう」
そこまで聞くと信玄の脳裡に
悪辣
という言葉が浮かんだ。
これまで様々に策謀を凝らして諸敵を打ち払ってきたが、敵将の縁者を自分の属将に愛妾として下賜した上に、幼い城主を拉致して本国に連れ去ろうというのである。相手に対してここまであからさまな挑発行為を行ったことはついぞなかった。
だが対信長戦の賽は投げられて久しい。今更信長を気遣う必要はない。信玄は虎繁の申出を了承した。
そもそも遠山家は武田と織田に両属する家であったが、信長が御坊丸を岩村城に送り込んだことによって織田家に完全に服属することとなった経緯があった。その岩村城が、今回の信玄の西上作戦の過程で武田に転じたのである。信長にとってはそれだけでも赦せないことであったのだが、あろうことか自らの叔母であるおつやの方が、敵のしかも大名ではなく一属将と結婚したというのだ。本来の城主である御坊丸が、虎繁による岩村城接収劇の過程で甲斐に人質として送られる、というとんだ尾鰭まで付いた。
信長は怒りに打ち震えたが決して軽挙妄動することはなかった。身内による裏切りにも等しい行為にもじっと堪え、長陣に倦んだ甲軍が退却する時期をひたすら待った。
動かぬ信長に信玄の方が焦れた。
引き続き虎繁に命じて、岐阜城下を放火して廻らせ乱妨狼藉を働かせたのである。
だがそれでも信長は兵を動かさなかった。
縁者が敵方に通じたことといい、城下で敵方の乱妨狼藉をゆるしたことといい、通常ならば兵を差し向けて然るべき局面であったが、これを堪えたあたりは
「信玄の思惑どおりに運ばせてなるものか」
という信長の強い決意が感じられる。下手をすれば配下の離反を招きかねない対応であるが、信長は自分が決した方針に忠実であり麾下将兵をよく引き締めた。
ともあれ決戦の目算が外れた信玄は、兵を進めた長篠城で虚しく日を過ごすより他になくなってしまった。そのために浪費した日数は、着実に信玄の生命を侵蝕した。




