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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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足利義明 相応しき座 前編

 関東を支配する古河公方の力は衰えた。古河公方を支えるべき上杉氏は内輪でもめている。さらには京からやってきた男が関東の戦国時代をさらに激化させる。そんな中である男が立ち上がる。その男は自分こそが関東を収めるにふさわしいと立ち上がった。その男を足利義明という。

 貴人には相応しき座を。足利義明はそう教えられて育った。

 義明は関東における最高府、古河公方足利政氏の家に生まれた。しかし義明は嫡男ではない。兄がいて名を高基という。義明は次男である。よほどのことがなければ古河公方を継ぐ立場ではない。

 そう言うわけで義明は幼いころに鶴岡八幡宮の神宮寺に入れられた。ここで別当の職に就く叔父の跡を継ぐ道を歩むことになる。鶴岡八幡宮の別当は雪下殿といわれ関東の宗教界における最高支配者であった。

「貴人には相応しき座を。高貴な立場に生まれたものは相応しき座に就き責務を全うしなければならない」

 叔父は義明にこう言い聞かせた。そしてこの言葉は幼い義明に深く刻まれることになる。

 さて寺に入ったのだから義明は僧としての教育を受けることになる。しかし義明は幼いころから気性が荒く叔父や寺の者たちを困らせた。

「叔父上や皆の言うことは退屈だ。私はこんなところに居たくない」

 そう言って八幡宮内を駆けまわり寺のものだけでなく神社の者たちにまで迷惑をかける。

 叔父は兄の政氏にこう伝えた。

「義明の暴れぶりは手に負えません。これでは私の跡を継げるかどうか」

 これには政氏も頭を抱える。しかし寺に入れた以上どうしようもない。

「苦労をかける。しかしどうにかうまく育ててくれ」

 まったく無責任な物言いだが寺社に入った以上、俗世とは隔絶された立場にある。そうすると寺社のうちでどうにかするしかない。叔父もそれを理解しているから何とか義明をおとなしくさせ育てていった。

 こうして苦労しつつも育てられた義明は立派な姿になった。しかし体格が良く顔つきも厳ついので僧侶という感じではない。むしろ武将の雰囲気を醸し出している。

「どうです叔父上。私も立派になったでしょう」

 義明は自信満々に言う。確かに体つきは立派になったが荒い気性は変わっていない。また叔父の言葉をどう受け取ったのか、いささか高慢な性格になってしまった。

「(それでも立派になってくれたのは良い事か)」

 良くも悪くも自信に満ち溢れる義明を見て叔父はそう思った。そしてある決意をする。

「義明よ。これからはお主が雪下殿じゃ」

「ありがとうございます。私に相応しき座の役目、立派に役目を果してみせます。」

 文亀三年(一五〇三)に義明は得度し出家。空然と名乗るようになった。そして叔父から雪下殿の立場を譲られる。叔父は完全に隠居した。

 僧侶の姿になった義明改め空然は自信満々に言った。

「これより私が雪下殿である。これよりは皆私に従うのだ」

 この時の空然は彼なりにに与えられた役目を果たそうと考えていた。しかしある出来事が空然に野心を引き起こさせることになる。

 義明が得度し空然と名乗り始めた頃、古河公方内ではある問題が浮上していた。それは現古河公方で空然の父の政氏と、義明の兄の高基の対立である。二人はともに古河公方の復権を目指していたがその方向性が正反対を向いていた。

 政氏は関東管領の山内上杉氏との連携を軸にしようとしていた。しかし高基は近年台頭してきた新興勢力の伊勢宗瑞(一般的には北条早雲)との連携を考えていたのである。こうした父子の路線の対立はやがて顕在化し、高基が古河から出奔して政氏との対決に発展した。

 この動きの中で空然は兄の高基を支持していた。

「山内のやつらは信頼できん」

 というのが理由である。実際古河公方と関東管領の山内上杉氏はいろいろと複雑な関係にある。

 それはさておき政氏と高基の抗争は和睦を間に挟みつつ断続的に行われた。しかし一向に決着がつかない。これを見た空然は次第に苛立ち始めた。

「兄上も情けない。古河を出ては戻りの繰り返しではないか。父上も許しては背かれの繰り返しだ。全くどちらも情けない」

 実際のところは周囲の勢力や複雑な力関係も絡んでいるが故の現状である。しかし空然の立場ではそこまでわからない。したがって泥仕合の様子に見えてしまうのである。

 ともかく空然は次第に不満をため込み始めていた。そしてこう考えるようになる。

「父上も兄上も古河公方の座に相応しくないのではないか。むしろ私の方が…… 」

 そんな考えを抱くようになった空然。するとそんな思いを抱く空然を擁立しようという者たちも出てきた。そしてこんなことを言い出す。

「ここは空然様に還俗していただき我らを導いてくれませんか」

 これに対し空然は堂々と答える。

「私もこのところの混乱に心を痛めていたのだ。ここは父や兄に代わって私が立ち皆を導いて見せよう」

 そして永正七年(一五一〇)空然は還俗した。名も義明に戻す。

「これからは私の時代だ」

 義明はまず武蔵(現東京都及び埼玉県)の太田荘で蜂起する。この動きに兄の高基は

「私を支援するために蜂起したのか? 」

と、思ったが義明は高基の拠点である関宿城には向かわなかった。そして下野(現栃木県)の小山に移ると独自の行動を始める。永正十一年(一五一四)の頃には佐野氏など義明を支持する勢力も現れてきた。

 この前後政氏と高基の戦いも変わり始めてきている。かつては拮抗していた両者だが次第に高基方が優勢となってきた。政氏は古河城を追われ代わりに入った高基が古河公方となったのである。政氏はその後古河城を奪還しようと何度も攻撃を仕掛けるがうまくいかず永正十三年(一五一六)には武蔵で隠居してしまった。

 こうして政氏高基父子の戦いは終わった。しかし義明は依然小山で独自の行動を続けている。勿論高基にとっては不快だ。

「義明は私に刃向かうつもりなのか」

 一方で敗れた政氏方の勢力は義明に接近し始めた。これは義明にとっても嬉しいことである。

「皆も誰が古河公方に相応しいかわかっているようだな」

 義明はさらに自信を深めていく。そして高基への反発も強めていくのであった。


 永正十四年の始め義明は下総(現千葉県北部など)の高柳に移動した。そして隠居した政氏との関係修復に動く。これは政氏に後ろ盾になってもらおうという家臣たちの提案であった。

「後ろ盾など私にいらないのだがな」

 義明はこう思っていた。しかし家臣たちの歎願もありこれの提案を受け入れる。

 一方高基に追われすっかり意気消沈していた政氏はこれを喜んだ。

「これよりは義明が私の後継者だ」

 政氏は高基への対抗と己の復権を賭けて義明への支援に動く。こうした政氏の動きは義明にとっても悪くはないものであった。

「父上も私が古河公方に相応しいと考えているようだ。全く気付くのが遅すぎる」

 実際のところは政氏が義明を支援したのはそう言う理由ではない。しかし義明自身がそう納得しているので誰もそれを否定しなかった。

 こうして政氏は義明を自身の後継者と認める書状を様々な勢力に送った。するとそれに従い義明を支持する勢力も出てくる。そうなるとますます義明の立場は大きくなっていった。もはや古河公方の高基と双璧を成す勢力になりつつある。

 そんな中で義明に接触してくる勢力があった。上総(現千葉県中部)の真里谷武田家である。

 真里谷武田家は甲斐守護で源氏の名門である武田氏の流れをくむ。初代古河公方の足利成氏は武田氏の武田信長を上総に配置し、自身の有力な戦力にしようとした。信長は成氏の期待に応え上総に一族の者を配置していく。そして上総を代表とする勢力になった。

 上総の武田氏には有力な家が二つある。一つは長南城を本拠地とする長南武田家。そしてもう一つが真里谷城を本拠地とする真里谷武田家である。この頃は真里谷武田家が上総武田氏の中心的な勢力となっている。当代は武田信嗣。

 義明に接触してきたのはこの信嗣である。信嗣は高らかに言った。

「我ら武田家は代々古河公方に尽くしてきた身であります。しかしながら高基様は我らをないがしろにして佞臣どもを重用しております。そのおかげで我らは筆舌にしがたい屈辱を味わっています」

 こういう信嗣だがこの時代の真里谷武田家(以後は武田家で統一)は独自の行動をしている。武田家は上総だけでなく下総にも勢力を伸ばさんとしていた。今回義明に接触してきたのは義明の権威を利用しようと考えたからである。この時期にはそう言う勢力が接触してくるほど義明の立場は高まっていた。

 義明は信嗣の発言を満足そうに聞いていた。信嗣の本心を察していないようである。

「そうかそうか。全く兄上は狭量な男だ。古河公方の座には相応しくない」

「ありがとうございます。我々は古河公方、いや関東を治める主に相応しいのは義明様と考えております」

「そうか! よく言った! 」

 立ち上がって喜ぶ義明。この反応にはさすがに信嗣も驚いた。

「よ、喜んでいただけて幸いです」

「よし。この上は兄上を打ち倒し、私が古河公方となろう」

 義明はそんなことを言い出した。この発言に驚いた信嗣はこれを必死で止める。

「お待ちください義明さま。それについては時期尚早化と」

「何を言うか。貴人には相応しき座を。私は急ぎ古河公方の座に就き責務を果たさなければならない」

「そ、それはそうなのですが。今は高基様に勝利するだけの軍勢がそろっておりません。時期を待つべきかと」

「だが…… 」

「それに我々武田家は義明様に相応しき城を用意します。まずはその城に入り義明さまの威容を皆に見せつけるべきかと」

「ふむそうか」

 信嗣の必死の説得に義明は納得したのか腰を下ろす。そして信嗣に尋ねた。

「それで私に相応しい城というのは何という城だ」

「小弓城といいます」


 小弓城は上総と下総の境界付近にある。江戸湾に接した小弓城は上総とほかの国をつなぐ要所といえるところにあった。

「この城ならば我々が義明さまを支えるのに十分な場所です」

「なるほど。ここからならば他の国へ攻め入ることも容易か」

「その通りです」

 義明は信嗣の説明に納得したようだった。

 さてその小弓城は原家が治めている。原家は上総の三上家と下総の千葉家と協力関係にあった。そして武田家は三上家と上総で戦いを繰り広げている。つまり小弓城を手に入れるのは武田家にとっても意味のあるものだった。

 信嗣は義明との話を終えると早速小弓城を攻め落とすために動き出す。

「とにかく早く手に入れなければ」

 義明と約束した以上は早く手に入れなければならない。しかし原家も三上家も頑強に抵抗した。これに焦った信嗣はある勢力に助力を頼む。

「伊勢宗瑞殿に援軍を頼もう」

 この頃宗瑞は相模(現神奈川県)を奪取し武蔵まで勢力を伸張させつつあった。一方で宗瑞は房総半島にも狙いをつけている。これは相模から上総にかかる江戸湾を抑えることが、関東南部における覇権につながるからだった。

武田家の要請に応じることは上総の情勢に介入できるようになることである。それは宗瑞にとっても望むところであった。こうした思惑もあり宗瑞は武田家に援軍を送る。それだけでなく宗瑞は三上家を独自に攻撃し攻め滅ぼした。信嗣はこの宗瑞の動きと援軍を受けて小弓城を無事に攻略することができた。しかしここで宗瑞が上総の情勢に介入してきたことが武田家と義明の運命を左右することになる。

それはさておき、義明は小弓城奪取の連絡を受けるとすぐに準備を整える。そして武田家が小弓城を義明に相応しいように整えた永正十五年(一五〇八)に小弓城に入った。

城に入った義明は子供のように喜んだ。

「よき城だ。私に相応しい」

 義明が喜んだことで信嗣も胸をなでおろすのだった。

 こうして小弓城に入った義明は公然と正統性をアピールし始める。

「私は父より後継者の指名をうけた。古河の兄上は父を追い出し古河公方の座奪い取った謀反人である。関東の諸将は私の下に集い謀反人たる足利高基を討つのだ」

 義明がここまで言ったかどうかは不明であるがとにかく兄高基への反抗を強めていく。

 こうした義明の動きに対し義明を支持する勢力も現れた。安房の里見家である。

 里見家は武田家と同様に足利成氏が連れてきた勢力である。そう言うわけで武田家とも古河公方家とも縁の深い家であった。この時の当主は里見義通。

 ほかにもいくつかの勢力が義明を支持した。しかし古河公方の高基を追い落とすまでの勢力には至らない。

「この私をないがしろにするとは…… 」

 義明は怒った。しかしこの時代は様々な勢力が己の正当性を訴えて勢力を強化している。義明の勢力もその一つでしかないのだからこの状況は仕方なかった。

 信嗣は苛立つ義明を何とかなだめて落ち着かせた。そしてこんなことを提案する。

「我々も古河公方のように何か名乗ってみてはどうでしょうか」

「ふむ、そうだな。何が良いか」

「そうですね…… では小弓公方というのは」

「それはいい名だ。それにしよう」

 義明は上機嫌で信嗣の提案を受け入れた。公方とついているのを気に入ったのかもしれない。ともかく関東の戦国史に小弓公方が生まれた瞬間であった。


 今回取り上げた足利義明は小弓公方と名乗りました。小弓公方は意外なほど支持を集め古河公方と拮抗するほどになります。同時期に機内では堺幕府と呼ばれる勢力がいました。こちらは将軍の座を狙っての争いです。この東西同時期に起きた支配者の座をめぐっての争いが戦国時代を深化させたといっても過言ではありません。そう考えると運命というものを感じざる負えませんね。

 この先小弓公方として自立した義明がどのような運命をたどるのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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