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武田信玄諸戦録  作者: pip-erekiban
第四章
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第四章(一言坂の戦い)

 元亀二年十月十日、信玄率いる甲軍本隊は青崩峠を越え、秋葉街道を南下して怒濤の如く北遠江に乱入した。

 犬居城主天野景貫は、信玄の上洛軍を前に即時降伏を申し出、信玄はこれを了承した上で犬居において本隊を二分している。そこで馬場美濃守信春に兵五〇〇〇を預け只来ただらい城を攻略させ、それが成った後、北遠江要衝二俣城へ向かうよう命じると共に、自身は一万七〇〇〇を率いて遠江諸城の攻略に取り掛かった。

 一方の家康は二俣城後詰を目的に、内藤信成、本多忠勝など諸将を率いて浜松を出陣した。犬居城を出発して二俣城に向かおうという甲軍本隊に痛撃を加えんがためであった。だが信玄率いる甲軍本隊は家康の予想を上回る速度で進撃しており、一言坂ひとことざかにおいて期せずして武田の先手さきてに遭遇した本多忠勝隊は極度の混乱に陥った。

 信玄は威力偵察に出張ってきた本多隊の後方に家康が布陣していることを知っていたので、これを殲滅した上で家康本陣を強襲しようと企て、近習小杉左近に対し一言坂の下に回り込ませ、坂を下って退こうという本多隊の退路を断つよう命じた。

 本多平八郎忠勝は、自身の部隊が壊滅すれば即座に家康の本陣が衝かれ、徳川勢が残らず撃砕されるであろうことが明らかだったため、恐慌を来す自陣の将兵を励ます目的で自らその陣頭に立ち

「これよりわしが先頭に立って坂を下る。後れを取るな」

 と布礼ふれると、麾下将兵は

「坂の下には甲軍の一隊が既に回り込み待ち構えております」

 と二の足を踏んだ。しかし本多忠勝に動揺の色はない。

「もとよりそれを承知の上で下るのだ。ここにとどまるは自ら好んで犬死にを求めるようなもの。家康公の馬前こそ死に場所と定めた者のみ我に続け」

 本多平八郎はそう言い放つと、兜の緒と顎の間に左手の人差し指をこじ入れた。緒がしっかりと顎に食い込んでいるか確かめるための、本多平八郎忠勝の癖であった。

 忠勝は緒の食い込みに満足したためでもなかろうが、一瞬にして覚悟を定めて

「それ、一気に下れ!」

 と馬首を坂の下に向けあぶみを蹴った。

 これを待ち構えていた小杉左近は、唐風からふう兜の大柄な大将に率いられた一隊が坂を駆け下ってこちらに打ち掛かってくる様を見た。いずれの敵兵も青い顔をしながら血走った目を見開き、脇目も振らず坂を駆け下ってくる。

(これは死兵だ)

 そう直感した小杉左近は、この部隊と交戦すれば相当の犠牲者を出すであろうと悟り、鑓を構えて迎え撃とうという将兵に対し

「いかん、やめろ。相手は窮して死兵と化しておる。死にたくなければ道を空けろ」

 と号令した。

 当代の合戦では戦場から遁走を開始した一部の兵に付和雷同する者が続出して決着が着くのが常道であった。全員が死兵と化した敵部隊と交戦すれば、数に優るとはいえ殲滅に要する犠牲は相当数に登るであろうし、下手をすれば返り討ちの憂き目を見かねない。

 既に命は捨てたものと覚悟していた本多平八郎は、案に相違して甲軍が退路を開いたことを訝しみながらも、これが罠であろうとなかろうと、甲軍の重囲を突破して主君に危急を知らせる機会はこれをおいて他にないと肚をくくり、部隊を家康本陣に向けて奔らせた。

 その際本多平八郎は

退き口ありがたく頂戴する。将の名をばお聞かせ願いたい」

 と甲軍に向かって呼ばわった。すると小杉左近は逃げてゆく本多隊の両脇で、甬道ようどうを形作るように鑓を揃える麾下将兵を押し分け押し出し

「死兵を相手に手勢を損なうの愚を避けたまでのこと。この小杉左近の気が変わらぬうちに、く退かれよ」

 と返すと本多平八郎は馬上からとはいえ一礼し、その場を走り去ったのであった。

 重囲を脱した本多忠勝は肩で息をつきながら家康本陣に躍り込み

「信玄先陣、一言坂に達しあり」

 と注進すると、家康は

「なに、そんなはずはあるまい」

 と甚だ困惑したていであったが、この期に及んで虚報を伝える本多平八とも思われぬ。本陣の徳川諸将は甲軍の神速であることに驚き慌て

「一旦浜松に退き、信長公の援兵を得た上で二俣の後詰を」

 と異口同音に進言した。

 しかし家康は

「ここまで出張っておきながら後詰もならず退いたとあっては武門の名折れ。甲軍が一言坂に達しているというのであれば寧ろ好都合。此処なる本陣にて迎え撃ち、鑓の錆にしてくれん」

 などと本心にもないことを口走った。これはひとえに、主君は囲まれた城を見捨てず、最後まで後詰の意志を持っていたことを内外に示すための発言であり、今が一戦の好機にほど遠いことなど家康をして百も承知の事実なのであった。諸将はそれと知って息巻く家康を押し止めたのであって、このあたりの君臣の阿吽の呼吸は、結束を以て鳴る三河武士の面目躍如といったところである。

 兎も角も、信玄の破竹の進撃を前にした家康主従の、悶絶の末の遣り取りなのであった。


 一言坂戦勝後、甲軍の進路に次のような高札がいくつも立てられた。

 高札には


  家康に 過ぎたるものが 二つあり

  唐の頭に 本多平八

 

 との落首が一首、したためられていた。

 唐国の珍奇な素材を使用した高価な兜と、本多平八郎忠勝のような勇将は家康如きに勿体ないという意味であった。

 これは一言坂において本多平八郎と相対した小杉左近が掲げさせた高札ともいわれている。おそらく徳川領内の諸衆に家康の醜態を知らしめ、その士気を挫いて武田に転じさせようという目的で打ち立てたのであろう。

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