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王国の名前

作者: 田中ドピジッギィィド

 男が己を語るとき、一人の女も出てこないのはあり得ない。 良い男には良い女がいるものだ。良い女とは魅力的な女という意味には限らない。むしろ、多くの場合、精神的に支えとなる女だ。それは妻であるかもしれないし、母であるかもしれない。あるいは、幼い頃に憧れた想い人であるかもしれない。女は男を動かす強大な力を持ち得るのだ。いずれにせよ、自分語りに女を登場させない男に碌なやつはいない。彼らは、女の力の恩恵を受けられなかった不憫な男だからだ。歴史的に女が男をひとかどの人物にし、男どもが国を建ててきた。良い国にも良い女がいるものだ。

 だが、彼女らはいつも縁の下におり日の目を浴びることがない。名声は男が独占してきた。しかし、稀に女の女らしい丹力が大衆の喝采を浴び表舞台に現れることある。かつてボルア王国と呼ばれたその国も希有な例の一つである。


 ボルア王国は強国に囲まれた地理にあった。農作物にも恵まれた小国が、列強諸国に攻め込まれずにいた理由は、国王の外交能力にも軍隊にもない。近年、王の座を父である先王から継いだばかりのボルア現国王は未熟者で、威厳を示すものとしては慣例通り、国名が彼の名前へと変更されたことくらいなものである。人望の厚く賢明であった先王に比べられ、国民の人気も芳しくない。

 それが、なぜ国を守り続けていられるのか。理由は単純だった。他国にその余裕が無かったのだ。周辺各国では原因不明の奇病が流行っていた。今、軍隊がどこかへ遠征を行えば手薄になった防衛線が隣国に攻められるのは十分考えられる話だった。ボルア王国をめぐる国々の間にそうした緊張関係を築いた先王の手腕は現在の安寧の遠因ではあったものの、今、偶然発生した奇病に助けられていることには変わりない。

 ところが、この奇病がどうしたわけかボルア王国には流行っていない。市井では、その存在すら知られていなかったのだ。初めに宮殿内へと奇病の噂が届いたのでさえも周辺各国で死者が出た後のことだった。

 最初に隣国の異変に気付いたのは国の兵士たちだった。国境に建てられた見張らしの良い塔で観察をしていた。彼らは隣国に煙の立つのが見えた。異常なのはその量だ。おびただしいほどの煙が空に上がり、初めは開戦の狼煙かとも思われ慌ただしくなったのだが、そのうち誰かが

「煙のでている場所はたしか火葬場だったはずだ」と思い出したように言った。後に分かったことだが、それこそが奇病により急増した死体を焼いた煙であった。ともあれ、煙のことが国境の兵士から宮殿の護衛へと伝わり調査が開始され奇病のことが知られるに至ったのである。

 ボルア国王は先王ほどの人徳は無かったが決して愚鈍な王ではなかった。周辺諸国の奇病の原因を早急に探らせたのだ。自国に奇病が入ってくる可能性があったのもそうだが、騒ぎが収まれば唯一被害の無かったボルア王国を攻撃する良い口実になることは目に見えていた。

 原因は不明なまま死者は増え続け、一方ボルア王国ではいまだ発症すらない状態が続いた。調査は難航した。というのも、自国が安全だというのに、わざわざ奇病の蔓延する地域に遠征するような人はいないのだ。自然、数名が持ち帰った情報を国内で様々な角度から分析するという形になった。

 突破口となったのは昨年の干魃だった。例年にない水不足で農作物が不足したのだ。農産物に関しては潤沢なボルア王国でさえぎりぎり足りる程度の収穫量だったのだ。周辺国の食糧事情は国防の都合上、秘匿されていたが調査に出た者たちの話によると毎日の食事量は少ない印象だったという。

 そこで、次に誰かを派遣しボルア王国との違いを検討し食事療法が効果的か否かを確かめることにした。そこに大きな問題が立ちはだかった。つまり、誰が行くかということだ。


 繰り返しになるが、自国にいれば安全なのに、食事が原因とも言い切れない奇病が蔓延しているところに行くような人はいないのだ。初めは、宮廷料理人に声をかけたが彼らは宮殿に仕えるエリートであるがゆえに、己の仕事に誇りを持っており、自分を失うことが宮殿にとっての損失であると力説し、派遣を断った。誰もが断るなか、ある者が街中に住む腕のいい女性についてふれた。エカテリーナと言う名のその女は宮殿にはなぜか見向きもしないが腕は宮廷料理人の誰よりも高く、食材にまつわる知識も人一倍だという。

 国王は打診すべく即刻、カインと言う名の側近を送った。カインがエカテリーナのいるというところへ訪れると、大衆食堂のような作りになっておりそこでは市民が毎日の昼食を求めて賑わっていた。

 ここのトップがエカテリーナという女らしい。調理場にいるのは彼女の指導を受けた猛者たちで手際よく食堂を回していた。カインの身なりは誰が見ても分かる地位の高さであったが、勝ち気な彼女の部下たちはカインの呼び止めるのも聞かず「飯を食いにきたんでなければ後に来な」とあしらうのだった。

 カインはそこで食事を済ませた後、大人しく従い出直した。こういう手合いにものを頼むときには譲らなくてはいけない一線があることをわきまえていたのだ。街を散策し、空いた頃合いに行くと、忙しそうな雰囲気のエカテリーナが奥から出てきた。

「宮殿のお偉いさんがあたしなんかに何の用だい?」

彼女の部下がそうである以上にエカテリーナはカインに対して堂々としていた。カインの厳つい容貌にがたいが良さや身なりから分かる高貴な立場を見れば、大抵の人間は臆するところがあるものなのだが、彼女はなんら物怖じしなかった。カインにはそれがかえって好印象だった。

 肝心の用件を慇懃に伝えると、エカテリーナはやはり難色を示した。しばらくの黙考の後「あたしが宮廷に仕えないのはね」と語りだした。

「国を支えるのは国王よりも市民だと思っているからなんだ。あんたに言うことじゃあないかもしれないがね、あたしは自分の目に見える人たちに幸せになってもらいたいんだ。特に料理ってのはさ、働く人たちには万遍なく美味いもんが振る舞われるべきものなんだよ。だから、国王と数人のお偉いさんのために何人もの料理人が雇われるのは嘘だと思ってるのさ」

彼女は感慨深そうに食堂を見回した。お昼時をとうに過ぎているが、まだ客はちらほらいる。

「そういう思いでここを切り盛りしてきたんだ。どうさ。立派なもんだろ。弟子たちも立派になったよ。まったく… 妙なタイミングであんたも来たもんだねぇ。あたしはもうじき弟子たちにここを継がせようと思っていたんだよ。年齢も年齢だしね。それに、国は違えど街の人々が苦しんでるんだろ。あたしの料理で救えるかもしれないってんなら渡りに船じゃないか」

エカテリーナが決断するまではそう長くかからなかった。そうした剛胆さがこの食堂の活気を形作っていったのだろうとカインは思った。

 それからものの一週間でエカテリーナは出立した。教えるべきことは全て教えてあったから引き継ぐものもほとんどなかった。この一週間はそれよりもエカテリーナのご飯が食べられなくなると聞いた人々が連日押し寄せてきていつも以上に忙しく別れを惜しむ暇さえ無かった。

 出発の直前、弟子たちに告げた言葉は短かった。

「いいね。お前たちのやるべきことはこの食堂を残すことじゃない。みんなに美味いもんを食わしてやることだよ」

エカテリーナがゴルゲアとの国境でカインと合流したのは昼頃だった。エカテリーナの護衛としてカインが同伴することになっていたのだ。

「食堂がちゃんとやってるか不安か」とカインが聞くとエカテリーナは

「感傷に浸って自分の仕事をほっぽり出すようなやわな子たちじゃあないよ」と豪快に笑った。

「さすがだな」とカインは微笑み返して共にゴルゲア国へと踏み込んだ。


 ゴルゲアは噂以上に閑散としていた。

 二人は街中へ入り、病のことを聞いてまわった。病人や死人のでた家を見つけるのは容易であった。彼らは藁をもすがる思いで祈祷師を呼ぶものもいたが、そのかいはあまり無いようだった。緊張関係にある隣国の人物といえど、治療の可能性をちらつかせれば協力してもらうのは困難ではない。それほどまでに逼迫した状況に会ったのだ。飢饉と奇病とで一日生き延びるのも精一杯なのだ。

 まず聞いたのは例年と違うことだったが、何もかもが一年前と異なるのだから期待したほどの答えは得られなかった。しかし、何かをしないわけにはいかないとエカテリーナは普段彼らが食べているものを共に食べ、考えを深めていった。食事をともにしては問題点を考えだし、改善策を考えるというのを何軒もの家庭で行った。なにかがあると信じてエカテリーナは根気づよくそれを数週間続け、カインもまた彼女に従った。

 気付いたのは生で食べるものが少ないとういことだった。それを言うと、火を通した方が悪魔が祓われるからだと彼らは答えた。エカテリーナはそのような言説には心当たりがあった。確かにある種の食中毒は十分加熱することでかなり予防できるのだ。悪魔かどうかはさておき、十分な根拠のあることだった。しかし、加熱調理がここまで浸透しているのに流行る病気がボルアで発症すらないのは不自然だ。

 エカテリーナはこの点を掘り下げていくことにした。今まで生で食べていたものは無いのかと聞くと無いと街の人々は答えたが、よくよく聞いてみると果物を食べていたと分かった。今年は凶作でほとんど出回っていないため、目につかなかったのだ。

 そこで、いよいよ彼女は自国で振る舞っていた火を通さない料理を彼らに食べさせることにした。それまでに、食事を共にし、懸命に原因究明にあたっていたエカテリーナに対する信頼は築かれていたから、悪魔を恐れながらも彼女の食事を食べる者は数人いた。味の評判がことごとく良かったのもあり、街の人や病気の真っ只中の人々も抵抗無く食べてくれるようになった。

 すると、面白いように病人は回復した。あれほどまでに原因不明で万人を恐怖に陥れた奇病をエカテリーナの手料理がいとも簡単に治してしまった。現在は壊血症として知られるこの病はビタミンCの不足で起こる。生体内での合成を補うために摂取しなければならないが、ビタミンCは加熱により失われやすいのだ。ビタミンの存在すら知られていなかった当時、治療法を発見した彼女の功績を低く見積もることはできないだろう。

 奇病に対抗する食事の噂はすぐに広まった。エカテリーナの道徳観は、自身の献身が敵国になりかねない国の繁栄につながる行為であっても関係がなかったが、カインはそうはいかなかった。国王に仕える身の上である以上、敵に塩を送るようなことは本来の目的に背くことなのだ。このまま治療を進めるにしても、政治的な利用価値がなくてはならないと考えた。しかし、一方でエカテリーナと共に国に帰ることが得策とも思われなかったのも事実だ。悩んだ挙げ句、カインは護衛の任を一時放棄し国へと帰ることにした。エカテリーナに背景的な理由を含めて丁寧に説明すると、彼女は二つ返事で同意した。エカテリーナもまたカインに対して敬意を抱いていた。保身に走るばかりの王国関係者とは違う何かがあると感じていた。

 カインの報告を受けたボルア国王は思わず唸った。無償で支援することは弱小の我が国を不利にする一方だ。しかし、エカテリーナの療法を止めることはかえって反感を強めることになる。言いがかりの予防線としての策が裏目に出たと判明したまま、何も手を打つことができなかった。

 しかし、結果的には思いも寄らない形で功を奏した。カインが国へ帰ってからも食事を振るまい、レシピを公開していったエカテリーナの働きがゴルゲアの人々の胸を打った。彼女は一人でボルアに対する友好度を高めたのだ。一方で、食事が原因と判明して以来、栄養失調とは無縁だった支配階級への憤懣がゴルゲア国民の間で高まっていった。この状況で、ボルアへ侵攻などしたらゴルゲア国において反乱を呼び起こし自分の首を絞めることにつながってしまう。実際、兵士の中にも彼女のおかげで治った者が多くいたのだ。言うなれば、彼女はゴルゲアの胃袋をつかんだ、ということになる。

 以降、ゴルゲア国はボルア王国と協調路線を取るようになった。ボルア国王は父ゆずりの才覚を次第に発揮していき何年にも後、ついに連邦を築くことに成功した。

 だが、連邦の名前を決めるにあたって一騒動があった。名前とは謂わば国の顔である。内外に威信を示すためにも推敲されるべき事柄であった。しかし、ボルア国王は統治の才覚をめきめきと伸ばしていたものの抜けたところのある人間で、それが国民の愛着を引き寄せたのも確かであるが国名を決めるにあたってはやや間抜けな感は否めなかった。すなわち、「ボルア=ゴルゲア連合国でいいではないか」と言ってのけたのだ。ゴルゲア国王は当然、難渋をしめした。センスの無いネーミングもそうだが、ゴルゲアの名前が後に来るのが受け入れがたかったのだ。そう告げると、ボルア国王は「では、ゴルゲアが先に来てよろしい。代わりに私の名前ではなく仲裁の立役者たるエカテリーナの名を入れよう。彼女は元はと言えば我が国の人間であるからこちらの顔も立つ」ゴルゲア国王は要求が通って満足げに承諾した。

 当時の人間も、その名前が告知されるとボルアの名前が消えたことに疑問を抱いたが、それがかえってエカテリーナの噂を風のように広めるにいたった。

 かくして、ボルア王国とゴルゲア王国とが手を取り合いゴルゲア=エカテリーナ連合国という奇妙な名前の連合国が成立したのだ。この国がこのような変わった名前なのはそのようなわけなのです。



ムズい

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