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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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奥平信昌 婿殿 第六話

 鳥居強衛門の犠牲で定昌たちは救われた。しかし強衛門の死は定昌の心に強く刺さる。そして戦いの決着がつく時定昌の心に来るものは何か。

 鳥居強衛門の命を賭けた行動は定昌をはじめとする長篠城の将兵を奮い立たせた。

 定昌は力の限り叫んだ。

「強衛門は死を無駄にはしない。何が何でも城を守り切るぞ! 」

「「おお! 」」

 それに答えるように将兵みな叫ぶ。

 武田軍は急いで長篠城を攻撃する。しかし定昌たちは必死の抵抗し本丸を守り続ける。すると次第に武田軍の攻撃が収まってきた。

「どういうことだ? 」

 定昌は定直に命じて周囲の状況を探らせる。定直は配下をひそかに本丸から脱出させ武田軍の情報を探らせた。

 しばらくして定直が報告してきた。その顔は明るい。

「家康さまが信長様と共に救援に参られたようです」

「そうか。強衛門の言った通りだな」

 家康と信長は強衛門が長篠城に戻るのに遅れて出陣した。もっとも強衛門は報告が終わるや否やとんぼ返りしたから先に付いたのである。家康と信長も十分に迅速な行動であった。

「武田軍の攻撃が沈静化したのはこのためか」

「はい。家康様達への対応を優先したのでしょう」

「だが我らの包囲が解けたわけではないな」

 この後武田軍は主力を徳川・織田連合軍への対応に向ける。長篠城の包囲はおよそ三千の兵が残った。長篠城の内部にいた敵も引き上げている。しかし長篠城を監視するために築いていた鳶ヶ巣山砦に帰還しただけであった。依然、長篠城の包囲は続いている。

「おそらくあと数日で決着はつくだろう。定直。それまで持たせられるか」

 定昌の質問に定直は自信満々に答えた。

「物資もまだ数日分はあります。なにより強衛門のおかげで士気も高くなっております。数日は持ちましょう」

「そうか…… 本当に強衛門はよくやってくれた」

 しみじみという定昌。それに定直は無言で頷いた。

 こうして籠城を続ける定昌たち。しかし武田軍は積極的に動かない。もっとも動けないという方が正しいが。

 やがて強衛門の死から三日たった二十日。この日も武田軍の攻撃は無く夜になった。このところ定昌たちはゆっくりと休めている。何とか兵糧庫を奪還できたおかげで兵糧は十分にあった。

 定昌も体をゆっくり休めている。そんな時定直が駆け込んできた。定直は何か驚いている様子である。

「どうした? 」

「は、はい。大殿からの使者と申すものが」

「父上の!? 」

 今度は定昌が驚いた。

「いったい何の使者だ」

「それはまだ。ですが火急の知らせとの由に」

「わかった。会おう」

「承知しました。今連れてきます」

 少しして定直は貞能からの使者を連れてくる。定昌はその使者に見覚えがあった。

「お主は確か父上について浜松に向かったものだな」

「その通りでございます。この度は火急の知らせがありこのあたりの地理に詳しい私に使者を任されました」

「そうか。それで火急の知らせとは」

「はい。実は武田家の砦を落とすため酒井忠次さまが一隊を率いて出陣なされました」

「なんと。しかしどうやって」

「忠次さまは大殿様に道案内を任されました。そして大殿の導きで砦を後ろから突くおつもりのようです」

「なるほどな。それで我々に知らせることとは」

「忠次さまは敵兵を残らず討ち取るおつもりのようです。そのため砦が落ちた後は残敵に相当に定昌さまたちのお力を貸してほしいと」

「ちょっと待ってくれ」

 そこで定直は言った。

「我らは籠城の疲れもあり負傷者もいる。そんな時に出陣せよとは」

「もちろん大殿は無理には申しませんといったおりました」

「いかがします。殿」

 定直に尋ねられた定昌は言った。

「一度皆を集めてくれ」

 その言葉は静かなものだった。しかし定直はその奥底にある激情に気付く。

「す、すぐに集めてまいります」

 定直は急いでその場を去った。定昌は鳶ヶ巣山砦の方を見る。その眼には激情の炎が灯っていた。


 定昌たちは集めた皆にすべて話した。奥平の将兵は静かに定昌の話を聞いている。皆何もしゃべらなかった。

 少しの沈黙の後に定昌はこう言った。

「私は打って出るつもりだ。今この身体に残された力をすべて使い武田の者どもを討ち果たすつもりだ」

 その定昌の言に家臣の一人が立ち上がった。

「殿が打って出るのならば我々もついていきます。それが道理」

 その言葉につられるように別の家臣も立ち上がった。

「その通りだ。何より我らのために死んだ強衛門の仇を討たんでどうする。そうだろう皆」

「ああ、全くだ。我らで強衛門の仇を討つのだ」

「おお! やってやろう」

 長篠城の将兵の皆が同意していく。それを眺めていた定昌は立ち上がり言った。

「ならば打って出よう。出陣するのは明朝。酒井殿から鳶ヶ巣山から上がる狼煙が出陣の合図だ。皆準備を整え機会を待て! 」

「「おお! 」」

 定昌の指示と共に皆出陣の準備に入った。だが定直のみが残っている。定昌は不思議そうに尋ねた。

「どうした。定直」

「私は打って出ることには同意します。しかし」

 定直はそこで一度区切る。そして言った。

「殿は…… おふうさまの仇を討つために打って出るおつもりですか」

 その言葉に定昌は動じずゆっくりとうなずいた。そして定直に言う。

「私はどうしてもこの手で武田の者を討って取りたいのだ」

「しかし武田勝頼はいませんよ」

「わかっている。正直武田の者ならだれでもいいと思っている」

「殿…… 」

 定直は悲しそうな顔をした。定昌の言っていることは当主の考えていいことではない。だがそれ以上にいまだ過去を振り切れないでいる定昌が哀れであった。

 定昌は暗い表情で言う。

「それにおふうだけではない。千丸に強衛門…… ほかに多くの者の命を奪ったのだ」

「それは…… 」

「わかっている。こんな私情で動くべきではない。だがおふうの顔が、強衛門の顔が忘れられないのだ」

 そう言う定昌の目から涙がこぼれた。実際定昌の心にあるのは復讐心ではなく悔恨の念である。遠い地にいた妻にも近くにいた忠臣にも何もしてやれなかった自分への悔恨だ。

 定直はその涙を見て定昌の思いを理解した。

「わかりました。ですが一つだけよろしいですか」

「ああ、なんだ」

「強衛門は、いやおふうさまも殿や奥平の家を生かすために死にました。それだけは絶対にお忘れしないようにしてください」

「ああ、そうだな…… 」

「それでは。私も準備にかかります」

 そう言うと定直は去っていった。一人残された定昌は月を見上げる。

「(すまん定直。私はとにかく散っていった者たちの仇を討ちたいのだ。そのためなら死んでもいいと思っている)」

 定昌はそんなことを考えていた。これまでの武田家に関わること、それに今回の長篠城の戦い。それらでおふうや強衛門以外にも多くの死者が出ている。それを考えると定昌は自分の命も軽いものだと感じてしまうのだ。

「明日の朝より先のことは何も考えまい」

 そう言って定直は眠りについた。生きるも死ぬも興味はない。ただ己の心のために敵を討つ。それだけであった。


 長篠城に決戦の朝が来た。定昌を始めもうすでに皆出陣できる体勢にある。

 やがて櫓から見張っていた兵が叫んだ。

「狼煙です! 」

 定昌は馬に乗ると叫ぶ。

「出陣だ! 」

「「おお! 」」

 門が開け放たれ一斉に出陣する。長篠城の周りには武田兵がいたがわずかな数であった。しかも定昌たちが打って出るとは思わなかったのか恐慌状態に陥る。逃げ出す者もいた。

「一人も逃がすな! 」

 定昌が言うや否や皆敵に襲いかかる。武田兵のうち戦うものは皆討たれた。そして定昌たちは逃げる兵たちを追う。

 この時点で鳶ヶ巣山砦は陥落していた。酒井忠次たちは砦から逃げる武田軍の追撃に移っている。そして武田軍の支軍が駐留している有海村に至った。ここの兵力も少ない。

「何としてでも討て。武田の逃げ道をふさぐのだ! 」

 酒井忠次の号令と共に武田軍との戦いが始まった。そしてしばらくすると逃走する兵を追って定昌たちも到着する。

 定昌は兵に尋ねた。

「戦っているのは酒井殿の隊か? 」

「は、はい。あの旗印はそうです」

「そうか。ならば我らも続け! 」

 そう言うと定昌は先陣を切って馬を走らせる。それを見た定直は叫んだ。

「殿を追うのだ! 絶対に一人にしてはならん! 」

「「おう! 」」

 定直やほかの将兵も定昌に続いた。

 一人敵陣に切り込んでいった定昌は手当たり次第武田兵を切り倒す。

「武田の者どもは一人残らず討ち取ってくれる! 」

 その鬼気迫る様子に武田兵はたじろぐ。

「(おふうの仇。千丸の仇。強衛門の仇。全て取る)」

 定昌はひたすらに暴れた。その暴れぶりに味方も近づけないほどである。

 そうして暴れる定昌を武田兵の多くは恐れた。しかしそこは天下に名の知れた武田軍である。恐れずに立ち向かって来る者もいた。

「名のある武士と見た! だが一人でこんなところに来るとは愚かなり。打ち取ってくれる! 」

 その名もなき武士は自信満々に槍を突き出した。この槍は驚くほど速く突き出され馬上の定昌の体勢が崩れる。

「そこだ! 」

 体制の崩れた定昌に突き出される槍。定昌は何とかしのぐ。しかしついには馬から落ちてしまった。

「やられるか! 」

 定昌は急いで立ち上がろうとするがそこに槍が突き出された。

「その首、もらった! 」

 この時定昌は死を覚悟した。

「(俺もついにおふうたちの許に行くのか…… )」

 しかし突き出された槍が定昌に届くことは無かった。槍は何者かに真っ二つに切断される。

「何! 」

 そう言って定昌を討とうとしていた名もなき武士が横を見ると、定直が太刀を振りかぶっていたところだった。そして振り下ろされた太刀は見事に名もなき武士の脳天を斬り割る。定直はとれなくなった太刀ごと名もなき武士を蹴り飛ばし落ちていた定昌の槍を拾う。

「殿を死なせるな! 」

 定直は槍を振り回しながら叫んだ。すると奥平の将兵はやって来て敵兵を打ち倒す。定昌は呆然とそれを眺めていた。すると定昌が言う。

「ご無事ですか」

「あ、ああ」

 定昌はそんな返事しかできなかった。定直は言う。

「もうすぐでこの戦いも終わりましょう。急いで馬上に」

 一切の動揺の感じられない冷静な物言いだった。それに気を取り直した定昌はすぐに馬に乗ると叫ぶ。

「我らの勝利は目前だ! 皆、気をぬくな! ここで死ぬことは許さん! 」

 その定昌の叫びに皆一層奮起する。そしてほどなく戦いは終わった。

 この時設楽原においても徳川・織田連合軍と武田本隊との戦いも終わる。連合軍は死者もその他の損害もほとんど出ない大勝であった。一方で武田家は重臣も多くの兵も失う大敗に至る。

 定昌は生き残った。

「私は生き残ったのだな…… 」

 少しばかりの虚しさがなぜかある。しかし何は兎も角定昌は生き残った。


 長篠の戦が終わり定昌は家康に呼び出された。定直をはじめとする家臣たちも一緒である。定昌が出向くとそこには信長の姿もあった。

 家康は定昌と家臣たちを褒めたたえた。

「小勢にてよく持ちこたえた。これも主従の絆のなせる技。まことに見事だ」

 そう言って家康は佩刀の大般若長光を定昌に与える。さらに定直たち家臣たち一人一人にねぎらいの言葉をかけ、子孫代々まで領地を保証するというお墨付きまで与えるのであった。

 これには定直たちは恐縮してしまうのであった。そんな時信長が言った。

「奥平定昌よ。貴様は何故そのような顔をしている」

 定昌は浮かない顔をしていた。信長が指摘したのはそこである。これに家臣たちも動揺した。

「と、殿」

 定直がそう言うと定昌は顔を上げ言った。

「家康様よりのありがたきお言葉を戴いた上に佩刀まで授けていただきました。本当に有難き幸せにございます。ですが本当に称されるべきものは私ではございませぬ」

「鳥居強衛門か」

 信長はずばりと言った。定昌は驚いて顔を上げる。見上げた信長と家康は微笑んでいた。

 家康はしみじみと言った。

「鳥居は我らに目通りをして長篠城の窮状を訴えた。それを聞いた我らがすぐに援軍に向かう旨を述べると本当にうれしそうにしておった。そして我らが大儀である、しばらく休めというと長篠城の皆にすぐに伝えたいと言ってそのまま行ってしまったのだ。全く見事なお男だ」

「はい…… 真実に」

 家康の掛け値なしの賞賛に定昌の目から涙がこぼれる。それは定直たちも同様であった。

 信長は定昌に静かに言った。

「貴様が強衛門の死に報いたいのなら生き抜くことだ。そして奥平の家を長らえさせよ。それが死んでいった者への何よりの供養になる」

「信長様…… 」

 定昌の目から涙がとめどなくこぼれる。信長の言葉は定昌の心にあった暗いものを涙と共に流して言った。

 信長はそんな定昌にこう言った。

「奥平定昌。余からも貴様に褒美がある」

「はっ! 」

 定昌は涙をぬぐうと居住まいをただした。そして信長と向き合う。

「余の信の字を貴様に授けよう。これよりは奥平信昌と名乗れ」

「ははっ! 」

「強衛門には立派な墓を発てるようこちらから手配しよう。貴様は強衛門の子孫を必ず取り立てるのだぞ」

「もちろんです」

 信長は定昌、いや信昌の答えに満足げにうなずくのであった。

 

 家康と信長との目通りが終わり信昌は貞能と面会した。貞能は信昌をねぎらう。

「よく戦った…… 何よりよく生き残った」

 涙を流して息子をねぎらう貞能。そんな貞能の姿に信昌は改めて痛感した。

「(本当に生き残れてよかった…… もう二度とあのようなことは考えまい)」

 信昌は貞能に大般若長光を見せた。

「家康様よりこの刀を戴きました」

「なんと…… 」

「それと信長様より一字頂きました。これよりは信昌と名乗ります」

「そうか。それはよかったな…… 」

 貞能の感動もここに極まったようだった。その様子に信昌は苦笑いしつつ、改めて頭を下げる。

「父上。ありがとうございました」

「何のことだ? 」

「酒井殿と共に救援に来ていただいたそうで」

 信昌にそう言われて貞能は照れくさそうな顔をした。

「何の。隠居の身でできることをしたまでだ」

「しかしおかげで私だけではなく皆の命も救われました。やはり父上は偉大です。私はまだまだ及ばない…… 」

 そう言って信昌は顔を下げた。そんな信昌に定昌は言う。

「顔を上げよ信昌」

「父上…… 」

「長篠城の皆が生き残れたのは誰よりもお前のおかげだ。鳥居強衛門はお前を信じたからこそ命を賭けた。儂が助けられたのもお前が持ちこたえたからだ。そして何より長篠城の皆がお前を信じたからこそ戦い抜けたのだ。それは奥平信昌にしかできんこと。儂にはできん」

 いつしか信昌は泣いていた。貞能は涙をぬぐうと言った。

「もはやお前は儂を越えている。奥平の家は安泰じゃ。あとのことはお前に任す」

 そう言って貞能は背を向ける。そして堂々と去っていった。

「ありがとうございます。父上…… 」

 去っていく父に信昌はもう一度頭を下げる。そして姿が見えなくなるまでそうしていた。

 貞能が去ってからしばらくして定直がやってきた。

「殿。準備ができました」

「そうか。ならば帰るぞ! 」

「はい! 」

 こうして奥平信昌をはじめとする一行は自分たちの領地に帰っていくのであった。


 ようやくこの話で名前が信昌となりました。信昌の信の字は織田信長の信という事ですが、よくよく考えてみると信長は同盟相手の家臣に自分の名前を授けたことになります。それほど信昌の立てた武功は素晴らしいものだったのでしょう。実際長篠の戦いの後は織田徳川ともに武田家に対して有利に立ちます。信昌は歴史の転換点の中で大きな役割を果たしたのだと私は考えています。そしてここで大きな功績を上げた信朝はどうなるのか。ご期待ください。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

 

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