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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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畠山義統 義統戦記 第四話

 京での政争に見切りをつけ能登に帰還した義統。義統は家臣たちと協力し領地の再編と権力の強化に動く。やがて能登は義統の下で繁栄を始める。しかし京周辺での事件の余波が能登の義統達にも影響を及ぼしていく。

 義統が能登に帰国してからしばらく経った文明十六年(一四八四)の正月。能登府中にて新年の祝いの席が設けられていた。

「無事に帰ってきてくれて何よりだ。統英」

「ありがたき幸せにございます。殿」

 この席の主役は井上統英である。これまでは京での仕事が忙しく使者だけの参加だったが、今年は手も空いていたのではるばる能登にやってきたのである。

 ほかの畠山家臣もみな喜んで統英を迎え入れた。色々と質問するがやはり主なものは京や畿内の情勢である。もちろん義統もそれらの話を聞きたがった。

「このところはどうだ」

「はい。相変わらず義就様と政長様の争いは続いております。河内に山城(現京都府)が主な戦場に」

「まだ飽きもせずにやるか。いい加減馬鹿馬鹿しいと思わんのか」

 義統は舌打ちした。もうこれで義就と政長の争いはかれこれ三十年近くにも及ぶ。それでも決着はついていない。いい加減和睦に至りそうなものだが、統英が言うにはそういう噂も聞かないそうだ。

「やれやれ。しかし幕府も止めようとはしないのか? 」

「それが義尚様はまだ若く、義政様が実権を握っております。しかし義政さまの言うことを聞くはずもなく…… そう言うわけで義政様もいい加減隠居しようということで隠居所を作りました」

「そういえばそんな話も聞いたな。銀閣、だったか」

「左様です。三代義満様の金閣に倣って作られたそうですが、銀箔で塗り固めるということはできなかったそうです」

「当たりまえだ。そんな金あるわけないだろう」

 またまたため息をつく義統。義政は応仁・文明の乱を泥沼化させた原因の一人である。それなのに何もせず隠居しようとはいい加減すぎるのではないか。

「(まあ今更誰も言うことを聞かないようだしな)」

 義統はそう思った。そう考えればある意味哀れな男だと同情できる。

「それでほかに何かあるか」

「そうですね…… ああ。細川家の当主の政元殿ですがなかなか英明とのお噂です」

「それは勝元殿の御子息か」

「はい。まだお若いようですがなかなかの器量のお方とか。この間も幕府の銘を受け義就様の追討に出陣しました。ただ直ぐに和睦して引き上げてしまったようですが」

「ほう。そうか。細川家としてはどちらにも肩入れせんということか」

「そのようです」

「そうか…… 細川政元か」

 何気なしに義統はつぶやいた。しかしこの名前をつぶやいた男が天下を揺るがす大事件を起こすとは夢にも思っていない。

「いろいろと報告してくれたな。さすがは統英だ」

「ありがたき幸せです。ああ。後、その」

 そこで統英は口籠った。それを義統は不思議がる。

「どうした? 」

 義統に尋ねられた統英は重苦しい口調で言った。

「義就様の嫡男、修羅殿がお亡くなりになられたそうです」

 それを聞いて家臣たちは凍り付いた。義就の嫡男修羅は政国が廃嫡され謀殺されるきっかけになった存在である。

 祝いの席は重苦しい沈黙に包まれた。統英はやってしまったと顔を伏せている。すると

「そうか…… 」

義統はそう一言だけつぶやいた。そして統英の肩に手を置く。

「いや。気にするな。お前は私の求めに応じて話をしただけだ。何も否はない」

「しかし…… 」

「皆も気にしないでくれ。すべては終わった話だ」

 義統は家臣たちに笑いかける。家臣たちも安どした様子になった。統英は下がって家臣達の談笑の場に加わる。その様子を眺めながら義統はぽつりとつぶやく。

「これが無常というものか…… 」

 そのつぶやきは虚空に消えていった。


 それから更に時は流れて長享元年(一四八七)になった。この頃九代将軍の足利義尚は近江の六角家討伐のために諸国から募る。

 この時義統は能登にいた。義尚には従わないつもりである。

「畿内のごたごたに巻き込まれるのはごめんだ」

 能登からはるばる軍勢を引き連れればどうしたって費用が掛かる。そこまでして従軍するメリットを義統感じなかった。

 さて義尚は諸国から軍勢を募った。そして参戦した者の中に加賀の富樫政親もいる。政親は一向一揆の力を借りて守護になったが、そのせいで加賀の一向一揆の勢力が強くなった。政親はそれを抑えるために義尚の威光を借りようというのである。

 こうして政親は出陣した。勿論その従軍費用は領地から出さなければならない。そのため税は重くなる。そうなると政親への不満は高まった。

 この報告を受けた義統は統頼に言った。

「隣が騒がしくなりそうだな」

「…… 然るべき準備は進めましょう」

「ああ頼む」

 そして義統の思った通りになる。重税に苦しむ一向宗の門徒たちは一揆をおこしたのであった。

 この一揆には先年蜂起した越中の一向宗も加わった。一揆は膨大な数の軍勢となり政親に攻撃を仕掛ける。帰国していた政親はこれに反撃しようとするが想像以上の規模の一揆に苦戦を強いられるのであった。

 この時義統に政親から援軍の要請が届いた。

「さてどうするか」

 義統の言葉に応えたのは統秀であった。この頃になると忠光は隠居し守護代の職を統秀に譲っている。

 統秀は暫く考えた後に答える。

「まずは門徒たちの能登への侵入を防ぐべきかと」

「ああ。そうだな。それでそのあとは何とする」

「援軍は送ります。しかしこちらに負担となっては意味がありません」

「そうだな。統秀。お前は統頼と共に加賀に向かってくれ」

「承知しました。義理を果たしたら帰ってまいります」

 そう統秀は言った。その顔にはあくどい顔が浮かんでいる。それを見た義統はため息をつきつつ言う。

「そう言う顔は見せないようにしろ」

「申し訳りません」

「そこはまだ父親には負けるようだな」

「それは…… 父上のようにはなれませぬよ」

 すねたように言う統秀であった。

 こうして義統達は隣国の一向一揆への対処を限定的に置こうなうことにした。政親には悪いが義統達も生き残るのに必死なのである。

 ところが少しして京から書状が送られてきた。その書状をみて義統は大きなため息をつく。

「幕府直々にとはな」

 それは将軍直々の命令書であった。内容は政親の援護と一向一揆の鎮圧である。

「こうなれば仕方あるまい」

 義統としては幕府とは一定の距離を置いておきたかった。しかし直々に命令書が来てしまってはどうしようもない。

「前線の二人の連絡を。私も出陣しよう」

 こうして義統と一向一揆の戦いが始まった。

 

 義統は軍勢を引き連れて越中に向かう。途中統頼と統秀と合流した。二人とも事情は承知している。

 ふたりとも苦い顔をしている。

「やれやれこんなことになるとはな」

 ため息まじりに統頼は言った。統英も珍しく浮かない顔をしている。

「京から離れいろいろなしがらみとも決別できたと思いましたが。そうはうまくいきませんか」

「そう言うものだ。あきらめろ」

 義統は吐き捨てるように言う。もはやこうなれば戦うほかはない。

 こうして義統率いる畠山家の軍勢は越中に進軍した。しかし途中一向一揆の激しい抵抗にあう。

「これほどとは」

 一向一揆は予想をはるかに超えて統制されていた。さらに参加しているのも農民だけではなく国人などもいる。武装面でも充実していた。

 なかなか戦いは収まらず年が明けて長享二年(一四八八)の六月になった。

「これでは富樫殿を助けるなどできん」

「左様ですな」

 義統の愚痴に統頼が同意した。それほど激しい抵抗である。そんな中で統秀が駆け込んできた。

「大変です! 殿! 」

「どうした統秀」

「富樫政親様、自害とのこと! 」

「なんだと! 」

 それは一向一揆の攻撃を受けていた富樫政親がついに追い詰められ、自害してしまった問うものだった。これを受けて義統は迅速に動く。

「すぐに能登に帰るぞ。統頼。殿を頼む」

「承知しました」

 義統は軍勢をまとめ上げてすぐさま能登に帰還した。

 その後義統は越中の一向宗の動向をにらみつつ領内の安定に努めた。しかし延徳二年(一四九〇)に統秀からこんな報告が入った。

「どうも能登の一向宗たちが妙な動きをしております」

「そうか…… 」

「調べられるか? 」

「かしこまりました」

 前年は将軍足利義尚が亡くなっている。今年には前将軍の足利義政が亡くなっていた。そう言うわけで畿内やその周辺地域で不穏な空気を醸し出しているのも事実である。

 しばらくして統秀から報告が入る。その内容は驚くべきものであった。

「私を暗殺? 」

「は、はい。殿を暗殺し、混乱に乗じて越中と加賀の一向宗を引き入れようとのことです」

 一向宗は義統暗殺の計画を立てていた。義統を討ちこの周辺を丸ごと一向宗の傘下に収めようとのことらしい。

 統秀は青い顔で報告した。しかし義統は涼しい顔をしている。そんな義統の様子を統秀は不思議に思った。

「殿…… これは危急の事態なのですが」

「わかっている。統秀。統頼と統範(統頼の息子)にその首謀者どもを捕らえてこいと伝えてくれ」

「は? 」

「暗殺計画の真偽は分からんがこれで名目は立つ。能登の一向宗どもを抑えるいい機会だ」

「は、はは! 」

 統秀は急ぎ統頼親子にこれを伝えた。統頼親子は迅速に動き計画の首謀者たちを残らず捕縛する。その上で義統はほかのものには危害を加えないと明言した。

「あくまでとらえるのは俗世に関わる悪僧ども。本来通りに仏事に携わる者たちに危害を加えるはずもない」

 要するに刃向かえば討つがおとなしくしているなら見逃すという事である。これは効果があったらしく能登の一向宗門徒は一揆を起こさずおとなしくなった。

 次に義統が目を向けたのは加賀と越中の一向一揆である。

「今回ばかりは捨て置けん」

 義統は一向一揆との決戦を決意した。そして縁戚関係にある越後の上杉房定に援軍を要請する。これに房定は守護代の長尾能景に軍勢を預け派遣した。

 越後からの援軍を受けた義統は一向一揆との決戦に挑む。双方一進一退の攻防を続けた。

「これはいかんな」

 戦いは長引きそうだった。一向一揆の抵抗はすさまじく一度優勢になってもすぐに体勢を立て直し反撃してくる。越後からの援軍も疲弊してきた。

「仕方あるまいな」

 義統は撤兵を決意する。一向一揆も追撃はせず能登には干渉しないという動きを見せた。

 こうして義統の一向一揆をめぐる戦いは終わった。この頃になると義統も老人といっていい年齢になっている。

「そろそろ隠居を考えるか」

 そんなことをつぶやく義統だが、まだまだややこしい事態が待ち受けていた。


 明応二年(一四九三)その一報を聞いて義統は呆れ返った。

「管領が将軍を挿げ替えたのか」

 それは管領細川政元が起こしたクーデター。明応の政変の知らせであった。

 この時の将軍は十代の足利義材である。義材はかつて西軍が擁立した足利義視の息子だ。義統は義材の将軍就任の報を聞いてひっくり返ったのを今でも覚えている。

「ますますあの大乱が何のためだったのかわからなくなるな」

 ちなみに乱の原因となった一人である畠山義就は同じ年中に亡くなっている。もっとも義就の息子(修羅の弟。基家)が政長と戦い始めたので畠山本家の家督争いは終わっていない。

 さて新将軍の足利義材だが実は畠山政長と懇意であった。しかしそれが細川政元にとっては面白くない。そこで今回の行動に至ったという事である。

「相変わらず中央は揉めているな」

 正直義統は他人事のように思っていた。すっかり能登に馴染み中央の情勢とは一定の距離を置いている状態である。ところが祖も言っていられない事態が起きた。

 政元に将軍の座を追われた義材は幽閉されてしまう。さらに政長も政元に追い詰められ戦死してしまった。ところが義材は隙をついて京を脱出したのである。

 脱出した義材が目指したのは越中であった。越中は政長の領国の一つである。この頃は一向一揆も沈静化しつつあり守護代の神保家が治めていた。越中に入った義材は自分の正当性を誇示し打倒政元の動きを見せ始める。そんな中で各地の大名に援助を求めたのだがその一人に義統も入っていた。

「はた迷惑な話ですね」

「全くだ」

 呆れ返ったように言う統秀。義統はそれを咎めず同意する。

「縁を頼ってのことであろうが…… 」

 義材からの書状にはこう書かれていた。

「義統殿はかつて父を支え戦った勇士。その時の縁はまだ途切れていないと私は思っております。ここはどうか私に力を貸し大逆の徒を討つ手助けをしてもらえませぬか」

 こういう内容である。しかし義材がかつて頼りにし今も逃げ込んだ土地の主は義統と敵対していた政長である。いくら何でも都合のいい要請であった。

 しかし全く無視するわけにもいかなかった。

「しょうがない。私が出向こう」

 義統は老体に鞭を討って義材に会いに行った。

「この度の義材さまの苦境。悲しく思います。今はまだ時節ではありませんがその時になればこの義統、義材さまのお力になりましょう」

「そうかそうか」

 義材は義統の言い訳にご満悦であった。ちなみに後年義材は挙兵し京を目指すがその時に能登畠山家は同行していない。義統に至ってはその時すでに亡くなっている。


 義材の来訪という衝撃があったもののこの頃の能登や周辺地域は比較的平穏であった。この頃になると義統は一線を退いている。そして能登に逃れてきた文化人や隠居した家臣たちと共に文化活動にいそしんでいた。

「もうこれ以上は沢山だ。あとは義元に任せる」

 そう言って義統は嫡男の義元に家督を譲った。そして明応六年(一四九七)に能登府中の自分の屋敷で息を引き取る。

「周りに振り回されてばかりだったが満足だ」

 義統は最後にそう言い残した。

 この後能登畠山家は嫡男義元と次男の慶致の間で家督争いが起きてしまう。しかし最終的には和解し慶致の息子を義元が後継として迎え入れた。これが畠山義総であり、能登畠山家の最盛期を築いた人物である。 義統の見てきたものが生きたのか本家のようなことにはならなかった。これには義統も喜んだに違いない。


 畠山義統という人の人生は前半後半ではっきりと分かれています。前半は京で本家の諍いに巻き込まれるもの。後半は能登の領主としての活動。本当に面白いほどはっきりと分かれているので話は非常に作りやすかったです。

 能登畠山家は義統の孫の義総の時代に最盛期を迎えます。しかしその後は家臣たちの争いで衰え、能登は織田信長と上杉謙信の係争地となります。畠山家は戦国大名としては滅亡し一族は続いていくものの大名として復帰することはありませんでした。これは本家の畠山家も同様です。ある意味盛者必衰の理というものなのでしょうが、大乱の原因となった家の末路としては物悲しいものがありますね。しかしそれも身から出た錆といえなくもないところがさらに悲しく感じます。

 さて次の話の主人公は関東の武将です。この人物は戦国塵芥武将伝の初期の話に登場しています。どの話の誰なのかはお楽しみと言ことでお待ちください。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

 

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