斎藤義龍 親殺し 第二話
父に認められず憂鬱な日々を過ごす義龍。どうしたら父に認められるのか。何もわからないでいた。そんな最中で道三がある事件を起こす。それが義龍と道三の人生の大きな転機となる。
織田家との婚姻が成立した後はあまり戦もなく平和な時が流れた。しかし義龍は土岐家の中で流れる不穏な空気を感じている。
土岐家家臣たちはこのところこんなことを言っている。
「このところの斎藤殿は何やら傲慢な雰囲気になってはいないか」
「左様。織田家との和睦も勝手に進めた挙句に娘まで嫁がせるとは」
「しかもその娘は頼純さまに嫁いだ娘ではないか」
そうした疑問の声が土岐家内部から挙がっていた。
実際のところ頼芸は土岐家の運営を道三に任せている状態にある。もっともそれは道三が頼芸の当主就任に功績があり、ここまでの活躍があったからだ。だから家臣たちも多少の不平不満は言うが基本的に道三に従っている。この時代、自分の利益を保証してくれる者に従うのが普通であった。
義龍もこの土岐家内での空気を敏感に感じ取っている。そんなとき義龍を訪ねる者がいた。叔父の良通である。
「久しいな義龍殿」
「はい。叔父上もお元気そうで」
良通は道三と違って義龍に好意的である。義龍もそんな叔父に心を開いていた。
「この度はどうされましたか」
「いや。姉上の体調が思わしくないと聞いてな」
「そうですか…… 」
ここで義龍の顔が曇った。良通の言う通りこのところ深芳野の体調は思わしくなかった。そして徐々に衰えていっているようにも見える。
義龍は言った。
「このところは父上も顔を見せません。昔は私には会わなくても母上には会ったというのに」
その告白に良通は困った。道三と義龍の間柄がよくわかる発言である。義龍は良通が困っているのに気付いたのか話を元に戻す。
「叔父上が来られたのなら母上も喜びましょう。私はこれにて」
「ああ。すまんな」
そういって義龍は席をたとうとした。しかし
「義龍」
そういって良通は義龍を呼び止める。
「なんでしょう」
義龍は不思議そうな顔で振り返った。良通は義龍に手招きする。内密の話があるので近くに来いという意味だ。
良通の隣に義龍は座る。しかし二人にはかなりの身長差があった。義龍は体をかがめて頭を良通と同じ高さにする。
「すまんな」
「いえ。よくあることです」
そんなやり取りのあとで良通は言った。
「このところ道三殿の動きがおかしい」
「父上の?…… 」
「ああ。何の準備かわからないが極秘に進めているようだ。お前は何か知らないか」
そういわれて義龍は困った。
「父上が内密の事を私に話すとは思えませんが」
「そうだな…… すまん」
良通は頭を下げた。そして立ち上がると深芳野の見舞いに行く。
残された義龍は一人考え込んだ。
「(父上の内密の動き…… いったい何をしようとしているのか)」
考え込むが答えは出ない。しかしなんとも言えない不安が心の中に芽生えている。
天文十九年(一五五〇)。その事件は起こった。しかしその事件の詳しい経緯を義龍は知らない。ただ知っているのは主君の土岐頼芸が追放されたということ。そして追放したのが父親の道三であることだけである。
「父上は何ということをしたのだ」
悲嘆する義龍。それは父の行いへの嘆きであり自分に何も知らせなかったことへの嘆きである。
ともかく頼芸は追放された。これには土岐家中は騒然となるが主だった家臣たちはみな道三を新しい主人として仰ぐことを表明する。おそらく根回しは済んでいたのであろう。
「叔父上の言っていたことはこれか」
いまさらになって気づく義龍だがもはやすべては終わった後であった。
頼芸が追放された少しあと、再び良通が訪ねてきた。
「母上のお見舞いですか? 」
「ああ。そんなところだ」
そういう良通の顔は暗い。良通は今回の策謀に協力はしていないようである。
「(縁があるのにも関わらず何も知らされなかったのだな)」
義龍は良通に同情するのであった。
深芳野への見舞いが済んだ後で良通はこういった。
「二人きりになれんか」
義龍は良通の意図は分からなかったがどうにか二人きりになる時間を作る。良通は二人きりになったのを確認するとこう言った。
「義龍は今回の道三殿の行いどう思うか」
そう問われて義龍は言葉に詰まった。しかし少し考え込んで言う。
「今回ばかりはさすがに…… 」
義龍も父が行った主君への反逆をかばう気にはなれなかった。これには道徳的な理由と現実的な理由の二つがある。
「父上はなぜ頼芸様を追放したのでしょうか」
「正直美濃を手に入れるためだけとしか考えられん。別に頼芸様に何か悪しきことがあったわけではないからな」
「その通りです」
確かに頼芸は政務をほとんど道三に任せきりにしている。しかし何もしていないわけではないし道三が進んで統治を代行していたという側面もあった。不行跡のために追い出したという理由は通用しない。義龍が父に疑念を持つ道徳的な理由である。そして義龍はもう一つの理由に絡む懸念があった。
「父上の立場は頼芸様あってのこと。父上がそれをわかっていないとは思えなかったのですが」
義龍が懸念するもう一つの理由は斎藤家の立場である。土岐家内には斎藤家は何家かありその一つが美濃の守護代を務めている。もちろん道三と義龍の家ではない。それでも道三が頼芸に代わって政務をとっていたのは頼芸の後ろ盾があったからだ。つまり道三の立場は頼芸が当主であることで保障されているといっても過言ではない。
しかし今回道三はその頼芸を追放してしまった。したがって道三の立場は非常にあいまいなものになっている。
「そのことがこの先心配です」
顔を伏せて言う義龍に良通はうなずいた。
「道三殿は己の立場を真に理解していないのかもしれんな。己の力があれば何も問題ない。そう考えているようだ。実際のところ皆も道三殿の力に従っているわけであるからな」
「しかしそれは…… 」
「ああ。道三殿が力を失う、もしくはそれに比する力を持つものが現れれば…… 」
「斎藤家も危うい」
「そうだ」
良通の肯定に義龍はうなだれた。斎藤家の今後を憂いているようである。
一方良通はなんとも言えない瞳で義龍を見つめていた。瞳に浮かぶのは懸念と憂慮。そして大きな期待である。
道三の頼芸追放後、美濃は一応の平穏を見せていた。しかし主君としてふるまうようになった道三への不満はくすぶり続けている。
「これでは斎藤家も危うい」
義龍は意を決して道三に諫言を行った。
「このままでは家中はまとまりません。せめて頼芸様のご子息を擁されてはどうでしょうか」
大きな体を折り曲げて言う義龍。しかし道三は聞き入れなかった。
「せっかく手に入れた美濃をほかの者にやるつもりか」
「ですが土岐家臣だったものから不満が出ています。このままでは父上のお立場も危ういのでは…… 」
「なるほど。お前はあの連中を手なずけて儂を討つつもりなのか」
こういわれて義龍は仰天した。当然そんなつもりはない。
「何を言うのですか父上! そんなつもりは私にはありませぬ」
「ふん、どうだかな。それにお前のような愚鈍な奴は担ぎやすそうだからな」
あまりの物言いに義龍は絶句した。道三は義龍を一瞥にせずに行ってしまう。残された義龍は愕然としていた。
「(あの物言いはあまりにもひどい。なぜ父上は私を嫌うのだ。何故だ。何故なのだ…… )」
心を痛める義龍。しかしさらに義龍を悲しませることが起きる。
天文二十二年(一五五三)道三は尾張にある聖徳時に向かった。要件は婿である織田信長に会うことである。
前年道三と死闘を繰り広げた織田信秀が亡くなった。家督は嫡男である信長が継ぐことになる。今回の会見は同盟の再確認といったところであった。
しかし道三は違う意図も持っていた。
「うつけの婿殿の顔でも見に行こうか」
信長はうつけと呼ばれていた。これは要するに不器量ということで織田家の当主に相応しくないと考えられていたのである。また織田家の重臣で斎藤家と織田家の同盟に尽力した平手政秀が諌死したという情報もあった。道三とすれば相手がうつけなら尾張も手に入れてしまおうと考えていたのである。
義龍はこうした道三の意図を見抜いていた。
「本当にうつけ殿なら困るな。今は戦をしている場合ではなかろうに」
もし織田家と戦になれば家臣たちにも負担がかかる。そうなればただでさえ募っている道三への不満も増してしまう。そうなればますます斎藤家は危うい。
「何事もなければいいのだが」
義龍はそれだけを懸念していた。そして義龍の願いが通じたのか会見は何事もなく終わる。道三は上機嫌で帰ってきたという。
「とりあえずはこれで良し、か」
胸をなでおろす義龍。ところが義龍の心を揺さぶる衝撃的なことが判明した。
道三は信長と会見しその人柄をとても気に入ったようだった。さらには信長の器量が並みの物ではないと感じたようである。そして家臣にこう言ったそうだ。
「いずれ儂の息子たちは信長の門前に馬を並べるだろう」
門前に馬を並べる。要するに家臣になるといったのだ。それはつまり斎藤家が織田家に下るということである。そしてそれは息子の代でそうなるだろうといったのだ。
「父上は何を考えているのだ…… 」
まるで理解できない発言である。道三が手段を選ばず美濃を手に入れたのは斎藤家を大きくするためのものではないのか。それが次の代には織田家の家臣になるというのはどういうことなのか。まさか自分のことしか考えていないのか。義龍の頭の中でそうしたものがぐるぐると回った。
「このまま父上にすべてを任せていいのだろうか」
義龍の心にそんな思いが芽生え始めるのであった。
聖徳寺で行われた道三と信長の会見。そしてその際の道三の発言。さらにその後道三は信長への支援を積極的に行うようになっていった。
旧土岐家家臣で今は斎藤家家臣になっている人々はこれが面白くない。
「仇敵の織田家の者に肩入れするとは」
「左様。それに件の言いよう。いったい何を考えているのか」
「もしやすると織田家に美濃を譲るつもりなのかもしれん。そうなれば我々は織田の者どもの風下に甘んじることになるぞ」
「それはいかん。いかん」
このように道三への不満は日増しに増えていった。
この時義龍はそれどころではなかった。母親の深芳野の容体がますます悪くなっていたからだ。
義龍は見舞いに来た良通に言った。
「医者の見立てではもう長くはないと…… 」
「そうか…… 」
二人とも肩を落とす。義龍にとっては最愛の母。良通にとっては母代わりの姉である。そういう意味で二人の深芳野への思いは似通っていた。
良通は気になったあることを義龍に尋ねた。
「道三様はどうされている」
「…… お忙しいようです。まるで顔も出しません」
義龍は忌々しげに言った。それに良通は驚く。義龍がここまで道三に怒りをにじませるのはこれまでなかったことである。
良通はそんな義龍に気押されながらもう一つ気になったことを訪ねる。
「このところ人が多く出入りしているようだが」
「皆父上への不満を私に言っていきます」
「義龍殿…… それは」
「わかっていますよ。叔父上」
道三への不満を義龍に言う。これがどういうことか。家中の皆は義龍と道三の関係を熟知しているのだから口添えを頼もうなどというわけのはずない。ならばあとは一つ。
義龍は不安そうな声で言った。
「私はどうすればいのでしょうか」
その声色から良通は義龍の迷いを感じ取った。そして少し驚く。
「(あのような物言いをされてもまだ父として認めているということか)」
道三が聖徳寺で言ったことを考えれば怒り狂ってもおかしくはない。義龍はそういう立場の人間である。だが迷っているのならば義龍には道三を慕う心が残っているということだった。
しかし義龍が決断を下さなければならない日はそう遠くないことを良通は知っている。良通はこう言うしかなかった。
「斎藤の家と美濃にとって一番の答えを選ぶのだ」
「はい…… 」
義龍がどう受け取ったのかは義龍にしかわからない。
良通が見舞いに来た数日後、深芳野の容体が急変した。知らせを聞いた良通はすぐに戻ってくる。
義龍は深芳野のそばにいた。病でか細くなった母の手を義龍は体に似合う大きな手で優しく握っている。
深芳野は目を閉じていた。死んでいるようにも見えるがかすかに息はある。しかし義龍の眼から見てももうどうしようもない容体である。
義龍がうなだれていると深芳野の眼が開いた。
「豊太郎…… 居ますか」
「はい。ここに」
深芳野の眼はすでに見えなくなっている。そして自分の手を握っているのが息子であるかどうかも分からなくなっていた。
義龍は深芳野に問いかける。
「如何なされましたか? 母上」
「豊太郎…… あなたは本当に立派になりました」
「ありがとうございます」
「だからもうあなたの好きなように生きていいのですよ」
そういわれて義龍は言葉に詰まった。それを察したのか深芳野が言葉をつづける。
「あなたは今まで頑張ってきました。でも利政さまはそれを認めなかった」
そういってから深芳野の眼から涙があふれた。
「何度私が言ってもあの人はあなたを認めようとしなかった。それだけが心残りなのです」
義龍は驚く。この聡明な母親は自分の立場を受け入れずっと従順だったように見えたからだ。
「母上、私は」
「いいのです。ですがもうあの方の眼には私もあなたも映っておりません。だからあなたがあの方に従う必要はないのです。だから」
深芳野は目を見開いた。義龍が初めて見るような鬼気迫る瞳である。
「あの方を越えなさい」
それが深芳野の最後の言葉であった。
後日深芳野の葬儀が行われた。道三は少し顔だけ出すとすぐに帰る。義龍とは一言も交わさなかった。
良通は義龍に尋ねた。
「姉上は最後になんと」
「…… あなたは本当に立派になったと」
「それだけか? 」
再び良通は義龍に尋ねる。義龍は答えなかった。
今回義龍の母の深芳野が亡くなりました。義龍はすさまじい巨漢ですが深芳野も相当なものだといわれています。なんでも180cm近くあったとか。そのうえで美濃一の美人といわれていたそうです。モデルさんみたいな容姿だったのでしょうか。
それはさておき今回の話で道三の国盗りが行われました。これについては時期がはっきりしておらずいくつかある説の一つを採用しました。その点はご容赦を。しかしこの国盗りに関しては調べてみるとどうも道三の首を絞める結果になったのではないかと感じています。詳しいことは次回に譲りますのでお楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




