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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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清水宗治 歴史の転換点になった男~その男がそこに至るまで~ 前編

 備中の武将清水宗治の話。

 備中の国人、清水宗則の次男に生まれた宗治。本来なら家督を継ぐ立場ではなかったがひょんなことから清水家の当主となる。やがて戦国の激動が宗治にも迫る。そして宗治はある決断をすることになる。

 戦国時代は各地に国人と呼ばれる者たちがいた。彼らはそれぞれの地域に一定の領地と居城を持っている。中には戦国大名になるものもいた。

 さて備中(現岡山県西部)に清水宗則という国人がいた。宗則には三人の男子がいて次男は才太郎と言う。

 名は体を表すというが才太郎は幼いころから文武共に才にあふれていた。驚くほど速く書を読み始め、槍を持たせれば年上の子供に勝つほどである。

 才太郎が武の面で勝てなかったのは兄の宗知ぐらいであった。この少し年の離れた兄は才太郎を可愛がりよく武芸の稽古をつけた。

「才太郎よ。俺は遠乗りに行く。お前は俺の後ろに乗るのだ」

「はい。兄上」

 そう言って一緒に遠乗りに出かけたり

「才太郎。槍を持て。稽古つけてやる」

「よろしくお願いします。兄上」

といって槍の稽古をつけたりした。

 そうしているうちに才太郎はすくすくと成長していく。そんな折に宗知がこんなことを言い出した。

「才太郎よ。俺は武芸の腕を磨く旅に出る」

 才太郎は驚いた。宗知は長男である。当然清水の家を継がなければならない立場であった。

「何を言っているのです兄上。何より父上が許しませんよ」

「しかしもう決めたのだ。親父にも止めさせはせん」

「わかりました。しかしちゃんと父上の説得だけはしてくださいよ」

「ああ。わかっているさ」

 才太郎にそう言ったのち宗知は父に旅に出ることを話した。当然宗則は怒る。

「嫡男の身でなんという事を言い出すのだ。絶対に許さんぞ」

「親父が何といおうと俺は決めたのだ。止めたって無駄だ」

「ええいそうか。ならば止めん。お前は勘当だ。家は才太郎に継がせる」

「ああ。それでいい。それでいい」

 こうして宗知は清水家を追い出されることになった。もっとももともと旅に出たかった宗知は気にしていない。

「これで後腐れなく旅に出られる」

「本当によかったのですか? 兄上」

 才太郎は兄を咎める。しかし宗知はこともなげに言った。

「いいんだよ。お前が家を継げば清水家はきっと栄える」

 それを聞いて才太郎ははっとした表情になった。

「兄上はまさか…… 」

「何のことだ? 俺は旅に出たいから面倒ごとを押し付けただけさ」

「兄上…… 」

「じゃあな。あとは頼む」

 そう言って宗知は旅立つ。才太郎はその後姿を見えなくなるまでずっと見送った。


 宗知が旅に出たことで家督は正式に才太郎の譲られることになった。数年後に才太郎は元服し清水宗治と名乗るようになる。

「この宗治。清水の家を長らえさせるよう奮起します」

 元服の日に堂々と言った宗治の姿に両親や清水家臣一同皆感動しているようだった。

 さてこの頃の清水家は同じく備中の国人である石川家に仕えていた。また石川家は備中で抜きんでた勢力になりつつある三村家に仕えている。三村家は隣国の大大名である毛利家と同盟を結び備中での戦いを有利に進めていた。

 三村家が戦えば石川家も戦いに出る。そして石川家が戦えば清水家も動員された。備中で行われる石川家の戦いの多くに宗治も参戦する。そして活躍した。

 そんな中で宗治に縁談が持ち上がった。宗治は父に尋ねる。

「いったい誰なのですか。私の妻になるかもしれない方は」

「喜べ宗治。石川家の一族の久孝様の娘じゃ。こんなに光栄なことは無い」

「そうですか…… 久孝様の。ならば断わる理由もありますまい」

 こうして宗治は石川一族の久孝の娘を娶った。石川家には長谷川家と鳥越家という譜代の家があったがこれで清水家も両家と同格まで上がる。

 こうして妻を娶った宗治は石川家臣として奮戦する。そしてそこから数年が経過した永禄九年(一五六六)石川家の主君の三村家に大事件が起きた。三村家の当主の三村家親が暗殺されてしまったのである。

 このことを知った宗治は驚いた。そして義父である久孝から話を聞く。

「いったいどういう経緯で家親様は討たれたのですか? 」

「細かいことは儂にもわからん。だが家親様が美作(現岡山県東北部)に出陣した際、宇喜多の者どもに鉄砲で撃たれたそうだ」

 ここで名前の挙がった宇喜多というのは備前(現岡山県東部)の宇喜多直家のことである。権謀術数を駆使する直家はこのところ備前で勢力を伸ばし始めていた。

 久孝から話を聞いた宗治は絶句した。

「何という事ですか…… 」

「跡を継いだ元親様は家親様の仇を取ると息巻いているらしい。久智様もやる気のようだ」

 久智は石川家の当主である。

「義父上。確か久智様の嫡男の久式様の妻は元親様の姉上様ではなかったでしょうか」

「その通りだ。だから久智様も久式様もやる気だ。我々も出陣することになろう。覚悟しておけ」

「承知しました」

 こうして三村家親の弔い合戦が始まった。そしてこの戦いは三村家や石川家、そして宗治の運命を大きく動かすことになる。


 家親暗殺の翌年の永禄十年(一五六七)。三村元親はおよそ二万の兵を率いて備前に侵攻した。これに対して宇喜多直家は五千の兵を率いてこれを迎撃に出陣する。

 元親は先に落としていた備前の明善寺城の兵と共に、出陣してきた直家を挟撃する作戦を立てた。兵力差は圧倒的であったが万全を期すという事である。元親は庄家に養子入りしていた庄元佑を先陣とし、重臣の石川久智を中陣とした。そして元親は本隊として後ろに控える。

 宗治は宗則や久孝と共に出陣した。配置はもちろん中陣である。この頃にはもう宗治は清水家の当主になっていた。

「この戦、勝てましょうか」

 不安げに宗治は言った。その言葉に宗則は不思議そうな顔をする。

「何を言うか宗治よ。我らは大軍。そして元親様の策にも抜かりはない。我らが勝つのは必定」

「それはそうなのですが。なんというか妙な胸騒ぎが…… 」

 久孝は宗治の言葉にうなずく。

「確かにうまくいきすぎている部分があるな。まるで誘い込まれているかのようじゃ」

「そうですね」

 宗治は久孝の言葉にうなずいた。するとにわかに陣中が騒がしくなる。さらに遠方から煙が上がるのが見えた。

「あれは…… 」

「明善寺城の方だな」

「これはいかんな」

 まさしく煙を上げているのは明善寺城である。実は明善寺城は三村家が侵攻してきた時点で落城していた。これは三村家を誘い出すための直家の策で明善寺城方に知られぬように包囲を完了し、三村家が近くまで布陣するや否や明善寺城を落城させたのである。

 さらに先陣の元佑の軍は宇喜多勢の伏兵に会い潰走状態になっていた。

 久智はこの状況に際しても冷静に対応しようとした。

「体制を立て直して宇喜多の者どもを向かえ討つのだ」

 しかし負けると思っていなかった石川の兵たちは動揺してしまっている。さらにそこに先陣を破った勢いで宇喜多勢がなだれ込んできた。

「まずいぞ…… これはまずい」

 宗則はこの事態に動揺してしまった。一方で

「これはいかんな」

「退くしかありませんね」

この状況でも冷静に言う久孝と宗治。動揺していた宗則はそんな姿を思わず落ち着いた。

「久孝様。宗治。退くにしてもこう攻め込まれたままでは」

「そうじゃな。急いで退き態勢を立て直すか」

「そうですね。ならば私が殿を」

「馬鹿を言うな宗治。殿は私だ。お前は久孝様を守るのだ」

「そんなこと言っていないでさっさと退くぞ! 」

 久孝の号令の下で久孝たちの軍勢は素早く後退を始める。そしてしばらく後退した後開けた場所で態勢を立て直す。

「兵はこちらの方がまだ多い」

「ならば開けた場所で、という事ですか」

 やがて勢いに乗る宇喜多勢が襲い掛かってきた。だが久智の兵も合流し数で勝る石川勢は宇喜多勢を押しとどめる。さらに宗治は兵を率いて突撃した。

「命が惜しければさっさと帰れ! 」

 勝利を確信していた宇喜多勢は思わぬ反撃にたじろいだ。そして撤退していく。

「これで何とかなりましたかな」

 敵将の首をぶら下げながら宗治は言った。久孝は無言でうなずく。宗則は平気な顔をしている息子の姿に舌を巻いた。

「しかし我らの損害も大きい。退くしかあるまい」

 久孝の言う通り石川勢は撤退を始めるのであった。

 この後元親の本隊も宇喜多勢と交戦した。しかし先陣と中陣の敗走をしり一部の将が兵を率いて撤退してしまう。

「臆病者どもの力など借りぬ! 」

 元親は父の仇を討つために奮戦した。しかし戦況は宇喜多勢有利であり泣く泣く敗走するのである。

 こうして明善寺合戦と呼ばれる戦いは幕を閉じた。この敗戦で三村家は勢力を衰えさせることになる。一方で宇喜多家はさらに勢力を増す。

 無事居城に帰還した宗治は久孝に尋ねた。

「これからどうなりましょうか」

「わからぬ。だが決断を間違えれば家を潰すかもしれん」

 久孝の言うように家の存続を図る決断が迫っていた。


 三村家は明善寺合戦の後勢力を後退させたものの、毛利家の後援もあり備中では抜きんでた立場を維持している。しかしそれは毛利家の後援が無くては危ういという事でもあった。

 ところが天正二年(一五七四)三村家にとって信じられない事態が起きる。三村家にとっての仇敵宇喜多家と、三村家の後援者である毛利家が同盟を結んでしまったのだ。

 このことを知った宗治も久孝もさすがに驚いた。

「まさか毛利様が宇喜多と同盟を結ぶとは」

「ああ。どうやら備前の浦上殿に対抗するための同盟らしいが」

「しかし元親様や久式様はお怒りになられているでしょう」

「そのようだ」

 この頃石川家の当主は三村元親の姉婿の石川久式になっていた。先代の久智は明善寺合戦の傷が祟り翌年に亡くなっている。

 今回の毛利家の行動に元親も久式も怒り狂った。

「我らの仇と手を組むとは。我らとの今までの交誼を無視するのか」

「その通りです元親様。毛利家の方々は何をお考えになっているのか」

 また怒っているのは元親たちだけではない。三村家の多くの人々は怒っている。それだけ宇喜多家への憎しみが強かったのだ。

 そして元親はある決断をした。

「我らはこれより毛利家を見限る! 」

 そう怒りを込めて言った。これは三村家の心情を考えれば致し方のないことだと考えられる。だが三村家は現状毛利家の後ろ盾で宇喜多家へ対抗している状況だった。そのためこの元親の決断に待ったをかけるものもいた。

「元親の気持ちは分かる。しかし今毛利家から離反すれば三村の家も危うい」

 そう言うのは元親の叔父の親成であった。親成はひそかに久孝に相談を持ち掛けた。

「現状我ら単独で毛利家と宇喜多家を相手取ることは出来ん。元親のこの決断は無謀だ」

「いかにも。しかしそれが分からぬ元親様ではありますまい」

「ああ。どうやら畿内の織田殿と手を結ぶつもりのようだが果たしてどれほど当てになるか…… 」

 この頃織田信長が畿内で勢力を安定させ始めていた。そして西国へと手を伸ばそうとしている。しかしまだ備中まで手を伸ばせるという状況ではなかった。

「兎も角私は元親を説得する。久孝殿は久式殿を説得してくれ」

「承知しました」

 そう言う久孝だがいささか顔色が悪い。親成もそれが気になった。

「大丈夫か久孝殿」

「なんの。心配はいりませぬ。何より頼りになる婿殿がおりますので」

「宗治殿か……全く。うらやまし限りだな」

「左様ですね」

「ならば安心だ。そちらの方は頼む」

 こうして親成は元親の説得に戻った。そして久孝も久式を説得しようとするがうまくいかない。

「道理は我らにある。それを曲げろと言うのはおかしいのではないか」

「確かにその通りです。しかし家臣として主家を長らえさせるのも道理ここは臣下の役目を果たすことをお考え下さい」

 久孝は必死で説得したが久式は聞き入れなかった。そうしているうちに久孝の体調が悪化してしまう。

 そんな中で久孝は宗治を呼び出した。

「宗治。参りました」

「ああ、来たか」

 久孝はだいぶ弱っていた。しかし力を振り絞って宗治に言う。

「久式様の決意は変わるまい。おそらく親成様の説得も失敗するだろう。そうなれば三村の家は滅ぶ」

「義父上。それは」

「親成殿が生き残れば三村の血は絶えんがこの地に返り咲くことは無かろう。そうなれば石川も清水も危うい」

「義父上…… お体に障ります」

「宗治よ。もしわしが死んだあと倅に何かあればこの高松城はおぬしのものだ」

「な、何を申されますか!? 」

「お主は石川の家にはもったいないほどの男だ。もし毛利殿が許せば仕えるといい」

「義父上…… かしこまりました。この宗治。義父上の言葉を胸に刻み込みました」

 決意の表情で宗治は言った。久孝はそれを見て満足そうに微笑むのであった。

 しばらくして久孝は亡くなった。同時期に元親の説得に失敗した親成は息子を連れて出奔する。そして三村家は元親の決意通り毛利家との決別を決めるのであった。


 三村家全体が毛利家への敵対を決める中で宗治は久孝の弔いを進めていた。ところがこの直後久孝の葬儀を進めるはずの久孝の継嗣が急死してしまう。

「何という事だ」

 絶句する宗治だがさらに驚くべき事態が起きる。清水家と同じく石川家の重臣であった長谷川家の長谷川泰嗣が高松城の城主になってしまったのである。

 この急激な動きに宗治は感づいた。

「本家の方々よ。ここまでやるか」

 久孝の継嗣の急使も泰嗣の行動も石川久式の計略であった。高松城は備前と備中の国境にほど近い要所である。どうしても確保しておきたいと思うのも不思議ではない。

 しかしこの久式の行動は宗治を怒らせた。

「人の道理を説いておきながらここまでの非道を行うとは。許せん。こうなれば義父上の遺言を果たさせてもらう」

 宗治は早速行動する。幸い泰嗣の行動は久孝家臣団からも疑問視されていた。また宗治を慕うものも多い。宗治は早速高松城内の久孝家臣団と連絡を取り合った。そして着々と高松城奪還の準備を進める。

 この頃毛利家も三村家との対決のため備中に出陣してきた。毛利家の当主毛利輝元自らの出陣である。

 宗治はひそかに毛利家に使者を出した。使者には自身は毛利家に従う旨と石川久式の非道を訴える旨。それに高松城を攻め落とすという内容の手紙を持たせてある。

 この手紙を受け取ったのは毛利家を支える毛利両川の小早川隆景である。隆景は宗治の書状をことのほか喜んだ。そして使者に宗治への返答の手紙を持たせた。

 手紙にはこう書いてある。

「貴殿の判断は正しい。高松城を攻め落とした暁には貴殿がそのまま治めるとよい」

 宗治は手紙を受け取ると早速行動を開始した。

 まず軍勢を引き連れて高松城に向かう。勿論泰嗣は宗治を警戒し城に閉じこもった。そして宗治の軍勢はそのまま高松城を包囲する。

 一方で宗治は数人の兵を引き連れて包囲軍を離れた。そして夕方に高松城内の旧久孝家臣に迎え入れられ城に入る。そして日が沈むと行動を開始した。

「長谷川の手勢を残らず討ち取るのだ」

 宗治の号令と共に城内の旧久孝家臣は泰嗣が引き連れてきた兵や将を打ち取っていく。そして宗治は手勢を引き連れて泰嗣の下に向かった。

 しばらくして宗治は泰嗣の下にたどり着く。泰嗣は側近たちや久式の家臣と今後について話し合っていた。宗治はそこに乗り込む。

「奸臣。覚悟! 」

「何! 」

 驚く泰嗣たち。宗治はその機を逃さず泰嗣たちを一人残らず討ち取った。こうして宗治は高松城を奪還したのである。

 この後宗治は高松城に籠り毛利家へ従う態度を鮮明にする。これに久式は怒るがすでに毛利家の軍勢が三村家の城をいくつか落としていた。そして天正三年(一五七五)に三村家の本拠地、松山城が陥落する。当主の元親は自刃し久式もそれに従い切腹した。

 宗治は約束通り高松城の城主となった。

「これからは毛利家へ忠義を尽くそう」

 そう心に決める宗治であった。


 タイトルが変に長いのはお気になさらないでください。それはさておき今回の主人公は清水宗治です。

  備中高松城の水攻めは有名で宗治もそこそこに知名度がある人物です。しかしそこに至るまでの宗治はあまり知られていないと思います。いざ調べて書き出してみるとなかなかの激動を潜り抜けてきたんだなあと感じさせる人生です。

 余談ですが今回の話に登場する長谷川泰嗣ですが実は名前は創作した者です。長谷川という人物が高松城を一時乗っ取ったという話があったのですが名前までは分かりませんでした。ただ名前が無いのはどうかということで名前を捜索した次第です。ご了承のほどを。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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