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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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足利義明 相応しき座 後編

 里見家と武田家の内紛は小弓公方の足元を揺るがした。そんな中で義明は自分の座を守るために奮戦する。だが義明が自分の座を維持することに必死でいる間に関東の情勢は大きく動く。そしてそれが義明に終焉をもたらすことになる。

 武田家の内紛は義明の後援を受けた信応が家督を継ぐことで一応の決着を見た。もっとも信隆はまだ健在で内紛の火種は消えていない。案の定、天文六年(一五三七)に信隆と信隆を支持する一派が信応の排斥を目指して行動を始めた。

 信隆は城に立てこもり抗戦の姿勢を見せた。一方で義明に信応排斥を訴えるなどの手も打った。あくまで武田家の内紛で義明と敵対するわけではない。そういう姿勢を見せての行動である。しかし義明は怒った。

「私の決定をいまさらになって否定するとは。それに城に立てこもるなど何事か」

 義明は信応と連携して信隆の排除に動いた。さらに義明は里見義尭を味方に引き込む。

「少し前にはいろいろあったが貴殿が我らを支えようとしているのは分かる。ここはともに逆賊を打ち取ろうではないか」

 そういう内容の書状が義尭のもとに届いた。これを見た義尭は感動したわけではないが義明方につくことを選ぶ。

「今は義明様と連携をとることが上策か」

 里見義尭という人物はなかなかにしたたかで野心的な男であった。義豊との争いに氏綱の助力を頼んではいるが従うつもりなど毛頭ない。あくまで房総半島を手中に収め大名として自立しようと考えている。しかしまだそれが実現できる段階ではない。北条家も義尭の動きは警戒している。こういう状態ならば義明と手を組むのは悪くない選択肢だと言えた。

 義尭は義明にこう返信した。

「義明様のお心の広さ、誠に感動いたしました。この上は義明様のもとに馳せ参じ逆賊を討って見せましょう」

 実際義尭は信隆方の城を攻撃している。これを見た義明は満足げであった。

「これが小弓公方の威光よ」

 義尭の本心などかけらも気付いていないようである。

 さて一方の信隆方だが味方だと思っていた義尭が義明方についたことにただただ驚いた。

「もはや北条殿を頼るしかない」

 信隆は北条家に援軍を要請した。北条家も上総に足掛かりを残しておきたいので、家臣の大藤金谷斎とその家臣たちを援軍に出す。しかし上総の大半と安房全体を敵に回しては勝ち目も薄かった。

「これはいかんな。せめて信隆と金谷斎の命だけでも救わなければ」

 北条氏綱は尼となっていた義明の妹に目を付けた。氏綱は彼女に義明と信隆の和平交渉を依頼する。義明は兄と不仲であったが弟や妹には甘いと評判であった。義明は妹の願いを聞き入れ和睦に応じる。

 和睦の条件は信隆方の城の明け渡しと信隆の追放である。北条家臣の大藤金谷斎は和平が整い次第上総を脱出する手はずであった。実質義明方の完全勝利である。

「これが小弓公方の威光だ」

 この結果に義明は上機嫌であった。実際義尭を取り込み信応の武田家当主としての立場を安定させている。大体が義明の思惑通りに進んでいる。

「これで安房と上総は一丸となる。私の大望ももう少しで果たせるはずだ」

 結果的に房総半島の勢力は小弓公方のもとに結集したといってもいい。そしてそれを主導したことで自信を深めた義明が目指すのは一つ。古河公方の座である。

「ついに私に相応しい座に就く時が来たのか」

 義明の眼には待望した未来が見えているようだった。そしてその未来が訪れることを義明はみじんも疑っていない。


 上総の情勢が一応の安定を見せたことで義明は本来の目的ともいえる古河公方の打倒に向けて動き出した。最初の目標は現古河公方晴氏を支える簗田高助が治める関宿城である。関宿城は関東の水運を抑える要所であった。この城を奪取すれば古河公方方に与える痛手は相当なものである。

「武田や里見の者たちも引き連れ私の威光を見せつけてくれよう」

 天文六年六月義明は武田信応や里見義尭に出陣を命じ、着々と準備を進めるのであった。

「私の宿願まであと少し。あと少しだ」

 一方この頃武蔵方面での戦況に大きな変化があった。それは北条家の躍進と扇谷上杉家の衰退である。

 扇谷上杉家は小弓公方の勢力や古河公方などと手を組んで北条家包囲網を築いた。しかし天文年間初頭に上総、安房で内乱が起きるとこの包囲網にもほころびが生じ始める。そしてこの隙を見逃す北条氏綱ではなかった。氏綱は包囲網が弱まった隙を突き扇谷上杉家の本拠地河越城に攻撃を仕掛ける。そして上総で武田家の内乱が終わるころには河越城を奪取し扇谷上杉家を没落させるのであった。

 また古河公方が晴氏になったことで古河公方と北条家の関係も変化が現れた。高基の時代は北条家と距離を置いていた古河公方だが晴氏の代になると両者は接近を始める。これは上総方面への進出を考える北条家と小弓公方打倒の考えを持つ古河公方との利害の一致という側面もあった。

 ともかく小弓公方を取り巻く情勢は激変していた。この事実を義明は知ってか知らずか関宿城攻撃の準備を進める。しかし内乱の傷が大きいのか少しばかり時間がかかった。

「時間はかかったがまあいい。さっそく出陣するぞ」

 義明が関宿城攻撃を決めてから一年たった天文七年(一五三八)六月義明は自ら出陣する。そして十月に国府台城に入った。国府台城は下総への玄関口ともいえる場所にあり前線基地としては絶好の場所にある。

 一方の古河公方足利晴氏はいち早くこの動きをつかんでいた。晴氏は北条氏綱とその息子の氏康に義明迎撃の命令を下す。

 氏綱はこの命令を喜んだ。

「これで義明殿と戦ういい口実ができた」

 義明は古河公方の血統であり先々代の政氏から後継者として一応扱われていた。そうした存在を新参者ともいえる北条家が討つといろいろと面倒なことになる。しかし現古河公方の晴氏の命令という形であれば何の問題もなく義明を討つことができた。

 北条親子は晴氏の命令を受けてという形をとり出陣した。そして江戸城に入る。国府台城の義明と江戸川をはさんでにらみ合う形になった。

 北条家が古河公方の味方に付いたことに義明は怒り心頭であった。

「かつては我らに与していたというのに。北条の奴らめ。許さん」

 実際のところ北条家は小弓公方を利用していたという方が正しい。そういう意味では今回も古河公方を利用しているのと同じである。

「貴種の威光を見せつけてくれるわ」

 怒りながらも自信満々な義明。義明は自分の勝利を疑っていない。

 

 北条軍が江戸城に到着した夜、国府台城で軍議が開かれた。軍議の場には義明の弟の基頼、嫡男の義純。武田信応に里見義尭。他数名が集まった。

 上座に座った義明は威勢よく口を開いた。

「此度北条の者どもが晴氏に従い我らに弓を弾いてきた。古河公方嫡流である私に対して言語道断の行いである。この上は私自ら兵を率いて敵を打ち破ってくれよう」

 威勢のいい物言いをする義明。それに基頼と義純はうなずいた。

「兄上の言う通りです。我らの威光を見せつけるとき」

 そんな基頼に発言に義明は満足げにうなずく。

 一方義明に発言に難色を示したのは信応だった。

「お待ちください義明様。敵は我らの倍の兵力です。正面切って戦うのはいささか厳しいかと。それに義明様自らお出になるのは少々危険です」

 信応の発言にも利があった。野戦において兵の数は勝敗に直結する。敵の数が多いのならば慎重策をとるのもおかしい話ではない。だが義明はこれを一蹴した。

「何を言うか。逆賊を恐れて城に籠ってどうする」

「し、しかし敵の数は多く…… それに北条の兵はなかなかの精兵と聞いています」

「精兵? 信隆に送られてきた北条の兵どもは大したことなかったではないか。あんな連中を恐れてどうする」

 信隆に送られた援軍は北条家本隊のものではない。そのころ北条家は武蔵の制圧に比重を置いていた。信応もそれをわかっているのでこう意見しているが義明は聞き入れない。

 信応は義明の剣幕にあきらめたのか黙った。すると今度は義尭が口を開く。

「打って出るということでしたら敵を十分に引き付けて討つのが肝要かと。幸い江戸城と国府台城の間には江戸川があります。まず敵をひきつけ江戸川に入ったところに討ち入れば、敵は身動きが取れずこちらの有利になると思われます」

 義尭はそう言った。これには信応もうなずく。確かによくできた作戦である。だが義明はこれも退けた。

「引き付けるのは構わんが動けない相手に攻め込むなどとは卑怯だ。我々は堂々と敵を討たねば成らぬ。それが貴人たるわれらの戦だ」

 義明はこんなことを言い出した。それを聞いた義尭は一瞬あっけにとられたかのように動きを止める。そしてため息をつきながらうなずくのであった。

 周りが何も言いださなくなったところで義明は高らか言った。

「敵はしょせん成り上がりのよそ者。いざ相対すれば我らの威光にひるむだろう。そこに堂々と正面から挑んで討ち果たす。これで決まりだ」

 義明がそういうと基頼は立ち上がっていった。

「兄上の言う通りです。この戦は関東を治める我らの威光を知らしめる戦いとなりましょう」

「叔父上の言う通りです。私も父上の子として恥ずかしくない戦いをして見せます」

 基頼に続き義純も賛同した。義明はこれを見て満足げにうなずくのであった。これに続き小弓公方の家臣たちも口々に義明をほめたたえる。軍議の場は異様な興奮に包まれた。

 一方信応と義尭は黙り込んだままだった。信応は青い顔をしてうつむいている。義尭は冷たい目で義明たちを見つめていたが、しばらくして口を開いた。

「義明様。よろしいですか」

「なんだ義尭」

「地図を見たところ市川のあたりに道があります。敵はこちらに兵を回してくるかもしれません。私はそこで備えていようと思うのですが」

「ああ。構わん。しかしそんな場所では手柄は立てられんぞ」

「ご心配なく。私が願うのは義明様の勝利だけです」

「そうかそうか」

 義尭の言葉に義明は豪快に笑った。そんな義明に義尭は冷たい視線を向けている。

 やがて軍議が終わり解散となった。義明をはじめ意気揚々と引き上げる者たちの中で、信応は一人肩を落として歩く。そんな信応の肩を義尭がたたく。

「里見殿? 」

 信応は不思議そうに義尭に尋ねた。それに対し義尭はこう言った。

「貴殿はあまりに憎めない御仁だ。もし危急のことがあれば私の家を頼ってくれ」

 そういって義尭は去っていく。信応は呆然としていたが義尭の発言の意味を悟り大きなため息をつくのであった。


 天文七年十月七日、義明率いる軍勢は国府台城を出た。すでに北条家の軍勢も江戸城を出たという知らせが入っている。義明たちは予定通り進軍し義尭は別方面に向かった。

 義明たちは国府台城の北側にある松戸のあたりに布陣した。そして北条軍の到着を待つ。

「あとはやってくる北条の者どもを討つだけだ」

 自信満々に言う義明。基頼や義純、ほかの家臣たちも楽観的な雰囲気をしていた。しかし信応だけが沈痛そうな表情で目の前を見つめている。

 やがて江戸川の向こうに北条軍の姿が見えた。北条軍の進軍速度は速く急いで川を渡ろうとしているのがよくわかる。

 これを見た信応は

「(やはり今のうちに攻撃すべきではないのか)」

と思った。しかし小弓公方軍は現在ゆっくりと陣形を変えている状況である。信応は後方の控えに回されていた。先陣は義純で基頼が補佐についている。

 やがて北条軍の先方が川を渡り終えたという知らせが入った。それを聞いて義明が吼える。

「攻めかかれぇ! 」

 義明の号令とともに小弓公方軍の先陣が攻撃を始めた。ここに国府台の戦いが幕を開ける。

 

 小弓公方軍は川を渡り終えた北条軍に攻めかかっていく。それに対し北条軍は逆に小弓公方軍に突撃してきた。こうして戦いは始まった。

 序盤は小弓公方軍が優勢であった。義純も基頼も奮戦し北条軍を打ち倒していく。

「流石私の弟と息子だ」

 その様子を後方から眺めながら義明は言った。余裕しゃくしゃくと言った雰囲気でいる。

 しかし北条軍は小弓公方軍の倍ほどの兵力を持っている。そして何より急ぎ川を渡り兵力を展開していった。そのため戦況は徐々に北条軍の有利に傾いていく。そうなると義明の様子にも変化が表れてきた。さっきまでの余裕が消え、焦りが表れてくる。

「何をしているのだ…… 」

 そんなところに衝撃的な知らせが舞い込んできた。

「申し上げます! 」

「なんだ」

「足利基頼様、討ち死にとのことです」

「なんだと…… そんな馬鹿な! そんな馬鹿なことがあるか! 」

義明は怒り心頭といった様子で伝令を蹴り飛ばした。それでも怒りが収まらないのか刀をとって伝令を手打ちにしようとする。するとそこに別の伝令が駆け込んできた。

「申し上げます! 」

「なんだ! 今忙しい! 」

 刀を振り上げている義明に伝令は驚いた。しかし意を決して報告を伝える。

「足利義純様、討ち死にとのことです」

 報告を聞いた瞬間義明の手から刀が落ちる。かわいがっていた弟に続き息子まで死んだと知らされたのだ。無理もない。

 あとからやってきた伝令は先に来ていた伝令を助け起こしその場を後にした。その場に一人残された義明は呆然としていたが、刀を拾い上げると叫ぶ。

「北条め! 絶対に許さん! 」

 そういうや否や義明は馬に乗り突撃していった。家臣たちはそれに気づいて制止するがもはや義明にその声は届かない。

 義明は最前線に突入する。そしてひたすらに暴れまわった。敵も味方もまさか小弓公方足利義明その人だとは気づかない。鎧が豪華だから位が高いとは思ったがまさか将軍家の血が流れるような貴人だとは思わなかった。

 周りのことなど気にせず暴れまわる義明。するとどこからか飛来した矢が義明に刺さった。矢を受けた義明は落馬してしまう。

「わ、我こそは小弓公方足利義明なるぞ」

 川べりに落ち泥にまみれて義明は言った。それが届いたのかその姿が異様だからか周りの兵たちは一瞬だけ手を止める。しかし一瞬だけであった。

「ありえん。私は私に相応しい座に就くのだ…… 」

 矢は義明の急所に見事命中していた。そして落馬の痛手は義明の命を奪い去るに十分すぎるほどである。

 小弓公方足利義明は最前線で死んだ。周りには雑兵の死体が並んでいる。とてもではないが貴種の死にざまとは思えない。義明の首は北条軍の名もなき雑兵が持って行った。

 義明戦死の報は小弓公方軍を駆け巡る。そして一気に総崩れとなった。

「私が殿を引き受ける。皆は逃げるのだ」

 武田信応は殿を引き受けた。一方里見義尭は義明戦死の報を聞くといち早く戦場を離脱した。

「もはや小弓公方は終わりだ。これから我々は上総を手に入れるぞ」

 その言葉の通りこの後里見家は上総へ侵入し同じく上総に手を伸ばした北条家と熾烈な争いを繰り広げていく。

 信応自身はここで死ぬつもりであったが途中で思い直す。

「義明様にはまだ頼純様がいる。何とか逃げ延びてもらわなければ」

 頼純とは義明の次男足利頼純である。信応はうまく戦場を離脱するとまだ六歳の頼純を保護すると小弓公方家臣に託した。

「義尭殿のもとに逃れるのだ。おそらくは保護してくれるはず」

 家臣に守られた頼純は里見義尭のもとに逃れた。義尭は頼純を丁重に保護し粗略に扱うことはなかったという。

 信応は何とか生き延びるが、戦いの後舞い戻ってきた信隆と再び家督をめぐって争った。しかし敗れて里見家のもとに落ち延びる。その後は信隆の息子を助け里見家と戦った。これは里見家が武田家を滅ぼそうとしていたからだという。しかし結局追い詰められて自害して果てた。

 義明の次男の頼純は里見家に養育されて順調に成長した。そして後年豊臣秀吉の北条征伐に参戦し里見家の助けを得て小弓城を奪還する。

 のちに頼純の息子の頼氏が晴氏の孫の氏姫を娶った。そして江戸時代には喜連川藩として成立する。喜連川藩は徳川幕府から特別な扱いを受け貴人としての遇を受けたという。ある意味落ち着くべき座に収まったといえる。


 戦国時代に合戦は多くありましたが大将が討ち死にするというのは数えるほどです。さらに今回の国府台の戦いのように大将が突撃して死ぬというのはそうそうありません。それを考えると足利義明という人物はよく言えば勇敢、悪く言えば蛮勇そのものの人物だったのでしょう。それが足利将軍家の血をひくものとして相応しいかどうかは分かりませんが。ともかく義明の死で小弓公方は滅亡します。しかし子孫が古河公方の血筋と一つになって幕末まで存続したというのはなんとも皮肉な話ですね。

 さて次の話は美濃、現岐阜県の武将の話です。比較的知名度はある人物だと思います。この人物は戦国武将としては珍しいあることを行いました。それが何なのかは話を見てからのお楽しみということで。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

 

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