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ツルギの剣  作者: 稲枝遊士
第二章 炎と正義の魔球少女編
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第十一話

  第十一話




「――なあ、剣。クリオジェニックショットを投げてくれッ!」

 次の打者は盾。それ以外の方法で打ち勝つことが不可能なのは明白。だからこそ、真希は要求していた。しかし剣は、否定も肯定も出来ない。

「……真希は、それでいいの? 一度も練習さえしてない、死ぬリスクさえある魔球を受けるつもりなの?」

「もちろんや。ウチは、お前の為なら死ねる。いいや、死ぬわけあらへんわ。お前の魔球が宿す無念を晴らすまでは、死んでも死にきれへんわ! 例え死んでもお前の球受けるためなら、キャッチャーズボックスから離れへんでッ!」

 真希の覚悟は十分に理解できた。だが、二度も失うことは、やはり怖かった。弓というパートナーを失い、もしもまた、真希を失うようなことになったら。二重の恐怖を自分は乗り越えられるのだろうか。また野球をやろうと思えるのだろうか。

「……ごめん、やっぱり、私は怖い」

 剣は自分の感情を制御出来なかった。恐怖というよりも、ある種のトラウマ。理屈を超えたものが魔球を投げることを拒ませる。

「そうか、お前はそういうつもりなんやな」

 真希は怒気を孕んだ声で言う。すると、キャッチャーの装備を脱ぎ捨てる。そして上半身に着る服も全て脱ぎ捨て、何かを探し始める。

「救急箱あったやろ、どこや?」

「それならラブ将軍の荷物と一緒に――」

 剣が答えると、真希はすぐに救急箱を取る。そして、中に入っているハサミを取り出した。包帯等を切るために使うだろう、と入れている大きめのもの。

 真希はこれの刃を開くと――自分の腹に目掛け突き立てようとする。

「なにしてるの、真希ッ!? やめてよ!」

 驚き、剣は真希の腕を抑えた。だが、真希は剣の腕を振り払おうとする。

「離せや剣! お前が投げへんっちゅうんやったら、ウチはもう生きとる意味なんざ何一つあらへんのや! そんならここで腹切って死んだる! せやから離せェッ!」

「やめてよ! お願い、真希……私は真希が居なくなったら……また野球をやるために立ち上がる自身なんか無い。だからお願い、そんなこと言わないで!」

「ふざけんのも大概にせえ! お前が正直に魔球を投げりゃあ済む話じゃ! 選べ剣。ここでウチを殺すか。それともマウンドで殺すか。二つに一つや!」

「そんな、お願いだよ真希……」

 剣は泣き崩れる。混乱して、何をすればいいか。何を言えばいいかも分からなくなる。真希はそんな剣へ向けて、更に罵倒を続ける。

「甘ったれんなよ、ボケナスが。それともこの勝負にゃあ負けてもええっちゅうことか。そんなふざけたこと言ってみい、ウチとお前の二人纏めて喉笛掻っ捌いたるわッ!」

 そして――真希は、剣の顔面を殴り飛ばす。衝撃で、一瞬視界が真っ暗になる剣。そのまま勢いに押され、床に倒れ込んだ。

「痛いか、憎いか剣よ! ウチに怒れッ! その怒りをマウンドで晴らせや! クリオジェニックショットでウチを喰らい、殺して今殴られた恨みを晴らすんや剣!」

 言って、真希はユニフォームを着直しだす。そして、小さく呟く。

「……ウチかて、死にとうないで。怖いからやない。お前に、また悲しい思いさせとうないんや。お前が一番の球を投げられへんなんて……悲しいやないか。弓の願いも、ウチの願いもきっとおんなじや。お前の一番ええ球で勝つ姿が見たいんや。頼むで。ウチらの願いを叶えてくれや」

 その言葉を受けても、剣は立ち上がらない。真希はキャッチャーの装備も身に付け終わる。剣が立ち上がることも待たず、フィールド上へと戻っていく。



 真希と、そして盾。二人は近い場所に並び、剣を待っていた。立ち上がり、クリオジェニックショットを投げる覚悟を待った。

「……立ち上がるのでしょうか、剣は」

 盾は呟く。表情は険しい。だが、真希の表情は違った。真剣そのもので、剣の復活を信じていた。

「ああ。アイツは絶対に立ち上がる。クリオジェニックショットを投げるんや」

「ですが……あれからもう、三十分は経ちましたわ。起き上がりもせず、もうずっと倒れたままではありませんか。貴女、剣に言い過ぎたのではありませんの?」

「なんやお前、まるで剣の味方みたいな言い方しよって。変な奴やの」

 真希に言われ、恥ずかしそうに顔を逸らす盾。

「まあ……わたくしのライバル足りうるのは未来永劫、剣しか居ませんもの。こんな形で勝負が終わるのは望むところにありませんわっ!」

「正直になりゃあええのになあ」

 苦笑する真希。一層恥ずかしそうに抗議する盾。

「なっ、何が正直ですか! わたくしは本心を言っていますわ!」

「お前も――本当のところ、あいつの野球が好きなんやろ?」

 真希に言われ、どきり。盾は否定することの出来ない自分に気付いた。いや、本当は知っていたのだ。剣の野球もまた、一つの道であると。自分の歩んできた道とは違うものであっても。剣だけしか持たない魅力があることは理解していた。ただ、認めることは出来なかったのだ。勝負の相手だから。少なくとも、この勝負が終わるまでは。剣は敵であり、打倒すべき対象なのだから。

 しかし――真希に言われて、思いを零す気にもなった。

「……わたくしは、剣の野球は人を傷つけ、犠牲を生む野球だと思っています。それは変わりませんわ。ですが、それであってもなお眩しい。剣の信念は硬く鋭い。それこそ剣のように。全ての障害を貫き通す、純粋な思い。野球をしたい。ただ勝ちたい。その白刃のような輝きに勝るものは恐らく存在しない」

「そうやな。せやからウチは剣が好きや。アイツの真っ白な、子供みたいに純粋な気持ちが、すんごいもんを背負って突き進むんや。柵も業も切り捨てて、己が打ち負かしたもんの思いも全部背負って。そんでもまだ、真っ白なまま野球をやる。勝利を目指す。ただ強いだけで、そんなこと出来るか? そんな気持ちのええもんが他にあるか? せやからウチは、アイツの行く先を見てみたいんや。例えここで――犠牲になるかもしれんかっても。それでええんや。純白の勝利が辿り付ける場所には、そんぐらいの価値があると思うてる」

「わたくしは……そこまでのことは思えませんわ。犠牲の上に辿り付く場所なんて、本当に存在するかも怪しい。だからわたくしは戦うのです」

「せやな。アンタはそれでええと思うわ。ウチかて自分が正しいか分からん。せやから勝負で決めんねん」

「そうして勝利して突き進んだ先もまた、破滅が待っているかもしれないのですよ? 貴女が自分の目で、最後の結果を見届けることすら出来ないかも。それでも、今の選択を続けるのですか?」

「もちろんや。でもそれこそ、やってみんと分からんやろ? もしかしたらすんごい結果になるかもしれんやんけ。なんも、誰も彼もにやれっちゅうとるわけやない。全部の可能性ひっくるめて、それでも覚悟の決まったもんだけ付いてくりゃあええねん。見てみいや、ウチらのチームを。全員違う。誰も同じ理由やない。せやけど、覚悟決めて立っとるんや」

 真希に言われ、守備陣に目を向ける盾。そこに立つ全員が、真剣な表情でベンチを見守っていた。剣が自分の力で立ち上がってくれることを祈っていた。剣の戦いが始まることを待ち望んでいた。

「それにもう一つ。あいつらもや」

 言って、真希は観客席の一部を指差す。そこには深水女子の制服を来た一団が居座っていた。観客席は超野球少女が見られるということで、それなりの人で埋まっている。その中で、この一団は一際大人数で目立つ集団だった。多くの観客が試合再開を見守っているが、彼女達は立ち上がり、今か今かと待ち侘びているように見えた。

「先週見たツラが並んどる。あいつら、深水女子の元野球部やで。あんだけウチの剣を憎んだ奴らが、今はどうや。立ち上がって戦うことを祈っとる。そんだけの力が剣の野球にゃあある。三十分も経ったのに、あいつらずっと立ちっぱなしや。そんぐらい、あいつの白い想いは心を動かす。これを見りゃあ分かるやろ。ウチらは案外、分の悪い賭けに乗っとるわけやない。幸先ええ船に乗って、少しずつ、行き先かて見え始めとるんやで」

 言われてから、盾は気付いた。思えば、剣が倒れてからの三十分。観客のほとんどが帰ろうとしていない。目を奪われているのだ。程度こそ違えど、ほとんどの人が一塁側ベンチの様子を気にしながら、それでも期待して待っていた。これが剣の野球が示す可能性。例え犠牲を生むかもしれないとしても。確かに、突き詰めた先には何か大きなものがあるかもしれない。

「……そうですわね。わたくしでさえ、あの剣が立ち上がることを期待して待っている。こんなに人々の心を惹き付ける力は、どんな正義にだってありえない。この勝負に、もしも負けるようなことがあれば――わたくしも信じてみようかしら」

 盾は言って、しかしすぐに訂正する。

「無論、負けなどありえませんけれど。わたくしが必ず勝ちますわよ?」

「せやな。そうでなけりゃあ、勝負が味気のうなってまうわ」

 そうして、二人が会話を終えた時だった。

 不意に大気が震える。一塁側ベンチから――青い光が漂う。

「……ようやくか、剣。ウチは信じとったで。お前はウチの本当の心を知っとる。そんなら必ず立ち上がってくれるって分かっとったで!」

 真希は喜びの余り、笑顔を浮かべる。そして、ガッツポーズを取った。

 ふらり、一塁側ベンチに立ち上がる影。深水剣であった。そのままゆらゆらとベンチを離れ、マウンドまで歩いてくる。項垂れていた顔も、すぐに真っ直ぐ持ち上げる。凛と強く、覚悟の青い炎を宿す姿に、多くの人が喜んだ。深水女子の選手だけではない。観客席に座る人々も、多くが立ち上がり、様々な歓声を上げた。

(こんな――ここまで、人の心を動かすのですね)

 盾はその光景を信じられない、という表情で見渡した。だが、すぐに受け入れる。そして不敵に笑い、剣を迎え撃つ心構えを取り戻す。

 一方で、三塁側ベンチ。ステラとアバドンも、観客の様子には驚いた。

「――すごいね、これ」

 ステラは呟く。

「こんな形で人の心を動かすなんて。ミーだって、今までに一度もなかった。ずっと道化に生きてきたミーでも、ここまでの思いを背負ったことは無かったよ」

「全くである。一つ一つが、確かに今日この場で動かされた心なのだ。それを考えると……末恐ろしい奴であるな、フカミツルギは」

 アバドンも、ステラに同意した。そして見守る。自分達の信じた野球道の主、火群盾が剣に勝利する時を待ち望む。

 剣の足が、ようやくマウンドの土を踏む。そして真希の方を向き直る。二人は互いを見つめ合った。あるいは、睨み合っているのかもしれない。第三者に、二人の視線の意味を正確に理解することは難しかった。

「……真希、私投げるよ!」

「おう、はよせえや!」

「私、真希を殺すことになるかもしれない! それでも投げるよ!」

「ええから! それがウチの仕事やからなぁ!」

 言葉を交わし合い、そして真希は腰を下ろす。キャッチングの姿勢を取る。盾も剣を迎え撃つべく、バットを構えた。

 いよいよ――クリオジェニックショットを放つ時が来た。

 剣は足を上げる。深く、白球を抱き込むような独特の姿勢。青い闘気が轟々と立ち上がる。そのすべてが剣に向かって収束していく。まるで大気中の何かを吸い込むようにも見える。そして――剣は、投げた。前へ身体が弾ける。地面を擦る寸前の、超低空アンダースロー。闘気の渦が白球へ、腕へ集まっていく。圧縮された闘気はさながらウォーターカッターのように剣の皮膚を、ユニフォームを引き裂く。鮮血が飛び散りながら、それでも剣は闘気を白球に込める。そう。クリオジェニックショットとは、ありったけの闘気を白球に込めた、超高圧弾仕様のディープショットのことだったのだ。

 白球は剣の込めたすべての闘気を乗せ、血を吸って、大地を引き裂きながら突き進む。高圧の闘気が大地にメスを入れながら飛んで行く。盾もこれに対抗。赤い闘気を極限まで高める。奥義、斬燿を放つ準備。限界を超えてバットへ注ぎ込まれる、圧縮された闘気。煉獄を投げた時のように、盾の身体から炎が吹き上がる。ユニフォームを焦がし、皮膚を焼く炎。それでもなお、盾は闘気を込め続ける。

 衝突の瞬間は来た。クリオジェニックショットはディープショット同様、盾の手元で跳ね上がる。ディープショットよりも大きく、鋭い変化。だが、盾の斬燿はこれを確実に捉える打法。二つの究極の技が激突。赤の闘気が炎を吹き荒らし、青の闘気が水の刃で空を裂く。力が競り合い、均衡を保つ。

 いや――僅かに、剣の方が押していた。クリオジェニックショットの恐ろしさはむしろ、ここからだった。

「斬り裂けええェッ!」

 剣が魔球に祈りを込めて、絶叫。球に込めた闘気が開放される。圧縮された水が吹き出る時の威力は、ただ放水するよりも遥かに強い。魔球もまた同じ。クリオジェニックショットの軌道に伸びる光の尾が長く伸び始める。内部に込めた大量の闘気が、ジェットと化して球を押し出す。また、球自体も闘気の吹き出る刃の塊と化した。高速回転、高速噴出により生まれる力が、次第に盾の闘気を削り、喰らい、飲み込んで押していく。

 十数秒の均衡が崩れた。斬燿が――ついに弾かれた。正面からの力の勝負に敗北した盾。だが、戦いはこれで終わりではない。まだ、真希の捕球という難関が残っていた。

「任せろよォッ!」

 真希もまた、己の緑の闘気を立ち上がらせ、球を受け止める。クリオジェニックショットの威力を、無理やり風の力で押さえ込もうとする。だが、魔球の声は鳴り止まぬ。轟々と闘気を放ち続け、まだまだ加速する。斬燿を打ち破ってもまだ、有り余るエネルギー。真希の闘気は、正直に言って盾に劣る。真希自身が、これをよく理解していた。これはつまり――クリオジェニックショットを止める手立てが無いことを意味した。

(ここで……ウチは終わるんか。剣にまた悲しい思いをさせてまうんかッ!)

 真希は思う。そんなのは嫌や! 誰がこんな所で死んでたまるか! と。風の力を限界まで引き出す。それでもまだ、魔球の推進力に打ち勝てはしない。


 ――違う。それじゃあ、クリオジェニックショットは取れないよ。


 真希の脳裏に、声が響いた。ような、気がした。その声はとても優しく、しかし、まるで共に戦いの最中で必死にあるような、不思議な声だった。真希は疑問を抱く。クリオジェニックショットを取れないとは、どういうことだろうか。力の魔球を抑えるには、それ以上の力で抑えなければいけないのではないか。

 いや、と。真希は考えなおす。

(たしか、弓は剣と比べたらそれほど優秀やない超野球少女や、っちゅうとったな。盾の話の中ではそうやったはずや。それが何で、こんなパワーの魔球を抑え込めるんや。何か方法があるんちゃうか!?)

 思い至る真希。そして、再び声が響く。真希の心に直接語りかける。


 ――つるぎちゃんのことを疑っちゃ駄目。拒んじゃ駄目だよ。迷いがあれば、クリオジェニックショットの激流を身体に流して受け止められなくなる。それじゃあ、私と同じになっちゃうよ。


 声は確かに存在した。何者なのか、と問うつもりは無かった。この魔球の受け方を知っている人間など、あの世まで含めてたった一人しか居ないのだから。

(……そうか、超野球少女やもんな。無念や祈りも、力になって残る。アンタは、ずっと剣の中に自分の祈りを残して、この日を待っとったんやな。そうやろ――火群弓)

 真希は心中で呼びかける。だが、もう声は帰ってこない。きっと役目を終えたのだ。

 死の瞬間、弓の強い思いは闘気となって剣の腕に残り、次にクリオジェニックショットを受ける人間を待ち続けた。剣がこの球を投げ続ける為に。再び投げてくれる日が来ると――自分の生命が無くなる瞬間にさえ、剣を信じて祈っていたのだ。

 死者の強い祈りを預かり、受け継いで、真希は覚悟を決める。失敗すれば魔球の力を受け止められず、身体がこの威力を直接味わうことになる。成功すれば、恐らく闘気の激流は真希の身体を素直に流れ、霧散して消える。

(この魔球が激流。ウチはそれに乗る船ってとこか。確かに、力づくでどうにかなるもんでもないやろな)

 決めた。真希は己が放つ緑の闘気を消す覚悟を決める。そして、クリオジェニックショットの闘気を己の腕から身体に流し、受け止める。剣の魂と一つになるのだ。

 不意に、消えたと思った声が再び響く。


 ――さようなら、つるぎちゃん。どうか、強くあって。ゆみが大好きだった、強くて真っ直ぐなつるぎちゃん。いつまでも、どんな時も。自分らしい野球を貫いて――。


 その声は、真希だけに届いたものではなかった。剣と、そして盾にも届いた。声の主、弓の闘気が――剣と盾がよく見知った、桃色の闘気が白球から抜けていく。それは天に昇り、霧散して消え去った。祈りを真希に引き継いで、無念は天へと還っていった。

「――任せとけや、弓姉さんよォッ!」

 真希は弓に敬意を表し、姉と呼んだ。剣の心の姉であるならば、今からは自分の姉でもあった。そして、闘気を消す。真希を守る緑の光が消え失せ、クリオジェニックショットはミットの中に直撃。

「真希ッ!」

 剣は叫ぶ。クリオジェニックショットから溢れる闘気が、真希の腕を流れていく。皮膚を裂き、血が吹き出る。だが、それはすぐに収まった。真希のミットの中で、白球は黙り込んだ。真希は、見事にクリオジェニックショットの捕球を習得したのだ。

 沈黙。誰もが真希を見守る。腕の怪我だけでは判断できない。あれほどの威力の魔球を取って、闘気を身体に飲み込んで。本当に無事なのだろうか。誰もが不安な目で真希を見守る。

「――っしゃあッ!」

 真希の声が上がる。白球を収めた左腕のミットを、ガッツポーズの姿勢で高く掲げる。捕球したことを全ての人に誇示してみせた。歓声が、観客席の声が真希の健闘を祝福した。

「次やで、剣! あと2球で、この回をお終いにするんや!」

「うん、任せて!」

 真希は白球を剣に投げて返す。自分のミットを見る。皮が削れ、ほとんど掌が露出していた。まだまだ、かつての弓のように上手くは取れないということか。

(――弓姉さん。アンタは、最高の捕手やったんやな。剣にとって、アンタ以上の捕手はおらん。未来永劫、アンタ一人だけや。ウチもそう思うで)

 空を見上げ、真希は思う。が、すぐに前を向き、しゃがみ込む。

「よっしゃ、気張っていこうや!」

 そうして第二球。

 剣は再び、クリオジェニックショットを解き放った。青の刃が剣の身体を引き裂きながらも白球へと集まっていく。

 一方で、盾も斬燿の構え。炎が身を焦がしても、まだ力を高めていく。ストライクゾーンよりも遥かに巨大な大鎚を形成する闘気。だが、それでもまだ足りない。盾の掌は、金属バットの持つ熱と自身の放つ炎でボロボロだった。しかし、まだなお闘気を込め続ける。

 勝負の時。クリオジェニックショットと斬燿が衝突。弾ける闘気。強烈な力のあまり、ホームベースは巻き込まれ、無残に焼け焦げ、引き裂かれて消滅する。小さなクレーターのようなものが出来上がる。それでもなお、二つの力は競り合い続ける。

 クリオジェニックショットの加速にも、まだ斬燿は耐えた。勝たねばならない。盾の勝利への執念は、すでに正義の為では無くなっていた。元々あった理由など、脳裏から消し飛んでいた。ただ、勝ちたい。この魔球を打ってやりたい。一つ眼前の戦いで勝利を収めたい。いつの間にか、剣の姿勢に惹き付けられ、盾までも真っ白な思いで勝利を求めていた。

 その思いの力は――とても強い。クリオジェニックショットと釣り合うこと二十秒超。全ての闘気を放出し終わった。そこでようやく、クリオジェニックショットが打ち勝つ。だが、斬燿も負けては居ない。バットは弾き返されず、白球を掠った。

 軌道が若干ずれるクリオジェニックショットを、真希はしっかりと捕球。だが、闘気の激流を身体に上手く流すのが難しかった。一球目の時よりはマシなものの、腕と身体が傷を負う。

 三者三様の有り様だった。剣は俯き、肩で息をしていた。ユニフォームをズタズタに引き裂かれ、皮膚には切り傷が絶えない。盾もユニフォームの殆どの部分を焼け落としており、露出した皮膚には焼け焦げ腫れた部分が目立つ。真希の怪我は腕に集中しており、血が滴り、小さな貯まりを作るほどになっていた。また、ミットは削れてボロボロ。掌まで切り傷に塗れており、白球も真希の血色で染まっていた。

「次こそ、打ってみせますわ。この一打の結果如何で、聖凰と深水女子、どちらに流れが向くか決まるのではないかしら」

 盾は痛みに耐え、つらそうな表情を押し込め、真希に顔だけを向けて言った。

「なるほど……次が、勝負どころちゅうわけやな」

 真希は言いながら、腕の痛みに耐えつつ立ち上がる。剣に向けて、白球を投げ返す。

 だが――剣の腕が、上がらない。白球は剣の身体にぶつかり、ぼとり、と落下する。

「どうしたんや、剣」

 問いかけられて、ようやく剣は顔を上げる。痛みと苦しみを、無理に笑って隠そうとしている顔だった。

「ごめんね。痛くて……腕が、上がらないんだ」

 剣の告げる言葉は、絶望的な話だった。腕が上がらない。それは選手生命にも関わるような怪我にさえなりうる。

「んな、今になって、急にそんなよぉ! クリオジェニックショットはそんな負担のでかい球なんか!?」

「ごめんね真希。私、ずっと嘘吐いてた」

 真希に微笑みながら、剣は真実を告げる。

「山篭りの時からね。ずーっと、腕は痛かったんだよ。右腕だけは、怪我が治ってなかったんだ」

 目の前が真っ暗になる。真希は生まれて初めて、そんな感覚に陥った。あの修行の間、ずっと剣は腕の痛みを堪えていたというのだ。それも、真希が投げた木の棒や石で断続的に負傷を負いながら。

「そんなら……ずっと痛かったっちゅうことは。ずっと剣は、その腕が駄目になるのを感じながら投げとったってわけかい」

「うん。だから、ごめんね。私、嘘を吐いてたから。いつかは駄目になると思ってたけど……思ったより早かった。せめて、盾との勝負は最後までやりたかった」

 剣の言葉は悲痛に響く。勝負相手の盾でさえ、悲しみに涙を浮かべた。真希もまた、泣いていた。終わってしまった戦いのことを。そして、己の愚かさを。剣の隠した体調不良に、最後まで気付けない間抜けな自分を憎んだ。

 誰も、声を上げなかった。剣の様子がおかしいことに気づいた観客も次第に静まりかえる。不自然な静寂が球場全体を包む。


「――投げろォッ! 深水剣ッ!」


 不意に、グラウンドに叫び声が響き渡る。誰だ、と多くの人が声の主を探す。真希は、自分の後ろを振り返った。そこに声の主が居た。

 深水女子野球部、元部長。その人が、バックネットの向こう側に立っていた。

 おかしい。真希は疑問に思う。元部長、及び暴行を行なった部員は事件の実行犯として捕まっているはずだ。そう、ちょうど今日。女子少年院へ入るはずだった。

 まさか、逃げ出して来たのか。問う間も無く、元部長の叫びが続く。

「お前はなぁ、私らの青春全部を奪ったんだろうがッ! ふざけるなよ。こんなくだらない幕切れなんか許せるか! お前には責任があるだろうが。あの日奪った、沢山の青春の積み重ねが。それに今までも、これからも。奪ってきたんだろうが! こんなところで倒れて許されると思うな。死んでも投げろ! 腕がちぎれたって投げ続けろォ! でなきゃ、お前に負けた奴らが悲惨すぎるだろうが!」

 そこまで言ったところに、数人の大人が乱入する。元部長を力づくで連れ去ろうとする。こんなところに居たのか。逃げ出してこんなことをして、ただで済むと思うなよ。大人たちの怒鳴り声。院へ運ばれる最中にでも逃げ出してきたのだろう。

 元部長は抵抗した。引き剥がされないよう、必死にバックネットを掴む。そしてまだ、剣に向けて怒声を浴びせる。

「お前ら超野球少女なんか、人間じゃねえんだよ! 人間の常識で諦めんな! 腕が千切れそうに痛いだ!? 構うなよ、腱が切れたって言うなら気合で繋げろ! 無理にでも投げろ! それで勝てよ! 勝たなきゃお前らなんか、ゴミだろうが! 人の生き方を平気で踏みにじる悪魔になって終わりだろうが! 勝てェッ! 深水剣ィッ!」

 言い終わったのだろう。元部長は、ネットから手を離す。数人の大人に引き摺られ、姿を消した。球場には、異様な雰囲気だけが取り残された。攻撃的で、お世辞にも激励とは言い難い暴言の数々。

 だが――剣は。自分の足元に転がるボールを拾って、言った。

「そうだね。私は、まだ投げなきゃいけない」

 その言葉に、真希は思わず首を横に振りながら反論した。

「なんでや! もうええ、これ以上投げるなんて不可能や! それでも投げたりしたら、どんな怪我になるかも分からんで!?」

「でも、あの人が言ったとおりだよ。これぐらいで倒れちゃ駄目だ。今倒れたら、私の野球に懸かっている全てのものが、ただ負けただけで終わっちゃうよ」

「あんな奴の言うこと聞かんでええッ! もうええんや、怪我は治せ。野球止めろなんて、もう盾かて言わへんやろ! なあ!?」

「そうですわ! 剣、もうわたくしは……恨んでなどいません。もう野球をやるな、なんて言いませんわ! ですから、どうか今はもう投げないでちょうだいッ!」

 しかし、剣は首を横に振る。

「駄目だよ。もう、私は投げ始めてしまったから。さあ二人とも準備して。次で最後かもしれないんだから」

 言って。剣は痛みに震える腕を動かして構え、投球に備えた。

「……そう。確かに、そうですわね」

 盾は言って、バットを構える。

「剣、貴女の野球はそうでしたわね。全てを背負い込んで、それでも狂ったように勝利を求める。だからこその、白い美しさがある。今戦いをやめてしまえば、僅かでも汚く濁る。純白の勝利を追い続けるには、こうするしかないのでしょうね」

 言って、赤い闘気を高める。既に枯渇しそうな力を、身体中の生命力さえ振り絞って集める。真希も諦めた。盾の姿勢と、そして言葉に感化された。そうだ。盾の言うとおり。剣の野球はそういうものなのだ。

「……剣、覚えとけよ! こんな所でお前の野球道は終わらへん。今日で右腕が壊れて無くなるっちゅうんやったら、明日からは左で投げろッ! そんぐらいの覚悟で投げ切れッ! せやないと、ウチは恨むからな! お前の球受けられへんなるなんて、ウチは絶対に嫌やからなァッ!」

 真希は怒鳴りつけながら泣いていた。そして、その場に座り込む。キャッチャーミットを突き出し、剣の投球を待ち構える。

「ありがとう、二人とも」

 剣は囁くように言った。誰にも聞こえないぐらい、小さな声。

「最高の戦いをありがとう――盾。そして、真希。愛してるよ」

 こうして、いよいよ投球に入る。

 絶叫。剣は、腕の痛みのあまりに叫び声を上げながら投球する。強烈な闘気を流し込み、青の刃が荒れ狂う。剣の身体に切り傷を刻んでいく。強すぎる力に、マウンド周りの土まで暴れ始める。

 白球に闘気と魂を込めて、剣は放球。絶叫が途切れる。球が剣の手を離れた瞬間――剣の上腕の筋肉が弾けた。ぱあん、と音を立てて、筋肉が断裂した。強すぎる力に、ついに腕が耐え切れなくなった。骨まで見えるほどの深い傷。血が流れ、溢れ出る。

 血染めの白球は剣の意思と情熱を乗せ、飛翔する。向かうはストライクゾーン一直線。魔球クリオジェニックショットが、盾の闘気を喰らおうと迫る。

 盾もまた、これを全力を超えた力で迎え撃つ。斬燿に、どんどん闘気を注ぎ込む。炎で腕が、身体が焼ける。それでもまだ足りないと闘気を注ぐ。掌が黒く焦げ、腕の皮膚が火傷に爛れようとも、まだ灼熱の闘気をバットに注いだ。

 そして、衝突。クリオジェニックショットは上昇し、盾はバットをダウンスイング。完全に正面からのパワー勝負。衝突の瞬間から、白球は闘気のジェットを吹き始める。盾はこの圧力に負けまいと、必死に耐えぬく。

 青と赤の、強大な力が鬩ぎ合い、やがて渦を作る。衝突の境界面から溢れ逃げ出る闘気が渦となり、辺りを巻き込む。力のうねりが風を起こし、球場には嵐のような突風が吹き荒れる。轟音が鳴り響き、人々の心臓を揺さぶり続ける。

 ――そして、決着の時。盾のスイングが、ギリギリで打ち勝った。クリオジェニックショットを押し返した。打球は浮き上がる。高く――しかし、前に進む力は無かった。

 白球は舞い上がる。強く縦に打ち上げられ、落下先はマウンド上。剣は左腕を天に掲げる。その中に、ぱぁん、と小気味いい音を立てて。白球が収まった。ピッチャーフライ。ついに、剣は盾をアウトに抑えたのだ。

 しかし様子がおかしい。剣も盾も微動だにしない。互いを睨み合い、一歩も動かない。呼吸が荒く、今にも倒れてしまいそうなほど両者ともに疲弊している。

 先に倒れたのは盾だった。意識を失い、前のめりに倒れる。剣はそれを確かに己の目で確認した。

 そして、苦しい表情に少しだけ笑みを浮かべ――盾と同様、前のめりに倒れる。意識は、既に無い。

「――剣ッ!」

 真希が剣へと駆け寄っていく。続けて、深水女子の全員がマウンドに集まる。そして盾にはアバドンとステラが。

 剣の腕は血塗れだった。裂けた筋肉。覗く骨。痛烈すぎる惨状に、誰もが目を覆いたい気持ちになった。

「病院や! 病院に連れて行くんやッ! 誰か救急車呼んでくれ、お願いや! このままじゃ剣が死んでまう!」

 真希は泣きながら、剣に縋りつく。

「剣ぃ……目ぇ開けてくれよぉ、絶対にこれで終わりなんて言うなよ。死んだりすんなよ、そないなことしたらウチ、お前の後追うからなぁ……ッ!」

 真希の泣き声がマウンドに響く。試合の結果など、とうに誰も気にしていなかった。ただ、無事でいてほしい。誰もが二人の選手の無事を祈っていた。やがて、ラブ将軍が呼んだ救急車が到着。剣と盾、そして二人に次いで怪我の酷い真希も運ばれていった。

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