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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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藤掛永勝 三蔵戦記 第二話

 浅井が滅び市と共に織田家に戻った吉勝。市と今生の別れをした吉勝は新たな主君に巡り合う。そしてかつて邂逅したある男と再会した。そして新たな主君と二人三脚で進む吉勝に驚愕の事態が訪れる。

市を送り届けた吉勝は改めて織田家に仕えることになる。帰り新参とも言えなくない吉勝には悪くない待遇が与えられた。それだけ市を送り届けた功績が評価されているという事である。

その市だが信長の下ではなく親戚の家に預けられた。もちろん三人の娘も一緒である。

 吉勝はこれに同行できなかった。他家に嫁ぐのではないのだから当たり前ではある。しかし吉勝には一抹の寂しさがあった。

吉勝が市を織田家に送り届けた時にこんな言葉をかけられた。

「今までよく助けてくれました。ありがたく思います」

 これ以降二人が顔を合わせることは二度となかった。


 織田家で働く吉勝だが、周りの人間は白い目を向ける。それもそうで幼いころに市に付いて浅井家に入り少し前まで敵だったのだから。もっともそんな視線は浅井家に入ったときに経験済みなので吉勝は気にもしなかった。

「(自分の仕事をやるだけさ)」

 吉勝は周りの目を一切気にせず仕事に励む。吉勝にとってはそれほど変わらない日々が始まる。だが慕っていた長政と市がいないのは少し寂しかった。

 こうして吉勝は織田家でつつがなく仕事をこなしていった。そうして数年たったある日、吉勝にある命が下される。それは主君織田信長の四男、於次丸が養子に入るのでそれを補佐せよというものだった。

 これは吉勝の普段の仕事ぶりや市に尽くし続けてきたということを信長が評価しているという事でもある。この命令に吉勝も不満があるわけではないし、任せられた仕事ならやり遂げるのが善右衛門の教えだ。

「謹んでお受けいたします」

 吉勝は素直に受け入れた。


 命を受け家に帰る吉勝。すぐに善右衛門に報告する。

 善右衛門は自室で横になっていた。いかに藤懸善右衛門といえども寄る年波には勝てない。さらに織田家に帰参した際に隠居している。この頃は静かに過ごしていることも多かった。

「爺様」

「なんだ」

「この度、於次丸様の補佐を仰せつかりました」

「そうか」

 相変わらずの会話をする吉勝と善右衛門。だが、善右衛門は体を起こすと瞑目した。

「爺様? 」

「儂はついていけんぞ」

 吉勝にそう告げる善右衛門。吉勝は静かにうなずく。

「わかっているならいい」

「はい」

「それで於次丸様はどこの養子になるのだ」

 そう問われた吉勝の顔がわずかに曇る。それを善右衛門は見逃さなかった。

「何か不満があるのか」

「いえ」

「ならなぜそんな顔をしている」

 善右衛門にそう言われて吉勝は驚く。自分では表情を変えたつもりはなかったからだ。

 吉勝は少し思案すると口を開いた。

「於次丸様は羽柴殿の養子になるそうです」

「羽柴……? 」

 その名前に善右衛門は聞き覚えがなかった。

「前は木下と名乗っていました」

 吉勝にそう言われ善右衛門は膝を叩いた。

「あの時の男か」

「はい」

 二人の脳裏に浮かんだのは小谷城から逃れるときの記憶だった。そこで出会った猿のような面立ちの妙に明るい男を思い出している。

「今は浅井の旧領を治めているそうです」

「そうか。それで、何か不満があるのか」

 善右衛門にそう問われ吉勝は首を横に振った。

「不満はありません。ただ」

「ただ? 」

 吉勝は黙った。善右衛門も黙っている。

「……何かこう。あの男のふるまいが腑に落ちんと言いますか」

「そうか」

 それっきり善右衛門は黙った。吉勝も話は終わりと善右衛門の部屋を出ていった。

 この後、吉勝は於次丸と共に秀吉のもとに向かった。皮肉にも行先は市の時と同じ近江である。だが善右衛門の姿はない。

 善右衛門は吉勝の出立を見送った数日後、静かに息を引き取った。


 

 今度吉勝が仕えることになった於次丸は十歳になったばかりの幼い少年だった。そんな少年の諸事を補佐するのが吉勝の役目となる。

 羽柴家に養子に入る前。吉勝と於次丸は初めて顔を合わせた。

「藤懸吉勝です」

「そなたがそうか」

 於次丸は品のある穏やかそうな少年であった。話に聞けば体が弱いらしい。確かに細身で肌が白く虚弱そうであった。

「吉勝よ」

「はい」

「よろしく頼む」

 精一杯落ち着いたように於次丸は言う。だが、その体がわずかに震えているのを吉勝は見抜いた。

 吉勝は精一杯穏やかな笑みを見せた。それを見て於次丸は不思議そうな顔をする。

「どうした? 」

「若様。何も心配はいりません」

 そう言われて於次丸は驚いた。それは本心を見透かされていたからである。。

 驚く於次丸に吉勝は続ける。

「この藤懸吉勝。命ある限り若様を支え続けましょう」

「! …… ありがとう」

 於次丸の目にはうっすらと涙がにじんでいた。だがその顔は喜びで満ち溢れている。吉勝はそんな於次丸に優しげな微笑みを見せた。

 こうして吉勝と於次丸の初対面は終わった。

「(なんと健気なものだ)」

 吉勝は目の前の新たな主君を見てそう思った。目の前の少年は自分の役割を果たそうとしている。それを放ってはおけない。

「(これよりは於次丸様を精一杯支えていこう)」

 吉勝は心の中で強く誓うのであった。


 吉勝と於次丸は近江長浜城に入った。山城であった小谷城と琵琶湖の湖岸にあるこの城は全く違う。それは城の主も同様であった。

「いやぁよく来られましたなあ。いやこの秀吉、感激しております」

 於次丸が到着するや否や秀吉はずかずかと近寄ってきた。いきなり現れた秀吉に於次丸も驚いて怯えている。すると秀吉はそれを察したのか顔を引き締めた。

「おお、これは驚かせてしまいましたかな。申し訳ありませぬ」

「い、いえ。ご心配はいりません」

 秀吉は急に神妙な雰囲気で頭を下げる。急に下出に出てきた秀吉に於次丸も頭を下げた。すると秀吉は顔をあげて頭をかく。

「それにしても殿から御養子をいただけるだけでもありがたいのに、このような利発そうな方だとは…… 全くありがたき幸せにございます」

 秀吉は大仰に言った。とは言えそんな物言いでも於次丸にはうれしいようだった。嬉しさが隠し切れない表情からもうかがい知れる。

「(まあそういうものだろうな)」

 於次丸の横で吉勝はそんなことを考えている。思えば自身が小谷城に入ったときは於次丸と同じくらいであった。その時に市や長政に優しくしてもらったときは、今の於次丸のようになった。

「(だが、この男…… )」

 秀吉と於次丸の話を聞きながら吉勝はあることを感じていた。

「(まるで人の考えを呼んでいるかのような言行だな。あの時もそうだった)」

 あの時、それは小谷城から落ちのびているときのことである。その時のことは吉勝も鮮明に覚えていた。

「(あの時も先んじて平伏しこちらの警戒心を解いた。それに城を眺める市様に未練を断ち切らしたのも、この男が空気を読まずに呼びかけたからだ。おそらくそれはわざとなのだろう)」

 あの一言に吉勝は怒りそうになった。だが何が起こるかわからない状況ではああして無理やりにでも動いてもらうほかはない。だからと言ってあの言動に納得いくわけではなかったが。

 吉勝の隣ではすっかり警戒心を解いた於次丸と秀吉の会話が続いている。

「しかしこちらから願い出たとはいえ殿の御子息。これから何とお呼びしてよいのやら」

「そんなことお気にしないでください。これから私はあなたの息子です。父上」

「おお…… ならば妙に遠慮するのもおかしいですな。よしこれよりは於次丸と呼びましょう」

「ありがとうございます。ですがまだ口調が丁寧ですよ」

「これはすまん。すまんのう」

 そう言って二人は笑いあった。周りの家臣たちもその様子をほほえましげに見ている。吉勝を除いては。

 かつての記憶が呼び起されたおかげで吉勝は秀吉を睨みつけるように見てしまった。すると秀吉が急にこちらを向く。

「おぬしはあの時の。ご苦労であったな」

「いえ、お気になさらず」

「なんじゃなんじゃかたいのう。もうちっと楽にせぬか」

「楽にはしていますが」

「そ、そうか。固い奴じゃのう」

 相変わらずなれなれしい秀吉。それに辟易しそうになるが邪険にするわけにもいかない。

 秀吉は吉勝を少し睨むが、すぐに笑顔に戻る。

「それじゃあ於次丸がやってきた祝いじゃあ。皆、宴会を始めるぞ」

 そう言って秀吉は家臣たちと出ていった。

「父上、私も」

 於次丸もそれについていく。吉勝は小さくため息をつくと於次丸の後に続いた。この後もこの男の下で働くのはいささか苦労しそうだと考えている。


 無事に秀吉の養子になった於次丸は成長していく。そして秀勝と名乗るようになった。

 秀吉は秀勝が養子になったころ信長の命で中国方面の攻略を任されるようになる。そうなると長浜を留守にすることも多かった。そうした時には秀勝が秀吉の名代をすることになる。吉勝はこれらの仕事も補佐し続けた。

 ある時の長浜城。雑務をこなす秀勝と吉勝たち。仕事の量は思いのほか多く秀勝の顔にも疲労の色が浮かんでいた。それを察した吉勝は秀勝に声をかける。

「若様」

「どうした吉勝」

「失礼します」

 そういうと吉勝は秀勝の書類を分け始めた。そして二つに分けた少ない方を秀勝に渡す。

「吉勝? 」

 秀勝は不思議そうに吉勝を見る。一方の吉勝は二つの書類をそれぞれ指さしていった。

「こちらの文書は今日中にする必要があるものです。こちらはそれほどではないので明日に回しましょう」

 吉勝は淡々と言った。それに対し秀勝は露骨に不機嫌な顔をする。

「心配はいらない。私は大丈夫だ」

「大丈夫ではないからこうしているのです」

「私が大丈夫だと言っているのだ! 」

 そこで秀勝は立ち上がり叫んだ。周囲の家臣たちは動揺しているが吉勝だけは揺るがない。

「私は父上からこの城を任されているのだ。それを裏切る訳には」

「若様」

 秀勝の言葉を吉勝は遮る。そして秀勝の目をじっと見て言った。

「我々の務めは若様を支えることです」

「その通りだ。だから…… 」

「それゆえに若様に無理をさせるわけにはいきません」

 ぴしゃりと吉勝は言い切った。そう言われて秀勝も押し黙る。秀勝がだまったのを見て吉勝はさらに続けた。

「主君の身をいたわるのも臣下の役目だということをご理解いただけますでしょうか」

 そういうと吉勝は頭を下げた。秀勝はうつむいてしばらく黙っていた。しばらくして顔をあげる。

「すまない吉勝。私は自分を見失っていたようだ」

「いえ、差し出がましい真似をしました」

「気にするな。ありがとう」

 そう言って秀勝は微笑んだ。吉勝も自分の席に戻る。

 このように吉勝は秀勝に献身的に仕えていった。それもあってか秀勝は秀吉の息子として着実に仕事をこなしていく。また、成長した秀勝は秀吉と共に戦場に出ることもあった。そんな時も吉勝は秀勝のそばにいる。そしてともに戦場で槍を振るった。

「私があるのは吉勝のおかげだな」

 ある日秀勝はそう言った。だがそれを受けた吉勝は首を横に振る。

「私は己の仕事をこなしているだけです」

 そんなふうにあっさりという吉勝に秀勝は苦笑するのであった。

 その後も秀勝と吉勝は中国方面の戦場で戦い続けた。戦いは秀吉側の優勢で進み軍勢は備中まで迫った。だがここで信じられない事態が発生した。


 天正十年(一五八二)六月。備中の羽柴軍本陣。そこには秀吉とその主要な家臣たち。そして秀勝とそれを補佐する吉勝の姿がある。

 もう日が落ちてかがり火が煌々と燃え上がっている。こんな時に集められて皆一様に戸惑っていた。そして秀吉は全員がそろっているのを確認すると重々しく口を開いた。

「皆こんな時間に集まってもらってすまん」

重苦しい雰囲気で秀吉は頭を下げた。普段とは明らかに違う秀吉の姿に皆戸惑う。そんな中で秀吉は重苦しく口を開いた。

「手短に言う。京にて明智光秀が謀反。上様と信忠さまが討たれた」

 本当に手短に言った。だがその短い内容を皆なかなか理解できない。織田信長とその嫡男の死。それはにわかには信じられない話だった。

 やがて皆理解し始め一様に動揺し始める。吉勝もそのあまりに信じられない情報に内心困惑していた。しかし頭を切り替え実父を失った秀勝に目をやる。その時、秀勝は意識を失い倒れようとしていた。

「若様! 」

 吉勝はすぐに駆け寄り体を支える。吉勝に支えられた秀勝は青い顔で吉勝に応えた。

「大丈夫だ…… すまない、吉勝」

「いえ」

 意識を取り戻した秀勝はすぐに座り直した。顔はまだ青いが顔つきはしっかりしている。吉勝はそれを見て一安心すると自分席に戻った。

 秀吉は秀勝が持ち直したのを確認すると叫んだ。

「これより我々は急ぎ毛利との和睦をまとめる。その後すぐに京に引き返し明智を討つ! 」

 秀吉は今まで誰も見たことも無いような表情をしていた。その悔恨と怒りの混ざった表情から出た叫びに皆大きくうなずいた。秀吉は大きく息を吸いお自分を落ち着かせると秀勝の方を見た。

「秀勝。おぬしには此度の戦の旗印になってもらうぞ」

 それは秀勝に「信長の息子」としての役割を期待したものだった。その意図を察した秀勝は頷く。

「かしこまりました」

 秀勝は簡潔に頷く。それを見た秀吉は満足げにうなずいた。

「いい返事じゃあ。それじゃあ皆、仕事に取り掛かってくれい」

 秀吉の一言で軍議は終わり解散となった。秀吉を含め皆急いで陣を出ていく。そしてその場には秀勝と吉勝が残った。

 秀勝はうつむいている。吉勝はその心中を察し、横で黙って座っていた。

 しばらくして秀勝は立ち上がった。目の下には涙の跡がある。

「…… 行こう。吉勝」

「かしこまりました」

 歯を食いしばり秀勝は歩き出す。それに黙って続く吉勝。そんな吉勝をみて秀勝は笑った。

「吉勝はこんな時でも変わらないな」

 少し呆れたように秀勝は言う。それに対し吉勝は顔色を変えず言った。

「私の役目は己の仕事を果たすこと。それはいつも変わりません」

「そうか」

「ですので秀勝さまはお心のままに動いてください。それを助けるのが私の仕事です」

 吉勝はそう言い切った。相変わらず表情は変わらないが目には強い意志が宿っている。それを見て驚く秀勝だが、すぐに笑った。

「ああ。頼りにしている。吉勝」

「ありがたき幸せ」

 恭しく吉勝は頷いた。吉勝の腹はずっと前から決まっている。それは自分の仕事、つまり秀勝を助けるだけである。その強い意志は秀勝にも伝わったようだった。

 備中の月の下で心を通じ合わせた主従は連れ立って歩き出す。しかしその先にあるのは秀勝と吉勝にとってあまりに悲しく険しい道だった。


 近江の地は不思議と吉勝と縁があるのかすぐに戻ってきました。と言っても実際には数年経っているわけですが。吉勝が縁の深い土地はもう一つありますがそれはまだ未来の話になります。

 さてこの話で吉勝がつかえることになったのは於次丸こと羽柴秀勝です。この「羽柴秀勝」という名前ですが同時代に後二人いるので非常に紛らわしい人物だったりします。ちなみに片方は早逝した秀吉の実子で片方は秀吉の甥(豊臣秀次の弟)。

 今回の話では本能寺の変が起きるところまでです。そしてここから秀吉の織田家乗っ取りともいえる行動が始まるのですがその中で複雑な立場の秀勝吉勝主従がどう生きるのかをお楽しみください。

 最後に誤字脱字などがありましたら連絡願いします。

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