足利義明 相応しき座 中編
小弓公方として自立した義明。その眼は自分がつくべき座、古河公方の座を捕らえ続けている。義明は旧来より存在する関東の主の座を誰よりも欲していた。
一方関東の外よりやってきた者たちが新しい風を呼び込む。それは変革と戦乱の風であった。
永正十六年(一五一九)の六月古河公方足利高基は上総の椎津城を攻撃した。椎津城は義明方の城である。この攻撃を皮切りに義明と高基の両者は本格的な抗争に突入していった。
「いよいよだ。誰が古河公方に相応しいか見せつけてくれよう」
義明は意気揚々と前線に立つ。武田信嗣はこれを必死で止めるが義明は聞き入れなかった。
「古河の者どもなど何を恐れることがあるか」
そう言って敵陣に突撃していった。大将にあるまじき行為である。しかしよほど悪運が強いのか義明が怪我をしたり危険な目にあったりということは無かった。
「当然だ。皆小弓公方の威光に恐れをなしているのだろう」
義明はそう考えていた。実際は義明の家臣や武田家の家臣たちが必死で義明を守っているからである。まさか敵も義明自身が前線に出張っているとも思わない。そうした理由と悪運のおかげで義明は今まで生き残ってきた。
一方でこうした義明の無謀にも見える行動は小弓公方方の士気を上げる結果にもなった。そしてそのおかげか小弓公方方は古河公方方と互角の戦いを繰り広げる。しかし古河公方方も奮戦し両者一進一退の攻防を繰り広げた。
これに義明はやきもきする。
「ええい。兄上のしぶとさは天下一だ。それだけは凄まじい」
「高基様も古河公方の復権のために必死なのでしょう。」
信嗣はそんな風に言った。確かに義明に敗れるということは勝手に公方を名乗ったものに負けることになる。そうなれば確かに古河公方の名に傷がつこう。信嗣はそう言ったのである。
すると義明は信嗣を叱った。
「ふざけるな! 兄上に古河公方の復権などできるか。古河公方を関東の頂に戻せるのはこの私だけだ。わかっているのか! 」
「も、申し訳ありませぬ」
信嗣は平伏して陳謝した。その姿に義明の怒りも収まったようである。
怒りが収まった義明はふと思い出したように言った。
「そういえば伊勢家はどうしている」
ここで名前が挙がった伊勢家というのは伊勢宗瑞の家のことである。もっと宗瑞は永正十六年の八月に亡くなり息子の氏綱が後を継いでいた。
伊勢家の名前が挙がると信嗣の顔が曇った。そして少しためらいがちに話し出す。
「伊勢殿は今武蔵の上杉殿と争っておられます」
それを聞いて義明はまた怒りだした。
「そんなことをしている場合か! あの者共も我らに従う身だろう。なぜ私を助けんのだ」
義明はこう言うが別に伊勢家は小弓公方に従う勢力ではない。確かに上総の城を落とす際に武田家に協力しているが、それは武田家との利害の一致によるものである。
「全くよそ者の分際で何たる振る舞い。ありえないことだ…… 」
そう義明はぶつぶつという。それを見て信嗣は冷や汗をかいていた。なぜならもう一つ義明の怒りそうな情報を持っているからだ。
「(これは言えん…… 伊勢殿が高基様と結ぼうと考えているかもしれんとは)」
実は伊勢家と古河公方家とで婚姻関係を結ぼうという動きがあるらしかった。これはかなり具体的な話で高基の息子の晴氏に伊勢氏綱の娘を嫁がせようというものらしい。
実現するかどうかは未知数であるが、もし婚約が成立となれば小弓公方の味方が減る、というより敵が増えることになる。
信嗣はこの事実を言い出せなかった。そして恐れとあきらめが混じった眼で義明を見つめている。
大永三年(一五二三)。義明を支え続けた武田信嗣が亡くなる。これには義明も悲しんだ。
「信嗣ほどの忠臣はおらん。懇ろに弔ってやらなければ」
義明は信嗣の葬儀に積極的に協力した。これに喜んだのが信嗣の嫡男、信清である。
「義明様のお心遣い。父も喜んでおられましょう」
「何を言うか。忠義の心に報いるのも我らの責務だ」
「なるほど…… さすが義明様です。人の上に立つものは違います」
「そうだろうそうだろう」
信清の言葉にまんざらでもない様子の義明であった。
さて信嗣が亡くなった大永三年の後半に、小弓城とは江戸湾の向こう側である動きがあった。それは伊勢家が性を北条に改めたことである。北条は鎌倉時代の執権北条氏にあやかるもので関東の各地を手中に収めていく上でのアピールといえた。そして伊勢家改め北条家はさらに活発な活動を見せるようになる。
北条姓に変え年が明けての大永四年(一五二四)北条家は扇谷上杉氏が治める江戸城を奪取する。江戸城は江戸湾を望む重要拠点であった。江戸湾は上総にも接しているのは地図を見ればわかる。当然上総の領主たち、そして小弓公方も警戒心を抱くことになる。
またこのころになると信嗣が隠してきた北条家と古河公方家とのつながりも露見しつつあった。
「信清よ。北条の者どもはどういうつもりでいるのだ」
不機嫌そうに義明は言った。しかしそれに対する信清は堂々と言う。
「北条の者どもは元々義明様に忠誠を誓っていたわけではないのでしょう。おそらく義明さまの威を利用しようとしていたに違いありません」
「ふん。よそ者が。それで今度は兄上に近づこうという魂胆か」
「恐らくそうでしょう。全く信用ならない者たちです」
信清は信嗣と違い義明に心酔していた。そのため義明のために行動しようという思いが強い。信清はこういった。
「そこで義明様。お耳に入れたいことが」
実はこの時扇谷上杉家から同盟の誘いが来ていた。それは北条家の包囲網を作ろうというもので、武田家だけでなく里見家、甲斐(現山梨県)の武田本家、上野(現群馬県)の山内上杉家までも巻き込んだ強大なものである。
信清はこの構想を義明に聞かせた。
「この盟がなれば北条家も恐れることはありません」
「そうか。ならば我々も加わろう」
こうして北条包囲網に義明の小弓公方も加わることになった。
大永六年(一五二六)、義明は里見家と武田家を武蔵の品川一帯へ侵攻させた。これは扇谷上杉家の軍事行動と連携したものである。これらの連携が功を奏したのか北条家の勢いは一時押しとどめられ、戦局は反北条方有利に傾くのであった。
義明ら小弓公方方が反北条の戦いを続けている最中の享禄元年(一五二八)、高基の嫡男が元服した。名を晴氏という。義明にとっては甥にあたる人物であり古河公方の正統を争う人物でもある。
「晴氏が元服したか」
「そのようです」
信清から晴氏元服の知らせを聞いた義明は不満そうに言った。
「本来であれば義純がその座にいるものを」
義純というのは義明の嫡男のことである。義明の脳裏には古河公方の自分が、その後継者として元服する義純を眺めている景色が浮かんでいた。
「しかしなぜ晴氏の元服は遅れたのだ? 」
義明はそんな疑問を口にした。義純は前年のうちに元服しているが晴氏よりは年下である。本来ならば晴氏のほうが先に元服しているはずであった。
それについて信清はある情報を入手していた。
「実は晴氏殿と高基殿は不仲といううわさが流れています」
「なんだと…… 」
これには義明も驚いた。
「しかし、なぜ不仲なのだ」
「詳しいことはわかりませんが色々と方策をめぐって争っているようです」
「ふん。そうかそうか…… 」
そういって義明は鼻で笑った。
「兄上も愚かだ。まさか同じを繰り返すとは」
実際その通りで高基は自分が父と行ったことと同じことをしている。これでは義明の言葉も無理はない。
一方で北条家を中心に関東の情勢も激変してきた。その中で古河公方という特殊な立場のあり方をめぐり意見が相違するというのも無理からぬ話である。
「さて。今度はどちらが勝つか」
余裕しゃくしゃくの義明が見守る中で享禄二年(一五二九)高基と晴氏の抗争が始まった。
戦いは関宿城城主の簗田高助の支持を受けた晴氏の優勢で進んだ。関宿城は下総にあり交通の要所である。この城には義明ら小弓公方方も何度も攻撃を仕掛けていた。
それはともかく古河公方家の抗争は晴氏有利のまま進んでいく。そんな折に義明を訪ねてくる人物がいた。
「お久しぶりです。兄上」
「おお基頼か。久しいな」
訪ねてきたのは高基と義明の弟の基頼である。基頼は古河公方の一員として常陸(現茨城県)で活動していた。一方で隠居していた政氏とも連絡を取っており、その縁で義明とも一応のつながりを持っている。しかし直に会うのは久しぶりであった。
「いったいどうしたのだ」
義明の言うことももっともである。基頼は古河公方方で敵にあたる。義明は基頼をかわいがっていたのでこうして会っているが本来なら面会もあり得ないような関係だ。
基頼の用件は分かりやすいものだった。
「此度は武田殿に頼みやってきました。この基頼、これよりは兄上に味方いたします」
「なんと…… どういうことだ? 」
これまで基頼は高基を支持して行動してきた。それが義明支持に移るというのだから義明も驚く。
基頼の理由を話し始めた。それは納得のいくものだった。
「高基兄上は晴氏と争い始めました。これでは前と同じです。もはやついていけません。この上は義明兄上に従い古河公方家の再興を目指すべきかと考えました」
「そうかそうか。よく言った基頼」
要するに高基に愛想が尽きたので義明のもとにやってきたということである。確かに二代にわたって似たような内紛をされては愛想も尽きるだろう。
義明は基頼を受け入れた。
「これよりは私を支えて古河公方家の再興を目指そう」
「はい。兄上」
兄弟はしっかりと手を握り合うのであった。
こうして基頼が義明のもとに下ったころ、古河公方家の内紛も決着がついた。今回も子が勝ち父は隠居する。結末までも同じであった。
享禄年間(一五二八から一五三二の七月まで)は古河公方の内紛の時代である。義明はこれを他人事のように眺めていた。ところが享禄が終わり天文年間(一五三二から一五五四まで)に入ると今度は上総と安房で内紛が起きる。もちろん義明も無関係ではいられなかった。
きっかけは大永四年に北条家が江戸城を制圧したことである。義明は小弓公方方の勢力を率いて北条家と対決したが、上総と安房の諸将の中には北条家に接近するものも出てきた。そして小弓公方を支える武田家と里見家の内部にも北条家に接近するものも出てくる。里見家では里見実尭、義尭親子がそれにあたった。
里見実尭は当時の里見家当主義豊の叔父で、義明を擁した義通の弟にあたる。実尭はいつのころからかは不明だが北条家と接触していたようであった。しかしそれが義豊に発覚してしまう。
天文二年(一五三三)義豊は実尭と有力な家臣の正木通綱を殺害してしまった。反北条の立場をとる義豊としては里見家を維持するための粛清のつもりだったのだろう。しかしこれが安房だけでなく上総を巻き込む騒乱の始まりとなった。
実尭の嫡男義尭は北条氏綱に支援を求めた。氏綱はこれを受け義尭に援軍を送る。さらに正木通綱の嫡男時茂も義豊へ反抗し始めた。この結果義豊は粛清された側の反撃を受け安房を追われてしまう。そんな義豊を迎えたのは義豊の舅にあたる人物。誰であろう武田信清であった。
義明は信清経由で事の仔細を知った。もちろん激怒する。
「我ら小弓公方を支える家でありながら北条に通じるとは。里見義尭、許せん」
「全く持ってその通りです」
そういって信清はうなずくが顔色は悪い。義明はそれが気になった。
「どうした信清。顔色が悪いぞ」
義明に問われ信清は重苦しく口を開いた。
「実は…… 武田家の一族の一部が義尭を支援しているようでして」
「なんだと! いったい誰だ! 」
「そ、それが、息子の信隆を担ぎ上げている者たちでして…… 」
武田信清には男子が二人いる。長男が信隆で次男が信応といった。実はこの二人微妙な関係にある。というのも信隆は正室の子ではない。したがって嫡子となるのは信応である。しかし信隆はそれに納得していなかった。今回の義尭支援に動いているのもこれらの動きに対する反発といえる。しかし信清はそれ以上のことを知っている。
「信隆の馬鹿者は北条に通じているようなのです」
「馬鹿な! 我らを一身に支えてきた武田家の者からそのようなものが出るとは…… 」
これには義明も絶句した。実際のところこのところの北条家は一時の劣勢を覆しつつある。また新しく古河公方となった晴氏とも良好な関係を築きつつあった。それほど小弓公方を取り巻く情勢は変化しつつある。変わらないのは義明の性格ぐらいであった。
義明は絶句していたがすぐに気を取り直す。
「今はともかく義豊を安房に復帰させることだ」
「もちろんです。義豊の体制が整い次第、安房に攻め込みます」
そして天文三年(一五三四)義豊は返り咲きを目指して安房に攻め込んだ。もちろん信清は援軍だけでなく様々な形で支援する。一方迎え撃つ義尭は氏綱の支援を受けていた。信清の調べでは信隆も支援しているらしい。
「あの馬鹿者が」
吐き捨てるように信清は言った。しかし北条家につながる具体的な証が見つからない以上行動はできない。信隆の方針に賛同する一族や家臣がいる以上、武田家そのものの崩壊につながるからだ。
信清はできるだけの支援を義豊にした。あとは義明ともども勝利を祈るだけである。そして安房の犬掛で両軍は決戦に及ぶ。戦いは一方的な形で着いた。
「義尭が勝ったそうです…… 」
「な、なんだと」
肩を落として報告する信清。報告を聞いた義明は開いた口がふさがらなかった。
この戦いで義豊方は大敗。義豊も戦死した。里見家の当主は義尭となり小弓身公方とは距離を置くようになる。これで小弓公方を支える片輪が外れた。
里見家の内紛は北条家とのつながりを持つ義尭の勝利に終わった。義明にとっては面白くない結果である。一応義尭は小弓公方を主として認める姿勢を見せているがそれもどこまで信じられるか甚だ疑問であった。
「忌々しいが今は信じるしかないか」
一応房総半島での小弓公方の影響力は衰えていない。義明としては影響力を維持しておきたかった。
そんな状況下で義明が目を付けたのは武田家である。前にも記した通り武田家は当主信清と庶子の信隆が方針をめぐって対立していた。特に里見家の内紛をめぐっては決定的に対立してしまっている。
里見家の内紛ののち武田一族や家臣たちは比較的信隆支持に傾いていた。義尭の勝利は房総半島への北条家の影響力を見せつけた形になる。そうした中で北条家に接近する信隆の派閥が優位になるのも無理からぬ話であった。それは信清も同様である。
信清は義明に言った。
「私は隠居しようと思います。あとは信隆に譲ろうかと」
娘婿である義豊の死後、信清はめっきり老け込んでしまった。このところは体調も思わしくなさそうである。そんな中で信隆派が盛り上がっている以上信隆への家督譲渡も考え始めていた。
しかし義明は信清を説き伏せる。
「信隆は庶子だが信応は嫡子。どちらが継ぐべきかは一目瞭然である。信隆に家督を譲るなど言語道断だ」
義明の強い口調に信清は黙り込んだ。そしてあきらめの表情を浮かべて一言いう。
「あとは義明様に従います」
この言葉を受けてかどうかは不明だが義明は信応の支援と信隆の排除に動く。
まず信応に武田家家督のお墨付きを与えて小弓公方として信応の家督相続を承認した。これに勢いづいた信応派は信隆派の椎津城に攻撃を仕掛ける。義明はこれに援軍を送り椎津城の攻撃を大いに支援した。この結果椎津城は落城する。
この結果を受けて信隆を支持する勢力も減り始めた。そして信清は家督を信応に譲る。
「これで良し、だ」
この結果に義明は満足するのであった。
信応の家督相続が決まった少しあと、信清が亡くなった。死に際にこう言ったという。
「義明様に慎重に事を運ぶようにと伝えてくれ…… 」
信清の死に際の言葉が届いたかどうかは誰も知らない。
今回の話は義明の絶頂期に至りそこから下り始める段階の話です。正統である古河公方と互角に戦い新興勢力の北条家の勢いもそぎました。そのうえで小弓公方の権威をある程度認めさせた段階です。義明としては得意の絶頂だったのでしょうが、その絶頂も足元の不安から崩れていきます。そして義明に最後の時が訪れるのですがそれが次の話のお楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




