第五話
第五話
続く二回の表。ワンナウトからの剣の第一球。青い闘気が舞い上がる。魔球ディープショット。独特の貯めこむようなフォームから放たれる球は、やはりそれだった。
放球。青い奔流がボールを飲み込み、ミットへと吸い込まれていく。無論、打者は手も出せない。ディープショットは上昇するという変化の異質さに加え、球威もある。並みの人間では恐ろしくて手も出せないのは当然のこと。
その魔球。ディープショットを投げた剣は、激痛に顔を歪めていた。
「ぐぅッ……!」
剣の関節が痛む。身体が弾けてバラバラになりそうな痛み。超野球少女と言えども、肉体を強く痛めつけられた上で魔球を投げるとなれば。その負荷が全身に行き渡り、耐え切ることは出来ない。肉体の内側でエネルギーが暴れ、痛みを誘発する。
「剣、大丈夫か!?」
真希が声を上げ、返球。
「大丈夫だよ」
剣は嘘で答えた。本当なら、今すぐにでも投げ出したいぐらいの痛み。物理を歪める超パワーの反動を身体一つで受けているのだ。無事であるはずがない。
だが、痛いと言うのは弱音だ。弱音は文字通り、弱い者が吐く。勝利を目指す人間が零していい言葉ではない。だから、剣は堪えた。苦しかろうと、痛かろうと、勝ちを目指す向きに逆らうような感情、言葉は例外なく排除する。
続く、第二球。青が踊り、剣を包む。既に激痛で、意識を集中することさえ難しい。しかし投げる。ストライクゾーンに魔球を放り込む。それだけが、剣の勝利条件。己を呪う業に逆らう為、唯一存在する戦いの場だ。
力が滲む。限界を越えようとする。剣の魔球が放たれた瞬間、青い光が剣を傷つける。擦過傷に似た傷が腕にでき、血が飛び散る。白球は汚れ、そのまま飛翔。低空をごりごりと削るように進み、ストライクゾーンを目掛けてぐいと上昇。バッターは必死にスイングするが、見当違い。偶然でも当たる気配が無く、ツーストライク。
肩を大きく上下させ、息をする剣。今の投球で、残る体力の殆ど全てを出し切ったと言ってもいい。腕を上げることさえ億劫だった。
真希からの、無言の返球。剣はこれを、上手く捕球できずに取り落とす。慌てて拾うが、限界が近いことは隠せない。マウンドに、チームメイト四人の視線が集中する。
「剣、無理しないで!」
日佳留が声を上げる。だが、剣は困ったように笑って答える。
「もう、酷いよ日佳留。無理しないでなんて。無理こそしなきゃいけないのに」
剣は考える。自分の業を、野球をやってはいけない理由を。誰にも語ることが出来ない。そして、極めて重い。己の生命を投げ捨ててでも、まだ足りないぐらい。だから、ここで引き下がるわけにはいかない。本当に腕が千切れ、身体が弾け、死んでしまうかもしれない。だが剣は投げる。投げなければならぬ。
右腕に狂気を宿して。剣の第三球。三度ディープショット。蒼炎が立ち上がり、傷が焼かれるように疼く。しかし剣は堪え、投球に入る。放球。腕の擦過傷は更に増え、目も向けられないほどの惨状。血に染まった腕から投げられるのは、鮮血を吸い込んだ白球。文字通り剣の生命を乗せた白球。血飛沫を上げながら、青い濁流に身を任せ、キャッチャーミットへ吸い込まれていく。ストライク。見逃し三振で、ツーアウト。
剣の腕から血が滴る。正に生命を賭しての勝負。だが、何と戦うというのだろうか。剣以外の誰も、理解出来なかった。何が剣をここまで駆り立てるのか。右腕を赤く染め上げても、まだ戦う。
いいや――理屈など関係無い。どんな理由があろうとも、ここまで自分を痛めつけて、まだマウンドに居座ることは異常だ。狂気そのもの。剣自身が野球に狂っているか、それとも剣の言う業というものがこれほどの重みを持つのか。どちらかでなければ、この血生臭い野球は理解できない。
現に。理由を知らぬ超野球少女四人全員が。剣のことを理解できなかった。剣を異常と思った。だが、剣は仲間だ。故に、誰もが剣を止めたいと考えていた。
「剣サン! もう、それだけ戦えば十分だ。後は僕や他の超野球少女に任せて、ゆっくり休んでいてくれないか!」
ナイルが外野から声を張り上げる。だがやはり、剣は首を横に振った。
「無理ですよ、ナイルさん。貴方にも、他の誰にだって。私の業は背負えない。誰も代わって背負うことはあり得ないんです。それに、誰にも背負わせてはいけない。だから、私は一人で最後まで投げ続けなきゃいけない」
剣は己の業を思う。何人たりとも、肩代わりすることは出来ない。させてはならない。なぜなら剣の業は、極めて重く暗い罪からくるものなのだから。故に己を罰するため、野球を禁じてきた。
例え誰が望もうとも、剣は己の罪を他人に背負わせることを良しとしない。また、自分自身が犯した罪であるから、自分で決着を付けなければならない。
剣の眼には影が見えた。己の過ち、罪の幻影。剣が野球をすることを自ら呪う闇。これを生み出したのは、剣自身に他ならない。故に自らの手で打ち破らねば、野球の道は開けない。一度自分で閉ざしてしまった野球道をこじ開け突き進む為には、まずこの呪いと戦い、勝たなければならない。でなければ、いつまでも呪われ、身を竦ませながら戦うことになる。
剣の願いは単純。野球をすること、戦うこと、そして勝つこと。それらのどれにとっても、幻影呪縛は不要であった。ならば殺そう。己が生み出した、己の過ちを正すための楔であろうとも、野球道を塞ぐのであれば、打ち砕かねばならない。
――一方、同時刻。深水島の某所、合宿所。他方から深水島まで練習試合の為、遠征に来た団体が宿泊する施設。多くの優秀な生徒を抱える深水島の各学園は、他県から団体を招致して試合することも少なくない。なので、合宿所は頻繁に、多くの人々が入れ替わり、利用する。
現在合宿所を利用する団体のうち一つ。聖凰高校野球部二軍。来週に深水女子野球部との練習試合を控え、メンバー全員がここに宿泊している。
聖凰高校の為に用意された宿泊施設の一室。三人部屋。そこに少女が居た。白いフリルをあしらったドレスに身を包み、金髪を縦にくるくると巻いており、まるで何処かしらの王国の姫のような外見。そして、不釣り合いにも、手には白球。
「――ただいまだよ~、ジュン!」
部屋の扉を開き、一人の人物が入ってくる。金髪碧眼で、日本人離れした顔立ちの少女。
「遅かったですわね、ステラ。偵察の方、どうでしたか?」
ジュンと呼ばれた少女はドレスを優雅に操り、美しく振り返る。高貴な印象を与える身振りから、なおさら白球が違和を訴える。一方で、ステラと呼ばれた少女は気の抜けた笑顔を浮かべて言う。
「あ~、それね。なんかグラウンド周りでこわーい顔した野球部員さん達が見張っててさ。それで私、全然近づけなかったんだ。仕方ないから諦めてアイス買って食べてたよ」
「あのねぇ……それじゃあ偵察にならないですわ。ちゃんとしてくださいまし」
「まあまあ、そう怒らないでよ。ジュンの分もちゃんとアイス買ったから」
「あら、それは本当かしら」
「もちろん。まあ、帰ってくるまでに我慢できなくて食べちゃったけどね」
「駄目じゃない。もう、ステラったら……」
呆れて頭を抱えるジュン。ステラは、悪びれもせずに、ポケットからレシートを出す。
「はい。カントクに渡して、経費で落としといてね~」
「いい加減にしないとしばきますわよ?」
ジュンの脅しも何のその。ステラはそそくさと部屋へ上がり、ソファに腰を落ち着けた。まるで緊張感の無い様子に、ため息を吐くジュン。
と、そこへ。再び部屋の扉が開く。入ってきたのは、褐色の肌をした少女。アジア系の顔立ちではあるが、日本人ではない様子。
「遅くなった、ジュン殿」
「お帰りなさい、アバドン」
ジュンは、褐色の肌をした少女をアバドンと呼んだ。
「貴方はステラのような失態など犯しませんわよね?」
「無論だ。吾輩はそこのくるくるぱーとは違うのである」
ジュンに言われ、アバドンは妙に古風な口調で答える。これを聞いて、ステラがむっと頬を膨らませる。
「何を~、アバドンめ! ミーが何をしてきたか知らないのによくそんなこと言えるね!」
「どうせ偵察失敗してアイスでも食ってたのであろう。吾輩にはお見通しである」
「……そんなこと無いし~?」
「嘘を吐くのはおやめなさい、ステラ」
悪びれないステラに、ジュンもアバドンも呆れ顔。放置し、話を進めることにする。
「それで、偵察の結果はどうかしら?」
「うむ。深水女子高等学校野球部は、どうやら内部分裂しているらしいのだ」
「内部分裂?」
「超野球少女でチームを強化した結果、普通の部員が反乱を起こし、暴力的な野球で超野球少女に制裁を加えている、というところである」
「ふふっ。愚か者共ですわね。超野球少女側も、反乱を起こした側も」
「だが、問題は超野球少女側の数だ。向こうは五人の超野球少女を抱えている。我々はジュン殿、ステラとかいうクソアホ、そして吾輩の三人のみ。数の上では不利である」
「お~いアバドン?」
クソアホ呼ばわりされたステラが、抗議の声を上げる。だが、アバドンもジュンも無視。放置して話を進める方向だし、そもそも事実だ。
「問題無いですわ。わたくしの魔球であれば、例えどんな超野球少女でもヒットを打つことは不可能ですもの。十人だろうが百人だろうが、かかって来いというところですわ」
「うむ、それについては心配しておらぬ。問題は、奴ら五人の超野球少女の中に、厄介な人物が一人紛れているのだ」
アバドンは言いながら、部屋へ上がる。そして、テーブルの上に写真を広げた。
「奴らの様子を盗撮した。無駄な写真も紛れてはいるが……この一枚を見て欲しいのである」
言って、アバドンは一枚を指し示す。ジュン、そしてソファーを離れたステラが写真を覗きこむ。
それは他でもない。マウンド上から魔球を投げる、深水剣の姿だった。
「これは――ッ!」
ジュンが驚きの声を上げる。途端に、憎しみからくる表情が顔に浮かぶ。
「青い闘気。浮き上がる魔球。そして、グラウンド上の仲間が呼んだ名前。総合して考えると、この少女は以前ジュン殿が話していた少女、フカミツルギではないかと推測する。どうであるか? ――と、聞くまでもないようであるな」
アバドンはジュンの様子を見て、話を区切る。ジュンは頷き、剣の写真を殴るように、拳をテーブルに振り下ろす。ダアン、と大きな音が響く。
「この面構え……忘れもしませんわ。わたくしが生涯を懸けて憎み恨み否定してやると決めた顔。この少女、深水剣で間違いありません」
ジュンは笑った。怒り故か、剣を憎む感情が、恐ろしい笑みとなって表れた。
「楽しみですわ。わたくしが全身全霊で奴を否定してみせます。奴の野球を打ち破り、奴の犯した罪を余すこと無く全て広めてやりましょう。そうすることで、剣から野球も仲間も、全て奪ってみせます。あの日から野球を辞めたと思っていましたが……こんなところで続けていたとは。好都合ですわ」
言うと、ジュンは部屋の片隅に置いてある日傘を手に取った。
「行きましょう、お二人共。奴らに宣戦布告するのです」
他方で新たな憎悪の対象になっているとはつゆ知らず。剣は、マウンド上で戦っていた。
孤独。仲間が居ると言えど、この戦いは孤独だ。ここまで至れば、誰の助けも得られない。理解も得られない。血塗れになったところで、そのまま無理にでも貫くしかない。恐ろしく冷たい戦い。
自らに課した呪縛は、未だ破れそうにない。苦しい。剣は自身の身体に限界を感じる。もしかすると、勝てないかもしれない。自分の脳裏を掠める闇を、追い払うことが出来ないかもしれない。
恐ろしかった。恐怖が身体を駆け抜ける。だが、頼れる者は居ない。己の腕一本で、この恐怖と、脳裏の闇と戦わなければならない。
打席に打者が入る。だが、剣の足は震えていた。痛みと恐怖。二つの力が膝を砕こうとする。耐える剣。投球に入ることも出来ず、立ち尽くす。グラウンドが沈黙する。
「――剣君ッ!」
不意に、ラブ将軍が声を上げる。また、止めろと言われるのだろう。剣は既に断るつもりでいた。どんな言葉で説得されようとも。自分自身が戦いを恐れていても。どんな理由があれ、どんな気持ちであれ。関わらず、マウンド上に立ち続けると決意していた。
だが、ラブ将軍は剣も思わぬ言葉を投げかける。
「例え君が倒れても、骨は我々が拾ってやる。だから戦え! 中途半端なところで逃げるなよ。あと一人を抑えれば、君が居なくとも次の攻撃で勝利をもぎ取って見せる!」
剣は驚いた。何故、と。まるで剣の心中を理解しているかのような物言い。どうしてそんなことが言えるのか。言葉だけをとれば慈悲も無い。残酷なことを剣に要求している。まともな神経で言える科白ではない。
だからこそ有り難い。狂った人間の背を押すには、やはり狂った言葉でなければ駄目なのだ。剣は確かに、心強さを感じていた。
「――将軍の言うとおりやで、剣!」
続いて、真希が剣に発破をかける。
「おどれの生涯最後の投球になろうが、ウチは受けるぞ。投げさすからな。魂の搾りかすも残らんぐらい白球に全てを懸けろ!」
ああ、これだ。こういう世界に生きていたいんだ。剣はそう思った。どこまでも苦しく、恐ろしく。仲間など居ない。あるのはただ自分と、進む道と、先の見えない方へと追い立てる人々。戦いを知らぬ人には残酷に見えるだろう。気違いに見えるだろう。これが、剣の生き方。己の望む戦いに生きる。そして、同じく戦いに生きる者は理解している。共感する。だから、ボロボロの背中を後ろから追い立てるのだ。
「ありがとう……」
剣は呟く。
「ラブ将軍。真希。私はこの戦いに決着を付ける。それでもって二人がくれた優しさに応えるよ」
言うと剣は構える。投球の動作。青い闘気が舞い上がる。今までの、どんな時よりも力強く、激しく。
傷から滴る血で汚れた腕で白球を抱え込み、その刹那に放球。乱暴に弾ける青い炎。剣の身体は力の負荷に耐え切れず、皮膚に生傷を次々と刻んでいく。
白球は飛翔する。剣の血で真っ赤に染まった白球。血飛沫を吹き上げ、砂煙を舞い上げ。蒼の奔流と共にキャッチャーミットへと吸い込まれる。轟々と音を立てる。バッターは必死にスイングするが、やはり変化に対応できず。ボールの急激な上昇がバットを避け、嘲笑いながら着弾。真希の手の中。ストライク。
「――まだや! まだこんなもんやないで! 剣、おどれ手ぇ抜いとるんちゃうか! こないなへなちょこ球ウチに受けさすつもりかい!」
真希は煽りながらも、汚れたボールをしっかりと拭き、剣へと返球する。ああ、ありがとう。剣は心の底から感謝した。真希の本当の気持ちぐらい、痛みで朦朧とする意識でも理解できていた。
本当は止めさせたいのだろう。助けになれないことが悔しいだろう。だからせめて敵役を演じてやろう、というのだ。形だけでも、怒りをぶつけるというのはやりやすい。勢いに乗って、限界を超えて力を出し切れる。
感謝の思いを込めて。あと二球で生命さえ落とす覚悟で、第二球。青い闘気はより一層高く舞い上がり、グラウンドから遠く離れてもはっきりと確認できるほどに達した。
放球。荒れ狂う蒼の嵐が剣を傷付ける。擦過傷は全身に及び、血がユニフォームを赤く染める。
血染めの腕から放たれたボールは、やはり赤い。これまで以上の轟音を伴い、軌跡に血印を認めながら、真希のミットへと吸い込まれる。あまりにもの迫力に、バッターは全くタイミングが合わず、ミットでボールが大人しくなってからようやくスイング。
「あかんあかん! こんなんハエが止まるわボケ! 次で最後の一球や。今みたいな鼻クソ投げよったら許さへんぞ! 全部乗せきれよ。お前が本当に勝ちたいもんを打ち破るんや。身体がもたんっちゅうんやったら死ね! ここで死んで投げ通せ、剣ィッ!」
真希は罵声を剣に浴びせる。それも、泣きながら。しまいには首を横に振りながら、己の言葉を否定するような仕草さえ見せた。
穏やかな気持ちだった。剣は、ようやく光明が見えたような気がした。己を縛る呪縛が、ようやく晴れてきたように思えた。
真希の言葉がどれほどの救いになったか。剣は愛おしささえ感じた。何も知らないはずなのに、ここまで背中を押してくれる。奇妙なシンパシーが二人の間にあった。
死ね、という言葉も、この場限りでは、この上なく良い意味を持つ。何しろ、剣の業は深い。故に呪縛も、己の生命を懸けた戦いでなければ破れぬ。
そう。剣の罪はこれほどまでに重い業を生む。剣の犯した罪とは一体――。
第三球。剣は投球に入る。覇気がついに形となって現れる。蒼の奔流は漠然とした流れから、集まり、一つの字を形作る。水の字。剣が超野球少女として背に負うもの。
巨大な青い水の字の覇気が浮き上がる。そして、剣の身体へと。吸い込まれるように流れていく。肉体が耐え切れないほどの莫大な力。傷から血が噴き出る。だが倒れない。剣は白球を握り、胸を反り。低空から、白球を放り投げた。青い力が腕をズタズタに傷つけながら、ボールへと乗り移る。
闘気が血を吸い、青に赤の斑となってボールを運ぶ。どこか悲鳴のようにも聞こえる音を立て、突き進む。
バッターは、恐怖でスイングも出来ずに立ち尽くす。魔球は龍が天に昇るかのように。ボールをキャッチャーミットへと運んだ。急上昇。今日一番の変化。
ばしん、と。真希が魂の魔球を受け止める。快音がグラウンドに響く。直後静寂。誰もが息を飲み、身動き一つ取らず。結果を。審判の判断を見守る。
ストライク。バッターアウト。
「――剣ィイッ!!」
真希は泣きながら、必死の形相で剣の方へと駆け寄っていく。一方、剣は限界だった。何か抜け落ちたかのように膝から崩れ、倒れる。
意識が飛ぶ。ゆっくりと、眠りに似た感覚が剣を包む。その最中、感じた。身体を縛り付けていた闇、呪縛の消滅。これでようやく信じられる。自分は野球に生きると。例え罪を背負い、業に呪われていようとも、野球に生き、野球に死ねる。
命を賭した己との戦いを経て、剣はようやく、真っ白な気持ちで野球と向き合えるようになった。
そして剣の視界から何もかもが消える。瞼の裏が白く染まる。意識も細る。最後に聞こえたのは、真希の呼び声。剣、剣と。何度も名前を呼ぶ声だった。それも遠ざかって、剣はとうとう気を失った。
グラウンドから遠くの、深水女子高校敷地内。ジュン、ステラ、アバドンは青い光を見た。高く立ち上がる蒼。
「この力――間違いなく剣の力ですわ」
険しい表情でジュンが言う。と、不意にアバドンが尋ねる。
「ジュン殿。差し支えなければ、教えてもらえないだろうか。以前言っていた、あのフカミツルギの罪とやらを」
言葉を受け、沈黙するジュン。今この場で語るべきか迷う。アバドンはさらに被せて訊く。
「ジュン殿は、フカミツルギは大切なものを奪った悪であると教えてくれた。我々は無論、ジュン殿を信じる。だが、だからこそ。ジュン殿にこれほどの憎悪を抱かせる、フカミツルギの背負う罪とは何なのか。非常に気になるのである」
「そうだよ、ジュン~? ミーだって、大切な話は知っておきたいよ。仲間じゃないか。出来るなら、ジュンの背負うものを一緒に背負いたいよ」
アバドンに続けて、ステラまでが語る。ジュンも、二人がかりの説得に折れる。
「……そうですわね。それに、お二人には先に知っておいてもらう方が良いと思いますわ」
言って、ジュンは青い光の立ち昇る方へ向かう足を止める。遅れてステラ、アバドンも立ち止まり。ジュンの方を振り向いた。
「――私にはお姉様がおりました。幼少の頃から。いいえ、生まれた時から並んで育ってきた、魂を分けあった大切な双子の姉。名を、ユミと言います。弓矢の弓の字で、ユミ。今となっては、過去を語る以外で呼ぶことの無い名です」
ジュンの言葉で。二人は予感した。悪い可能性。フカミツルギが奪ったという、ジュンの大切なもの。
「お姉様も、私も、野球を愛していました。共に野球に生きていましたわ。中学一年のあの夏の日までは」
「……なるほど。それは……憎いであろう」
「ええ。ご理解頂けたようですわね」
アバドンは悟り、ジュンが真相を語るに先んじた。また、ステラもいくらアホとは言え、理解した。これだけの言葉を並べられたら。結論など一つしか無い。
「そうです。剣は――あの日お姉様を殺した。人殺しなのです」
アバドン、ステラ。両名とも、想像を超える剣の罪を知って。言葉にならぬ脱力を覚える。悪夢だろう。姉の生命を奪った大罪人が、まさかその汚れた腕で白球を握っていようとは。
「さあ、行きましょう。剣から、野球を奪うのです。彼女の血塗られた腕に白球を握らせる訳にはいけませんもの」
語り終えると早く。ジュンは一人、蒼立つグラウンドを目指して歩き出す。時は夕刻。皮肉なのか、夕映えの空と浮かぶ青い闘気。そのコントラストがとても美しく見えた。