第一話
第一話
夏。焔舞うように赤く陽差す午後。学園の女生徒達は、一心に部活動へ打ち込んでいた。
「ねぇ、知ってる?」
そんな多くの人々を尻目に、帰り道の女生徒二人。うち一人が、噂話を口にする。
「とうとう、うちの野球部にも来るんだって」
「来るって、なにが?」
もう一人は、まるで興味の無さそうな声で聞き返す。見ると、運動に不慣れそうな、暗い印象の少女だった。髪も邪魔なぐらい伸び、まとめもせずにぼうっと垂れている。両手には数冊の本を抱えて、持てない通学鞄は隣の少女に持たせている。
「そんなの決まってるでしょ。今どき野球って言ったら、話題なんて一つきりだよ?」
「ごめんね、日佳留。私、運動苦手だから……」
「それでも、いくらなんでも知らないってことないでしょ?」
少女、日佳留は尋ねる。が、本を抱えた少女は首を傾げる。
「うそ、本当に知らないの? ――超野球少女のこと」
――同時刻。
「私が本日から、深水女子高等学校野球部の監督兼キャプテンを務めることになった越智愛子だ。いわゆるプレイングマネージャーということになる。諸君よろしく」
野球部の部室にて、一人の少女が威圧的な声で挨拶を送る。部員全員を整列させ、その少女は名を越智愛子と名乗った。部員は皆愛子の眼光に怯みながらも、礼を欠かさず顔は逸らさない。
「言うまでも無いだろうが、今年から深水女子高等学校も他の甲子園常連校と同様、超野球少女を含むチームで戦う体制となった。私は超野球少女をスカウトし、当部での円滑な活動を補佐する役割を学園都市統一理事から直接命じられ、ここに居る。無論、諸君はこれまでと同様に、甲子園での活躍を目指せば良い。良いのだが……残念ながら、今年からその枠は多くとも七つに絞られてしまった」
愛子の言葉に、部員たちはざわつき始める。特に三年生。青春の全てをかけて、夏の甲子園を目指して。決死の訓練を乗り越え、部に所属する少女達だ。無理も無い話であった。
しかし、慈悲は無い。愛子は騒ぐ部員一人の胸ぐらを掴み、引き寄せる。怯える少女の顔面に、自身の迫真の形相を擦り付けるほど近づけ、睨みながら語る。
「文句があるなら、話を聞き終わった後一人ずつ私の所へ来い」
そして、突き飛ばすみたく勢い良く開放する。体勢を崩した少女は床に倒れ込むが、すぐに立ち上がり、これまで通りの直立の姿勢に戻る。既に、騒ぐ者は一人も居ない。
「まず一人、私が入る。深水女子高等学校野球部ナインの一人は既に越智愛子で確定している。そしてもう一人は、新入部員だ。転校生で、もしも諸君が彼女よりも素晴らしいプレーが出来るというのなら、ポジションを奪うことも出来るだろう。――真希君。来なさい」
「おうよ!」
愛子の声に応じて、勢い良く部室の扉を開ける者が一人。真新しい制服に身を包んだ少女。スポーツ向けの、高身長かつ引き締まった筋肉によるしっかりした体躯。顔立ちには女性らしい愛嬌があり、少し長めの髪を後頭部で一つに束ねていた。
「諸君、紹介しよう。本日から当部でキャッチャーを務める一年生。阿倍野真希君だ」
「よろしくな、アネさん方」
真希は口でこそ挨拶したものの。部員の誰に対しても頭を下げない。
「では、役者も揃ったことだ。これから暫定選抜メンバー決めのテストを行うことにする。総員、グラウンドへ出ろ!」
「あのね、超野球少女っていうのは……」
「ごめん、日佳留。それ知ってる」
日佳留の説明が入る前に、本の少女は続きを遮る。
「十七年前のある時期を境に生まれた、野球の為の才能を生まれ持った少女達。人の限界を超えたプレーをすることから、彼女たちは『超野球少女』と名付けられた。……って、このあいだテレビで言ってたね」
「じゃあ、なんで分かんないみたいなこと言ったのよ~!」
「だって分かんなかったんだもん。超野球少女がそんなに有名だったなんて知らなかったし」
「うーん、まあ、アタシの言い方も悪かったかな」
ごめんね。と、日佳留は本の少女に謝る。
「って、噂をすれば!」
日佳留が声を上げ、グラウンドの方を指す。併設される部室棟から、野球部員の少女達がぞろぞろと駆け出てくる。最後に出てきた少女――越智愛子であった――と、本の少女は視線が合ったように感じた。思わず目を逸らす。
「ねぇねぇ、超野球少女ってどの子かなぁ?」
しかし、日佳留は変わらず。本の少女にも構わず、野球部に興味津々。
「ねえ日佳留ぅ。私、あんまり野球は興味無いから帰りたいんだけど……」
「え? そうだったんだ」
無駄な要求だった。日佳留は視線を外さない。本の少女はため息を吐いて、仕方なしに言う。
「分かった。近くまで行って見よう。でも、しばらくしたら一人でも帰るからね」
「は~い♪」
こうして、二人はグラウンド脇のベンチに向かった。
グラウンドに出ると、一部の部員が守備に着く。
「やる気のある者から打席に立て! 私が投げる。ヒットを打ったら合格、夏のスタメン入りだ」
「そんなら、ウチからやらせてもらうわ」
宣言したのは真希だった。最初からそのつもりだったらしく、手には既にバット。言うが早く、打席に入って構える。
――刹那。音が響く。グラウンド全体に何かの音が、断続的に。風の音だと、すぐに誰もが気づいた。
風は真希に向かって吹く。正確には、真希の持つバットに。
「――行くぞッ!」
愛子がボールを投げる。見事に噛み合ったダブルスピンから放たれる剛球。球速は百四十キロ近くあるだろう。
それに、真希は対応した。テイクバックし、スイング。途端、急激に風が集まり、バットの周りに圧縮され、竜巻を形成する。圧縮された風は光を放ち、眩しい緑光の大渦となる。
白球を捉える。インパクトの瞬間、緑の渦は解き放たれ、まるで木の葉でも飛ばすように白球を舞い上げ吹き飛ばす。遥か遠く、外野も超え、簡易フェンスのさらに先でようやく風の勢いは衰え、ボールは自由落下を始めた。少女が放ったとは思えない規模の特大アーチ。ヒットは論ずるまでもない。真希は試験に合格した。
「どうや――ウチの必殺『風神打法』のキレ味は!」
これが、超野球少女。読んで字の如く、人を超えた力を発揮する野球少女のこと。人を超えるとは身体能力も然り。真希がやってみせたように、超能力地味た不気味な力さえ操る。
「次は誰だ! 早く立てッ!」
愛子の怒声が飛ぶ。真希は試験を終えて、手早くキャッチャーの装備を身に付け始めていた。準備が整った頃には、誰が促したわけでもなく、自然と一人の部員が打席に立っていた。
真希のバッティングは当然、人外のものであった。しかし、愛子の投球も異常。軽々と百四十キロ近い球速を弾き出す女子など居ない。加えてキレも申し分なく、タイミングを合わせるだけでも至難の業。
これを、平凡な野球少女が打たねばならない。プレッシャーで、打席の少女は身を強ばらせる。
無慈悲に、愛子は再び投球。少女は無理やりにミートしたものの、タイミングが合わせられず。打球は一塁側に大きくファール。強い打球が――まさかの、グラウンド脇ベンチへと飛んで行く。
そこには、偶然練習を見学していた少女二人――日佳留と、本の少女――が座っていた。
「危ない、逃げろ!」
真希は慌てて、ベンチ側へ大声を叩きつける。
「はわわぁっ!」
日佳留は慌ててベンチから飛び退き、ボールから逃げる。しかし、本の少女は動かない。逃げ遅れたのか、ただぼうっと飛んでくる白球を見つめている。一直線に、顔面へと飛び込んでくる白球を。
誰もが当たると思った。少女の怪我は免れない、と。だが本の少女は寸でのところで首を傾け、ぎりぎりのタイミングで白球を避ける。
ベンチ裏側のフェンスにぶつかり、ボールは止まる。怪我人は出なかった。安堵し、真希が手を上げて声を張り上げる。
「おーい、そこの人! ボール取ってくれんか~!」
この声に反応し、本の少女は立ち上がる。抱えた本をベンチに置き、ボールを拾って。
「投げてくれてええで!」
という真希の言葉を聞かず。真希の方へと駆けていく。
「えっ、ちょっと待って、何なの!?」
日佳留は本の少女の行動に驚き、慌てふためく。だが追いかけたり、制止したりはなかった。
本の少女がバッターボックスの近くまで来ると、真希も寄ってくる。そして、ボールは直接受け渡される。
「ありがとうな。わざわざ持って来てもらって。投げてくれて良かったんやけど」
苦笑する真希。が、この表情を変える一言が本の少女から発せられる。
「だって、投げると危ないじゃないですか」
「――なんやて?」
むっ、として思わず眉を吊り上げる真希。
「そんなわけあるか。ウチは野球歴長いんやで? アンタみたいなひょろっひょろが投げたボールぐらいで怪我するわけあるかっちゅうねん」
「でも、やっぱり危ないと思います。だって、取れなくて当たると怪我しますから」
「それぐらいで怪我なんかするかアホ……」
呆れた様子の真希。ボールも受け取ったので、言うだけ言い捨て引き返す。だが、そこを本の少女が呼び止める。
「待ってください」
声を荒げる。分かりづらくはあるが、明らかに怒っていた。
「今の言葉、訂正して下さい」
「はぁ?」
「怪我なんかするか、って言いましたよね。それです」
「訂正も何も、せえへんもんはせえへんねん! 何が訂正じゃボケ!」
真希は怒鳴り散らし、本の少女へ掴み掛かる。普通なら――ここで身を引くなり、威圧に潰されて怯えるなりの反応をするだろう。だが、本の少女は違った。ただ、真希をじっと見る。睨む、と言った方が良いかもしれない。やはりはっきりと読み取れないが、確かに真希を睨んでいた。
「いいですよ。訂正してもらえるなら、喧嘩だってやります」
言って、本の少女は真希の腕を掴む。一つの意思表示。真希の売った喧嘩を買う、という意味。
「……そうか、そらええわ」
真希は怒ったまま、ぎらつく笑みを浮かべる。
「そんなら、野球で勝負や。危ないっちゅうアホな妄言二度と吐けんよう、ボコボコにしたるわ」
そして、真希は本の少女を突き飛ばす。本の少女は何を考えているのか。頷きも、拒否もしない。野球で勝負、という真希の提案を、ただじっと受け止めている。
勝負の方針が決定された。まず真希が投げ、本の少女が打つ。一打席勝負の後、投打を交代してまた一打席勝負。守備には勝負に関係の無い野球部員の少女たちがついている。両者走塁までプレイし、一巡ごとに成績を比べ、勝ち負けを付ける。これを3順繰り返して、勝ちの多い者を最終的な勝者とする。
最初の投手は真希。本職はキャッチャーではあるが、超野球少女故の才覚、身体能力がある。並みの打者なら軽々と抑えこむであろう。
マウンドを愛子と交代。その際、愛子は真希に耳打ちする。
「素人と思って侮るなよ」
愛子に言われた言葉の意味が分からず「なんでや」と眉を顰める真希。
「観察眼を養え。あの少女が打球を避けた時だ」
「はぁ?」
「ただぼうっとしていただけじゃない。あれは間違いなく、ボールを目で捉えていた。そして立ち上がる必要が無いと判断し、避けた」
「んなアホな。アイツが? とろい根暗女にしか見えへんで」
「反応が遅れて、偶然身動きが全く取れない最中、首だけ動かした。これまた偶然ボールを避けた。とでも言うつもりか?」
「そらそうやろ。経験者でも、あんな動きせえへんで。いくら目で追えたところで、首だけ動かして避けるとかやらへんやろ」
「ああ。並みの経験者ならそうだろう」
言うと、愛子はキャッチャーボックスへと歩いて行く。真希は首を傾げるが、愛子の言葉を聞き入れはしない。
やがて全ての準備が整う。勝負が始まる。
真希は足を上げた。見よう見真似とは言え、美しいフォーム。超野球少女の怪物性が垣間見える。
靭やかなダブルスピンから放たれるストレート。球速は百四十を超える。素人は無論、経験者でさえ一発で捉えるのは難しい球。キレも良く、グングンと伸びてキャッチャーミットに収まる。
ほらな。と、真希は胸中で呟く。大したこと無いやんけ、と。
本の少女は静かに見逃した。キャッチャーミットに収まった白球を見ている。すぐに視線を外し、軽く土を踵で叩くような仕草を取る。
真希の元へボールが返され、第二球。真希は思う。こんな素人相手、変化球を使う必要すら無い。
プレートから足を上げても、なお頭に考えが巡る。そもそも、愛子は考え過ぎや。素人がウチの球を打てるわけあらへんわ。そら、確かにフォームは様になっとるみたいやけど――。
そこで気付く。おかしい。真希が投球に入った瞬間。本の少女のフォームが変わる。素人らしい、力みばかりで身体のバランスが取れていないフォームから一変。僅かな動き。だが、間違いない。打つため、白球を飛ばすために身体が脱力した。そして真希の指の先端――ボールがどのように放たれるのか。そこまで見通してやろうと、眼光が鋭く飛んでくる。
しかし、もう引き返すことも出来ない。真希は全力で投げた。百四十オーバーのストレート。先程は見逃しストライクを取った球。
本の少女は、白球を完全に認識していた。足が上がる。テイクバック。全てのリズムが見事に噛み合っていた。白球をセンターへ弾き返すタイミング。
ごう、と音を立てるスイング。小柄で細身な体格とは裏腹。スイングは力強かった。しかし大ぶりではなく、シャープに纏まっており、力任せのスイングでもない。白球を見事に捉え、弾き返す。
「――下がれェッ!」
真希は慌てて後ろを振り返り、声を貼り上げた。だが、遅い。そもそも手遅れですらなかった。無情にも、白球は仮設フェンスを大きく超えて落下。百メートルオーバー、特大アーチのホームラン。
本の少女は確信があったのだろう。ベースランも悠々と行い、静かにホームイン。続き、何も言わないままマウンドへ寄ってくる。
「次、私が投げる番ですよね」
真希の背中から声を掛ける本の少女。それでようやく、真希は自身が呆然としていることに気付く。
「な、なんでや……」
思わず口にする。
「何でって、何がです?」
「……いや、やっぱええわ」
真希は口を噤む。何故ホームランを打てたのか。何故素人であるかのように振る舞ったのか。様々な疑問を口にしてしまいそうだった。しかし今は勝負の最中。戦う為、真希はバッターボックスへ向かった。
ヘルメットを被り、軽くスイングして腕を慣らす。そこに愛子が声を掛ける。
「分かっただろう、相手は素人じゃない。油断するな」
真希は黙る。認めるのが癪だった。しかし、これに愛子は呆れて詰りを加える。
「駄々を捏ねるな、馬鹿者が。本当に油断ならないのはこれからだぞ」
「――は?」
「言っただろう。あの少女は並みのプレイヤーではない。危険球を、簡単に首だけで避けようとする。恐らく、相当な経験の上に成り立つ感覚だ。――そういった球足の速い危険球を、最も被りやすいポジションが内野に一つあるだろう。推測に過ぎないが、彼女は恐らくそのポジションで長い経験を詰んでいる。だからこそ、白球に対する恐怖心を抱かなかったんだろう」
「……ああ、そうかい。よう分かったわ」
ここまで言われて、ようやく真希も状況を理解する。確かに、時には体勢を立て直す間も無い内にライナーが襲うポジションがある。それは――投手。投球直後でよろけ、捕球する余裕も無いことも多数。本の少女の本職が投手であったならば。先ほどのベンチでの一件も理解できる。本を抱えて身動きの取りづらい状態で、慌てて逃げれば本を落としてしまう。本を置いてから逃げるような時間も無い。故に本を抱えたまま、首だけで球を避けたのだろう。
真希はバッターボックスへ入り、構える。両者見合う。そして――本の少女の足が上がった。真希よりも更に洗練された、歯車のように噛み合った動き。ダブルスピンから伝わる、捻じれ高められた力。白球は強力なバックスピンをしながら放たれた。球速は――百五十にも届くだろう。
恐るべき才覚。だが、それは超野球少女の前では相手にならない。むしろ、超野球少女にとって百五十というのは当然の数値。無論真希も対応可能だ。タイミングを合わせ、バットをテイクバック。愛子相手に見せた時のように、急激に風が集まる。バットを中心に渦巻く力。風神打法、と銘打たれた真希の奥義。
「行っけえええぇぇえッ!」
絶叫。スイングが、白球を捉える――はずだった。
しかし、直前で白球は下方向に落ちる。ボール一つ分程度だったが、直球と思い込んだ真希には苦しい変化。負けるか、と頭の中で吐き捨て、辛うじてバットを追い付かせる。
ボールは浮き上がる。だが、ライナー性の当たりに終わる。仮設フェンスを直撃し、跳ね返ってくる。
真希の走塁も虚しく。二塁打で終わる。対して相手、本の少女は本塁打。一巡目は本の少女の勝ちに終わる。
「……やっぱり、打たれちゃったかぁ」
二塁からマウンドへ交代に向かう真希の耳に、本の少女の言葉が飛び込む。
「何つった、今」
「いえ、何でも」
言って、本の少女はバッターボックスに向かった。
続く、二巡目の真希による投球。変化球も織り交ぜ、厳しいコースを攻めて善戦する。だが、本の少女は当然のように二塁打。
再び。真希がバッターボックスに立ち、本の少女がマウンドに立つ。ここで三塁打以上の結果を出さなければ、三巡勝負故に真希の敗北が決定する。
緊張していた。真希の額を嫌な汗が流れ落ちる。だが、同時に高揚もしていた。思わぬ強敵。不愉快で、胸糞悪い。それが真希にとって、何よりも愉快。
「――すいません」
不意に、本の少女が声を上げる。
「投球フォームを変えても、問題無いですよね?」
意味の分からない質問だった。真希は聞きながら、理解しなかった。ただ、要求を飲む。一刻も早い勝負を。勝ち負けをギリギリで競る緊張感を。一刻も早く味わいたい。
「好きにせえや!」
真希は笑っていた。訂正などどうでもいい。元の問題、怪我云々など些細なことだ。一瞬を。魂の震える一瞬を味わいたい。敗北でも勝利でもいい。とにかく飢えた腹を満たしたい。煮え滾る勝負の汁を最後まで飲み込み、その熱さで内側を焼き焦がしてしまいたい。
プレートから足が上がる。瞬間、真希は見えた。明らかに違う。美しくない。お上品とは到底言いがたい、踏み込みも何も無い、静かだが荒れるように引き上がる足。まるで胸中に何かを抱えるかのように、後ろへ過剰に引っ張るリフトアップ。
オーラが見えた。真希だけではない。その場に居る全員が認識した。深く暗い青。深い海のように暗い光が筋を成し、流れる水のように少女へと集まっていく。そして光の筋は少女を飲み込み、まるで炎の用に揺らめき、立ち上る。巨大な青い火柱が、本の少女を中心に出来上がっていた。
そして、弾ける。
胸に抱えた力を爆発させるように。本の少女の胸は過剰なまでに、宛ら弓のようにしなった。肘は最後まで後方に残され――地面すれすれを掠るように、前へ弾ける。アンダースローだった。
この腕の流れに、青い炎が巻き込まれる。激流となった光が白球に乗り移り、低い軌道からストライクゾーンを狙って飛来。球速はアンダースローであるにも関わらず、百五十に届こうかというほどだった。
真希も負けじと、力を開放する。超野球少女の全霊を持って、青い炎に立ち向かう。風神打法の強大な渦がバットを覆い、テイクバック。白球に狙いを定め、フルスイング。
直後だった。突如、青い光が弾ける。刹那、奔流は上昇方向に軌道を変え、白球を乗せて立ち昇る。変化球。上方向への変化球が真希を襲う。
対抗して、真希もバットを合わせる。体勢も崩れるが、空振りをするわけにも行かない。バットに乗せうる全ての力を乗せた。
――しかし。それでも変化に届かない。本来なら真ん中低めに決まったであろうボールは、真希のインパクトの瞬間に至った頃には、既に高め一杯まで登っていた。風神打法が辛うじてボールを絡めとり、ボールを飛ばすが、それも完全に死んだ打球。ピッチャーフライとなり、本の少女が自らキャッチする。
敗北。真希は負けた。超野球少女であるにも関わらず。
野球部員の少女たちは驚きのあまり動けなかった。誰一人として信じられなかった。何よりも信じがたいのは敗北そのものよりも、本の少女。青い光と共に放った投球はまるで――。
「それじゃあ、失礼します。怪我には気を付けて下さいね」
本の少女は言うと早く。グラブを外し、マウンドの上に置いた。本と一緒にベンチで待っている日佳留の元へと駆けていく。
「――ちょっと待ってくれ!」
真希は思わず呼び止める。負けの悔しさではない。不思議に思ったのだ。この少女は何者なのか。一体何故、こんな力を使えるのか。
「アンタ……何者や!? 今の力、人間に出せるもんやないやろ!」
「そうですね」
本の少女は無感動に頷く。そして、また立ち去ろうとする。だが、真希は追いかけ、肩を抑えて止める。
「だから待ってくれやって! アンタ、名前は何っちゅうんや。あの力は何や。教えてくれや。それこそ何べんでも謝ったる。ボール投げろなんてもうアンタに言うたりせえへんから――」
「……手、離してもらえますか?」
本の少女は言って、無理やり真希の腕を振り払う。帰ってしまう。そう思った真希は、さらに引き留めようとした。だが、本の少女は意外な行動に出た。突如、服を脱ぐ。上の制服だけを脱ぎ捨て、ささやかな乳房を支えるスポーツブラも脱いだ。
その背中には、掌を広げた程度の大きさで『水』の字が浮かんでいた。先ほどの投球で見せた光と同じ色。深い青の光。
「こ、これは――」
「はい、そうです」
真希は知っていた。これは『ある人種』であることの証。『ある人種』は、自身の能力を示す漢字の文様一つが、身体の何処かに浮かび上がる。他でもない、真希自身も同様の文様を右肩に持っている。浮かび上がる条件は、力を使って野球をしている時。
「私は深水剣。剣と書いてツルギって読みます」
本の少女――剣は、憂いを帯びた表情で語る。
「見ての通り――超野球少女です」