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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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北畠具教 剣命 前編

 倒れ伏す男は思い返す。己の人生を。そして得たものと失ったものも思い出す。

 自分はなぜここに至ったのか。何がいけなかったのか。何が良かったのか。最期に残っているのは何か。答えはまだ出ない。

「悪く思わないでくだされ」

 頭上からそんな声が聞こえる。おそらく倒れ伏す自分を見下ろしているのだろう。北畠具教はそう思った。正直どんな顔をしているのか見てみたいが生憎と体に力が入らない。

 倒れた具教の横には引き抜けなかった太刀が落ちている。

「(最後に残ったものにも見放されたか)」

 具教は太刀を横目で見てそう思った。そしてこれまでのことを思い出す。


 北畠具教は享禄元年(一五二八)伊勢(現三重県)国司の北畠家に生まれた。つまりは公家の出である。しかし北畠家は普通の公家と違った。

 朝廷が南北に分かれていたころ、当時の北畠家の三男北畠顕能が伊勢国司になった。当時はすでに武家の世であったが、顕能は伊勢で独自の勢力を築き上げる。その結果武家からも一目置かれる勢力となった。そして幕府から伊勢守護の職も請け名実ともに二重の意味で伊勢を支配する立場になる。

 具教の父は晴具といい伊勢国司北畠家の七代目に当たる。また母親は管領細川高国の娘であった。血統としては申し分もないくらい高い。

 名門中の名門の家に生まれた具教だが甘やかされることは無かった。父の晴具は英傑との評判の高い人物である。次代を担う息子には自分を越えるくらい成長してほしかったからだ。

 さて晴具は義父の高国を支援する一方で領地の拡大も行った。北畠家は主に伊勢の南部を支配していたが、それだけでなく志摩(現三重県の南端)にも影響を及ぼしている。また大和(現奈良県)や紀伊(現和歌山県)にも進出して領地を広げた。

 こうして勇猛果敢に戦い続ける晴具だが決して粗暴な人物ではなかった。

 晴具は具教に言う。

「我らは貴人の血を受け継いでいる。ゆえに相応しい教養を身につけなければならない」

 こういう晴具自身茶道、連歌、和歌に通じた教養人である。さらには能書家でもあり当代随一の教養人といえた。特に和歌は批評会を行うほどの実力も持っている。

「上に立つものが教養を学べば下の者もそれに倣う。そうなれば家全体に教養が身に付き皆の身上もよくなるのだ」

 晴具は教養の大切さを息子に何度も解いた。具教もそれに素直に従い健やかに学んでいく。そして何より勇猛果敢に戦う父の姿に具教はあこがれた。

「いつかは私も父上のように」

 幼い具教は目を輝かせて言うのであった。

 

 さて晴具は教養を高めることに尽力していた。一方で武芸の鍛錬も怠っていない。特に弓術をよく学び優れていた。

 晴具は具教にも弓術を教えようと考えていた。

「具教よ。そなたも弓術を学び戦に役立てるのだ」

 確かにこの時代、弓は主要な武器として活躍していた。大将が自ら弓で敵を討つというのは限られていたが学んでおく意義はある。晴具はそう考えていた。

 しかし具教は首を横に振った。これに晴具は少し驚く。何事もよく言うことを聞く子供であったからだ。

 息子が自分の意思を見せ始めたことに晴具は喜びつつ聞いた。

「ならば何の武術を学びたい」

「はい。私は剣を学びたく思います」

「剣術か…… 」

 晴具は少し考え込んだ。この時代の戦場で生かせそうなのは槍術か弓術で剣術を役立てるのはいささか難しい。ゆえに息子の願いが分からなかった。

「なぜ剣術なのだ」

「家臣の者たちが剣客たちの話をよくしています。私も優れた剣客になり己の身や皆を守れるようになりたく思います」

 思いもよらぬ答えに晴具は驚いた。確かに刀は普段から帯びているものである。槍や弓ではそうはいかない。もし平時に襲われることを考えたら剣術の方がいいかもしれない。晴具はそう思った。

「(しかし幼くしてその答えに至るか)」

 晴具は息子の聡明さを喜んだ。そして

「わかったならば当代随一の御仁を連れてこよう」

といった。

「ありがとうございます! 父上」

 具教は父の言葉に大喜びするのであった。


 その後しばらくたち晴具は一人の剣客を連れてきた。やや年老いているが風格を感じさせる人物である。

「塚原卜伝殿だ」

 塚原卜伝はそれこそ当代随一と呼ばれた剣客である。幼い具教も卜伝の数々の武勇伝を聞き及んでいた。それだけに驚いて挨拶もできず固まってしまう。

「これ具教。挨拶せぬか」

 そう晴具は叱る。もっともからかうような口調であるが。具教は晴具に促されて何とか口を開いた。

「よ、よろしくお願いします」

「ふむ。こちらこそよろしくお願いいたす」

 卜伝は軽い感じで言った。そんな卜伝の雰囲気の具教の緊張もほぐされる。

 こうして具教は卜伝の弟子となった。卜伝は厳しくも暖かく具教を鍛える。それに具教は必至で応えた。

 そうしているうちに具教はめきめきと成長していった。やがて卜伝の連れてきた弟子にも引けを取らぬ腕前になっていく。

 そんな中で卜伝は具教にこう教えた。

「剣の極みは戦わずして勝つこと。そこに至ってこそ。剣を極めたことになる」

 それに対し具教はこう返した。

「しかし今の世ならば敵が襲い掛かってくることもありましょう。その時はどうしますか」

 具教の質問に卜伝はこう言った。

「常に先を読み、常に先に動くこと。さすれば襲われる前に勝てる。これは兵法にも通じることだ」

 卜伝の答えに具教は顔を青くした。

「それは…… とても難しいことかと」

 具教の素直な物言いに卜伝は笑った。

「お主のその素直さは良い点だ。それを忘れずに成長するのだぞ」

「は、はい」

目を輝かせて具教はうなずく。それをみて卜伝も満足そうにうなずくのであった。

この後しばらくして卜伝は伊勢から旅立った。

「具教殿はもう大丈夫だ」

 そういって具教に与える。具教は驚いた。

「私はまだ師の教えを理解しきれておりません」

「それでいい。あとは己の一生を通じて学んでいくのだ」

「はい! 」

 変わらぬ素直な返事に卜伝は目を細めるのであった。


 天文二二年(一五五三)。具教も二五歳の立派な青年になった。その年に具教は家督を父から譲られている。

「そなたは北畠家の当主に相応しく育った。これからはそなたが当主じゃ」

「かしこまりました父上」

 この頃の具教は結婚もしていて子供もいる。教養も品性もあり剣術も巧みとどこに出しても恥ずかしくない男になっていた。

「これよりは北畠の家をより反映させるために奮起いたします」

 こうして具教は北畠家の当主となり晴具は隠居した。とはいえ実権はいまだ晴具が握っている。もっともこういうことはよくあることだ。具教もよくわかっていたので気にしない。

 さて当主になった具教がまず取り組むことになったのは伊勢中部の勢力、長野家との戦いである。

 長野家は晴具の代から戦い続けてきた仇敵である。情勢は比較的北畠家が押しているが油断はできない。

「私の将器が問われるということか」

 緊張こそしていたものの、具教は後手に回るようなことはしなかった。

「師の教え通り、常に先手を打つのだ」

 具教は常に敵に先手を打ち思ったような動きをさせなかった。逆に自分たちは思い通りに動く。また具教は自ら先陣にたち指揮した。

「我らは負けぬ。なぜならこの戦を動かしているのは我々だからだ」

 実際ことは具教の指揮通りに進んだ。これに家臣や兵たちも勇気づけられて奮戦する。

 戦いは北畠家優位のまま進んだ。しかし長野家の抵抗も激しく戦いは三年近く続く。そしてついに具教は長野家を追い詰めた。ここで具教はある手を打つ。

 その話を聞いた晴具は驚いた。

「長野家と和睦する、と」

「はい」

「ふむ…… そうか」

 晴具は少し考え込むと言った。

「和睦の条件は」

「私の子を跡取りにする。それだけです」

「なるほどな」

 ここで晴具は納得したようだった。つまり具教は息子を送り込み長野家を乗っ取ろうと考えていたのである。長野家は伊勢中部で長い間勢力を維持していた。いくら追い詰めたとはいえ完全に滅ぼしてしまえば後々尾を引く間も知れない。また長野家の名はまだ価値があるといえた。

「長野の家そのものを旗下に置けば中伊勢を治めるのも楽になりましょう」

「その通りだ。しかしやすやすと家督を継げるかな」

「それについても考えがあります。いささか暗い手段ですが」

 具教は冷たい目で言った。晴具はその眼を見てにやりと笑う。

「(こういう目ができてこそ乱世の将じゃ。本当に立派に育った)」

 ここに至るまで晴具も表ざたにできないことをいくつか行っている。具教はそれを嫌悪せずまっすぐに見つめてきたということだろう。そして成長したのだ。

 晴具は満足そうに行った。

「あとはそなたに任せる」

「承知しました」

 この後北畠家と長野家は和睦を結んだ。そして当時の長野家の当主長野藤定は具教の息子の具藤を養子に迎えることになる。さらに家督も譲ることになった。こうして長野家は北畠家に臣従する。

 後日晴具が具教のもとにやってきた。そして尋ねる。

「藤定殿と植藤殿をどうする? 」

 植藤とは藤定の父親のことである。現在は藤定とともに北畠家の手の者の監視下にある。

 具教はこう答えた。

「今はまだ時期ではありませぬので」

「そうか。ならいい」

 そういって晴具は帰っていった。

 後年藤定と植藤は同年同月同日に死んでしまう。これにより具藤の家督継承を快く思わないものも頼みの綱を失った。こうして長野家は完全に北畠家に掌握される。具教が暗殺を指示したといううわさもあったが真相は定かではない。


 永禄三年(一五六〇)、具教は次なる目標に狙いを定めた。狙いは現代で言うところの志摩半島の東端志摩国である。

 志摩は特に大きな勢力がいたわけではなく国人たちが乱立していた。また伊勢湾の海運に携わる者も多くいわゆる海賊衆も多くいる。そういう土地だから北畠家から多少の影響は受けていたが支配下にはいるほどではなかった。

 しかしこの頃の志摩は海賊衆の一つである九鬼家の勢力が大きくなりつつあった。九鬼家はほかの海賊衆に対し一段高い位置に立とうとしている。これは北畠家にとっては不愉快な話であった。

「九鬼の者どもが志摩をまとめれば我々にたてつくかもしれん」

 そう思った具教は先手を打つ。この頃志摩の国人たちは九鬼家の勢力拡大を快く思わなかった。そこで具教は九鬼家に反発する国人たちと接触する。

「このところの志摩の様子はどうだ」

 具教の問いに答えたのは志摩の国人である小浜景隆であった。景隆は北畠家に仕える海賊衆をまとめる存在でもある。志摩の国人の中では最も北畠家に近くもっとも九鬼家の勢力拡大を快く思わない人物であった。

 景隆は言った。

「九鬼浄隆が我が物顔でのさばっております。そのせいで我々もいろいろと苦労を」

「それは大変だな」

「はい。このままでは具教様へのご奉公にもいろいろ差しさわりがあるかと」

「それはもっともだな」

 具教は顔色を変えず言った。

「もし九鬼の者どもの行いに困るのなら私に申すといい。手を貸そうほかの者にもそう伝えるのだ」

「は、ははっ」

「これからも志摩の衆には一丸となって力を貸してもらいたいものだな」

 要するに九鬼家を排除しろということである。もちろんこれは景隆も理解した。

「しかと承りました。皆にも伝えておきます」

 そういって景隆は帰っていった。

 こののち志摩の国人たちは九鬼家を攻撃した。もちろん具教も援軍を出す。これには九鬼家もたまらない。結局九鬼浄隆は死に九鬼家は滅亡した。そう思われた。

「浄隆の弟が逃げた? 」

「はい。浄隆の弟の喜隆がどこかに消えたそうです」

「そうか…… 」

 具教は舌打ちした。滅ぼした家のものが生き残るということは後に禍根を残すからである。実際喜隆は舞い戻ってくるのだがそれはまだ先の話である。


 こうして具教は志摩の支配を確立した。これにより北畠家の勢力は最盛期を迎える。ここに至り晴具は具教に言った。

「これより先はもう口出しはせぬ。そなたの好きなようにするがいい」

「父上…… 」

「そなたは本当に立派になった。私も安心して芸の道にのめりこむことができるということよ」

 晴具は冗談めかして言うのであった。そんな晴具に具教は堂々と言う。

「ご安心ください。これよりはこの具教が北畠の家を守りさらに大きくして見せましょう」

「うむ。頼んだぞ」

 こうして晴具は本格的な隠居に入った。これで北畠家は完全に具教の物になる。

「父上のためにも、家のためにも一層奮起しなければ」

 強く誓う具教であった。しかし具教は気付いていない。伊勢の隣国の尾張(現愛知県)である男が天下統一を目指し動き出したことを。そしてそれが自分の人生を大きく変えることになると思ってもいない。


 冒頭いきなり主人公が瀕死です。たまにはこういう始まりもいいかなと思ってやってみましたがいきなりなんだと思う人もいるでしょう。まあ後はいつもと変わらないので気にせず読み進めてください。

 今回の主人公は北畠具教です。彼は公家の出野出身ですが、公家が戦国大名になった例はかなり珍しい例です。しかも具教自身は剣術の達人であったと言われています。本当に異例の人物だったのでしょう。その割には知名度が低い気がします。ゲームとかで人気が出そうな人生なんですが不思議ですね。

 さてこの戦国塵芥武将伝も早二年目となります。これも皆様の応援があってのことです。本当にありがとうございます。まだまだネタが尽きる気配はないのでまだまだ続けたいと思うので末永くお付き合いください。今後ともよろしくお願いいたします。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

 

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