第八話
第八話
試合開始。一同整列しての礼をして、各自守備につく。先攻は深水女子。一番打者は日佳留。
日佳留はフィールド上を見渡す。先週の宣言通り、盾がピッチャー。センターにアバドン、ショートにステラ。他の守備位置に居るのは、超野球少女ではないのだろう。直感的にそう理解する。闘志というか、ぎらつくものが無かったからだ。
(センターとショートに向けて打つのは危ない。とにかく転がせば、私の縮地で一塁は確実に踏めるはず!)
日佳留は右打者なので、流し打ちを意識することに決める。
「――無駄ですわよ。貴女はわたくしからヒットを打つことは出来ない」
マウンド上の盾が宣言する。だが、所詮煽りだ、と日佳留は判断した。無視して意識を集中する。
第一球。盾の身体から闘気が、緋色の炎が立ち上がる。そして額に浮かぶ焔の字。超野球少女として背負う能力。正体こそわからないが、今は全力でぶつかるのみ。日佳留は力を解き放つ。金色の闘気が弾け、盾の炎と押し合いになる。
盾が足を上げた。左投げの、オーバースロー。ぐっと大きく引き上げられた腿。そこから前へ飛び出すみたいな踏み込みを経て、白球は放たれる。赤の闘気が乗り移り、火球となって迫る。球速は百六十キロにも及ぶだろう。が、日佳留には球が見えた。変化も何も無い。ただの剛球ストレート。確実に狙ってのスイング。転がすだけでいいのだ。全力は必要ない。
だが――信じられないことが起こる。日佳留のバットが火球を捉えた瞬間。闘気が爆発を起こす。衝撃に弾き返されるバットと日佳留。そして白球は、叩きつけるような方向から打たれたにも関わらず――まるで跳ねるように高く浮き上がり、盾の方へと飛んでいった。
「な、何が起きたの!?」
尻もちをついた姿勢のまま驚く日佳留。盾はそれに笑いもせず。決闘に燃える、凛とした表情で答える。
「これがわたくしの奥義。魔球『炎城』ですわ」
言って、盾は落ちてきた白球を叩くように捕球する。闘気の残り香が弾け、火の粉が舞う。盾の身体から立ち上がる赤の輝きは衰えることなく、未だに燃え続けていた。
「どんな打法も無意味。全ての力をわたくしの炎城はねじ伏せます。そして必ず、わたくしの手元へ帰ってくる。貴女達はヒットを打つことは出来ません。例え全力のスイングでバットに捉えようとも、それをわたくしの闘気が叩き潰し、必ずフライアウトに仕留めるのですから」
盾の宣言。その魔球の恐ろしさに、日佳留だけでない全員が打ち震えた。想像の範疇を超えた魔球。飛ばすことの出来ない魔球など、どうやって打てというのか。深水女子の全員が唖然としていた。
「わたくしを打ち倒したければ、全力の力でかかってきなさい。わたくしの焔を、貴女達のスイングで打ち消してみなさい! 見ての通り、わたくしは闘気に身を削られるような鍛え方はしていません。この程度の魔球、何百球でも投げ続けてみせますわ。スタミナ切れを狙っても無駄です」
言い放つ盾。深水女子の誰一人として、盾の魔球に対向する手立てを思いつかなかった。口を噤む。日佳留も悲惨な様相でベンチへと戻っていく。
「ごめん、みんな……」
日佳留は思わず謝った。悔しい。正面から叩き潰された。完全敗北であった。自分の超野球少女としての力がまだ未熟であると。盾との格の違いを思い知る打席だった。
「構わん、誰も一球目からあれなら打てんだろう」
ラブ将軍が日佳留を慰める。とはいえ、厳しい状況に変わりは無い。
「……昔の盾は、こんな魔球は持ってなかった。ただ、全力の真っ直ぐを投げるだけのピッチャーだったんです。今の盾の魔球は、私も知らない新しい魔球です」
剣は言いつつ、盾の魔球に驚きを隠せないでいた。
「対策も出ない、か」
ナイルが剣の言葉を受け、ため息をつく。
「仕方ない。ここはひとまず、全力勝負といこうか」
言って、ナイルはバットを持って打席に向かう。既に戦う意思が満ち溢れており、銀色の闘志が煙のように立ち上がる。
打席に立つと、さらに闘志は燃え上がる。競り合う赤と銀の炎。ナイルは語る。
「僕も超野球少女として目覚めたばかりの、日の浅い若輩者だ。正直、盾サンの魔球に打ち勝つ自信は無い。けれど――これでも、この一週間遊んでいたわけではないんだ。その成果を見せてやろうッ!」
バットを構える。ナイルの要求に答えるかのように、盾は放球。赤い弾丸が轟音を立て、ナイルへと迫っていく。
すると、ナイルの闘志が急激に圧縮される。バット自体が銀色に輝きだす。インパクトの瞬間、光が白球を包み込み、まるで銃弾のような螺旋回転を与え、射出しようとする。
「弾けろォッ!」
絶叫。ナイルは赤の輝きを押し返そうと力を込める。だが、その場からバットは動かない。
「無駄ですわ、見なさいッ!」
刹那。盾の言葉と同時に闘気が弾ける。赤い爆発に巻き込まれナイルの闘気は霧散。打球はピッチャーライナーとなる。ばしっ、と力強く受け止める盾。これでツーアウト。
あまりにも強力な力だった。投手の一球と、打者の一打では消費できる体力が違う。打者であるナイルの全力を、上から押さえつけるほどの魔球。火群盾という少女の底知れぬ力を物語っていた。一塁側ベンチがざわめく。
「まさかここまでの力があるとは……」
驚きの声を上げながらも、ラブ将軍はバットを持ち、打席に向かう。いかにしてあの魔球、炎城を仕留めるか。それを考える。
初回、三球目の投球。盾が放つのは三度の炎城。轟音を立てつつラブ将軍へと迫る。ラブ将軍はスイングをするような素振りを見せた後、スムーズにバントの姿勢に移行。打球を殺す作戦だった。打球の威力を殺す球だと言うのなら、極めて弱く打てばピッチャーまで打球は届かないだろう、という考え。ある種の実験だ。一度球を地面に落とすことさえ出来れば、日佳留なら出塁も出来る。日佳留が出塁さえすれば、縮地があるのでヒットが無くとも点の取りようがある。
バットと白球が接触。打球の勢いは殺され、一瞬だけ自由落下が始まったかのように見えた。だが、やはり魔球。盾の宣言は嘘ではなかった。落球するよりも早く闘気の爆発。そのままふわりと浮き上がり、球はまた盾の手の中へと戻っていく。スリーアウト。
「小細工など無意味です。正面からわたくしを倒してみせなさい。でなければ、貴女達に勝ち目はありませんわ」
最後、不敵に言い残し、盾はマウンドから離れていく。攻守交代だ。
真希が装備を身に付け、守備の準備を始める。その傍らで待つ剣。二人の様子を見て、ラブ将軍が尋ねる。
「しかし、剣君は本当に大丈夫なのか? 先週の怪我も完治はしていないだろう。君より怪我の軽かった私でさえ、まだ完調ではない。それに一週間、どこに行っていたのだ。特訓をしていたと言ったな。怪我で不満足な身体で、どんな特訓が出来たというのだ。それも、どこで特訓したのだ。ここ一週間、行方不明だったのはどういうことなんだ」
一気に尋ねる。剣はこれに一つづつ答えていく。
「特訓は、本土の方でしました。深水島だと誰かに見つかって、病院に連れ戻されるかもしれないから。本土に渡って、そっちで山篭りしてたんです」
「山篭りって、あの怪我で!?」
日佳留が驚いて声を上げる。剣はこれに頷き、話を続ける。
「そうでもしなきゃ、特訓の時間は取れなかったと思います。それに怪我は超野球少女の力が癒してくれる。来るべき戦いを意識した生活を続けていれば、怪我の治りも早くなるって思ったんです。実際に、もう魔球だって楽に投げられるぐらいには回復しています」
「なるほど。確かに超野球少女の力は解明されていない部分も多い。野球に関わる時しか発現しない力故に、そのようなこともあるだろう」
ラブ将軍は剣に問いかける。
「だが、どうやって本土に渡ったのだ。深水島から出て行った可能性も考慮し、連絡船の渡航記録も調べた。だが、資料上には何も残っていなかったらしいじゃないか。どうやって連絡船に乗った? 記録も無し、となると無賃乗船ということになるが」
「いいえ、大丈夫ですよラブ将軍。私達、泳いで本土に渡ったので」
剣の回答に、唖然とする日佳留、ナイル、ラブ将軍の三人。
「本当に泳いだのかい? 連絡船で半時間の距離を、あの怪我で?」
「はい、もちろん」
ナイルが信じられずに言った言葉にも、剣は頷いてみせる。確かに泳いで渡ったのなら記録には残らない。また、球場に着いた時に水で濡れていたのも説明がつく。
だが、そこまでして剣は何をしに行ったのか。特訓の内容が気になるところ。
「まあ、心配せんでええわ。ウチらが二人でバシっと抑えてくるんやからな」
真希が会話を締める。装備も付け終わっていた。深水女子の五人は、それぞれの守備位置へと向かう。
一回裏、聖凰の攻撃。一番打者はステラ。打席に立っても、超野球少女としての力を開放することは無い。闘気もなく、静かに打席に立っている。
「なんや、本気出さんでええんかい?」
「ミーは雑魚相手に本気出すのめんどくさいから嫌なんだよねー」
「そうするとお前は雑魚以下の塵芥ってところか。謙遜の上手いやっちゃなあ、君」
「それなら、君のチームはミーたちを見習ったがいいよ~。さっきジュンの炎城に手も足も出なかったんだから」
言って、ステラはバットを構えた。
剣の第一球。青い闘気が立ち上がる。内に抱え込むような独特なフォームからアンダースローで放たれる魔球。青い闘気の乗ったディープショット。これを待っていた、とでも言わんばかりにスイングするステラ。バットはギリギリでボールを捉えるが、ディープショットの球威を殺しきれず。後方ファールゾーンへ逸れてヒットとはならず。
「天下の聖凰の野球部様でも、二軍やったら大したこと無いんやな。がっかりやで」
真希はステラを煽り、拾った白球を剣に投げ返す。
「まあ、力も使ってないからね。ただ、今ので確信したよ。ミーならあの球ぐらい、簡単にヒットに出来る」
「そうか、そら頑張ってくれや」
真希はサインを出し、剣に魔球を要求。二球目、剣の青い闘気が白球に乗り移り、飛翔。ステラはこれを迎え撃つべくして闘気を開放する。純白の眩い光。特別な打法で打つわけではない。ただ力で弾き返すつもりだった。
だが――ステラは気づく。ボールの異変に。何かが違う。雰囲気程度だが、確かに違和がある。ありながらも、ステラは既にスイングをしてしまった。
魔球は普段通り、打者の近くで突然上昇。しかし、その後の軌道が異常だった。普通のディープショットとは異なり、上方向への変化は半分程度しか無い。その代わり、上昇と同時にボールから闘気が弾け、加速したのだ。手元でノビという次元ではない加速をする魔球。変化量の読み違いもあり、ステラは見当違いの高さ、タイミングで空振り。ツーストライク。
三塁ベンチ側から声が上がる。アバドンだ。
「何だ、今の変化は!? 明らかに手元で加速したようにみえたぞッ!」
「あれは……ピュアディープショットですわね」
アバドンの驚きへ答えるように、盾は呟く。
「ジュン殿。ピュアディープショットとは一体何なのであろうか」
「かつて、中学の頃に剣が投げていた魔球の一つですわ。彼女の得意球の一つです。手元で急加速し、かつディープショットから比べると変化量も半減します。この二種類の魔球を投げ分けるだけで、大抵の超野球少女は歯も立たないぐらいでしたわ。まさかブランクがありながらもアレを投げられるとは……」
憎らしい気持ちを隠しもせずに盾は言った。バッターボックスでは依然、ステラが驚いたまま。
「魔球が二種類あるなんて訊いてないよ~、そんなの! ずるいずるい!」
「うっさいわアホ! ウチらのピュアディープに手ぇ出せへんかったんは、お前の力が足りんからや!」
真希に言われ、渋々口を噤むステラ。バットを構える。
三球目。剣はまた魔球を投げる。青の闘気に包まれて飛翔するボール。ステラは迷う。ディープショットか、それともピュアディープか。どちらかに狙いを絞らなければ、まともなヒットは難しい。
結局、ピュアディープの連投だった。判断の鈍ったステラのスイングはピュアディープを捉えられず空振り。三振でのワンアウト。
続く打者はアバドン。打席に立ち、最初からピュアディープのみを狙う、と心に決める。
(恐らくあの新魔球、一度は投げるであろう。そこを必ず叩くッ!)
バットを構え、闘気が立ち上がる。アバドンの闘気の色は黒紫。剣の青い闘気とぶつかり、不気味に揺れる。
一球目。青の波動を乗せた魔球が解き放たれる。アバドンはタイミングを図る――が、どうも遅い。ディープショット、そしてピュアディープも同程度の速度を持った魔球だった。しかし、今回の球は妙に遅い。
何事だ、と深く考える時間も無く。アバドンはずらされたタイミングに合わせてスイングを始める。魔球はアバドンの手元で跳ね上がり――さらに減速。山なりに上昇しながらの減速がさらにタイミングをずらしてくる。変化量も大きく、ディープショットを上回っていた。スイングの軌道の上を悠々と飛び越える。空振りストライク。剣の一球目はさらなる新魔球だった。
「な、何だと……っ!? 新魔球は、ピュアディープショットだけではなかったのか!」
「そらそうや。ウチの剣をナメてもらったら困るで! ディープショットにピュアディープ、そんで今のがピースディープショットや!」
真希は驚きに震えるアバドンを更に煽り、剣へ返球。
二球目、アバドンは第三の魔球、ピースディープもねらって行くことにした。ディープショットとピュアディープは放球段階での判断が難しいが、ピースディープは明らかに球速が遅い。球種の判別は容易だろう。無論、合わせて打つことの難易度は高いのだが。ピュアディープ一つに絞って戦うよりは安全な判断のはずだった。
だが――二球目もおかしい。ピュアディープよりも、ピースディープよりも遅く迫り来る。合わせられないタイミングではない。アバドンは意を決してのスイング。剣の放った青の闘気が唸り、白球を跳ね上げる。今度の変化は、今までで一段と大きい。低めギリギリ一杯の高さから、高め一杯か、それを超える高さまで伸びていく。これほどの変化は想定外だった。スイングは空振り。カウントを一つ増やし、ツーストライク。
「まだ新魔球があるというのか……信じられない。たった一週間で三つも魔球を習得してくるとは」
アバドンは驚きの声を上げる。だが、真希はそれを鼻で笑った。
「これが第四の魔球、リッチディープやッ! 恐ろしいか、アバドンよ。ウチと剣は地獄の特訓を乗り越えてきたんや。これぐらいまだまだわけあらへんで。四魔球でお前らを翻弄したるわァッ!」
言って、真希は思い返す。この一週間、本土の山に篭り行なった特訓のこと。
泳いで本土に渡り、山に入った二人。身支度をすると、すぐに訓練を始める。剣は過去に投げていた魔球の訓練。まずはこれが確実に投げられるようにならなければ、真希のキャッチングの練習も始まらない。
「ねえ、真希。やっぱり普通に投げてるだけじゃあ、一週間で感覚を取り戻すのは難しいと思う」
剣は言って、足元に落ちていた棒きれを拾い、真希へ渡す。
「何や、これは」
「真希はこれを私に向かって投げて。私は、これを魔球で撃ち落とす。失敗すれば怪我をする、っていうリスクがあれば、きっと普通にやるより早く思い出せるはずだよ」
「はぁっ!? そないなことしたら、剣がまた怪我してしまうやないか! ウチは嫌やで、わざわざ己の恋人に怪我させるやつがおるかいな!」
真希も一度は拒否した。だが、剣は食い下がる。
「ううん、投げて。真希だから頼んでるの。極限まで自分を追い詰めて、それでようやく出来るものってあると思う。そこまで行かなきゃ、きっと盾には勝てない。苦しんで、苦しみ抜いて、どこまでも痛みを追求して。その先にこそ、本当の魔球があるんだ。超野球少女は、そうでなきゃ辿り付けない境地がある」
魔球に懸ける思いが表れる言葉。真希はもう、反論の余地も無いと思った。理解できる。戦いとは常に死に向かうもの。自分自身も超野球少女であるからこそ分かる。己の身体に流れる血潮は、常識の範疇で成長することを許さない。それでは勝てないと、宿命が胸の内で囁く。
「……分かった。ウチも超野球少女や。剣の言うことはよう分かる。手伝うわ。せやけど、無理やって思うたら辞めるからな」
そうして特訓は始まった。真希は木の棒を、石を剣に向けて投げる。剣は白球でこれを迎え撃つ。最初こそ、全く剣の魔球は操りきれなかった。曲がりはするものの、基本のディープショットと異なる、とまでは行かず。剣自身が想定した軌道を取れずに、標的を撃ち落とすことが出来なかった。何度も剣は痛みを味わい、傷を負った。
昼間は危険に身を晒しながらの特訓。夜は野ざらしで眠り、食事もそこらの草木を齧り、無理に飢えを凌ぐ日々。傷だらけになりながら、剣は自身の身体を痛めつけ、追い込んだ。
三日もすると、ようやく魔球を自在に操れるほどになった。極限状態を維持した効果もあり、超野球少女としての力も強くなっていた。特訓でついた傷もすぐにふさがっており、飢えと乾きにも強くなった。地獄の中にありながら、既に元野球部との戦いによる負傷もほぼ完治していた。もはや人間と呼べる状態ではなく、ある種の化け物。超野球少女という名の、人ではない何か。
地獄の特訓の思い出を胸に仕舞い、真希はボールを返球する。
いよいよ剣の三球目。剣には自信があった。抑えられる。あの特訓を経て、今やかつての自分さえ超えるほどの力を手にしている。地獄のような日々を乗り越えたからこそ、白球に宿る魂の重みの桁が違うのだ。
さあ、投げよう。剣は静かに思う。地獄で得たものは地獄で使う。この野球場で、戦いの中で使い切るんだ、と。
放球。青の闘気を纏い、白球は真希のミットを求めて飛翔する。球速は半端に遅い。ピースディープだ。アバドンはタイミングを合わせ、バットを振る。ジャストとまでは行かないが、僅かに遅れた程度。照準さえ合えばヒットは確実。
だが――皮肉にも、魔球の変化はアバドンの想像を遥かに超えていた。青が弾けて一度浮き上がった後、山なりの軌道はシュート方向にそれ、アバドンの胸元へと食いこむような変化となる。無論、既にアバドンの手は出てしまっている。虚しく空を切るバット。白球はまるで嘲笑うかのように、アバドンの目の前を通過。ストライク、三振のバッターアウト。
「な、何だこの変化は……ッ!?」
「ふん、お前らの大将、盾とやらに教えたれや。剣は地獄の特訓で、魔球を更に進化させたんや。ピースディープはシュート方向にも動くポップアップ魔球に進化した。中学ん頃とはちゃうっちゅうことや。昔の知り合いか何か知らんが、今の剣はウチの刃、新しい人斬り刀や。お前らの打席は一つ残らず切り捨てたるわ!」
「もう、真希ったら喋りすぎ! 魔球のことだって教えなくていいよ!」
得意気、饒舌な真希を嗜める剣。それもそうやな、と真希は答え、白球を剣に投げ返した。
三人目。バッターは盾。闘志に燃えており、打席に向かう時には既に赤い光が漏れだしていた。
「ごめんなさい、アバドン。まさかあそこまでとは思っていませんでしたわ」
ベンチに戻るアバドンとすれ違いざまに謝る盾。アバドンは首を横に振る。
「いいや、ジュン殿は謝らなくていい。それに、次の打席がある。これほどの強敵であれば、吾輩も全ての力を出し切ってぶつかることが出来る、というものである」
二人は言葉を交わし、離れた。
左の打席に立つ盾。剣を睨み、宣言する。
「剣。わたくしは必ず勝ちますわ。そして貴女の邪道野球を討ち滅ぼしてみせます」
剣も負けじと言い返す。
「私だって負けない! 私は野球に生きるって誓ったんだ。例え殺されても野球を続けなきゃいけないんだ。だから、この勝負は絶対に勝つ!」
両者、一歩も引かず。赤と青の闘気が衝突し、境界で弾けて小さな電撃が走る。
「剣、貴女の誓いはよく理解していますわ。わたくしも超野球少女。野球に生きるということの重み、よく分かります。ですが、貴女の野球は人を殺した。貴女の魔球はお姉様を殺したのです。そんな邪悪な野球があるものですか。人を傷付けるような恐ろしい野球などあってはなりませんッ!」
「そんなもの、分かってるよ。知りすぎてる。だからこそ、私はかつて間違えてしまったんだ。戦いに生きるなら、誰だって死に向かう道と並んで歩くことになる。生命は重い。でも勝負の世界では勝ち負けの方がずっと重い! 罪も業も、邪道邪悪の全てを背負ってでも、戦いの最中に膝をつくことはできないんだ!」
「戯言をおっしゃいますわね。わたくしはそれを許さないと言っているのです。戦いに生きるなら一人で死になさい。戦場に立つのは戦士だけではありません。いいえ、例え戦士であったとしても、他者の生命を戦場の理屈で奪うことなど、わたくしは許さない。だからわたくしは剣、貴女を殺す。野球人としての深水剣の生命をこの日限りで終わらせてやりますわ!」
互いの主張がぶつかり合い、いよいよ勝負の時。剣が投球を始める。一球目。魔球リッチディープであった。しかし、以前に投げた時とは軌道が異なる。上昇しながらも、スライダー方向へぐいっと動く。結果として外一杯からインコースまでスライド。盾も必死に対応するが、バットの根本がギリギリ掠りそうな程度が限界。空振りのワンストライク。
「ふん、小癪な。そうやって小手先で逃げ続けるつもりかしら、深水剣ッ!」
盾の煽り。剣は動じない。が、何故か不意に真希が口を開く。
「……なあ、なんでや。なんでアンタはそこまで剣に野球やめさせようとするんや」
率直な疑問。例え剣が人殺しなのだとしても、盾の態度は極端すぎる。
「やっぱ、中学の頃にあったことが原因なんやろ? 教えてくれや。アンタと剣の間に、どんなことがあったんや」
真希の問いかけ。すると、盾は不意に目を閉じ、構えたバットを下ろす。
「そうですわね。もっと後に、一番嫌な時に教えて差し上げようと思っていましたけれど。せっかく聞かれたのです、語りましょう」
言って。盾はタイムを宣言する。試合が中断し、深水女子の全員と盾、合計六人が一塁側ベンチの方へ集まる。
「では、始めましょうか。深水剣の犯した罪。わたくしのお姉様、火群弓の最期の話を――」
そして、盾は語った。剣と、そして火群弓と呼ばれる少女の話を。