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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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藤掛永勝 三蔵戦記 第一話

 尾張の武将、藤掛永勝の物語。

 藤掛永勝、幼名は三蔵で吉勝とも名乗っていた。永勝は幼くして両親を失い祖父に育てられる。そして主君の妹に随行する祖父に付き従い、そこで一生心に残る出会いと別れを経験することになる。

藤懸三蔵は自分の生みの親のことを覚えていない。もっともそれは当たり前のことで、母は三蔵を生んですぐに死に、父は2歳の時に死んだ。物心がつく前の話である。

 三蔵はあっという間に天涯孤独の身になった。周りの皆は三蔵を憐れんだし遠縁であるとはいえ主君と同じ織田家の一族であったから、粗略に扱うことなどできない。結局、三蔵は祖父の藤懸善右衛門に預けられることになった。それが一番当たり障り無かろうというである

 三蔵を引き取った祖父の善右衛門は無骨な男だった。着物はいつも地味で己を装うということをしない。それでいてさっぱりとした気性をしている。そんな善右衛門を馬鹿にするも多かったがその性分を気に入るものもいた。

 そんな祖父の下で三蔵はすくすくと育った。祖父の背中を見て育った三蔵も必然物事にこだわらない気性に育つ。

 ある時三蔵も両親がいないことを疑問におもった。そういうわけで、ある時善右衛門に尋ねてみる。

「おじい様。私の父上と母上はどこにいるのですか」

 すると善右衛門はこともなげに答えた。

「とうに死んでいる」

「そうですか」

 これっきり二人の間でこの話題が出ることはなかった。

 

 善右衛門は仕事熱心な男でもあった。その愚直な仕事ぶりに関しては気性の事とは別に多くの者たちに評判がよかった。自然とその評判は主君の織田信長の耳にも入る。

「その者、それほどの評判か。ならばちょうどいい」

 このころ織田家は近江の浅井家と同盟を結ぼうとしている。その証として信長は妹の市を浅井家に嫁がせることにした。要するに政略結婚である。

 このころ大名家からほかの家に嫁ぐときは実家から家臣を随伴させるものだった。政略結婚で嫁ぐ女性は実家から送られる外交官という面もある。そうした仕事の補佐や、様々な雑務を行う家臣も必要であった。その役目に善右衛門は選ばれたのである。

 善右衛門に断る理由は無い。だが気がかりはある。まだ孫の三蔵が十歳くらいであることであった。この幼い少年を尾張から遠く離れた近江まで連れて行って大丈夫なのか。さすがの善右衛門もこれには困る。

 とりあえず善右衛門は三蔵に尋ねてみた。

「儂は市様と共に近江に行く」

「分かりました。私もついていきます」

「お前はまだ元服もしていない。だが、ついてくるのなら一人前として働いてもらうぞ」

「そうですか。ならば誠心誠意頑張ります」

「わかった」

 相変わらずさっぱりとした会話であった。だがこれでこの祖父と孫の思いは通じるのである。

 こうして永禄十年(一五六七)に市は浅井家に輿入れした。そして善右衛門と永勝もそれに随行し浅井家の本拠地、小谷城に入る。


 小谷城に入った市と善右衛門を始めとする家臣たちだが歓迎されたわけではなかった。これは隠居してもなお影響力を持つ長政の父、久政のせいである。

 久政は織田家との同盟に不信感を抱いていた。その上に嫁を迎えるなどもっての他である。

「あのような田舎者。信頼できるか」

 久政はそう言ってはばからなかった。必然的に影響を受けている家臣たちも多い。そして中には露骨に嫌悪感を見せる者もいた。

 そんな状況ではあったが市は気丈にふるまった。

「何も気にすることはありません。私たちは織田家と浅井家の双方の懸け橋となる重要な存在なのです。その役目をしっかりと果していきましょう」

 そうして市は家臣たち一人一人を励まして回った。もちろんその中には三蔵もいる。

 初めて三蔵と顔を合わせた市は驚いた。

「まあ。あなたのような幼い子もいたのですね」

「はい。ですがついてくる以上は一人前として扱うと祖父に言われました。ですので市様もそのようにお願いします」

 市に話しかけられた三蔵は淡々と答える。育ちの影響もあってかどちらかというと淡白な性分であるからだ。そんな三蔵に市は苦笑こそすれど怒ったりはしない。

「そうですか…… ですが無理はいけませんよ」

 そう言って市は微笑んだ。これを見た三蔵の顔は赤くなる。それはそうだろう。まだ十代前半の少年が年上のしかも美人に微笑みかけられたのだから。

 三蔵はだいぶ動揺していた。普段のどこか淡々としている少年とは思えないほどである。

 さすがに主君に何も返答しないのはまずいと思ったのか、三蔵は口を開いた。

「えっと、その。む、無理は致しません! 」

 そう叫ぶように言って三蔵は走り出していった。残された市はしばらく呆気に取られていたが、すぐにほほ笑んでその場を去っていった。

 この後も市は何かと三蔵を気にかけた。市にとっては年の離れた弟のような存在だったのかもしれない。


 さて、浅井家で微妙な立場だった市だが幸いなことに夫婦仲は良好だった。市の夫の長政は武勇に優れ名将であったが妻や親しい家臣には優しく接する好人物である。

 その日、三蔵はいつも通り仕事をしていた。仕事と言っても幼ない三蔵に任されるのは雑用である。尤も雑用でも手を抜くようなことはしない。そう、善右衛門に育てられてきた。

 そんな三蔵を見つめるものが二人いた。おそらく織田家にいい感情を持っていないであろう浅井家臣だと思われる。二人は淡々と仕事を進める三蔵を蔑みの目で見ていた。

「全く、あのような小僧まで働かせるとは」

「仕方あるまい。尾張の田舎者にはろくなものがいないのだろう」

 二人はわざと聞こえるような声で話していた。その会話は三蔵の耳にも届いていたが無視をする。こうした雑音にもとらわれるなというのも善右衛門の教えであった。

 二人のことはいないものとして扱い三蔵は仕事を進める。だが、二人にはその態度が気に障ったようだった。男の一人が舌打ちすると、もう一人が剣呑な表情で三蔵に近づく。

「おい、小僧」

「なんでしょう」

「貴様、我らの会話が聞こえていただろう」

「聞こえていました」

 あっさりと認める三蔵。しかしその態度は男をさらに怒らせた。

「聞こえていたのなら何か言い返さないのか! 」

「仕事をしているので無駄な会話をしている暇はありません」

「なんだと…… 」

 怒りのあまり言葉に詰まる男。そこで三蔵は手を止めて男の方を見た。その眼には普段見せないような怒りの色が浮かんでいる。

「我らは主君のために誠心誠意働いています。ですのであなた達のように余計なことをしている暇はないのです。そういうわけでどこかに行っていただけると助かります」

 三蔵ははっきりと言い切った。まさか幼い少年にここまで言われるとは思わなかった男たちは怒りの表情のまま固まる。

 三蔵は言い切るとすぐに仕事に戻った。そこで男たちは再び動き出す。そして言い返された怒りをやっと思い出したのか、三蔵につかみかかった。

「この餓鬼! 」

 男は拳を振り上げる。だが

「やめぬか! 」

 そこに凛とした声が響いた。三蔵と男たちが声の方を振り向くと、そこには長政の姿があった。

「お前たち。何をしている」

「と、殿。それは」

「こ、この小僧が我々に無礼な口を…… 」

 男たちは言い訳をしようとする。だが長政は無言で男たちを睨んだ。

「と、殿」

「この者は妻の臣。文句があるのならば私が聞こう」

「は…… それは」

「何もなければすぐに仕事に戻れ」

「「ははっ! 」」

 そういうと男たちは駆けだして行った。

 一方の三蔵はしばし呆然としていた。すぐに気を取り直し長政に向けて平伏する。

「お見苦しいところを…… 」

「いや、気にするな。それより仕事の邪魔をして悪かった」

「いえ。それは」

「市はいい家臣を連れて来たな…… うらやましい限りだ」

 そう言って長政は三蔵に近づいた。そして肩に手を置く。

「まだ幼いのに見事な口上だった。これからも市を助けてやってくれ」

「は、はい! 」

 三蔵の元気な声に満足したのか長政は去っていた。残された三蔵は平伏したまま感激の涙を流している。

このような長政のふるまいに感動していた。

 幼い三蔵の胸には市と長政との触れ合いは強烈に胸に残った。そしてこの思い出は一生消えずに三蔵の財産となる。

 こうして平穏とはいかずともいい主に仕えられた三蔵は立派に成長していった。だがそんな三蔵をあまりにも悲しく、衝撃的な出来事が襲うのである。


 元亀元年(一五七〇)、織田家が朝倉家の領地に侵攻した。この行動に浅井家は動揺する。なぜなら朝倉家は浅井家の盟友であったからだ。

 この事態を受けて浅井家は織田家との同盟を破棄。織田家との敵対の道を選ぶ。

 これを知った三蔵は驚いた。それはそうだろう。市と長政は仲睦まじくその二人の姿を見ていれば両家が決裂するなどとは考えられなかった。

「我々はどうなるんですか? 」

 三蔵も不安になって善右衛門に尋ねた。善右衛門は相変わらずにあっさりと答える。

「知らん」

「爺様は不安にならんのですか」

「わしらが考えても仕様がないことだ」

「そうですね…… 」

 善右衛門に迷いは感じられなかった。だが、善右衛門のいう通り自分たちがいちいち騒いでもどうしようもない。

 三蔵はそんな善右衛門の姿を見て腹をくくる。

 さて織田家との同盟を破棄した以上、市は織田家に返される。しかし市は浅井家に残った。

「私は長政さまの妻。浅井の女です」

「市…… 」

「何処までもお供します。長政さま」

「分かった。ありがとう」

 こうして市は浅井家に残った。当然三蔵たちも一緒に浅井家に残ることになる。

 三蔵としては市や長政を慕っているので別に異存はない。尤も織田家に帰りたがっていた者たちは返されたので市の家臣はだいぶ減った。

「あなた達は尾張に帰らないのですか? 」

 市は三蔵と善右衛門に尋ねる。善右衛門ははっきりと答えた。

「某の仕事は市様を助けることです。それは孫も同じ」

「ですが」

「我々は尾張に待つ者がいるわけではありません。お気になさる必要はありません」

「分かりました。残っていただいてありがとうございます」

 市は喜びを隠しきれないようだった。そんな市を見て三蔵も喜ぶ。善右衛門も嬉しそうだった。


 浅井家と織田家が決裂してから三年経った天正元年(一五七三)。このころには三蔵も元服し名を吉勝と改める。三蔵改め吉勝は立派な侍に成長した。

 一方で浅井家は織田家の攻勢により徐々に追いつめられていく。緒戦で敗れ盟友朝倉も滅びる。そして本拠地の小谷城もついに落城した。

 燃え上がる小谷城。それを見上げる森の中に吉勝の姿があった。しかしそこにいるのは吉勝だけではない。市と市の三人の娘。そしてわずかな供と善右衛門がいる。

 森の中を吉勝が先導し、善右衛門が殿を努めて歩いていく。途中、市が足を止めて小谷城を見上げた。

「長政さま…… 」

 悲痛な表情でつぶやく市。おそらく長政は燃え上がる小谷城の中で自害しているはずだった。吉勝は苦渋の表情で市に声をかける。

「市様。ここにとどまっては危険です」

「はい…… 行きましょう」

 市は未練を断ち切って歩き出す。それを吉勝が先導していく。

 吉勝たちがここに居るのは小谷城から落ちのびてきたからである。小谷城が落城するにあたって、吉勝は市と長政の三人の娘を守って逃げるように命じられた。

 市は長政とともに死ぬつもりだった。だが

「市。そなたは生きてくれ…… 」

「嫌です! ここまで連れ添ったのです。私も共に死にます! 」

 長政は市に逃げるように言った。もちろん市は拒否したが長政も引き下がらない。

「市よ。まだ娘たちは幼い。娘たちのためにも何としても生きてほしいのだ」

「長政さま…… 」

 悲痛な表情で言う長政。それをみて押し黙る市の目からは涙が流れていた。

 傍らで待機している吉勝はいたたまれない気持ちになる。そんな吉勝に長政は言った。

「市と娘たちを頼む」

 それは死を目前にした男とは思えないほど力強い声だった。それを受け吉勝の血は熱く滾る。

「お任せください。必ずや市様とご息女を守り抜きます」

「頼んだぞ」

 吉勝は力強くうなずいた。長政はそれを見て満足そうにうなずく。

 こうして吉勝たちは小谷城から落ちのびてきたのであった。目指すは織田家の本陣。そこまで逃げれば安全なはずである。

 しばらく歩いていると吉勝は何かに気付いた。すぐに後方の市のもとに下がる。

「どうしたのです」

「具足の音がします。何者かがこちらに向かっています」

 緊張したようすで言う吉勝。市も表情を引き締めた。

 やがて森の奥から完全武装した一団が現れた。吉勝は市たちをかばうように立つ。

「何者か」

 吉勝は冷静に問いかけた。だが一団のリーダーらしき男は市の姿を確認するといきなり地面に額をこすりつける。この行動に驚く吉勝たち。

 男はすぐに顔をあげると満面の笑みを浮かべた。

「お市様! ご無事でしたか! 」

「何者ですか。あなたは」

 声をかけられた市は警戒した様子で男に尋ねる。男は何をそんなにうれしいのかさらに笑って言った。

「信長様の下で草履取りをしていた猿にございます! 」

「猿? ああ、確かそのような者がいた気が…… 」

「はい! その猿でございます。今は手柄をあげひとかどの将になりました。此度は信長様の命でお市様をお救いすべく参りました」

 元気よくまくしたてる猿、改め木下秀吉。この男がのちの豊臣秀吉である。

「いやぁご無事で何よりでございます。ここで出会えたのも城の周りに絶えず目を光らせていたからで。何よりよかったよかった。ああ、今は木下秀吉と名乗っているので秀吉とお呼びくださいませ」

 早口でまくし立てる秀吉。市は少しうんざりとした顔をしている。吉勝は市の気持ちを汲むと秀吉に声をかけた。

「木下殿」

「ん、なんじゃおぬし」

「私は藤懸吉勝。長政さまの命でお市様をここまで連れてきた」

 それを聞いた秀吉は吉勝にいきなり抱き付いた。その行動に吉勝も驚く。抱き付きながらまたも秀吉はしゃべり始めた。

「そうかそうか。お主がお市様をここまで守ってきたのか。若いのに感心じゃぁ。いやぁよくやった」

「私のことはとりあえずいいので、市様を安全な場所に」

 少しうんざりした様子で言う吉勝。それを聞いて秀吉は吉勝から離れた。

「おお、そうじゃった。ここに居ては危ない。早くいきましょう」

 秀吉は自ら先頭に立ち歩き始めた。吉勝は大きなため息をつくと歩き出そうとする。だが、そこで市が足を止めていることに、そして足を止めている理由に気づいた。

「市様…… 」

 市は炎上する小谷城を眺めていた。もう大半が焼け落ちている。それを見る市の目には涙はないが声をかけづらい雰囲気であった。

 吉勝も市の胸の内を一応は理解できる。だがせっかく織田家の者に合流できたのだから早くいかなければならない。吉勝は思い切って声をかけようとする。しかし

「お市様! 早く殿の下に向かいましょう」

 秀吉の声が聞こえてきた。吉勝にはその声がとても不快に感じられる。

吉勝は秀吉にもう少し待つように言おうとした。しかし

「…… 行きましょう」

 市はそれを制した。吉勝は怒りを噛み殺し秀吉に続く。胸の内には様々な感情が渦巻いていて、歯を食いしばらないと叫びだしそうであった。

 こうして浅井家は滅亡する。それは吉勝にとって思い出深い地からの別れを告げるものであった。そしてこれから長くかかわることになる木下秀吉との最初の出会いであった。


 というわけで藤掛永勝の話です。尤もまだしばらくは永勝ではなく吉勝なのですが。

 この話での市や長政とのやり取りは創作ですが、実際に永勝は市に付き従う祖父と共に小谷城に入ったそうです。そして最後に秀吉と出会いますが今後も二人は奇妙な間柄でつながっていきます。それが話の中心にもなるのでお楽しみに。

 最後に誤字脱字などがありましたらご連絡ください。では。

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