第十二話
第十二話
じりじりと焼き付けるような日差し。ぎいぎいうるさいセミの声。季節は夏。
剣はこの日、ようやく退院を迎えた。やはり超野球少女は真っ当な人間とは呼べない存在らしく、腕の怪我はわずか二ヶ月で完治した。今はまだ綺麗に動かせないものの、リハビリを続けていればじきに動くようになる、とのこと。運び込まれた段階では失血死寸前。入院初期には、再び野球をやるのは絶望的な状態だ、とまで言われた。それらが全て嘘だったかのように、剣の体調は回復していた。
入院生活の最中、何度も、いろいろな人が見舞いに来てくれた。父、藤四郎は無論毎日のように。真希も同じようにほぼ毎日。それに次いで日佳留とナイル。時々、ラブ将軍を引き連れて。また、稀に元野球部の面々も訪れてくれた。話によると、第二野球部を作り、同好会のようなものとして野球を続けるらしい。また、元部員の一部はマネージャーとして野球部に戻った。選手としてはグラウンドに立てないものの、これからも深水女子野球部の力になりたい、という者が数名出てきたらしい。それもこれも、全てはあの日の戦い。聖凰野球部二軍との決闘を観戦してのことだった。
結局――試合結果は深水女子の敗北だった。四対十四で、二回裏コールド負け。剣、盾、真希が球場を抜けて、残されたのは全部で五人。三対二の、まるで野球をやるとは思えない人数での一騎打ち。カウントは盾を仕留めたワンアウトのまま試合続行。深水女子に残された三人では、アバドンとステラの二人を抑えることが出来なかった。
試合に負けて、剣は野球を辞めなければならないな、と考えていた。見舞いに来た真希にこの話をしたことがあった。
「それやけどな。剣、野球続けられるようになったんやで!」
と、真希は嬉しそうに語った。だが、詳細を聞いても教えてくれない。全ては退院して、学校で分かる、と。曰く「まあ、楽しみにしとけよ。ホンマおもろいことになっとるんやで」とのこと。
退院の翌日、二ヶ月ぶりの登校。日佳留と二人、久しぶりの感覚。
「――って感じで、私の担当の先生、うさぎのうんちの話ばっかりするんだよ。ほんと、あれには困ったなあ」
「そ、そうだったんだ……ヤな先生だね、臭そう」
剣の暴露に困惑しながらも、正直に返答する日佳留。
「ホントだからね? ホントに隙あらば何でもうさぎのうんちの話に持って行こうとする人で……」
「ねえ剣、その話やめよ?」
日佳留に言われ、剣はしぶしぶ口を噤む。あの先生の件に関しては、まだまだ言い足りない。二ヶ月分のネタがあるというのに、これでは消化不良だ。
「それよりさ、剣はもう野球部に顔出せるの?」
日佳留が問いかける。剣は頷いた。
「まだ投球の練習は出来ないけど、それでも守備やバッティングは出来そうだし。みんなが練習してるところも見たいし。今日から野球部の練習に参加するつもりだよ」
「うん、それ聞いて安心した! 実は、剣にはまだ言ってないすご~いサプライズがあるんだよね。だから、部活の時間まで楽しみにしててね!」
「分かった。楽しみにしとくね」
サプライズとは何なのか。真希の言っていたおもろいことと関係があるのだろうか。剣は今から楽しみで一杯だった。
授業の時間も、剣には新鮮に感じられた。二ヶ月の入院によるものもあるだろう。だがそれよりも、聖凰との戦いで全てにけじめがついたことが大きい。見るもの何もかも、新しく感じる。自分の感覚がどれだけ曇っていたのかを痛感する。
そして、昼休み。剣は食堂に行かず、珍しく購買でパンを買った。そして立入禁止になっているはずの屋上に向かった。
寝転がり、空を見上げる。弓の無念は晴れた。空の青に溶けて消えた。そして、その祈りを胸に宿して、剣は今を生きている。
「――弓、今はどう思ってるのかな」
天国があるとすれば。剣は、そんな荒唐無稽な前提の上で呟く。
「あの時、確かにクリオジェニックショットには弓の闘気が宿ってた。でも、それは本当に死んだ瞬間の弓の思いじゃない。弓は、あの後苦しみ続けてから死んだんだよね。もしかしたら、その間は私のことを恨み続けたのかもしれない。結局、本当は私が自分の都合のいいように現実をねじ曲げて理解して……弓の生命の重みから、逃げているのかも」
「馬鹿なことを言いますのね」
不意に、剣の耳に聞き慣れた声が飛び込む。驚いて声のする方へ顔を向ける。屋上の扉を開き立っているのは、日傘を差した金髪縦ロールの少女。間違いない、火群盾であった。ドレス姿ではなく、深水女子の制服を着ている。
「盾!? どうしてここに? それに、深水女子の制服なんか着て……」
「あら、聞いていませんでしたの? わたくし深水女子に転校してきました。アバドンにステラも一緒です。今のわたくしたちは聖凰ではなく、深水女子の野球部の一員ですのよ」
盾に言われ、気づく。なるほど、真希や日佳留の言っていたことはこれか。サプライズ、あるいはおもろいこと。盾が聖凰から深水に来たとなれば驚くのも当然だ。
「でも、いいの? 盾には盾の野球がある。聖凰の仲間を置いて、深水女子にきて大丈夫だったの?」
「侮らないで欲しいですわね。わたくしの野球は絶対防御、絶対勝利の野球。仲間に距離は関係ありませんわ。わたくしが背負い続ける限り、例え今後あの子達と戦うことになろうとも。変わらずわたくしの野球は覚悟無き人々を守り続けるのです」
言いながら、盾は剣の傍らに寄ってくる。そして続けて語る。
「それに――もう聖凰にわたくしの居場所はありません。邪魔なだけですもの。危険なだけの異分子は去るのみです。そしてわたくしは、決闘に負けた。剣、貴女の野球はわたくしの野球の上を行ったのです」
「でも、試合は深水女子の負けで終わったんでしょ?」
「わたくしの戦いは四対三で終わりました。それに、点数など関係ありません。貴女の魔球にわたくしは負けた。先に倒れた。これを負けと呼ばぬのは恥ですわ」
なるほど。剣は納得した。真希が剣に野球を続けられるといった理由。それは盾が認めたからだ。あの決闘で、負けたのは自分だと。
「それで、深水女子に来たのはどうして?」
一番の疑問をぶつける剣。
「そうですわね……わたくしも、貴女の野球の行く先を見届けたくなった、とでも言えばよろしいかしら。貴女の側で、白き道の続きを見ていたいと思ったのですわ。それに、お姉様もそう望んでいるでしょう。わたくし達が争い、離れることは望んでいないはずです」
盾は言って、剣と同じように空を見上げる。日傘を傾け、天を開いた。雲の少ない晴天。吸い込まれそうな青。弓の魂が還った場所。
「……剣、お姉様に恨まれているかもしれない、とまだ思っているようですわね」
「うん」
「お馬鹿さんね。お姉様は、そんなに弱い人ではなくってよ」
「……そうだね。ありがとう、盾」
剣は盾の言葉で、少し楽になったように感じた。疑いが消えこそしないものの、太鼓判一つ押されたらば気持ちも変わる。
そのまま二人は、静かな時を過ごす。青空に流れる筋のような雲を追う。
「ねえ、盾」
おもむろに、剣が口を開く。
「何かしら」
「そこに立ってると、パンツ丸見えだよ?」
言われて、ふふっと笑う盾。上品に腰を下ろし、剣の隣に座る。
「そんなものを見て、嬉しいのかしら?」
「うーん、嬉しいというか。盾はやっぱりフリフリしたやつが好きなんだなあ、って」
「もちろんですわ。そしてお姉様とはまるで正反対でした」
「そうなの?」
「ええ。お姉様ったら、いくつになってもずっとしましまパンツしか履きませんでしたもの」
「あー、そうだったっけ。覚えてないなあ」
「まあ、剣ったら。恋人だったのでしょう? 見覚えが無いのかしら」
「いや、恋人だからってそんなにパンツを見る機会は無いと思うよ」
「つまり、剣とお姉様はそこまでするような関係ではなかった、と」
「うん、そうだね」
剣は、懐かしいことを思い出す。中学一年のあの日。弓に告白されてからの短い日々。
「弓とは結局、キスまでの関係だった」
何か、大切なことを思い出したような気がした。剣は言葉を漏らしていく。
「今思えば、私は弓を本当に愛していなかったのかもしれない。好きだったけど、それは恋じゃなかった。弓とは違う気持ちだった。大切な姉を慕う気持ちの延長線上だった。……ような、気がする。でも他の誰にも抱くことのない感情だったよ。多分これからも、例え恋をしたって抱けない、特別な気持ちで弓を愛していた」
剣の言葉に、盾は微笑む。そして、剣の手に自分の手を重ね、絡ませる。
「ええ、知っています。今はわたくしにも理解できますわ。お姉様も、きっとそれが分かった上で恋をしたのです。貴女への思いを留めることが出来なかった。だからすれ違い、あんなことになってしまった。あれは、誰のせいでもない。事故でもない。愛故の、避けられない悲劇だった。ですから、もう悲しまなくていいの。剣はもう、自分を悪く思わなくていい」
盾の手は暖かかった。剣の記憶にある通りの感触。昔、三人姉妹だった頃と変わらぬ優しい温度。
「戻りましょう。三人姉妹だったあの頃と同じに。剣は末の妹。わたくしが真ん中。お姉様が長女。懐かしい、幸せだった日々へ。隔たる時の壁など超えて。わたくしと剣で、姉妹に戻るのです」
「――うん。ありがとう、盾」
きゅっ、と。二人は同時に、結ぶ手を握りあった。皮膚を通して伝わる。互いが姉妹であると。もう二度と心を離すことはない。特別な、一つ限りの愛情で結ばれていると感じて、心の安らぐ二人。
その後、二人は他愛のないことを話した。昔のことや、二人の思い出を。中学から今までの空白を埋めるように。本当の姉妹に戻ろうとして、昼休みが終わってもずっと、屋上に二人きりで話し合った。
放課後。剣は真希と日佳留に引っ張られながら野球部の部室へ向かう。
「よーし。剣、びっくりするで? 扉の向こうにゃドッキリゲストがおんねんで?」
「いや、あのね真希」
「ほらほら、剣ったらモタモタしないの! それともアタシが抱っこして連れてってあげよっか?」
「あ? 日佳留、剣はウチの女やで、なに手ぇ出そうとしとんねん!」
「何よ~、剣はアタシのものだからね!」
「あの、二人とも」
「ええから剣は付いてくりゃええんや!」
「そうだよ、アタシに付いてきね!」
「いやウチやろっ!」
「アタシですぅ~っ!」
聞く耳持たない二人。これには剣も困惑するしか無い。まるでナイルと日佳留の口喧嘩に巻き込まれた時のよう。これにナイルまで加わる可能性を考えると、つくづく先が思いやられる。
剣はため息を吐きながら、仕方なしに二人に引き摺られていく。そして部室の正面に到着。
「それじゃあ、開けるよ? 開けちゃうよ!?」
「びっくりすなよ~?」
楽しそうな二人、だが、既に剣には想像がついていた。扉の向こうに誰が居るのか。日佳留と真希の魂胆まで、全部お見通し。
「はい扉あけちゃった~っ!」
「いらっしゃ~い、ってやつやで剣!」
ぽん、と真希が剣の背中を押し、部室へ入れる。やはり剣の想像通り、部室には盾が居た。練習用のユニフォームに着替え、ちょうどグラウンドへ出るところだった。
「おつかれ、盾。お昼ぶりだね」
「ええ。お昼ぶりですわね、剣」
二人は何てこともなく言葉を交わす。そして盾はそそくさとグラウンドへ向かう。
「ほら、お二人とも。アホな顔してないでさっさと準備なさい」
盾は言い捨て、走り去った。想定外の事態に真希と日佳留は固まっていたが、すぐに意識を取り戻す。
「ちょっと待てや盾! だれがアホ面じゃ!」
「っていうか二人とも、なんで驚かないのよ~、もう!」
それぞれが感情のままに声を上げる。剣はそんなアホ二人には構わず、自分のロッカーはどこかと探すのだった。
その後、野球部の練習は何事も無く進んだ。ラブ将軍の組んだメニューに従い、各人が練習を始める。剣はまだ退院したばかりということもあって、比較的軽い内容のメニューだった。一方で日佳留とナイルは、野球経験の格差を埋めるため、ラブ将軍自らが相手する特別メニューでの練習となっていた。内容も実戦さながらの重いものだった。
やがて日も暮れ、夜になる。練習も終わり、一同礼をして、帰りの身支度。まずは身体にまとわりつく汗を流さねば、とシャワー棟の脱衣所に全員集合。
「疲れたぁ。さあ剣、アタシがユニフォーム脱ぐの手伝ってあげるよ」
突然、剣の服に手を掛ける日佳留。
「いや、さすがに服ぐらい自分で脱げるよ」
「いいから、いいから♪」
心底楽しそうな様子。剣はため息を吐き、仕方なしに脱衣を任せる。だが、そこで一声物申す者もいた。
「待ちたまえ日佳留サン。剣サンの服を脱がすのは僕だよ」
「なんで張り合うの……」
ナイルの行動に呆れる剣。しかしそこは聞く耳持たないナイルだ。問答無用で剣の服を掴む。
「さあ日佳留サン、離したまえ」
「うっさい!」
ぐいぐいと二人で引っ張り合う。ユニフォームが伸びてしまうのだが、こうなると二人は剣の話を聞かない。
そこへさらに盾が乱入する。
「お止めなさいな、お二人とも! 剣が困っていますわ!」
言いながらも、やはり剣の服を引っ張る。何でこうなるんだろう、とうんざりする剣にさらなる追い打ち。真希までが、無言で剣の服を掴む。
「……真希はどういう理由で私の服を掴んでるの?」
「楽しそうやから、やで!」
キラキラと目の輝く笑顔だった。はぁ、と一際大きいため息を吐く剣。
「ちょっと! アタシが最初なんだから剣のお世話はアタシがするんだからね!?」
「いやいや、抜け駆けは良くないな日佳留サン」
「というか剣のお世話をするならそれこそわたくしが適任でしてよ?」
「お前らよりウチの方が適任や。ここは正捕手様に譲ったらどうや?」
四人、一歩も引かない。
「それならこうしましょう。まず一人がユニフォームの上を脱がせる。そして次の一人が下を脱がせる」
「なるほど、役割分担だね? それならアタシ下着脱がすね!」
「いやいや、そういうデリケートなことは僕のような紳士的な者がやるべきだ」
「いいえ剣の下着はわたくしのものです。貴女達はアンダーシャツで我慢なさい」
「変態やないかい!」
「真希だってどうせ興味あるのですわよね?」
「……変態に下着担当は任せられへんからウチがやるわ」
「やっぱり変態ですわ!」
四人がそうやって言い合う間に、剣は自分でユニフォームを脱いでいた。話に熱中するあまり、剣のユニフォームを掴む手は離れていたのだ。
「シャワー、先行ってるよ」
脱衣所を後にする剣。四人は慌てて後を追いかける。
「剣サン、僕が背中を流してあげよう」
「違うよそれアタシの役目だもん! 今決めた!」
「いいえわたくしこそ適任ですわ!」
「いやシャワーで背中流す奴は別に要らへんやろ!」
シャワー室で汗を流す一同。不意にかしゃっ、とシャッター音が響く。何事か、と剣が振り返ると、そこにはカメラを構えるアバドンの姿。
「……なんでアバドンさんはカメラを持ってるの?」
「心配ご無用である。このカメラは防水故、壊れることはない」
「いや、むしろ壊れてくれた方が安心なんだけど」
剣はアバドンの方に向き直りながら言う。すると再びかしゃっ、とシャッター音。隠すものも無い、正面からの全裸を写真に収められる。
「今撮ったでしょ」
「撮ってないのである」
「いや撮ったやろ」
「確実に撮ってたね」
真希と日佳留も会話に割り込み、つっこみを入れる。
「吾輩はシャッターチャンスに反応しただけである。悪意は無いのだ」
「よく分からないけど、女の子の裸を撮りたかったってことでいいよね。変態じゃん」
「変態ではない。ちょっと年頃のおなごの裸体に並ならぬ興味があるだけである」
「やっぱり変態じゃん」
「変態ではな~い!」
「でも口からヨダレ出てるよ」
剣に指摘され、苦し紛れに次の被写体を求めて移動するアバドン。
「……ねえ盾、あれ止めさせたほうがいいんじゃない?」
剣は少し離れた場所でシャワーを浴びる盾に声を掛ける。だが、盾は困ったようなため息を吐いて答える。
「無駄ですわ。もし直接の撮影を止めさせたら、次は盗撮が始まりますもの。裸が撮られるだけのうちはまだマシですわ」
「えぇ……やっぱあの人、変態なんだ」
どおりで誰もアバドンを止めないわけだ、と剣も納得……しそうになったが、いやいや、と首を横に振る。
「変態というか、それはもう犯罪だよ!」
しかしやはり、誰も剣のように抵抗しようとはしない。これが慣れというものなのだろう。自分のいない二ヶ月分の重みを、妙な形で思い知る剣だった。
汗も流し、一同揃って脱衣所の椅子に座って涼む。だらしなく、誰も制服に袖を通す気配が無い。下着姿のままだった。
「……あー」
扇風機に声を掛ける剣。音が震えて聞こえる。その脇で、アバドンとラブ将軍が下らない会話を繰り広げている。
「やはり吾輩は、大きい方が良いと思うのである」
「愚か者め。未成熟のあどけなさこそ至高だ」
多分胸の話だろうな、と推測する剣。
「ステラやマキ殿ののおっぱいを見てみるのである。あれは……もう、たまらんのである。触りたい」
「いいや、日佳留君や盾君のような成長途上の胸こそ美しい。撫でたい」
この二人は馬鹿なのかな。と、剣は思った。実際に馬鹿なのだろう。筒抜けの会話に誰もが呆れている。が、二人は厭わず話を続ける。
「ただ、一つだけは間違いないのである」
「ほう、それは何だね」
「ナイル殿のような絶壁だけは論外」
「確かにな」
「ちょっと待ってくれ二人とも! 僕に失礼じゃないか!?」
とばっちりを受けて抗議するナイル。
「黙れ壁!」
「お主なんかNBでシールドブレイク狙ってりゃいいのである!」
「よく分からないが馬鹿にしてるのは確かだね!? 僕だって多少気にしているんだから、この問題は触れないでほしいのだが!」
「誰がお前の胸など触るか!」
「触る胸も無いのに偉そうである!」
あまりにも酷い言われよう。ラブ将軍とアバドンは白熱しているのか、ナイルに向けて躊躇いも無く暴言を浴びせる。さすがにナイルが可哀相だ、と剣はナイルの肩を持つ。
「ナイルさんだって、きっと男装とか似合いますし、素敵ですよ」
逆効果だった。ナイルは膝を抱えていじけてしまう。剣は意図せずトドメを刺してしまった。
練習も終わり、八人は揃って帰路につく。学校を出てすぐの場所にあるコンビニで買い食い。
「せっかくだ。今日は剣君の退院祝いとして、私が何でも一つ好きなものを買ってやろう」
気前のいいことを言ってみせるラブ将軍。
「そらホンマか!?」
「ああ、無論だ。だが、あんまり高すぎるものは駄目だぞ?」
これに喜び、一同コンビニの中へ。それぞれが菓子パンやアイス、飲み物などを好きに手に取っていく。
「ほら、全部この買い物カゴに入れておけ。私がまとめてレジに通す」
言いながら、ラブ将軍は買い物カゴを差し出す。そそくさ、と真希が最初に物を入れて、全員が続く。
「先に出ているといい。大人数で店内に居座ると邪魔だからな」
その言葉にも全員従った。コンビニの外でラブ将軍を待つ七人組。
「……よし、みんな見てみて~! 面白いものが見れるよ~」
不意に、ステラが声を上げる。ガラス越しに店内のラブ将軍を指差していた。向こうはステラの様子に気付いていない。
「一体何が始まるの?」
剣が問いかけると、ステラは心底面白そうにしながら答える。
「ショーグンのカゴの中に、ミーがお酒を入れといたんだよ」
「お酒!? 未成年は買っちゃ駄目だよ!」
「そうそう。そんなものを制服姿の女子がレジに持って行ったら、どうなるかな~って思って」
「なんや、おもろそうやないか!」
真希がステラのいたずらに興味を示す。他の者達も同様だった。ラブ将軍がどんな目に遭うのか興味津々。ガラスに張り付くように集まり、ラブ将軍の様子を見守る。
「あ、店員さん気付いた!」
日佳留がいち早く言う。レジの店員が、ビールの缶を手に取っていた。そしてラブ将軍とビールの缶を交互に見比べる。ラブ将軍はこれにまだ気付いていない。バッグの中の財布を探しているようだった。
そして、店員がラブ将軍に声を掛ける。そこでようやく顔を上げ、ビールの缶に気づくラブ将軍。何が起こったのか分からず硬直。
「そりゃそうやろな。普通缶ビールがカゴに入っとるとは思わんわ」
「というか、ラブ将軍は僕達が何をカゴに入れたか確認しなかったのか」
「きっとわたくしたちを信頼して下さっているのですわ。素敵な方です」
「でもそこでミーに裏切られてるからね。ちょーうける~」
悪いのはお前だ、と誰もがステラに向けて思った。が、悪びれもしない様子から考えると、言うだけ無駄だろう。ラブ将軍の観察を続行する。
「将軍殿、顔を真赤にして謝っているのである」
「むっちゃ恥ずかしいんやろな……見たことないぐらい慌てとるで」
「でもなんか、普段と雰囲気違って可愛いね、ラブ将軍」
剣が言うと、一同が頷く。狼狽するラブ将軍を見るのは、誰もが初めてのことだった。
やがてラブ将軍が出てくる。缶ビールはもちろん買わず、他のものだけをレジ袋で持っている。顔は依然恥ずかしさに赤く染まり、口は真一文字に結ばれている。
口を開いての第一声は、犯人を探す怒りの言葉。
「……誰だ、缶ビールをカゴに入れた馬鹿者は! どこのどのステラだ!」
「さぁ、どこの誰でしょう~」
分かりきった問い掛けをするラブ将軍と、わざとらしくとぼけるステラ。
「正直に言わんとしばき倒す。怪しいと思うステラから順にしばく。私が犯人でしたと名乗り上げるまでしばき続けてやる!」
「そんな、ミーは本当に無実だよショーグン! ちょっと手が滑っただけ!」
「やはり犯人はお前じゃないか!」
「え~、でもショーグンが何でもいいって言ったし」
「だからって缶ビールをカゴに入れるやつがあるか! 尋常ではない辱めを受けたのだ。この罪は償ってもらおうぞ……」
「あの、ラブ将軍。ちなみにどんなこと言われたんですか?」
剣は尋ねる。完全に興味本位の一言。だがラブ将軍は恥ずかしさを笑い話にして誤魔化したいのか、すぐに答える。
「高校生であることを確認された後、留年をしていないかを聞かれた。後は私がお前たちのパシリか、あるいはイジメを受けている可能性を暗に心配されてしまった……恥ずかしい……」
目を閉じて思い返し、耳たぶまで真っ赤に染めるラブ将軍。
「とにかく、ステラには相応の罰を与える。明日の練習、覚悟しておけ」
「うっ」
後先考えずに行動するとこうなる。いい例だ。ステラはため息を吐き、肩を落とした。
「もうこの話は終わりだ。お前達、自分の選んだものを手に取れ」
ラブ将軍は言って、レジ袋を開いて構える。各々が中に手を突っ込み、商品は順に行き渡る。
最後にステラも手を突っ込むが、何も入っていない。
「あの、ショーグン。ミーの分は?」
「缶ビールが入っているように見えるか?」
「いえ~、全く」
「だったら諦めろ。それか自分で買ってきたらどうだ」
「ぐぅ……くやしい」
ラブ将軍の反撃は効果的だった。ステラは思わず声を漏らす。
コンビニで何組かに別れ、各自解散。
「ごめん、みんな。私、忘れ物しちゃった」
不意に剣は言うと、駆け足で学校へと戻っていく。
「なあに、付き合うよ剣!」
「ううん、大したことないから大丈夫!」
日佳留の呼びかけを断り、そのまま剣は離れていった。
「……なんだろ、忘れ物って」
疑問に思うも、日佳留は結局追いかけない。他に剣の様子を気にする者も居ない。
と、思いきや。
「わたくしも、忘れ物をしましたわ」
言って、盾が剣の後を追う。歩いて学校に引き返す。それっきり、全員がそれぞれ帰路につく。結局剣の後を追ったのは盾だけだった。
剣は野球部のグラウンドに来ていた。こっそりと野球ボールを持ち出し、ネットの方に向かって軽く投げる。しゅうっ、と回転するボールが擦れる音。
「……うん、やっぱり投げなきゃ収まりつかないなぁ」
言って、ボールを拾いに行く剣。今日の練習では結局、投球練習が出来なかった。しばらくは様子を見るため、簡単な基礎体力トレーニングのみが続くらしい。ラブ将軍はそう言っていた。身体を労ってのこと故、剣も直接逆らったりはしない。だが、いくらなんでも全く投げないでいては調子が狂う。
「キャッチボールなら、付き合いますわよ」
剣がちょうどボールを拾ったところに声。振り返ると、そこには盾の姿。グラブを二つ持っていて、一つは右手用。もう一つが左手用だった。
「じゃあ、お願いしよっかな」
左手用のグラブを、盾は剣に投げて寄越す。
軽い調子でボールを投げ交わす二人。定期的に、しゅっという風切音と、ぱあんと響く捕球音。静かな夜のグラウンドに、一際心地よく響く。通じ合う二人は、月明かりだけでも十分にボールが見えた。どこに投げてくるかが分かる。不安げ無くキャッチボールが続く。
「――今日、楽しかったね」
剣は、不意に口を開く。
「なんだか、夢みたいだった。仲間がグラウンドに沢山いて、ずっと話が絶えないで。今まで、こんなこと無かったよ。野球をやっても、私にはこんな居場所は無かった。沢山の仲間が迎えてくれる場所は、初めてだと思う」
「そうですわね。わたくしも、深水女子に来てそう思いましたわ。普通、超野球少女は少数派。他人の悪い視線の中で生きねばならない。チームメイトでさえ、正直に受け入れてくれることは無い。仲間と呼べるのは、同じチームの、同じ超野球少女だけだった。ですが――このグラウンドには、沢山の超野球少女が居る。裏方の部員さんも、超野球少女にとても肯定的です。こんなに居心地の良い場所は他に無いと思いますわ」
盾は、微笑みながら言った。剣も今日の野球部での出来事を思い返し、笑みを零す。思えば全員が変な人ばかり。賑やかで、話題の絶えない放課後だった。
「ですが、いずれこの時間も終わります」
不意に、真剣な声で呟く盾。ぱん、とボールをキャッチして、そのまま投げ返さずに語る。
「わたくしたちは、いずれまた戦いの中に身を置く。八人という単位で勝利を目指す。その最中、誰も今日のような腑抜けた幸せを感じることは許されないのです」
「……そうだね。私達は、超野球少女だから」
「ええ。戦いは永遠に続きますわ。一時、休息の日々を過ごすことがあっても、それはことの本質ではない。結局は勝負し、勝利することでしか真の幸福を得られない。わたくしたちはそういう生き物なのです。人であることを生まれながらに捨てた、おぞましく勝利を喰らう化け物。人の形をした異物。どれだけの幸せな時間で誤魔化そうとも、その本質だけは変えることが出来ない」
そこまで語ると、盾はようやく剣にボールを投げて返す。そして言い放つ。
「剣。貴女は投げなさい。その覚悟が無くとも。貴女の肩に掛かるのは無数の未来。敗北した者への責任です。正義正道の野球以外で倒れることは、断じて許されません」
剣は盾の言葉を噛み締める。今や剣の腕には盾の思い、盾の野球道も眠っている。勝利することで剣が奪ってしまったもの。それを、盾は改めて託そうというのだ。鼓舞激励の言葉でもって、明確に。
「……盾は、これからどうするの? 盾の野球道はどうなるの?」
剣は問う。これに、堂々たる態度で答える盾。
「無論、続きます。いいえ、続けてみせますわ。敗北者は再び立ち上がるのみ。いずれ再び戦うことにもなるでしょう。その時に勝利することで、敗北者は奪われたものを取り返すことが出来る。否定された己の道。信念。閉じた未来を再び抉じ開けましょうとも」
言い終わると、盾は剣に迫り寄る。そして――不意を突くようにキスをした。深いキス。舌をねじ込み、剣の口を一瞬で味わい尽くしてやろう、と。十秒足らずの出来事だった。あまりのことに反応できないでいる剣。
唇を離し、盾は剣に背を向け、立ち去る。
「これが、お姉様のよく知った味ですのね。それでは、御機嫌よう」
優雅に歩いていく盾。わけが分からず、剣は唖然としながら盾を見送った。
「――なんやアイツ、ウチの剣にいきなりキスしおって!」
考えがまとまりもしないうちから、また剣を驚かす出来事。物陰に、真希が隠れていた。そして声を上げながら飛び出してきた。
「全く、勘弁してほしいわ。剣はウチの女やっちゅうこと分かってへんのやろなあ」
呆然と、真希の言うことを聞く剣。うん、そうだね。と答える。
「でも真希、その『ウチの女』って言い方、誤解されちゃうよ」
「ん? 何が誤解なんや。剣はウチのもんや。愛し合っとるやないか」
「だから、それって正捕手と投手の関係の例えでしょ?」
「何言っとんねん。ウチは最初っからホンマの意味で言うとるで?」
真希は言って、意味深な笑みを浮かべて剣の後ろに回る。そのまま剣を抱きしめて、制服の上から乳房に手を這わせる。
「ま、真希っ?」
「剣にその気がなかろうがおんなじや。お前はもうウチのもんやからな。ヨソの女に寄越したるつもりは無いで」
言って、真希は左手をゆっくりを動かし、剣の首を、顎を撫でる。そのまま指が唇に掛かり、剣が喋ろうとするのを咎める。
「まあ、唇だけの浮気はまだ許したるわ。その代わり、こっちはウチだけのもんやからな?」
真希の右手が下がっていく。するする、と制服を擦りながら、スカート越しに臀部を柔らかく撫でる。堪能したかと思うと、今度は剣の内腿に手を入れる。秘部に届きそうな領域を弄られて、剣は不思議な感覚だった。恥ずかしくて身が沸騰しそうになる。膝が砕けそうだった。しかし真希の指がむず痒く、心地良いので、払い除ける気にはならなかった。
少しずつ、真希の手がせり上がる。スカートもたくし上げ、誰にも素直に見せはしない場所に迫る。剣はこそばゆい気持ちが膨れ上がり、自分の感覚を理性で支配できなかった。恐怖と、それ以上の期待感が溢れる。そして真希の指が腿の付け根に届くか、というところで――手が離れる。熱が一気に引いてしまい、名残惜しさを感じる剣。
「期待したんやないか、剣」
真希が耳元で囁く。そして一瞬だけ、軽く耳たぶを食む。痺れが背筋を一気に突き抜け、期待に胸が踊る剣。確かにそうだ。真希の言うとおり、剣はどうにかされてしまうことを期待していた。
「せやけど、ご褒美はまたそのうちや。今日はもうおしまい、な?」
言って、真希は剣から離れる。体温を名残惜しく思う剣。また抱きしめて、好きにして欲しい。そんなことを思った。
「続きがしたいんやったら、今度は自分から誘ってくれや」
まるで見透かしたような言葉。それを言い残し、真希も立ち去る。――が、途中で足を止め、剣の方を振り返って言う。
「そうや、剣。盾の奴がまたそのうちお前と戦うっちゅうとったやろ。そん時は、ウチはまたお前の球を取ったる。いつまでもそうや。お前が投げる限り、ウチは必ず球を取る。せやから、お前は安心して戦えよ」
今度こそ、最後の言葉だった。真希は振り返らずに歩き去る。グラウンドには、剣ただ一人だけが取り残される。
空を見上げる。二ヶ月前の戦いを思い返す。元野球部による暴力、そして盾との決闘を乗り越え、己の野球を取り戻した。死者の祈り、弓が剣に願ったものを知った。
剣は考える。右腕の内から溢れる力の理由を。戦いの中で宿った数々の祈りのこと。人と超野球少女。相容れぬ二つの存在が共に夢見る未来。白き戦いの先に、全ての人の心に届く喜びのことを。人々が何を見たのか、剣は思いを馳せる。未だ自分では理解できない、託された望みを考える。答えは出ない。
しかし。自らに託された人々の祈りを、やがて剣は真に理解するだろう。
明日よ来い。剣は月に向けて想う。この腕の中に秘められた無数の祈りを抱いて。必ず戦いの明日は来る。だから今は、戦いの傷を癒やすのだ。例え一時の、仮初の安息であろうとも。全てはいずれ来る戦い、人々の祈り、そして――自らの心に流れる、勝利の安らぎの為に。
第二章、炎と正義の魔球少女編、これにて完結です。
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