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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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奥平信昌 婿殿 第五話

 徳川家と奥平家の命運をかける戦いが始まった。定昌は圧倒的な兵力差に立ち向かうも苦戦する。しかしある一人の男の命が定昌の運命を切り開く。

 武田軍の数は約一万。しかも世に聞こえた武田の精兵たちである。対する長篠城の城兵はおよそ五百。勝敗は明らかであった。誰もがそう考えている。

 武田家は武田勝頼自らが指揮を執る。

「我らを裏切った奥平の者どもを生かすな! 」

 勝頼の号令と共に武田軍は長篠城に攻め込む。

「この数なら我らの勝利は間違いないな」

 一斉に攻め込む兵を眺めながら勝頼は言った。付き従う家臣たちも勝頼の言葉にうなずく。それも当然のことで、あまりにも兵力が違った。この戦力差で圧勝を疑うものはそうそういない。また長篠城は武田家が抑えていた頃もある城である。構造もある程度把握しているからある意味気も楽であった。

 一方の長篠城の定昌は櫓から武田軍の動きを見ていた。武田軍は一目散に北側から攻め込んでいる。

「さあ我らの力を見せてやる」

 定昌がそうつぶやくと同じくして武田軍に矢や弾丸が襲い掛かった。攻撃された武田軍は一瞬ひるむがすぐに立て直して突撃する。

 この頃の鉄砲は一度発射すると再度発射するまで時間がかかる。矢はまだとんでくるが攻撃は甘くなる。武田軍にはそう言う目算があった。

 しかし間を置かずに再び弾丸が飛んでくる。これは間を置かず次の射撃ができるよう準備してあるからだ。しかも今度は大鉄砲のも混じっている。

 これには武田家も怯んだ。それを見た定昌は叫ぶ。

「今だ! 」

 それに呼応し城内から兵が飛び出した。主に長槍の兵たちである。兵たちは怯む武田軍に距離を取って槍で攻撃した。勿論それでは殺すことはできない。しかし足や腹を狙って槍を刺せば機動力を奪える。そうなれば武田軍の最前列の足は止まった。

「よし。引け! 」

 すると定昌は兵たちを城内に引き上げさせる。それと同時に今度は投石が始まった。たかが石かと思われるがこの時代では立派な武器である。この時代の負傷者や戦死者に投石によるものもいるほどであった。

 さらに奥平の兵たちは高所から人の頭ほどありそうな石も落とす。足の止まった武田軍に石の雨が襲い掛かった。

「いかん。引け! 」

 これには武田軍も一度後退することにした。しかし死者は少なくとも負傷者は多い。必然的に足は鈍る。

 そこに再び矢や弾丸が襲い掛かる。武田家はほうほう体で逃げていった。

 後退する武田家を見て城内から歓声があがる。定昌も叫んだ。

「皆よくやった! 」

 しかしすぐに表情を引き締めると叫ぶ。

「手早く石や矢、弾丸を回収するのだ」

 定昌がそう叫ぶと城兵が出てきて戦場で落ちている石や矢、弾丸を回収した。当り前だが物資は限られる。こうした再利用をしないと、とでもではないが物資が保たなかった。

「再度使えるものとそうでないものに振り分けるのだ。それと敵の死体から奪えるものは何でも奪え」

 定昌がそう言うまでも無く兵たちは敵兵の死体から武具や物資を奪い取っていく。なりふり構わない姿勢だが仕様がない。敵は約一万で味方は五百。この差を埋めるためなら何でもするつもりの定昌である。

 物資の回収が終わると死体を掘りに落とし兵たちは引き上げた。そこまで見届けて定昌は胸をなでおろす。

「何とかなったか」

 そこに定直がやってきた。

「殿。わが方に幸いなことに死者は出ませんでした。負傷者も数名。皆健在です」

「そうか。ならばよかった」

 ほっとした様子の定昌。だが定直は表情を険しくする。

「しかし…… 敵の攻めが甘すぎるようにも感じましたが」

「それはそうだろう。数で圧倒的に勝っているうえに天下の武田家だ。こちらを甘く見てもおかしくはない。今日は不意を討てたようなものだ」

「…… さすれば明日からは」

「ああ。厳しくなろう」

 実際今日の戦いは出鼻をくじいただけである。また敵の動きを阻害するために負傷させることを優先した。そのため敵の損害も少ない。結局のところその場しのぎの戦い方である。

「殿の援軍は必ず来る。ともかくそれを待つのだ」

 定昌にも長篠城にも余裕はない。このまま力攻めを続けられれば数日後には力尽きるのは確実であった。

 定直の表情も暗い。

「武田家は力攻めを続けるでしょうね」

「だろうな。損害が出てもこの城を落とせない方がそんなことは向こうもわかっている」

「我らは死力を尽くしてしのいでいくしかありませんね」

「ああ、そうだ」

 二人は頷きあった。そしていつ来るかわからない援軍を待ち戦う。そうした苦難を続ける覚悟を改めて決めるのであった。


 翌日、武田軍は再び攻撃を仕掛けてきた。

「もう侮りはせぬ。覚悟するがいい」

 勝頼は強い意気込みで戦いに臨む。それは武田軍のほかの将たちも同様である。皮肉にも定昌たちの奮戦は武田家に火をつけた。

 これに対し定昌たちも総力を挙げて迎え撃つ。

「先日の勝利は忘れろ! 今日からは敵も本気だ」

 定昌はそう家臣たちに言った。果たしてその通りであり武田軍はすさまじい猛攻を仕掛ける。

 前日の戦では負傷者を増やし動きを鈍くさせる作戦であった。だが今回の武田軍は気迫が違う。負傷した味方を踏み越えて進んでくる。

「これはいかんな」

 これでは迂闊に門を開けられない。したがって長槍での攻撃は出来ず飛び道具による攻撃に頼るしかない。当然だが物資は有限であるし攻撃の隙も出る。その間に武田軍の兵は城門を攻撃し、壁を乗り越えようとした。

 奥平軍はこれを追い払おうとする。しかし敵の数が多すぎた。

 定昌は櫓から戦況を見守る。その表情は険しい。そんな時に伝令が飛び込んでくる。

「定直様よりの言付け申し上げます」

「何だ」

「これ以上三の丸を支えるのは難しい、と」

 すると定昌の表情がますます険しくなった。そして苦渋の表情で言う。

「物資を集めいち早く三の丸を捨てよ。出来る限り打ち壊してだ」

「ははっ」

 伝令は足早に去っていった。定昌はすぐに戦場を見下ろす。確かに城門は壊れかけており壁を乗り越えるものも出てきた。

「これほどとは…… いや、わかっていたはずだ」

 そう言って武田軍を睨む定昌。すると定昌の頬を矢がかすめた。

「これ以上は危険か」

 そう言うと定昌は櫓を降りた。それから少しして城門が打ち破られた。それと同時に三ノ丸から煙が上る。誰かが火をつけた様である。結局この日三の丸は武田家の手に落ちた。三の丸の内部は破壊され一部が焼けていた。一応施設としての機能は破壊されている。それでも城の一部を奪われたのは事実であった。

 定昌と合流した定直は頭を下げた。

「申し訳ありませぬ。三の丸を奪われてしまいました」

「気にするな。それに城が落ちていないのだからまだ戦える」

 そう言う定昌だが表情は暗い。それは城兵やほかの将たちも同様である。先日の勝利とは一転の手痛い敗北であった。

 それでも定昌は将兵を、そして自分を鼓舞する。

「我らはまだあきらめるわけにはいかん。この城を守り切ればきっと道が切り開ける」

 定昌がそう言うと将兵たちも少し前向きになるのであった。

 しかし現実は非情であった。武田軍は確実に長篠城を攻略するために城の施設をひとつずつ攻略していく。一方で定昌たちは消耗していくばかりであった。そしてさらに追い打ちをかける事態が起きる。

「大変です定昌さま! 」

「なんだ定直」

「兵糧庫が落とされました! 」

「なんだと! 」

武田家は攻撃と並行して穴を掘り兵糧庫を目指していた。兵糧庫の位置を武田軍はすでに把握していたのである。

定昌たちは現在本丸に籠っていた。ここにも兵糧はあるがわずかしかない。これではあとどれほど持つかわからない。

定直は報告を終えるとすぐに持ち場に戻った。残された定昌は何とか状況を呑み込む。

「どうすればいいのだ…… 」

 この窮地に定昌は呆然とするしかなかった。するとそこに何者かが駆け込んでくる。

 定昌は尋ねた。

「誰だ? 」

 男は言った。

「与十郎様よりの使者です」

「なんだと…… 」

 定昌は与十郎からの使者の話を聞くとすぐに家臣を集めるのであった。


 定昌は兵糧庫が陥落したことを家臣と城兵たちに包み隠さず話した。

「おそらくもって数日といったところだ」

 それを聞いた家臣たちは打ちひしがれた。

「我々の命もこれで終りか」

「ああ。家康様の援軍も来る気配はないしな」

 中にはこんなことを言う家臣もいた。

「かくなる上は打って出て武田の者どもを一人でも道連れにしよう」

 口々に自分の考えを言う家臣たち。城兵たちにも悲観的なムードが広がる。一方定直は定昌を見た。定昌は黙っている。

「(殿は何かお考えなのか? )」

 すると定昌は口を開いた。

「この状況で皆色々考えはあるだろう。だが私はまだあきらめるつもりはない」

「しかしこの状況では」

「家康様の援軍が来ないと決まった訳ではない。それに岐阜より信長様の援軍がすでに出陣しそうだ」

 それを聞いて家臣一同どよめいた。定直も驚いている。

「いったいその話をどこで」

「先ほど与十郎より使者が来た。確かな情報だ」

「真実ですか」

 定直は信じられないという表情で言った。定昌は静かにうなずく。

「与十郎のことだ。確かな情報だろう。そしてもうひとつわかったことがある」

 定昌の言葉に訝しげな顔をする家臣たち。しかし定直はひらめいたようだった

「そうか…… 使者がやって来られたということは武田の包囲に隙がある」

「その通りだ。だからこちらから使者を出すこともできる」

「なるほど。家康さまに援軍の催促をするのですね」

「そうだ。もし援軍が来るまで耐えられれば我らは死なずにすむ」

「しかし誰を使わすのですか」

 定直がそう言うと定昌は黙った。家臣たちも黙っている。確かに包囲に隙はあるのかもしれないがそれでも危険なかけである。捕まれば殺されるかもしれない。

 すると皆が黙り込む中で一人の男が立ち上がった。軽装で身分はあまり高そうにない。しかしがっしりとした体つきに意志の強そうな顔立ちをしていた。

「申し上げます! 」

 男は高らかに叫んだ。定直は男に尋ねる。

「何者だ」

「拙者、鳥居強衛門と申します」

「そうか。それで何を言うつもりなのだ」

「この強衛門。この城を出て援軍を呼んでまいります」

 強衛門は強い意志のこもった目で定直を見る。その強い目に思わず定直はたじろぐほどだった。

 家臣や城兵たちは強衛門の言葉にざわめき始める。そんな中で定昌は強衛門に尋ねた。

「必ずやり遂げると誓えるか」

「無論です」

 強衛門はそう言い切る。それを聞いた定昌は立ち上がり言った。

「ならば鳥居強衛門。そなたに我らの命運を託す! 」

「承知しました! 」

 力強く答える強衛門。そんな強衛門に定昌は近寄ると肩を抱いた。

「必ず生きて帰ってくるのだ。生きて帰ってこそ真の誉と思え」

「ははっ」

 こうして長篠城の将兵の命は鳥居強衛門に託されるのであった。


 強衛門は十四日の夜に密かに城を出た。定昌は闇に消える強衛門を見送る。

「頼んだぞ」

 その言葉が強衛門に届いたかどうかは分からない。ともかく強衛門が城を脱出できたことだけは確かである。

 翌日の十五日、武田家は攻撃を仕掛けてきた。定昌たちはわずかな力を振り絞って応戦する。

 この日の朝に強衛門か無事脱出したことを伝える狼煙があがっていた。

「強衛門は援軍を連れて必ず戻ってくる。それまでは何としてでも耐えきるのだ」

 定昌の言葉に長篠城の将兵は奮起する。そのおかげもあってかこの日の攻撃は耐えきることができた。しかし皆すでに限界が近い。定昌は定直に尋ねる。

「あとどれほど保つか」

 定直は冷静に答えた。

「考えていた以上に弾薬や弓は残っています。兵糧も節約すれば保つでしょう。あとは士気だけです」

 ここにきて腹が座ったのか定直は落ち着いていた。それを定昌は頼もしげに感じる。

「よく把握してくれているな」

「殿が強衛門を信じて手を討った以上我々はそれを信じます。だから我々の出来ることをするだけです」

 定直はそう言った。定昌が見渡すと家臣一同、同じ気持ちのようである。

 定昌は改めて誓った。

「この戦い負けられんな」

 こうして夜が明け十六日になった。この日の朝は妙に静かである。

「妙だな」

 定昌は思わず口にした。今までなら武田家の激しい攻撃が始まっているところである。また強衛門から戻ってきたという内容の狼煙も上がっていた。

「どういうことだ」

 再び疑問を口にする定昌。そしてその答えを翌日理解する。

 翌朝定昌たち長篠城の将兵は聞き覚えのある声を聴いた。

「あの声は…… まさか」

 聞こえたのは強衛門の声である。あの時使者を志願した時の声は皆の耳に刻まれていた。

 定昌たちは本丸から顔を出し声のする方を見る。するとそこにははりつけにされた強衛門の姿があった。

「強衛門!? 」

 この時の定昌たちに知る由もないことだが強衛門は前日、武田軍に捕まっていたのである。そして援軍が来ないことと降伏を告げれば命を助けるという取引を持ち掛けられていた。そしてそれを強衛門は承知して現在にいたる。

強衛門は定昌たちの顔をゆっくりと見渡してから言った。

「長篠城の皆にお知らせしたいことがある」

 その言葉に定昌たちの顔に緊張が走った。そして強衛門は力の限り叫ぶ。

「もうすでに援軍は城より出ている! それに殿の申した通り信長様も援軍に駆け付けられた! あと二,三日もすれば援軍はたどり着く! この戦我々の勝ちだ! 」

 その声は長篠城の将兵すべてに届いた。城の中からすさまじい感性があがる。

 定昌は強衛門を見ていた。そして

「よくやった! 強衛門」

と、叫ぼうとした。しかし叫ぶ前に強衛門に槍が突き出された。磔にされていた強衛門になすすべもない。

 その一部始終を定昌は見ていた。

「強衛門! 」

 その叫びに強衛門は答えなかい。ただ力強い笑みを見せるそのまま息を引き取った。定昌は何もできずただ立ち尽くすことしかできなかった。

 奥平家臣鳥居強衛門は非業の最期を遂げた。そしてここから戦いは新たな局面を迎える。


 ついに長篠の戦が始まりました。長篠の戦で有名なのは織田信長の鉄砲を最大限生かした戦術。そして鳥居強衛門の壮絶な死です。強衛門は軽卒の身でしたが奥平家を救うために危険を冒し最後には死んでしまいます。

 本当は岡崎についた時点で役目は終わっていました。しかし一刻も早く仲間たちに吉報を届けたいという気持ちが己の死につながってしまうとは思いもよらなかったでしょう。しかしそうした強い思いがあればこそ現代のわれわれの心を打つのでしょうね。きっと強衛門の話はこれからも語り継がれていくでしょう。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

 

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