第九話
第九話
とある学園の、付属幼稚園。剣と、盾、そして弓はそこで知り合った。今となっては名前も覚えていない場所の、遊具や砂場のある広場で、三人はいつも共に遊んでいた。
「ゆみ~! じゅ~ん! こっちこっち!」
幼い頃の剣は快活で、よく走り回る子供であった。いつもどおり、興味の向いた方へ駆けていって、盾と弓を呼ぶ。盾は遊ぶのが楽しくて、急いで駆けていく。弓は二人が危ないことをしないか、心配そうに見守りながら歩み寄る。
だが、そんな三人のところへ黒いスーツ姿の男が姿を見せる。
「あ……」
男の姿を見ると、急に三人は静かになる。特に、剣は心底嫌そうな顔をして黙り込む。
「弓お嬢様、盾お嬢様。お帰りの時間です」
男の言葉に、弓と盾は頷く。しかし、表情は否定の感情を現していた。嫌そうなしかめっ面のまま、男の方へと寄っていく。
「それと、お二人とも、もうあの娘と遊んではなりませんと何度も申し上げたはずです」
「そんなの、いやだ!」
弓が声を上げる。続けて、盾も頷いて言う。
「わたくしもいやですわ! つるぎとあそびたいんですの!」
二人の少女に言われ、男は困ったような表情を浮かべる。
「また、よくお話をしましょう。ともかく、帰りましょう」
そうして、盾と弓の二人は男に連れられ、去っていった。剣は、明日は人の目を盗んでこっそり遊ぼう、と考えつつ二人を見送った。
深水剣と火群盾――そして火群弓は、幼なじみであった。物心ついた頃から共に成長してきた、三人姉妹のようなもの。盾と弓は大財閥、火群グループ大総帥の娘であり、いずれ火群を継ぐ者だった。一方で剣は、大財閥深水グループの家系にギリギリ含まれるぐらい遠い血の家の娘。本来なら、出会うことさえありえないような身分違い。しかも、深水と火群はライバル同士である。
故に、三人は幼い頃から迫害を受けて育った。互いの家名に属する大人が、敵を貶めようと様々な方法で迫った。これがあったからこそ、三人は団結した。盾、弓、剣。この三人が姉妹であり、血の繋がりよりも濃い友情で結ばれた家族であると。また、三人共が超野球少女であったため、これを誓いの証とした。つまり三人は、子供ながらに生きるため、迫害に抵抗するためのささやかな手段として野球を選んだ。
三人は、互いの手を繋ぎあい、輪を作って立っていた。そして、真剣な様子で瞑想をしていた。
「私達は、三人で一つ」
不意に、剣が言った。それは誓いの言葉であった。野球を通して、超野球少女として団結し、戦って生きる決意を誓約する言葉。
「誰にも邪魔はさせない。誰が何を言っても、私達は野球を続ける。白球を投げ続ける限り、私達の絆は、誰にも壊せない」
剣の言葉に、盾と弓は瞑想したまま頷く。
「私達は――戦って、そして勝つんだ。私達を邪魔する、全てに」
「誓いますわ」
盾が、剣の宣誓に同意する。
「誓うよ」
弓もまた、続けて同意。この時から、三人の戦いは始まった。
三人の中でも、剣の才能は飛び抜けていた。同世代のどの超野球少女さえ敵わない、圧倒的な才能に恵まれていた。盾は剣と共に投手として活躍し、弓は剣の強烈な魔球を受け止めることが出来る、たった一人の捕手として重宝された。
中学に入学した頃には、三人は有名選手となって、多様な方面で活躍を褒め称えられた。このころには、三人を迫害する者など居なかった。野球で結果を残すことにより、三人で一つ、誰にも言われのない朋友、あるいは姉妹であると証明したのだ。
だが――この頃には、既に剣と盾、そして弓の思いは少しずつズレ始めていた。
盾は、三人でいることこそ大切なものだと考えた。今の名誉も平和も、全て結果を三人で出し続けたからのもの。結果が出なくなると元に戻ってしまう。かつて家名に支配され、被虐、否定されていた幼い頃のように。剣との深い友情を引き裂く者が現れる。それだけは、断じて許さない。阻止しなければならない。だから必ず、確実に。勝ち続けなければならない。そう思っていた。
一方で剣は、既に野球狂であった。勝つことそのものが生きがいであった。他人を踏み倒し、薙ぎ払い、無残に青春を散らした少女を数多見てきても、全力の投球で勝利することの快感だけは変わらなかった。また、無数に蹴散らしてきた少女が居るからこそ、野球だけは勝ち続けたいと思った。自分の勝利は一人のものでないと。これまで踏み倒してきた者全ての為の勝利だと考えた。
そして――弓は、野球を通して共に生きる姉妹に、強い愛情を抱いてしまった。無論、盾のことも姉妹として、双子の妹として溺愛していた。だが、それ以上の愛情。弓は己の孤独を埋めてくれる唯一の存在として、剣を愛してしまった。ひたむきに勝利を目指す剣の姿が、姉として、三人姉妹の先頭で迫害と戦って育った心に触れた。形こそ違えども、根っこの部分で理解されない戦いがある者同士。剣の姿勢は、真っ白な白刃のように鋭く輝き、弓の心の壁を裂いて内側に触れた。癒えることの無い悲しみを抱いてくれた。弓は、剣と共に生きることで幸福を感じることが出来た。
気付けば、弓は剣へ恋人に向けるような愛情を抱いていた。剣の全てを好きになった。野球をする時も、そうでない時も。剣の存在全てを愛しいと感じていた。こうして――三人はそれぞれ、全く異なる思いを抱き、野球を続けた。
ある日。弓はついに決心した。剣に気持ちを伝えよう、と。己の愛を抑えることは出来なかった。捕手としての自分ではない。恋人としての自分も、剣に見て欲しい。欲望は膨れ上がる一方。我慢しろ、というのが無理な話であった。
「弓、どうしたの? 呼び出しなんて、めずらしいね」
「うん。実はねぇ。つるぎちゃんに言いたいことがあって」
剣は首を傾げる。可愛らしい。弓はそう感じた。些細な動作一つでさえ、恋の最中では宝物だ。
「正直に言うね。ゆみ、つるぎちゃんのことが好きなの」
弓の言葉に、剣は咄嗟に反応できない。驚いているのだろう。続けて弓が語る。
「ゆみはね、ずっとつるぎちゃんのことが好きだった。姉妹だって思ってた。長い間一緒に居たから。でも――やっぱり、この気持ちは少し違う。ゆみはつるぎちゃんの野球が好き。戦ってる姿が好き。つるぎちゃんといつまでも一緒に居たい。愛してるの」
「そっか……弓はそんなふうに思ってたんだね」
剣は言って、照れくさそうに笑う。
「なんだか、不思議な気分だよ。弓が私を好きだなんて。本当に不思議で……でも、なんだか嬉しいな」
その答えに、弓の表情はぱっと明るくなる。
「じゃあ、つるぎちゃんも私とおんなじ気持ちなの?」
「分からない。弓の言う好きと、私の気持ちは違うのかもしれない。同じなのかもしれない。でも絶対に、何も嫌じゃないから――うん、嬉しいよ。だから、弓の気持ちを大切にしたい」
「えっと……それは、オッケーって受け取っていい?」
「もちろん。弓と私は、今日から恋人ってこと」
「つるぎちゃんっ!」
感極まった弓は、そのまま剣の胸に飛び込む。もしも拒絶されてしまったら、という恐怖があった。そうすれば剣だけではない。三人という形はありえなくなる。盾との関係も今までのようにはいかない。
弓の身体を受け止め、抱擁する剣。頭を撫でて慰める。
そうして、剣と弓は恋人となった。中学一年、入学して間もない春の出来事だった。これを盾は複雑な気持ちになりながらも、祝福した。弓と剣の幸せを願って。
事件の前兆は、夏と共に訪れた。県予選大会を前に控えた練習の日々。相変わらず、息のぴったりな剣と弓。剣のように強く、誰かに愛される力に憧れた盾も、魔球を開発し始めた。
これに感化し、剣も新たな魔球を模索し始める。盾が当時開発した魔球に連想し、生み出された新魔球。ディープショットや他三種の派生系の更に上を行く球――クリオジェニックショット。その完成を目指し、猛特訓が始まった。
その中で、剣と弓の不調が浮かび上がる。未完成のクリオジェニックショットとは言え、弓は捕球し損なうことが度々あった。
やがてクリオジェニックショットも完成した。だが、その頃にはクリオジェニックショットの撮り損ないだけでなく、ディープショットさえ零すことが増えた。明らかに、弓と剣の野球人としての相性は悪化していた。
そうして――中学生になって、最初の公式大会。初戦一球目。剣の、クリオジェニックショットが初めて披露される晴れ舞台。誰もが注目していた。当時の野球部員一同、顧問。中学生野球を楽しみにする人々。多くの観衆の眼の中で――剣は、クリオジェニックショットを投げ損なった。
クリオジェニックショットはディープショットを原型とし、かつ盾の剛球の威力も参考にし、重くした魔球だった。例えバットで捉えても、打ち返すことすら難しい威力だ。まともに直撃すれば大怪我に至る。
加えて、弓は超野球少女としてはさほど優秀な方ではなかった。あくまでも、剣と相性がよく、ずっと捕手を続けてきたからこそディープショットとその亜種を自在に捕球できていた。よく見ても、弓の超野球少女としての才能は並みのものだった。
故に、弓は軌道のズレに気付かなかった。闘気の異変に。また、直近では剣との息も合っていない。悪い条件が重なりすぎた。弓が捕球しようと伸ばした手をすり抜ける白球。ごっ、と鈍い音を立てて、弓の胸部に直撃した。
「――お姉様はすぐに病院へ運び込まれましたが、まもなく亡くなりました。剣の放った魔球が肋骨を砕き、破片がいくつも心臓へ突き刺さっていたそうです。衝撃で周辺の太い血管も破裂していて、それでも超野球少女の生命力がすぐに死ぬことを許さず、その後一言も話さないまま、苦しみながら天に還りました」
盾の話に、誰もが聞き入った。事実であった。剣は確かに弓を殺した。事故であっても、きっかけは剣の投げた魔球だった。勝利を求める剣の真っ直ぐな思いが、一人の少女の未来を奪ったのだ。
「わたくしは、あの日以来変わりました。あの日まで、わたくしは剣と同じく、戦いに生きる者だと自分を自負していましたわ。ですが、今は違う。戦うのは覚悟のある者だけでいい。自分と、自分の為に死ぬ覚悟をした者だけ。例え事故でも、自分の力が覚悟なき犠牲者を出さないように、わたくしは例え一人きりでも野球に勝つ。死に物狂いで己を鍛え、絶対防御、絶対勝利の孤立孤高野球を完成させたのです。剣、覚悟しなさい!」
言って、盾は剣を指差す。
「貴女の野球、勝利を愛するだけの野球は要らぬ犠牲を生むのです! わたくしは貴女とは違う。あの頃の、幸せだった日々と同じ思いを、人々は感じなければならない。奪われてはならない。その為に、わたくしは孤独な勝利のみを愛するのですわ。わたくしの孤独な勝利を追求する野球で、貴女の怠惰な勝利欲の野球を必ず打ち滅ぼしますッ!」
宣言して、盾はベンチから離れ、バッターボックスへと帰っていく。
深水女子の五人全員が暗い表情を浮かべていた。それぞれが、様々な思いを抱いていた。
「……こんなの、ひどいよ」
声を漏らしたのは日佳留だった。
「こんなの、誰も悪くない。悲しいだけだよ……剣も、盾さんも。弓さんだって。ただ酷い思いをしただけじゃん」
だが、剣はこの言葉に首を横へ振る。
「二つ、悪いことがあるよ。私だけが、人を殺した人間。それと、私は罪も償えずに野球をやろうとする身勝手な人間。これだけは絶対悪だよ。不幸でも事故でも関係ない。言い訳なんかしたって、他人からすれば覆らない事実なんだ」
「でも、剣サンは殺したかったわけじゃないだろう!?」
ナイルが声を上げる。
「僕のママが生まれた国は、マフィアで溢れる社会だ。自分の為に人を殺す人が沢山いた。けれど、剣サンはあれとは全然違う。弓サンを殺したいなんて思ってなかったはずだ!」
「しかし、剣君は罪を背負うことを望むさ。自分の右手が奪い亡くしたものを忘れた時、それこそ剣君は本当の邪悪となる」
ラブ将軍が、剣の心境を代弁するかのように言う。正に言うとおりだった。剣は頷き、ラブ将軍の発現に同意する。
「……ふざけんなよ」
真希の声。肩を震わせ、怒りに満ちた怒涛の形相。拳は見て痛いほどに強く握られている。何事か、と慌てた剣が問う。
「どうしたの、真希?」
「ウチは怒っとる。ホンマにこれほど、生まれてこの方怒り狂ったことは無いぐらいに怒っとるんや」
「誰のこと? やっぱり私に怒ってる? 私の魔球が真希と同じポジション、キャッチャーを殺した汚い魔球だから……」
「ちゃうわアホ! 冗談でも二度とそんなこと言うなッ!」
怒声を上げる真希。感情のあまり、だぁん、とベンチを殴りつける。
「ウチが怒っとるんは、あのふざけた女のことや。盾とかいう勘違いド阿呆のことや!」
「盾が……どうして? 盾の言うことは正しいよ。私は勝ちのことしか考えられない。欠陥品の、人の成り損ないだよ」
「違う、違うで剣。そんなこと言わんでくれ。お前はホンマもんの人間や。真っ白なんや。汚れとるわけがあるか!」
怒鳴りながら、真希は剣を抱きしめる。力強く、締め付けで苦しいぐらいに。
「ウチもキャッチャーやから分かる。弓がどんだけ悔しかったか。最高の女が投げる、最高の球を取り損なったんや。それを最期に、もう二度と球を受けてやることも出来ん。自分が情けないから、相棒が野球すら出来へんなって。そんなもん、無念で悔しくて、溜まったもんやないぞ! 憎しみもクソもあるか。ただひたすらに悔しいだけや。ダイヤモンドの終点に残されたもんは、呪縛なんかやない。無念、それと願いや。剣、お前に本物の球を投げて欲しいっちゅう願いなんや。お前と魂分かち合った女なら、そう思うはずやで! せやから許せんのや。あの盾とか言う女は。おどれの姉の無念にも気づかんで、何が正義じゃ! ウチは許さん、絶対にあの女を許さへんぞ、弓の魂を侮辱しとるのは他でもないあの女、火群盾や!」
真希の怒りに任せた言葉が、剣の心に突き刺さる。涙が零れた。ずっと自分の胸に残っていたもの。そして、弓の魂が最期に願っていたもの。二つのことが、一瞬で理解できたような気がした。自分の肩に掛かるもの、かつて足に纏わり付き、野球を拒ませていたもの。それらは暗く悲しい存在ではなかった。もしかしたら、弓が最期に残した遺産なのかもしれない。そう思うと、剣は戦いたくなった。弓が死ぬときに思ったものを、輝く宝石のように磨き上げるため。そして――確かに、剣も知っている。弓の願い。三人で野球をする。本当の幸せのために戦う。これを受け継ぎ、実現するために。剣は戦いを望むのだ。
「――なあ、剣。クリオジェニックショットを投げてくれ」
真希は剣を腕の中から開放し、言った。
「ウチが弓の願いを叶える。受け継ぐぞ。例え死んでも、剣の魔球を零したりせえへん。お前の一番の魔球でこの勝負を終わらせろ!」
その要求は、ある意味残酷でもあった。また剣に人を殺すかもしれない選択をしろ、と言っているのだ。そうでなければ、この勝負に勝つ意味が無いと。
ただ、事実でもある。確かに弓が残した無念があるとすれば、それを晴らすことの出来る魔球はクリオジェニックショット以外に存在しない。
「……ごめん、真希。すぐには決められないよ。弓の為に投げたい。けど、真希の為に投げたくない。もう誰かを殺したくなんてないよ」
「そうか……すまん、気が逸った」
真希は謝り、剣の頭を撫でた。剣は心地よく感じる。この手を失いたくは無い。出来るなら、クリオジェニックショットは封印してしまいたい。
迷いを振り切る。今は目先の勝負。盾との対決を考えなければならない。
「――それじゃあ、守備に戻ろう、みんな!」
剣が呼び掛けた。今日一番の明るい、全員ぴったり合わさった声で、おう、と返ってきた。
タイムが終了して、盾の打席。剣が二球目に投げた球はピュアディープ。これも最初とは異なる変化をする。ボール一つ分、盾の手元の方へとスライド。このピュアディープも剣の成長により、左右どちらかへボール一つ分動かせる。
盾のバットは空振りせず、芯を外しての流し方向、レフト線へのファールボール。これでカウントはツーストライク。
「ふん……この程度ですか」
盾は鼻で笑う。
「この程度の魔球でわたくしを抑えようなどとは……愚かですわね」
次の瞬間。盾の赤い闘気が膨大に膨れ上がる。続いてバットへと流れ込み、まるで熱く熱したような緋色に輝かせる。
「来なさい、剣」
盾の言葉に頷く剣。そして第三球。今度はディープショット。これまでの魔球とは異なり、意図的に力を込めた限界突破のディープショットだった。
青い奔流に乗り、白球が泳ぐ。盾はこれに――狙いも定めず、ストライクゾーンの真ん中辺りを振りぬくようにスイングした。
途端、バットの赤い闘気が膨れ上がる。光の金槌のような形となる。ストライクゾーン全域を覆ってもまだ余るほどの大きさ。自然とディープショットは、盾の闘気へと突っ込んでく。両者の闘気がぶつかり合った瞬間に炎が弾ける。赤い光が爆発し、白球を空高く舞い上げた。
「任せたまえ!」
外野を走るナイル。両手から闘気を開放し、大地を跳ね上げ、空高く舞い上がる。盾の打ち放った打球に追いつき、捕球。
「無駄ですわッ!」
盾の声が響く。打球はナイルに捕球されながらも、そのままナイルごと飛翔する。纏めてバックスクリーンに直撃。ナイル自身は辛うじて怪我も無かったが、一点を奪われたことには変わりない。
誰もが唖然と振り返り、バックスクリーンに目を向ける中。盾はダイヤモンドを回り終え、ホームを踏む。そして、剣に向かって語る。
「言ったでしょう、わたくしは一人でも勝てるように自分を鍛えあげました。奥義は何も、投手だからと言って魔球に限らない。わたくしの奥義『斬燿』は、どのような魔球でも捉えることが出来る。そして相手の魔球を闘気ごと爆発で吹き飛ばし、白球は強烈な打球となってスタンドに入るまで飛ぶ。絶対勝利の為に新たに生み出した打法ですわ」
強い。剣は盾の力を思い知った。このままでは勝つことも出来ない。ディープショットでは斬燿を弾き返し、ストライクを取ることが出来ない。打たれたら必ずホームランになる。この打法と勝負するには、正面から力で押し合いをするしかない。そう――かつて中学の時に習得した魔球、クリオジェニックショットでなければ。
「剣、気にせんでええ! まだ一点や。次の攻撃でどうにかすりゃええんや!」
真希に励まされ、どうにか笑って頷く。だが、現実は既に見えている。クリオジェニックショットを投げる、という選択肢。勝つために仲間を、自分の半身とも言える少女を殺してしまうかもしれない。踏ん切りの付かない剣は、俯いたままだった。
その後、聖凰の四番打者を三振に打ち取り攻守交代。二回表、打順は深水女子の四番、阿倍野真希。
「よっしゃ、かかって来いや!」
打席に立ち、闘気を解き放つ。風の形は風神打法。
「……真希、とおっしゃいましたね。聞こえていましたよ。貴女がベンチで言っていたこと。わたくしを阿呆と呼んだことも、おおよそ内容は理解していますわ。お姉様は死んで無念を残した、執念ではなかった、と」
「なんや、聞いとったんか。気に入らんのか。意地でも弓は憎しみを抱いて死んだことにしたいっちゅうわけか?」
真希は怒気を含む声で言う。なぜか盾は、首を横に振って応えた。
「いいえ。それぐらいのこと、わたくしも分かっていますわ。……あの時、わたくしが勝手に抱いた憎しみをお姉様のものと偽り、剣を責めた。理解するまで時間は掛かりました。しかし、今はもう分かる。弓は剣の魔球を受け止められずに死んだ。無念を抱いているのだと」
悲しそうな声で語る盾。真希はこれを訝しんだ。
「せやったら、なんでこんな決闘仕掛けてきたんや!」
「話が別だからですよ。最初こそ、わたくしは個人の憎しみに囚われていましたわ。ですが、剣の野球が他人を傷付ける恐ろしい野球であることに変わりはない。それに、始まりこそ間違いであれ、わたくしの信念が作り上げた野球道こそ正義なのです! 見なさいッ!」
盾が右腕を上げ、グラウンド上の野手を示した。見ると、少女達は怯えていた。超野球少女でもないのに、この異常な戦いに巻き込まれた者達。恐怖に足がすくみ、身動きさえ取れない者も居た。
「このグラウンドに立つ野手の多くは超野球少女ではありません。さぞ恐ろしいでしょう。力の違いに傷つき、場合によっては生命を落とすかもしれない戦いの中に居るのです。それでもわたくしを信じて彼女達はここに立って下さっています。野球をやるため、九人でいるため、恐怖を乗り越えたのです。この信頼には応えねばならない。故にわたくしは戦いますわ。歪な五人野球で、しかも他人の生命の安全を厭わぬ戦いをする、深水剣の悪道野球に必ず勝たねばなりません! 誰一人傷つけず、誰一人つらい思いをさせず。戦うのはわたくし一人だけでいい。傷つくのもわたくしだけでいい。そのために編み出した奥義こそが斬燿であり、炎城。この二つの力こそが、わたくしの正義の証なのですッ!」
吠える盾。そして、いよいよ投球。腿を上げ、前へ突っ込むような大きい踏み込みからのオーバースロー。赤い闘気を白球に乗せて、放つ魔球は炎城。誰一人打つことの出来ないとされる魔球。
「ごちゃごちゃうっさいんじゃ、ボケェッ!」
真希は怒鳴り声を上げながらバットを振る。風神打法が炎城と衝突。風と炎の闘気が混ざり合い、激しく荒れ狂う。闘気の押し合いとなり、ボールとバットがかち合ったまま微動だにしなくなる。
「何が信頼に応える、や! そんなもんは存在せえへん。人は裏切る。力に媚びる。お前を悪魔か何かのように忌み嫌う。それが本質や。愛され正義の味方を気取っとるみたいやけど、そんなもんは幻想や! 一方的にお前が信頼したところで、本当の仲間になんかなれへんわ! お前が他人を守ろうとする限り、誰からも信頼されへんのや!」
「構いません! そんなことは覚悟の上で投げていますッ!」
真希と盾の問答。直後、炎城が爆発。風神打法の闘気を消し飛ばし、打球は投手へ向かう弾丸ライナー。
咄嗟の事に、盾はこれを避けられなかった。いや――あえて避けなかった。避けてしまえば、打球はセンターへ抜けてしまう。盾は額で打球を受け、跳ね上げ、落ちてきたところをノーバウンドでキャッチ。
「――例え死んでも、わたくしは信念を貫く。わたくしの正義は悪道野球を焼き滅ぼす、焔の道ですもの」
盾の額からは血が流れていた。打球の当たった拍子に額が切れたのだ。この血を拭いもせず、垂れ流しながらマウンドに立つ盾。まるで傷は些細なことであるかのような振る舞い。真希はそれを見て、似ていると思った。深水剣に。あの日、元野球部員の暴力と戦った時の剣に似ている。
続いて、剣の打席。一回の裏とは立場が入れ替わり、今度は剣が盾の魔球に挑む番だった。
「どうです、剣。これで理解したでしょう。貴女はわたくしに勝てない。悪道野球では、わたくしの野球を打ち破ることは出来ない。犠牲を生み続ける諸刃の野球道では、仲間を守り自らを楯とする野球道には敵わないのです」
「……そうかもしれない」
盾の言葉に、剣は俯く。
「私の野球道は、人生は、もしかしたら、間違いのままひた走る道なのかも。――でも、私はこの野球を辞めないよ。辞める時は負けた時だ。それこそ命果てるまで戦い抜いて、それでも勝てないのなら……それではっきりする。私と盾、どっちの野球道が先へ続く道なのか!」
顔を上げ、覚悟を決めた表情で語る剣。盾もニヤリ、と笑う。
「そうです剣ッ! 己が正しいと思うなら勝ち取りなさい! わたくしの野球を打ち滅ぼしなさいッ! そうでなければこの決闘に意味は無い。さあ、勝負ですわよ!」
「うん、戦おう!」
盾の足が上がる。リフトアップ。赤の闘気で放たれる炎城。轟音を立て、剣と正面からぶつかる。
剣も闘気を立ち上げ、全力のスイングで応戦した。闘気の爆発。これに剣の闘気は吹き飛び、体勢を崩す。
白球が浮き上がる。ふわり、と弱々しい軌道。盾は前進し、これをノーバウンドでキャッチ。これで二回表はツーアウト。深水女子はヒット一つも無いまま打者が一巡してしまった。
項垂れる剣。だが、すぐに顔を上げ、盾に言う。
「ありがとう、盾。私と戦ってくれて。勝っても負けても、これで私は全て清算できる気がするんだ。本当に、ありがとう」
言って、打席を去る剣。その背中を盾が呼び止める。待ちなさい、と。
「……不思議ですわね。わたくしは、確かに貴女のことが憎かった。恨んでいましたわ。お姉様を殺したという事実が変わらぬ以上、どのような理由付けをしても許せないのだと思っていました。それこそ、昨日まではずっとそう」
空を見上げ、盾は微笑む。
「けれど今は――何でしょう、清々しい気分ですわ。勝っているからではない。貴女と戦えることが嬉しい。もしかすると、憎悪を癒やすのは言葉ではない。ただ自分を懸けた真剣勝負のみなのかもしれませんわね」
そして、盾は再び剣へ顔を向ける。
「ありがとう。そして、必ずわたくしが勝ちますわ」
「うん、こっちだって。負けないよ」
二人は言葉を交わし合う。互いが胸に秘める、業と柵で複雑に織り込まれた感情。これが一瞬だけ見えたような気がしていた。
一塁側ベンチに剣が戻ると仲間が出迎える。
「任せてよ、剣! 絶対、アタシがヒットを打つからね♪」
日佳留が明るく語りかける。剣は頷く。
「お願いね、日佳留。でもその前に話さなきゃいけないことがあるんだ」
そして、仲間の四人全員に視線を向ける。
「さっきの打席で確信したよ。盾の魔球『炎城』の弱点」
その言葉に、全員が衝撃を受ける。特に真希だった。この中で最も強い力で盾の炎城と衝突し、敗北したのだ。信じられないのも当然だった。
「そんな、あの魔球に弱点なんかあるんかいな! ウチの全力の風神打法でも勝てへんパワーの魔球やで!?」
「そうだね。それって、やっぱり不自然すぎるよ。そんなとんでもないパワーの魔球を、軽々連続で投げられるはずがない。これから最終回まで、どんなに早くても合計三十球近くは投げることになる。ただ力でねじ伏せる球をそんなに連投できる? きっと無理だよ。盾自身の力がどんなに強くたって、あまりにも桁が違いすぎる」
「なるほど、あの魔球はなにか仕組みがあってあの動きをしている、と言いたいわけか」
ラブ将軍が言葉を挟む。剣は頷き、話を続ける。
「考えてみれば、初回からの盾の言動はちょっと芝居がかってたように思うんだ。まるで自分の魔球が力でねじ伏せる球みたいに『錯覚』させようとしてる感じだった。本当は、力の使い方でパワー型魔球に見えるよう細工された、テクニカルな魔球なんだよ。その仕組みこそがあの魔球の生命線だから隠してる。わざとパワー型を演じて見せて、私達が正面からぶつかってくるよう誘ったんだ」
「なるほど……確かに僕も盾サンに言われ、力で立ち向かうしか無いと考えていた。小細工は無意味だと『思い込んでいた』……それこそが彼女の布石、ということだね、剣サン?」
「はい」
剣は頷き、そして宣言する。
「――これからが勝負。魔球『炎城』の攻略開始だよ!」