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ツルギの剣  作者: 稲枝遊士
第二章 炎と正義の魔球少女編
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第七話

  第七話




 白い天井、柔らかいベッド。剣が目を覚ましたのは病室だった。傍らに父、藤四郎の姿。看病に疲れているのか、淀んだ雰囲気が漂っている。だが、剣の様子に気づくとすぐに笑顔を浮かべる。

「……気がついたかい、剣」

 藤四郎の声は優しかった。剣は、言いようのない感情が胸に詰まるのを感じる。申し訳無さも嬉しさも同時にこみ上げてきて、何を言ったら良いか分からない。

「ごめん、お父さん」

 思わず謝る。だが、藤四郎は首を横に振った。

「また野球を始めたらしいじゃないか」

 嬉しさを隠せない声。藤四郎は剣の頭を撫でる。この年齢でやってもらうようなことではない、と思ったが、剣は口に出さなかった。父の思いがそこに篭っているのだろう、と悟って受け入れた。

「中学の、あの時以来か。もう剣は野球をやらないかと思っていたよ」

「うん。そのつもりだったよ」

 頷く剣。でも、と続けて語る。

「でも、やっぱり私、野球が好きだった。ごめんねお父さん。私、弓ちゃんが死んでもまだ野球がやりたいの。どうしても、諦められない。多分、この気持ちってどんなことがあっても止められないと思う」

 剣の言葉に、藤四郎は頷くだけだった。肯定の意味を含んでいることは、表情を見れば明らかだった。笑顔で剣の言葉に、何度も頷いている。語りが終わると、今度は藤四郎が口を開いた。

「分かってる。剣は野球が好きだからな。きっとそれが一番いい。無理に諦めようとしたって、必ずどこかでボロがでるさ。それに、お母さんもきっと望んでいるよ。剣が野球をやってくれるように」

 言って、藤四郎は窓の外へと視線を向けた。病院の窓が切り抜く空は青空。剣は知っている。かつて父が教えてくれたこと。自分の母は、ずっと昔にこの空へと魂を返した。今はどこにも居ない人だということ。そして、母もまた野球が好きだったということ。

 詳しいことは教えてくれない。だが、何となく剣も察している。母は野球に生きた人であった。そして野球を愛していた。

 剣も窓の外を見る。姿も名も知らぬ母を懐う。どんな野球をしていたのだろう。どれだけ必死に戦ったのだろう。どれだけのものを残してくれたのだろう。父の中に生きる、母の魂。それはどんな形をしているのだろう。

 分からない。ただ、許されていることだけは感じていた。父も、父の記憶の中に眠る母も。剣がここまでして野球に生きようとすることを許している。認め、どうかその先に勝利と幸福があるように祈ってくれている。

「――ありがとう、お父さん。元気が出てきたよ」

 剣は笑った。心の温度を顔に乗せて、父を見た。父も頷き、暖かく笑った。

「さあ、もう少し寝ていなさい」

 藤四郎の言葉に剣は甘える。こく、と首を小さく動かして、声も返さぬうちに眠りについた。自分は疲れているんだな、と、ここで初めて実感した。



 その後、諸検査も終わった。異常無し。超野球少女という宿命が、剣に倒れることを許さない。たった一晩眠っただけだ、と医者は語った。あれから一夜で怪我の治癒も随分と進んでいた。裂けた皮膚の傷もほとんどが塞がり、見た目には何事も無いように見えた。

 剣は、これは戦いが続いているからだ、と考えた。元野球部の暴力野球に勝利してもまだなお続く戦い。来週に控えている盾との決闘があるからこそ、超野球少女の力が眠りきらず、人間の肉体の限界を超えた状態が維持されているのだ、と。

 医者の話では、来週の試合に出場することは不可能、との事だった。現状のまま怪我の治癒が進んだとしても、試合までに完治することはありえない。またその試合で無理をした場合、重度の筋剥離を起こす可能性さえあるとのこと。病院内を歩くことぐらいは構わないが、必ず補助を使うこと。そして病院外へ勝手に外出しないこと。この二点を守るよう念押しされた。

 そして現在。剣は、病院食堂に来ていた。見舞いに来た人が利用する為の小さな食堂。席も少ない。

 そこに剣と――真希の二人。

 向かい合って、一つのテーブルに座る。真希はちょうど、検査の終わったところで見舞いに来た。

「お見舞い、ありがとうね、真希」

「いや、ええんや。将軍の分の見舞いもあるしな。まとめて二人分済ませに来ただけや」

「ラブ将軍も、ここに入院してるの?」

「そうらしいで。後で顔見せてくるつもりや」

 二人の間に気まずい空気が流れる。互いに、盾が告げた言葉のことを考えていた。剣は人殺しである。その事実が、平常な関係の維持を難しくする。

「……なあ、剣。お前が人殺しや、っちゅう話やけどな」

 おもむろに口を開いたのは真希の方だった。剣は黙って、続きを受け止める覚悟を決める。真希にどんな辛辣な言葉を浴びせられようとも、心の折れることが無いように。

「ナイルと将軍も知っとるで。お前が倒れた後も一悶着あってな。その時に盾のやつが言いふらしたんや。剣は人殺し、汚れた腕で野球をやる邪悪な女や、ってな」

「そっか。それで、二人は?」

「将軍はよう分からん。いつも顰めっ面やからな。何考えとるかさっぱり分からへん。ナイルはショック受け取ったで。日佳留とおんなじや。お前のことを信用しとうても出来へん、言うとったわ」

 剣は大体の状況を理解した。つまり、自分に味方は居ない、ということだ。人殺しには当然の報い、とも考えたが、直近の問題として来週の決闘がある。チームはただでさえたったの五人。全員が超野球少女とは言え、試合展開をしていくのも難しい状況。これに加え、人間関係まで崩壊するとなれば最悪の状況だ。恐らく、全く満足の行く試合にならないだろう。独りきり、虚しく敗北するまで踊り続けることになるかもしれない。咬み合わない守備や打撃の中、たった一人でマウンドに立ち、怪我も治っていない腕で、聖凰野球部二軍の打線を抑えきる。無謀は明白。

「……どないするんや、剣」

「え?」

 真希の問いかけは、剣の予想外だった。

「将軍はどうか分からんが、ナイルと日佳留は最悪使いモンにならん。あいつらが守備の要として動いてくれへんっちゅうことになったら、ディープショット連投だけじゃあ抑えれへんと思うで。腐っても、っちゅうか、相手は聖凰の超野球少女や。甲子園常連、優勝経験も多数のあの聖凰がそこら辺のしょうもない奴入部させるわけあらへんからな。恐らくウチらよりよっぽど格上や。そんな奴らが打線に三人もおるんや。九回ずっと抑えきるんは到底ムリな話やないか?」

 堂々と考えを語る真希。それが剣には不思議だった。何故、戦うつもりでいるのだろうか。人殺しの私の味方をするの? 私の手は、汚れているのに。それでもまだ、私の球を受けてくれるの? 心の中に無数の問いかけが渦巻く。

「――真希は、人殺しの味方になってもいいの?」

 思わず、剣は突き放すような言い方をしてしまう。怖かった。真希の言葉が、この上ない救いになる。それは間違いないことだ。しかし、今救われて良いのだろうか。心の何処かに救いがあるということは、同時に甘えや弱さも生まれる。ここで真希に甘えるようでは、盾との決闘に全力を捧げることが出来ないのではないか。不安がどっと吹き上げ、剣を混乱させる。

 だが、真希は冷静だった。覚悟を決めていた。いいや、今この場で決めた。剣の迷う姿、苦悩する表情を見て理解したのだ。

「味方も何もあるか。ウチはお前の女房役。お前の女や。いくらでも好きにせえ」

 言って、真希は微笑んだ。心の底からの言葉だった。例え剣の腕が血塗られていようとも、魂の魔球を何度も受けたから分かる。剣の球は本物だ。情熱に燃え、勝利に飢えていた。邪悪を切り裂く刃であった。邪道の野球に落ちた人の心を貫く槍でもあった。

「それによお、剣。お前のあんな球受けて、何処のどんな捕手が人殺しや、なんて言えるんや。そら、お前がホンマに人殺したっちゅうんやったらびっくりするけどな。お前の投げた白球には、混じりっけなくお前の血だけが通っとるって、ウチは誰よりもよう知っとるで。今さらどうやって責めろっちゅうんや。ウチは分かる。お前の球は正義正道の真っ白な球や。お前はこの世のどんなもんより美しいんやで」

 そして、真希は剣の手を取る。そして剣の瞳を見つめ、言った。

「ウチはお前を愛しとる。お前の野球を、精神をな。お前が人を殺したんやったら、ウチも人殺しや。お前が白球投げ続けよる限り、ウチはお前のもんや。お前が背負っとるもんを一緒に背負う半身や。せやから、迷うな。悩むな。全霊懸けた球をウチに放り込んでくれ。ウチにお前の全てを感じさせてくれ、剣」

 思いの全てを語る真希。脚色無く、本心からの言葉。己の人生を剣に捧げることさえ厭わない、という覚悟があった。それほどの情熱が、唯一無二の共鳴が、剣との間にあった。

 剣は真希の言葉を受け止めた。自然と涙が零れた。何処かに隠しておいたものが、一斉に溢れてくるようだった。とにかく悲しかったことを思い出した。人を――盾の双子の姉、火群弓を殺してしまったこと。罪を背負い、償うことも出来ずに戦いへ身を投じること。中学一年のあの日からずっと、剣の心は悲しみ、泣き続けていたのだ。

 声も上げず、ただ涙だけがこぼれ落ちる。悲しみで喉が震え、しゃくり上げる。知らぬうちに心が耐え、飲み込んでいた全ての辛い雫が流れ去る。悲しみの中に生きることが当然になり、悲しいということさえ分からなくなっていた剣。その魂に真希は触れた。はちきれんばかりに貯まり込んだ涙が、真希の言葉に揺らされ、溢れてきた。

 随分と長い間、剣は泣いた。気づくと、注文していた料理も届いている。それも、少し冷めてしまったぐらい。本当に、ずっと悲しかったのだな、と。剣はようやく自分の心を理解した。こんなに涙が溢れるほど、悲しみ続けていたことを知った。

「――うん、もう大丈夫」

 そして、真希へ向けて言う。

「投げるよ。そして絶対に勝つ!」

 いよいよ決断した。剣は戦う覚悟を決める。それも、真希と共に戦うという覚悟。一心同体、二人で一つの存在だと。

「ほんじゃあ、本題に入ろうか。どないするつもりなんや? どうやって来週の勝負に勝つつもりなんや、剣」

 言ってから、真希は料理に手を付け始める。返事をする余裕は無いだろうと見て、剣は一気に話しきってしまうことにした。

「一応、策はある。ディープショット以外の魔球も使うんだよ。中学のころは、魔球をいくつも使ってた。超野球少女同士の戦いになったら、本当はいつもそうやってた。ディープショットだけ投げ続けても負担は大きいし、読まれていたら正面からの勝負になる。それに勝とうと思ったら、一球一球に使う力も多くなる。連投にも限界が来る。……だから複数の魔球を、ある程度力を抜いて投げてたんだ。そうすれば一球ごとの力の消費が軽くなるし、配球も読まれなくなって打ち取りやすくなる」

 言って、今度は剣が食事に手を付ける。口にまだ何か残っている様子の真希が、はしたなく質問をする。

「つまり、剣が今まで投げとったディープショットは限界突破したディープショットやった、っちゅう訳やな?」

 真希の質問に、しっかり口の中のものを飲み込んでから答える剣。

「うん。それ以外に確実に投げられて、確実に相手を抑えられそうな球が無かったから。真希と勝負した時に投げたディープショットも、昨日の試合で投げたディープショットも。全部が限界以上の力を使ったディープショットだった。本当はもっと楽な魔球だし、連投も効く。私にとってのストレートみたいな球なんだよ、ディープショットは」

 これを言ったら、また一口。剣は食事を進める。真希はやっぱり、口の中に物を含んだまま喋る。

「なるほどなあ。ディープショットがストレート、か。そんなら、剣にとってのフォークやらスライダーやらがあるっちゅうわけか?」

 ちゃんと食事を飲み込んで。剣は真希の喋り方に苦笑いしながら答えた。

「そういうことになるかな。ディープショット以外にも、三種類の魔球がある。全部、ディープショットを基礎にした派生技だけどね。これを使いこなしたら、盾たち三人のことも抑えられると思う」

「なんや、案外余裕あるんかいな」

「そうでもないよ。問題は、私は今、それを投げる自信が無いんだ。負担こそ低いけど、派生技は難しいから。今みたいなブランクのある状態で投げられるとは思えない。だから昨日は投げなかったんだ。キャッチングの問題もあるし、ね?」

 剣の言うことはもっともだった。実際、真希もディープショットが初見の魔球であったなら、満足にキャッチ出来なかっただろう。それがさらに複雑な変化をするともなれば尚のこと。最低限の練習は必要だ。――しかし。

「そうなると、難しい話やな……」

 真希は腕を組んで考えこむ。

「ウチと剣、二人で練習せなあかんっちゅうことやろ。今の剣の怪我で練習時間は十分取れるようには思えへん。こりゃ急ピッチで仕上げなあかんことになりそうやな」

「っていうか、そもそも来週の決闘に行けるかも怪しいよ。お医者さんに止められてるから。退院だって一週間以内は無理みたい。絶対安静にしてなきゃ、って言われちゃった」

「ホンマか。そらマズイな……」

 二人の間に沈黙が流れる。食事を進める手も止まってしまう。

「――それでね、真希。私に考えがあるんだ」

 ぽつり、と剣が呟く。そして真希を手でこまねく。

「ね。耳を貸して」

 剣に言われ、訝しみながらも。真希は身を乗り出し、剣の方へ耳を向ける。

「何やねん」

「実はね……」

 剣も身を乗り出し、真希の耳元に手を添えて、こそこそと小さな声で言う。二人以外の、誰も知ることがない秘密の話。長い間その姿勢でいた。不意に剣が顔を離し、元の姿勢に戻る。真希の表情は、驚き半分、にやけ半分といった様子。

「剣、お前ホンマにそれやるつもりか?」

「うん。一番てっとり早い方法だと思うし」

「お前はホンマにイカレとるで。最高や。ウチは賛成。その計画に乗らせてもらうわ」

「真希、ありがとう」

 こうして、二人の来るべき決闘に向けての話は終わる。後は他愛もない言葉を交わしながら、冷めてしまった食事を片付けるだけだった。



 翌日。病院に剣の姿は無かった。父、藤四郎が見舞いの為、病院に訪れた時にはすでに居なかった。おそらく夜のうちに抜けだしたのだろう、ということになり、剣の捜索が始まった。だが、病院は無論、自宅や学校の近辺にも居なかった。ここにきてようやく、どうやら見舞いに来た真希が怪しい、となった。真希の住まう深水女子の学生寮には、剣は無論、真希の姿まで無かった。二人が一緒に姿を消した、ということになる。

 その後、決闘前日まで。深水島のどこを捜索しても二人は見つからなかった。島の外へ渡航した記録も無い。完全に姿を消したのだ。

 当日になっても二人は現れなかった。試合開始の午後一時。空高く太陽が昇り、グラウンドに照り付ける。場所は深水島市民運動公園。観客席まで用意されている市民球場。一塁側には深水女子野球部。三塁側には聖凰高校野球部二軍。両チームとも、既に試合を行う為の準備は整っていた。あとは、剣と真希が来るのを待つのみ。



「……遅いな」

 三塁側ベンチ。聖凰側でアバドンが口を開く。

「まさかあのフカミツルギと言う奴、逃げたのではあるまいな」

「そんなはずありませんわ」

 アバドンの言葉を否定したのは盾。

「剣は卑怯者ではありませんもの。逃げるはずありません」

 盾の言葉に、アバドンと、そしてステラが首を傾げる。

「ねぇジュン~、どうしてツルギに肩入れするの? ジュンのお姉さんを殺した奴なんでしょ?」

「ええ、あいつは人殺しです」

 無論、といった様子で頷く盾。さらに続ける。

「ですが、同時に剣はわたくしの幼なじみでもあります。勝負から逃げるような卑怯者でもないということは、わたくしが誰よりもよく知っていますわ」

 盾の語りを受けて、アバドンとステラは理解した。きっと盾には、他の誰も及ばないような深い考えの中に生きているのだろう。剣との関係も、ただ姉を殺した絶対悪に終始するものではない。複雑な感情があるのだ。

 二人は何も言わないことにした。確実なのは、自分達は盾の味方であること。盾の目指す野球に共感し、仕える覚悟でもってここに立っていること。余計なことは考えない、言わない。



 一方で、一塁側ベンチ。日佳留、ナイル、そしてラブ将軍の三人が、真希と剣の到着を待っていた。

「……来るのかな、剣」

 日佳留は不安げな声で言う。

「来るさ、きっと。剣サンは逃げないよ。この間の、あの姿を見たんだ。僕にだって分かる」

 ナイルは真剣な面持ちで言う。日佳留がこれを不思議に思い、訊く。

「ねえ、ナイル先輩は大丈夫なんですか? その……剣が、人殺しだって聞いて」

 言われて、ナイルは困ったような表情を浮かべた。そして肩を竦めて答える。

「僕が剣サンを美しいと思う気持ちは変わらないけどね。だとしても、本当に剣サンが人殺しなら。僕は剣サンを責めるつもりでいるよ。日佳留サンはどうだい?」

「私は……」

 日佳留は言葉に詰まる。何か言いづらそうにしながら、どうにか言葉を続ける。

「……やっぱり、無理だと思う。本当に剣が人を殺したんだったら。許せないし、怖い。気持ち悪い。でもアタシは剣のことが好きだから、どうしていいかわからないよ。本当に剣が人殺しなら、アタシは頑張って受け入れて上げた方がいいの? アタシだけでも許してあげたほうがいいの?」

「そんなものに答えは無い」

 不意に、ラブ将軍が発言する。

「剣君が誰をどうやって殺していようとも。答えは無いのだ。生命は重すぎる。一生かけても償えるか分からん。どのやり方が一番良くて、どこが駄目なのか。誰にも判断することは出来ない。剣君も、君も。あるべき結果の為に必要と思う行動を選び続けるしかないのだよ。君自身の心以外、何であろうと君の決断に是非を下すことは出来ない」

「アタシ自身の、心」

 日佳留は考える。自分の心は、何を望んでいるのだろう。剣を拒絶してしまいたいのだろうか。受け入れてあげたいのだろうか。判断は、出来ない。どちらもあるように思えた。であれば、どちらがどれだけ重要か決める必要があった。

 ただ、その決断は重すぎる。生命を奪う行為を許すかどうか。生半可な選択ではない。どちらを選んでも、自分自身の信念に深く突き刺さることになるだろう。

 そうして――日佳留が悩む内に、足音が聞こえてくる。

 一塁側ベンチへ続く通路。たたぁんと反響し間延びする駆け足の音。数は二人分。来たか。そう思った三人は、一斉に通路の方へと向き直る。


「――待たせてごめんね!」


 そこには深水剣。そして阿倍野真希。何故か水でぐしょぐしょに濡れており、服も髪も重たそうに垂れている。

「剣君、遅いぞッ! このような遅刻、次はあると思うなよ!」

「はい。ありがとうございます、ラブ将軍!」

 叱咤しながらも、ラブ将軍の顔には笑みが浮かんでいた。そして、真希も自信満々の表情で笑っている。

「まあ、任せときや将軍。ウチら秘密の特訓してきたんや。あんなへなちょこ二軍共なんざ相手にもならへんで!」

「ふん、それは楽しみだ。虚言癖を疑われぬよう精々頑張るんだな!」

 言い合い、ハイタッチを交わすラブ将軍と真希。

 一方で、剣はナイルと向かい合っていた。両者ともに真剣な表情。

「――剣サン。僕は詳しいことを知らない。君が誰かを殺したと言うのなら、それを擁護するつもりは全く無い。けれどね、この勝負は君と一緒に戦うよ」

「私は人殺しです。それでも、戦ってくれますか?」

「人殺しでも、どんな犯罪者でも同じさ。同じ戦いに身を投じる人同士なら、誰でもチームメイトだと思う。少なくとも、この野球場の中では」

 ナイルの言葉に癒される剣。これでいいのだ。この決闘の中だけでも十分すぎる。仲間として戦ってくれるだけでも、今は有り難い。

 二人の会話を、不安げに眺める日佳留。剣の方を見ようともしない。妙に思った剣から日佳留へ声を掛ける。

「日佳留、どうしたの?」

「うん……」

 ばつが悪そうに頷く日佳留。

「正直、アタシはショックで剣のことが信じられない」

 日佳留の言葉を受けても、剣は嫌な顔一つしない。どころか、笑って応える。

「それが普通だからね。人殺しと一緒なんて、友達だなんて最悪。楽しかった思い出にも全部影が差す。平気でいてくれ、なんて言えないよ。大丈夫。日佳留は私のことなんて、見下していい。私なんか、人殺しの外道でいいんだよ」

 剣に言われ、日佳留は迷う。良いと言われれば疑ってしまう。本当だろうか。剣は無理をしていないだろうか。本当に、外道扱いを望んでいるのだろうか。

 気付いてしまった。日佳留は、自分に迷う余地など無かったと。剣は我慢しているのだ。日佳留の心が少しでも楽になるように。人殺しを受け入れる、なんて道を選ばせないために。自ら外道を名乗ったのだ。

 それに気付いて、剣を外道と呼ぶ気は毛頭なかった。日佳留は剣を愛しているのだから。剣の道に沿い生きると決めたのだから。

「……ううん、アタシは、そんな呼び方しない。剣は剣だよ。アタシたちのやることが正しいかどうか分からない。でも、この戦いの後に決まるんだと思う。道を間違えていそうで怖いけど。自分で決めたんだから、貫き通すよ。この勝負は、剣のチームメイトとして戦う」

「そっか。ありがと、日佳留」

 剣は言って、日佳留に微笑みかけた。大切な親友。本心を言えば、絶対に外道と呼ばれたくない相手。深水女子へ転校してきて以来の友人だからこそ、離し難い気持ちもあった。二人は互いを抱きしめあい、友情を確認する。

 抱擁も終わると、剣は全員に視線を向けていった。真希、ラブ将軍、ナイル、日佳留。そして最後に――三塁側ベンチへと。はっきりと見えない盾は、何を思ってそこに立つのだろうか。どんな顔で決闘に臨むのだろうか。

「――さあ、試合開始だね!」

 自分のチームメイトへと向き直り、呼び掛けた。

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