斎藤義龍 親殺し 第四話
ついに父道三を討ち美濃を手に入れた義龍。父を越えた義龍は戦国大名として一歩を踏み出した。義龍の歩む先にあるもの。それはあまりにも悲しいものでった。
義龍は父を討つことで美濃を平定する。親殺しともいえるこの行動が支持されていたのは道三が家臣たちからよく思われていなかったからだ。ゆえに義龍が政務をおろそかにして家臣から見放されれば、今度は義龍が討たれることになる。
「これよりは美濃の国主として努力せねば」
もとより義龍自身がそれを理解している。
義龍はまず家臣との関係を改めて整理した。道三の時代までは美濃の国人や土岐家の家臣たちが美濃で持っている権益を認めることで、斎藤家の家臣として扱ってきている。義龍も当初はそうした形式を受け継いでいたがある年を境に別の方式に改めた。
「これよりは私の美濃の領地をお前たちに与えるという形式に変える。また領地の基準も銭を基準にしたものに変える」
こうした義龍の方針に疑問を思うものも多くいた。しかし続けて義龍はこう言う。
「この変化でお前たちの食い扶持が減るわけではない。むしろ手続きが簡略化して領地を治めやすくなる」
そういわれて多くの家臣たちは半信半疑で了承するのであった。実際簡略化されたのは事実で結果家臣たちはこの変化を喜ぶ。
ここで義龍が実施したのは貫高制というもので領地を貫、つまりは通貨の単位ではかるというシステムであった。これまでは各地にある荘園の管理を主君が家臣に任せるという煩雑なものであったが、これにより主君が貫高で把握した領地を家臣に与えるという形式になっている。これにより主君と家臣のつながりのみの単純なものになった。また主君の立場からしてみれば家臣の領地の把握が容易になり軍役の負担の決定も容易になる。そうしたメリットがあるからこそ義龍はこの方式に改めたのであった。
この貫高制は義龍独自のものではない。多くの戦国大名が行っているものであり、基本的なシステムであった。偶然だが織田信長も義龍と同時期に貫高制に切り替えている。
ともかくこれで斎藤家は戦国大名に変化していった。ある意味義龍が道三を越えたわかりやすい例ともいえるかもしれない。
義龍はともかく美濃と斎藤家の発展に尽力するつもりであった。それが親殺しを行った自分の責任であると考えている。だから義龍は精力的に働いた。しかし。
「むう? 」
ある時義龍は急なめまいに襲われた。小姓が心配しかけよる。
「如何なされましたか」
「いや、何でもない。このところよく働いていたからな」
「左様ですか…… 」
「ああ。大丈夫だ」
そういって義龍はしっかりとした足取りで歩いていく。その姿はとても病気を抱えた人間の物ではない。小姓も安心して後に続く。
義龍は前途洋々とした気分でいる。経緯はともかく父を完全に超えられたからだ。しかし義龍は気付いていない。自分に残された時間が短いことを。
義龍は領国のシステムを再構築し戦国大名としての体制を整えた。一方で敵対する勢力への対応もしなければならない。さしあたっての対象は織田信長である。
信長は道三から美濃を譲るという遺言状をもらっていた。義龍も遺言状の存在を確信している。
「信長殿を自分の後継者にしたかったのか。父上は」
この道三の行動は私情抜きに義龍にもわからなかった。まさか娘の帰蝶が可愛いいから書いたわけではあるまい。あるいは義龍への嫌がらせか。どちらにせよ美濃の国主であった人物が後継者と指名したからにはいろいろと面倒である。義龍は美濃の国人や旧土岐家の家臣たちの支持を得ていた。彼らも長く敵対していた織田家に美濃をやろうとは思わないのだろう。
「いずれは信長殿が美濃に攻め込んでくるかもしれんな」
尤もこの段階の信長にはそこまでの余裕はない。そもそも信長の家は尾張守護代の家臣の家である。信秀はその卓越した手腕で織田家の戦いを主導していたがあくまで立場は守護代の家臣であった。
また信長はうつけと評判である。そのため信長の家も分裂状態にあり信長を支持するもののほかに、信長の弟の信勝を盛り立てようという勢力もいた。
道三が存命だったころは斎藤家と織田家との同盟も生きていた。しかし義龍が道三を討ったことでそれもなくなる。これで信長の立場はますます悪くなったといえる。しかし義龍は油断しなかった。
「一目見て父上が見込んだ男だ。ただ物ではあるまい。何か手を打っておかなければ」
そこで義龍は織田信勝との同盟を画策した。信勝の勢力が信長に勝利するとまではいかなくとも対抗し続ければ信長の動きを大きく制限できる。斎藤家はそこまでの労力をかけずに信長をけん制できるというわけであった。
義龍はすぐに動いた。
「信勝殿に密使を送れ。斎藤家が後ろ盾になれば信勝殿も強気に対応できるはずだ」
こうした思惑のもと義龍は信勝とひそかに連絡を取る。信勝も兄を越え家督を継ぎたいという野心があったのかこの誘いに乗った。こうして義龍と信勝との間に極秘の同盟が結ばれる。
一方義龍は別の手も打った。信長には信広という異母兄がいる。信広は正室の子でないうえに凡庸な武将であった。しかし信長を警戒する義龍としては使えるものは何でも使うつもりである。
「信広殿にも密使を。うまく動いてくれればそれなりに役に立つだろう」
こうして義龍は信広とも連絡を取った。すると信広は喜んで誘いに乗る。信広にも家督を継ぎたいという野心があったのだろう。ともかく大喜びした信広は感謝の手紙と太刀などの贈り物が届いた。これに義龍はあきれる。
「全く。信長殿に露見したらどうするつもりか」
義龍も一応の返答はしておいた。もっとも義龍の本命は信勝の方であるから信長の目線が信広に行ってくれるのはそれなりにいいことではある。
こうして義龍は信長の兄弟と連絡を取り信長を追い詰めるつもりであった。するとさっそく信広から連絡が来る。なんでも信長が美濃に向けて出陣した隙をつき城を乗っ取ると言い出したのだ。
「果たしてうまくいくか」
成功すれば一気に情勢は義龍有利に傾く。乗るか反るかは不明であるがやってみる価値はある。義龍は出陣し信長の居城の清州城を目指した。これに対して信長も出陣する。信長の居城は空となった。この空城を信広が乗っ取ればのろしが上がり信長を挟撃する算段である。しかしのろしはいつまでたっても上がらない。
この時信広は城にも入れず留守居の物に追い返されていた。信長には初めからお見通しだったのである。
「失敗か」
義龍はそう確信すると即座に引き上げた。無駄に兵を失う必要はない。迅速に撤退して被害を最小限に抑えた。
この後信広は謀反をあきらめ信長に従うようになる。またこの事件ののち信勝は謀反を起こし信長と直接対決するが敗れた。それでも再度信長に背こうとしたが、信長に討たれている。病と偽って呼び出したらしい。義龍が弟を討った時と同じ手段である。
「やはり侮れんな…… 」
義龍は父が認めた男の器量を再確認した。この後も義龍と信長の戦いは続く。
領内統治、信長との抗争。これらに加えて義龍は朝廷や足利幕府との関係の構築にも力を入れた。
この時代朝廷の官位や幕府の役職は少なくない影響力を持つ。また家中の支持を得ていたとはいえ義龍は父を討ち美濃の国主となっている。そのための正統性の確保も必要だった。
「父上と同じ轍は踏まん」
道三は大義名分を無視して国主の座を簒奪した。結局これにより破滅する結果となっている。義龍も不安はあったのだ。
「私も事を誤れば破滅の道を歩むことになるだろう」
そこは慎重な義龍である。
ともかく義龍の対中央政策は功を奏し次々と任官していた。特に信長の官位を上回ることにはこだわっている。道三の遺言が存在する以上はそれを上回る正統性が必要だからだ。そういう意味では悲しいかな道三は死後も義龍を苦しめている。もっともそれにへこたれる義龍ではないが。
また幕府の役職にも任命された。これで朝廷にも幕府にも認められたことになる。義龍はこれを素直に喜ぶのだった。
ところが永禄二年(一五五九)に信長がわずかな供を連れて上洛するという情報が入った。
「目的は官位か役職か?…… 」
信長の目的が朝廷や幕府との接触かどうかは分からない。そもそも信長は官位や幕府の役職にそこまで執着していなかった。しかしそんなことを義龍が知る由もない。
「ともかく捨て置けん」
そう義龍は考えたが兵を引き連れての上洛ではないのだから兵を出すわけにはいかない。そこで義龍はある思い切った行動に出た。
「この際だ。信長殿を暗殺してしまおう」
こうしたところは道三と親子なんかもしれない。ともかく義龍は信長の暗殺を決意する。
義龍は側近にも知らせず極秘裏に準備を進めた。そして火縄銃を装備した一団を信長の上洛のルートに配備し機会を狙う。義龍は美濃で吉報を待った。
「うまくいくか…… 」
不安半分期待半分の気持ちで待つ。そして結果が届いた。
「申し訳ありません。失敗しました」
それを聞いて義龍は肩を落とす。
「仕方あるまい」
義龍は部下の失敗を不問にした。さすがにここまで急ごしらえの策では失敗しても仕方がない。そう考える義龍であった。
こうして美濃の国主になってから義龍は様々な手を打った。他にも同盟国の六角家とともに浅井家と戦っている。これは六角家も浅井家も共に近江(現滋賀県)の勢力で美濃の隣国だ。斎藤家は元々浅井家と同盟していたが情勢の変化もあり六角家と結んでいる。
尾張の信長との戦いと比べてこちらの戦いは比較的優勢に進んだ。六角家の城攻めに協力しこれを落としたりしている。一方で信長が美濃に攻めてくることもあり決定的な勝利もなかなか納められなかった。
こうした義龍の精力的な行動を家臣たちは支持していた。
「義龍様はまさしく傑物。英気に満ち溢れた生き方をしておられる」
「全くだ。戦はするが我らに無理がかからない程度にするし家の名を高めようともしている。我々も誇らしい」
一方でそんな義龍を心配するものもいる。その一人が叔父の稲葉良通だ。
「最近の義龍様の様子はどうだ」
そう良通が問いかけたのは長井道利である。道利も義龍のことを心配していた。
「最近は益々お働きになられておる」
「それは知っている。だがそこが…… 」
「ああわかっているよ。そこが心配だ」
二人が心配しているのは斎藤家というより義龍自身のことである。正直このところ働きすぎのきらいがあった。
「道利殿。やはり義龍様は道三様を越えることにいまだ捕らわれているのでは」
「いや良通殿。それはあるまい。むしろ道三様を討ってからは何か影が取れたようにも見える。今やわだかまりもないようだ」
「ならばなぜ…… 」
二人は首をかしげるばかりであった。するとそこにもう一人やってきた。
「日根野弘就です」
「おお、弘就か。入れ」
道利は弘就を招き入れた。良通は弘就に尋ねる。
「弘就よ。義龍様に変わったことは無いか」
「いえ。いつも通りお働きになっております」
「そうか…… 変わったことは無いか」
良通は肩を落とした。側近の弘就も知らなければ手掛かりはない。ところが弘就はこんなことを口にする。
「私見ですが…… 殿は気負いすぎにも見えます」
「まあ父を討ったのだから仕様が無いだろう」
「それもそうなのですが自分の力で斎藤家を盛り立てなければならないと考えすぎのご様子で」
弘就がそういうと道利はうなずいた。
「確かに昔から生真面目な方だ。一人で何事もなそうとするところはある」
「はい。もう少し我らに頼られてもいいのではないかと」
「そうさな。いや、これよりは我らが義龍様を支えようではないか」
良通がそう言うと二人はうなずくのであった。こうして決意を新たにする良通たち。しかしこの後待ち受ける悲劇を誰も知る由はない。
その日は突然やってきた。永禄四年(一五六一)義龍が左京太夫に任じられた年である。
その日の義龍は体に違和感を覚えた。
「むう…… 」
体が妙に重い。それを無視して起き上がろうとするができなかった。そして
「な、んだ」
何かが体の中からこみあげてくる。義龍はたまらずそれを吐き出した。
「がはっ」
義龍が吐いたのはおびただしい量の血だった。布団を血に染めた義龍はそのまま倒れこむ。しかし意識は失っていない。何とか布団から這い出ようとするがその巨体を引きずるほどの力はもうなかった。
「親殺しの報い…… 因果応報ということか」
その言葉を吐いた義龍の顔は笑っていた。
「これからだというのに…… 」
そう言い残して義龍は意識を失う。周りの者が異変に気付いた時すでに義龍は息を引き取っていた。享年三五歳。早すぎる死である。
義龍の死は斎藤家家臣たちに衝撃を与えた。義龍の息子の喜太郎(のちの斎藤竜興)はまだ一四歳。家を守れるような年ではない。
「こうなれば我らで喜太郎さまを盛り立てるほかあるまい」
道利をはじめとした重臣たちはその意見でまとまった。
一方義龍死亡の情報は信長のもとに届いた。
「義龍殿が死んだぞ」
信長は帰蝶に短く言う。帰蝶は悲しげに美濃の方を見た。
「せっかく父上から解き放たれたというに」
「儂はこれより美濃に行く」
「そうですね。兄上も亡くなられた以上あなた以外に美濃を治める者はいますまい」
「もとよりそのつもりだ。行ってくる」
この言葉の通り信長は美濃に攻め込んだ。この時は落とせなかったが義龍の死の六年後に信長は美濃を制圧する。ようやく道三の遺言を果たした。
義龍の子の喜太郎こと竜興は信長に美濃を追われた。その後生涯を信長との戦いに捧げる。死ぬまで美濃に戻ることは無かった。
斎藤家は岐阜県の常在寺を菩提寺とした。そこには道三と義龍の肖像画がともに残っている。
義龍が道三を討ち美濃を支配していたのはおよそ五年ほどでした。この間に義龍は斎藤家を戦国大名として確立させています。そしてこれからというところで死んでしまいました。歴史にIFないのですがもし義龍がもう少し長生きしていたら信長は美濃を手に入れることは無かったかもしれません。そうなればのちの歴史も大きく変わったでしょう。そういう意味で義龍の死は大きく歴史を動かしたのだと思います
さて続いての話ですが今の三重県の戦国大名の話です。この人物はなかなかに面白いエピソードがあるので割と知っている人は多いかもしれません。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




