奥平信昌 婿殿 第九話
仇敵武田家を滅ぼした信昌たち。これで信昌たちにも平和な時が訪れるかに思えた。しかし誰もが予想しえなかった事態が起きる。そして信昌は新たな戦乱に挑む。
天正十年六月二日。本能寺にて織田信長が家臣の明智光秀に討たれる。この時、家康は堺にいた。安土で信長の歓待を受けたあと堺をはじめとする畿内の見物を進められたからである。
信昌は家康が畿内の見物をするという話までは知っていた。
「亀子の土産でも探しているのだろうな」
「まさか。父上がそんなことを」
当時の信昌は亀姫とこんなのんきな話をしていたかは定かではない。
状況が一変するのは信長横死から三日経った六月五日のことである。信昌は派遣された急使から話を聞いて仰天した。
「信長様が死んだ?! 」
まさに寝耳に水の出来事である。さらに信昌は急使を問い詰める。
「それで殿は無事なのか!? 」
「は、はい。同行された重臣の方々共々無事です」
「そ、そうか。それは良かった」
安堵した信昌は思わずへたり込んだ。
家康は堺で信長横死の報を聞くと伊賀(現滋賀県)を越えて岡崎に帰還した。この道のりは危険極まりないものであり、さらに家康には徳川家の重臣たちも同行している。一歩間違えれば徳川家が終わりかねない事態でもあった。
急使は安堵する信昌にこう伝えた。
「殿は信長様の仇を討つおつもりのようです。信昌さまも出陣の支度をせよと」
「そうか。すぐに準備を始める」
信昌は急ぎ定直と与十郎を呼びつけた。
「いったい何事ですか」
混乱している様子の定直に信昌はこういった。
「戦の支度だ! 」
「か、かしこまりました」
定直はすぐに戦の準備に取り掛かる。一方与十郎は信昌に尋ねた。
「いったい何事ですか」
「実はな…… 」
信昌は与十郎に事のあらましを話す。与十郎はしばし絶句した。
「しっかりしろ与十郎」
「…… 申し訳ありません。すぐに情報を集めまする」
「ああ。頼んだ。私はこれから亀子の所によって来る」
そう言って信昌は亀姫の下に向かった。
亀姫はにわかに城内があわただしくなったことに驚いている様子だった。
「何事ですか? 」
信昌は与十郎に話したようにすべてを伝える。亀姫は驚いているようだったがそれ以上に安堵しているようだった。
「兎も角父上は無事なのですね」
「ああ。そのようだ。ともかく私はしばらくしたら出陣する」
「わかりました。留守はお任せください」
「しばらく慌ただしいだろうが皆を支えてくれ」
「はい」
「…… 無事に帰ってくる。心配は無用だ」
そう言って信昌は去っていった。
しばらくして信昌は出陣した。そして家康の本隊と合流すると信長の弔い合戦のために進軍する。ところが六月十五日、尾張の鳴海まで進軍していた家康の下に思わぬ報告が届いた。
「何!? すでに光秀は討っただと!? 」
それは謀反を起こした明智光秀が討たれたという報告だった。光秀を討伐したのは織田家臣羽柴秀吉である。家康は報告の後も進軍を続けるが十七日に秀吉からの政情の安定を告げられ仕方なく帰還した。
信昌は領地に帰る途上で再び吹き荒れる戦乱の予感を強く感じていた。
信長の死後、織田家が治めていた旧武田領は混乱に陥った。これは武田家滅亡から間もないこともあり織田家臣たちの統治が十分でなかったこともある。上野(現群馬県)に派遣された滝川一益や信濃に派遣された森長可らは不利を悟って引き上げた。一方甲斐に派遣された河尻秀隆は織田家に反発する一揆との戦いで戦死してしまう。
こうした情勢下で家康は空白地となった甲斐、信濃を手に入れるべく動き出す。一応織田家の了承を得ての行動であるが実際は家康の野心からの行動であった。家康自ら甲斐方面へ出陣し、別働隊として酒井忠次を信濃へ方面へと派遣する。
信昌は忠次に同行することになった。
「今度は信濃か」
武田家を滅亡させた時は甲斐に攻め入った。今度は信濃に侵攻する。よくよく武田家との領地には縁がある。もっとも信濃なら三河の奥平家の領地とも隣接しているのだから妥当な配置であった。
それはともかく今回の侵攻において総大将は忠次だが信昌は忠次に継ぐ地位であった。
「長篠の時は助けていただきありがとうございます」
長篠の合戦の時救援にやってきたのが忠次であった。信昌はその恩義を忘れてはいない。
「なあに。あの時は貴殿を思う貞能殿の気持ちに動かされたのよ」
「ですが砦を落とし武田の背後をつくというのは酒井様の献策と聞きました。見事な軍略にございます」
「そうかそう言ってくれるか」
信昌に褒められ忠次も悪い気分ではなさそうだった。
こうして親睦を深めた二人は信濃を進んでいく。その道中で信昌は忠次に尋ねた。
「しかし殿はこれよりどうするおつもりなのでしょうね」
信昌は今回の軍事行動について思うところがあった。
「どういうことだ? 」
「いえ。今までは敵の攻撃を防ぐか敵地を切り取っていました。しかし今回はそれらとは違います」
別に不満があるわけではないが今までと気色が違う軍事行動に、信昌はいささか疑問を持っていた。
忠次は少し考えたあとこういった。
「これは家康さまが天下を目指すための戦じゃ」
「天下…… ですか」
天下といわれても信昌にはピンとこない話であった。正直信昌のスケールは三河とか遠江が誰のものか程度のものである。
忠次は続けていった。
「信長様は天下を目指す途中で死んだ。そして今はその後を継ごうというものが何人もいる」
「殿もその一人だと」
「そうだ。今は織田家の名の下で皆動いている。羽柴殿も柴田殿も。だがいずれは信長様の跡を継ぎ天下を目指すのだろう」
信昌はまだ話についていけない。しかし何とも言えない高揚感を味わっていた。
忠次に信昌は尋ねた。
「殿が天下に至ればどうなるのでしょう」
「この日本を治めることになる…… 信昌殿よ」
そう言って忠次は信昌を見た。
「貴殿は殿の婿殿である。そして若い」
「はい」
「これよりは貴殿たちの力もますます必要になろう」
忠次の期待のこもった言葉に信昌は歓喜した。
「もちろんです。この信昌。力の限り殿をお助けしましょう」
「おお。それは頼もしい」
信昌は忠次の言葉に世界が開けたかのような感覚を得るのであった。
この後徳川家は同じように甲斐、信濃の制圧を目指す北条家と戦いを繰り広げる。信昌も力の限り奮戦した。
最終的に徳川家は甲斐、信濃を制圧し北条家と和睦する。これにより徳川家は広大な領土を手中に収めた。
「これで殿は天下に近づいたのだな」
満足げに信昌は言った。それに対して亀姫は不思議そうに尋ねる。
「天下とは何ですか? 」
「この日本を治める方だ」
「父上がそうなると…… 」
「ああそうだ」
亀姫は驚いているようだった。自分の父親が日本を治める存在になろうとは想像もつかないらしい。
「殿の天下が待ち遠しいな」
信昌は家康の天下を期待し待ち望む。しかしその前に大きな壁が立ちふさがった。
家康の前に立ちふさがったのは羽柴秀吉である。この頃の秀吉は織田家臣の立場を超えつつあった。これに危機感を抱いたのが織田信長の次男、織田信雄である。
信雄は始め秀吉と共に対立していた信長三男の信孝を滅ぼすなど協力し合っていた。しかし信孝が死んだ後は徐々に勢力を拡大する秀吉との間に亀裂が生じる。そして天正十二年(一五八四)秀吉との対決を企図した。その際に頼りにしたのが家康である。
家康は信雄からの協力要請を受けてほくそ笑んだ。
「これで秀吉と対決する大義名分ができた」
家康は信雄の要請を受諾し出陣した。勿論信昌も出陣する。
「殿の天下のために手柄を立てて見せよう」
信昌は定直を伴って出陣した。定直はこのところ意気を上げる主君の姿に何とも言えない感慨を覚えている。
「このところ殿は何やら気合が入っていますね」
「ああ。今になって私にも大きな目標ができた。そしてそれは奥平家にとってもいいことだ」
「それはいいことです」
こうして出陣した信昌たちを含む徳川軍は清州で織田軍と合流した。
さて織田家臣に池田恒興と森長可という人物がいる。長可はかつて信濃を治めていた時期もあったが現在は美濃の金山城を治めていた。恒興は同じく美濃の大垣城を治めている。
彼らは織田家に良く仕えていた人物なので信雄も家康も今回の戦いで味方してくれると思っていた。ところが双方とも秀吉についてしまう。さらに恒興は信雄の領地である尾張に攻め込んできた。
家康はこの動きに対応するため小牧山城に入り城の補修を始めた。するとその数日後今度は長可が攻め込んでくる。これに対し家康は酒井忠次と信昌を出陣させる。
「忠次殿。殿の天下のために必ず勝ちましょうぞ」
「ああ。勿論だ」
信昌と忠次は尾張の羽黒で長可の部隊と交戦した。この戦いは信昌たちの勝利に終わる。家康は信昌をほめた。
「全く見事な婿殿じゃ」
「ありがたき幸せです」
「しかしこれからは苦しくなろう」
家康は遠い目をして言った。実際その通り数日後秀吉率いる羽柴軍の本隊が到着する。その数およそ八万。対する家康・信雄の連合軍はおよそ三万。倍以上の違いがある。
秀吉は家康を警戒し積極的な行動はしなかった。一方家康たちも劣勢であるため迂闊には動けない。こうして膠着状態になった。
そんな中で秀吉が別働隊を派遣し三河を攻めるという情報が入った。これを知った家康は秘密裏に動き、別働隊を襲撃する。この攻撃で羽柴軍は多くの将兵を失った。戦死者の中には池田恒興と森長可も含まれている。
信昌はこの時小牧山にいた。そしてこの話を聞いて大喜びする。
「さすが殿だ。これで殿の天下はまた近づいた」
しかしこの後戦況は秀吉有利に傾く。秀吉は家康を尾張で牽制したまま美濃の信雄に味方する勢力を攻撃した。それからしばらくして家康秀吉共に一度自身の領地に帰る。すると信雄の領地の伊勢(現三重県)の城が次々と秀吉方に降参していった。家康は何とか戦況をひっくり返そうと奮戦するが情勢はすでに秀吉が優勢となっている。
最終的には信雄が秀吉と和睦してしまう。これにより家康には秀吉と戦う大義名分が無くなった。
これを知った信昌は悲嘆に暮れた。
「これでは戦いようが無い。殿の天下は遠ざかってしまった」
そんな主君を定直と与十郎は慰める。
「そう落ち込まないでください殿。今回は手柄を立てられたじゃないですか」
「左様です。まだ家康さまの天下が無くなった訳ではありません」
「そうか…… 」
二人の重臣の言葉で信昌は少しだけ気を取り直した。しかし不安もある。
「殿はこれからどうやって秀吉殿と戦うのか」
この疑問には定直も与十郎も応えられなかった。
信雄と秀吉の講和が成った後、家康は秀吉に次男の義伊を人質として送り出した。しかし徳川家中はこれをあくまで養子として差し出したと認識している。
「時が来れば殿は秀吉殿とまた戦うのであろう」
信昌はそう思ったし徳川家臣の多くもそう思った。
ところが天正十三年(一五八五)にとんでもないことが起きた。酒井忠次と並ぶ重臣の石川数正が出奔してしまうのである。そして羽柴秀吉に仕えてしまった。これには徳川家中は大いに動揺する。
信昌も驚いた。そしてこれに関して忠次に質問する。
「何故石川殿はこんなことを…… 」
それに対して忠次は苦々しげに言った。
「石川は先の戦いで羽柴との講和を担当した。それに羽柴との戦いには反対だったそうだ」
「それで出奔したと」
「ああ。おそらくそうだろう。しかし馬鹿なことを…… 」
忠次はこういうがこの頃の数正は徳川家中で孤立していた。これは秀吉との対決路線を望む者が徳川家中に多かったからである。
ともかく重臣の出奔という危機的事態に家康は路線を変更。秀吉との融和路線に走った。これには信昌をはじめとする家臣たちは反発する。しかしどうにもならない。
徳川家は羽柴家に臣従し、それに伴い家康は秀吉の妹の旭姫を妻に迎えた。こうして徳川家は羽柴家に従属する立場になる。
信昌は悲嘆した。
「これでは殿の天下はますます遠くなる…… 」
そんな信昌に定直は言った。
「遠くなるどころかもう…… 」
「それ以上は言うな。定直」
信昌も定直もこうなっては徳川家の、ひいては家康の天下はあり得ないと理解していた。
家康の臣従の少し前に秀吉は豊臣の姓を掲げ関白に就任。天下統一のために活動する。家康率いる徳川家もそれに従った。
そして天正十八年(一五九〇)、秀吉は北条家を滅ぼし天下を統一する。これで豊臣家の天下になった。
家康はこの北条家を滅ぼした際の恩賞として旧北条領を与えられた。しかし信昌はそう考えない。
「これを私は恩賞とは思わん」
新たに与えられた領地は徳川家の旧領を上回る規模である。しかし信昌を始めとする多くの徳川家臣たちは自分たちの土地を追われる結果となった。
信昌は上野国甘楽郡三万石を与えられた。これは徳川家重臣たちに次ぐ石高である。
与十郎は言った。
「これで奥平家も安泰ですね。これで私も隠居できます」
喜んでいるようだったが疲れ切っているようにも見える。そんな与十郎が痛々しく信昌は頷くしかなかった。
一方亀姫は本心から喜んでいるようだった。
「これで本当に戦は終わりです。あとは領地をも守り奥平家と徳川家を栄えさせましょう」
「そうだな…… 」
信昌は力の抜ける思いだった。本能寺の変以降、家康の天下を信じて戦い続けたがそれもかなわぬ夢である。
「殿の天下を見たかったな…… 」
そう信昌はこぼしたが、それ以上は考えない。子供たちも大きくなってきた。これ以上の無理できない。
ただ以前と同じく奥平家を長らえさせるためにやっていこう。そう考えるのであった。
しかし信昌は知らない。家康の野心が消えていないことを。そして時代が信昌に大きな役目を果たさせることも。
今回は本能寺の変から小田原征伐までの話です。といっても信昌にあまり目立った活躍はありませんでした。そう言うのは信昌に限った話ではないのですが今回の話の期間は徳川家の存亡に関わることが頻発しています。そうした中で信昌を始め家臣たちが踏ん張ったおかげで徳川家は存続しました。まあ、石川数正は裏切った訳ですが。ともかく家康ほど家臣に助けられたものもいないのではないのでしょうか。個人的にはそう思います。
さて歴代最長の話数を記録している本作ですが、ついに次の話で終りとなります。いろいろあった信昌ですが最後にどんな結末を迎えるのか。お楽しみに
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




