表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
80/399

奥平信昌 婿殿 第八話

 信昌は家康の娘の亀姫を娶った。これで信昌は家康の婿殿になる。このことで一層の奮起を誓う信昌だが驚くべき事件が起きる。さらに信昌と因縁のある家が終焉を迎えようとしていた。

 亀姫を娶ったことで信昌は家康の婿殿という立場になった。

「これからは一層の奮起をしなければ」

 信昌は己の立場をちゃんと受けとめこれからの奮起を誓う。一方の亀姫も新たに決意を固める。

「奥平家の女として、立派に務めを果たして見せます」

 そう誓った。

 幸い亀姫は気が強いものの空気の読める女性であった。ちゃんと自分の生まれを理解している。そのため家臣たちに無用な気遣いをさせないようにふるまった。また信昌を立て陰ひなたに支える。また信昌が城を留守にする際は留守役を務める与十郎や定直を支えた。

 こうした亀姫のふるまいは奥平家の家臣たちに好意的に受け止められた。

「こういうのもなんですが本当に良い方を娶られましたね」

 ある日、信昌に定直は言った。そんな定直の言葉に信昌は驚く。

「急になんだ」

「いえ。ただ正直家中の皆は家康さまの御息女が奥方様になるということで、身構えておりました」

「まあ、そうか」

 信昌は亀姫と初めて過ごした夜のことを思い出した。あの時のことを思い出すと自分も身構えていた一人だと感じる。

「しかし亀子(きこ)はよくやってくれているだろう」

「まさしくその通りです。殿がご留守の際には我々を助けていただいております。家中の者、特に女たちに奥方様を悪く言うものはおりませぬ」

「そうだろう」

 何処か自慢げに信昌は言った。その様子に定直はほほえましい気持ちになる。だがふと気になったことがあった。

「殿。一つよろしいですか」

「なんだ? 」

「殿は何故奥方様のことを亀子(きこ)様と呼ぶのですか」

「ああ。それか」

 そう言って信昌は笑い出す。それに定直が驚いていると話し始めた。

「私も始めは亀と呼ぶべきかと考えていたのだがな。亀子がそれは嫌だと」

「はあ。それで亀子様ですか」

「ああ。いろいろ話し合ってそれが一番よかったらしい」

「なるほど…… 」

 定直は納得しつつも心の底で安堵していた。

「(おふうさまのこともある。一時はどうなるかと思ったが良い関係になられているようだ)」

 こう考えていたのは定直だけでなく、与十郎をはじめとする奥平家臣全員である。それだけに信昌と亀姫の仲睦まじい姿は喜ばしいものだった。

 実際二人の仲は良く長篠の戦いから二年後の一五七七(天正五年)には待望の長男九八郎を授かっている。またその二年後の一五七九(天正七年)には次男の亀松丸も授かった。

 家康は自分の孫にあたる九八郎たちを可愛がったようである。それを信昌も亀姫も喜んだ。

「これで徳川と奥平のつながりは確固なものとなった。亀子のおかげだな」

「そんなことは。すべて信昌さまのお働きのおかげです」

 そんな喜びに包まれていた奥平家。しかし亀松丸が生まれた年に衝撃的な事件が起きる。


 その報告を信昌は思わず聞き返した。

「殿が岡崎城に? 」

「はい。そのようです」

 与十郎も不思議そうに答えた。

 現在家康の本拠地は遠江の浜松城である。かつての本拠地であった岡崎城には家康の嫡男、信康が入っていた。

 信康と亀姫は同じ母親の築山殿から生まれている。つまり信昌にとっては義兄に当たる人物であった。もっとも信康は一度離反しながらもまた徳川家に仕えた奥平家を快く思っていない。またそんな家に妹が嫁ぐのを

「もってのほかだ。父上は何を考えている」

と、反対した。

 それはともかく今は家康が岡崎城に入った理由である。武田家との戦いは遠江で続いていた。そんな状況で後方に当たる岡崎城に入る理由が分からない。

「ほかに情報はないのか? 」

 信昌は与十郎に尋ねた。しかし与十郎は首を横に振る。

「今はまだ。ですが岡崎には密偵を潜ませています。その者からの続報を待ちましょう」

「そうだな」

 そして数日後に続報が入った。その内容は信昌と与十郎を驚かせた。

「信康さまが岡崎城を追われたと」

「本当か定直」

 与十郎は密偵の報告を上伸した定直に尋ねた。定直は無言でうなずく。その様子から定直も驚いているということがよくわかった。

 信昌は定直に尋ねる。

「いったい何故義兄上は岡崎から追われたのだ」

「それについて噂程度の者はあれど真偽のほどは…… こればかりは家康さまからの言葉を待つほかありません。これより先も情報収集は怠りませんが出来ることは限られましょう」

 定直はお手上げとばかりに言った。信昌も打つ手なしとため息をつく。一方不安そうな顔をしているのは与十郎であった。

「このまま何も起こらなければいのですが…… 」

「どういうことだ与十郎」

「深く考えすぎなのでしょう。私は」

 与十郎はそう否定したが事態はさらに悪い方向に傾いた。

 岡崎城を追放された信康は遠江の二俣城に移された。さらに信康と亀姫の生母である築山殿が暗殺される。これは家康の指示であったという。そしてその数日後信康が処断された。

 この一連の出来事は一月弱の期間で起きた。信昌は次々に起きる衝撃的な出来事に絶句するばかりである。しかしこの出来事に誰よりも心を痛めている存在を信昌は知っていた。亀姫である。

 信康処断の報告があった数日後の夜のことである。亀姫は一人月を見上げていた。その姿は普段の様子とはまるで違う儚げなものである。

 信昌は亀姫の姿を見てこう思った。

「(おふうが死んだときの私もこんな姿だったのだろうな)」

 そう思った信昌は亀姫のそばにそっと近寄った。

「信昌さま…… 」

 亀姫は信昌が横に座ったところでやっと気づいたようだった。信昌は何も言わない。言わないでただ亀姫のその場にいた。

 しばらく二人の間に沈黙が流れる。やがて亀姫が口を開いた。

「私は卑怯者です」

 亀姫は悲しげな表情で語る。

「兄上と母上が殺されたというのに父上には何も言えず、ただ黙って生きている。私はひどい女です」

 そう言い切ると亀姫は泣き出した。信昌はそんな亀姫をやさしく抱きしめる。

 しばらくして亀姫が泣き止むと信昌は語りだした。

「私にはかつて妻がいた…… 」

「はい。それは聞き及んでおります」

「おふうといってな。おとなしい女だったが亀子のように私を支えてくれた」

「そうですか…… 」

「しかし徳川家や武田家の人質になって離れ離れになった。そして武田家を裏切ったときに殺されてしまった」

「それは…… 」

 亀姫は絶句する。話の内容もだが悲痛そうな表情を浮かべる信昌にも驚いたからだ。

 やがて信昌は悲しげな表情で言った。

「私は遠い地で何もできなかった。私も卑怯者だ…… 」

 信昌はそう言うと亀姫を抱きしめた。

「我らは同じような傷を心に負った」

「はい」

「だからこそ支えあっていけると思う」

「はい…… 」

 月明かりの下で二人は抱きしめあっていた。互いの心にある傷を慰めあうかのように。


 しばらくして家康は信康処断の理由を発表した。

「信康は武田家と内通していた。そのため処断した」

 これについて疑問を持つ者もいた。信昌もその一人である。

 信昌は与十郎に尋ねた。

「義兄上は本当に武田家と内通していたのか? 」

「わかりません」

 与十郎はそれだけ言って話を打ち切った。その理由は信昌にもわかる。

 奥平家は武田家を離反した家である。さらに当主の妻は信康の妹。そう考えると微妙な立場であった。

「これ以上は考えまい」

 信昌はそう割りきるしかなかった。

 一方で家康は信康処断の際の混乱を最小限に抑え武田家との戦いにまい進する。この頃の情勢は徳川家の有利に傾きつつあった。

「これも盛者必衰の理という事だろう」

 浜松の貞能はそんなことを言ったらしい。貞能からしみてれば天下の武田家がここまで衰えるのは思いもよらないことであった。もっとも信昌はそんなことを考える暇もなく対武田の戦いに奮戦する。

 そうしているうちに天正十年(一五八二)となった。この年は徳川家にとって大きな転換点となる年である。勿論信昌にとっても。

 まず天正十年の正月、武田家に所属している信濃(現長野県)の木曽義昌が離反し織田家に寝返るという出来事があった。これに対し武田勝頼は義昌の討伐を決める。そこで義昌は織田家に援軍を依頼。これを好機と見た織田信長は武田家の領国への侵攻を始める。この際徳川家も駿河方面から侵攻することになった。

 信昌も出陣することになる。城を出る際に亀姫は信昌に言った。

「無事におかえりください」

 亀姫は武功を上げるより信昌に無事でいてを欲しいと願った。それに対して信昌は笑って答える。

「無事には帰る。だが武功も上げてくるさ」

 そう言って定直を伴い信昌は出陣する。

 従軍の道中で定直はこんなことを言った。

「木曽義昌殿は武田家の一門衆と聞きます。それが裏切るとは」

 嘆息する定直。それを信昌はたしなめた。

「木曽殿の領地は武田と織田の境目にあるそうだ。境目の領主は生きるためならどんな手も使うべきだ。それが一族を裏切ることでも」

「殿…… 」

「我々も木曽殿を笑える立場ではないという事さ」

 信昌は自嘲気味に言うのであった。

 さて徳川家の武田領侵攻は驚くほど順調に行った。これは織田家の圧倒的な軍勢の前に離反者が続出し、徳川家が進む駿河方面でも武田家を離反するものが出てきたからである。

 特に武田一門の穴山信君の離反は大きかった。これにより大した労も無く駿河は徳川家の支配下にはいる。

 その後家康は酒井忠次を駿河に残し甲斐に侵攻。先に侵攻していた織田家嫡男の織田信忠の軍勢と合流した。信昌も同行し甲斐に入る。

 甲斐に入った信昌は不思議と虚しさに襲われた。

「(今更来てもどうしようもない。そう言う事か)」

 信昌にしてみればここは妻と弟を失った土地である。もっともそれも十年近く前のことであった。

「(おふう。千丸。強衛門。皆の仇がもうすぐ滅ぶ。だというのにこの虚しさは…… )」

 今まで武田家との関わりの中で失ってきた人々のことを思い出す。だが歓喜も何もない。ただむなしい。それだけであった。

 ほどなくして武田勝頼は討ち死にした。これにより武田家は滅亡する。徳川家は大した戦いも無く損害もほぼなかった。

 信昌はもちろん無傷であった。

「まさしく父上の言う通りか」

 あれだけ恐れられた武田家はあまりにも呆気なく滅んだ。それはまさしく盛者必衰の理である。

 いいしれない虚しさを消せない信昌。しかし一つだけ救いがあった。

「本当の御無事でよかった」

 それは泣き笑いの表情で信昌を迎える亀姫の存在である。信昌はそんな亀姫の姿に心を現れる気持であった。

「亀子。無事で帰ったぞ」

「はい。本当によかった」

 過去のことはどうしようもない。信昌は腕の中にある現在に心の底から感謝するのであった。


 武田家は滅び駿河は徳川家の領国となった。信昌に特に恩賞は無かったがそれについて不満はない。

「まあ、ほとんど何もしていないからな」

 それほどあっけない武田家の終わりである。ともあれ徳川家にとって最大の敵はいなくなった。

「この後はどうなりましょう」

 武田家滅亡から間もないある日に定直が言った。

「どうなるとはどういうことだ」

「武田は滅び隣国とは盟を結んでおります。もはや戦は起こりそうにもありません」

 徳川家、そして奥平家はこれまでを武田家との戦いに費やしてきた。それが終わって今後どうなるのか。定直はそこが気になるようだった。

「戦は無く平穏になる。それでいいのではないか」

 信昌はのんびりと言った。定直は少し呆れながらも同意する。

「まあ、そうなのでしょうが。しかし正直そうした平穏といのには我々は慣れておりませぬ」

「そうだな…… 」

 二人を含む奥平家の多くの人々が戦って生き残るということを繰り返してきた。それだけに戦いがまるでない日々というのも想像できない。

 信昌と定直がどこか気の抜けた表情でいると与十郎がやってきた。

「全く何を気の抜けた顔をしているのですか」

 与十郎は呆れているようだった。信昌は一応反論する。

「しかしな与十郎。戦がまるでないというのもいろいろ想像できん」

「何をのんきなことを。信昌さまは領地を栄えさせるという立派な勤めがございます。私や定直はそれを全力で支える。これこそが今後我らのやるべきこと」

 そう与十郎に諭されて信昌も少し表情を引き締める。

「そうだな。立派に領国を治めることが当主の務めか」

「左様です」

「それこそが奥平家の安泰につながるか」

「だとするならば我々のやることはあまり変わりませんね。いつも通り殿を支える。それが我らの役目」

 定直も気を引き締めたのかそう言った。与十郎は満足げに頷くと言った。

「家康さまは安土に行き信長様に駿河を戴いたお礼を行きました。これから織田家の天下の下で徳川家や我々も生きていくのでしょう」

「そうだな。そうなのだろうな」

 信昌たちは平和なこれからに向けて思いをはせるのであった。

 しかしここで誰もが予想だにしなかった事態が起きる。そして世は再び戦国に戻った。信昌にはまだ安息の時は訪れない。


 この話で信昌は亀姫のこと亀子きこと呼ぶようになりました。もちろんこれは筆者のオリジナルで出典があるわけではありません。ただ妻を亀姫と呼ぶのはおかしいが亀と呼ぶのもどうだろうということでこうなりました。その点ご了承ください。

 さて今回信昌は義兄の信康が死にました。この件について信昌がどうかかわったのかはわかりません。ただ微妙な立場になったのは間違いないでしょう。この後の武田家との戦いで相変わらず信昌は奮戦しますがそうしたことも関わっているのかもしれませんね。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ