表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
76/399

奥平信昌 婿殿 第四話

 奥平家は武田家を見限り徳川家に付いた。そのためにおふうは死ぬ。悲嘆にくれる定昌。しかし定昌に悲しんでいる暇はない。徳川家と奥平家の命運を決める戦いがまじかに迫っているのである。

 おふうが死んだ元亀四年は途中で元号を変え天正となる。この二十年にも及ぶ天正年間は徳川家に様々な出来事が降りかかった。また天正年間の前半は徳川家と武田家との激しい戦いの時代でもある。

 一方で奥平家でも重大な出来事があった。

 その日定昌は父に呼び出された。

「お叱りを受けるのだろうか」

 おふうの死後、定昌は魂が抜けたようになっていた。それを与十郎をはじめとする家臣たちも心配している。定昌自身もどうにかしようと考えるのだがどうしようもなかった。そんな時にわざわざ貞能が呼び出したのだからそれに関する事かと考えるのは当然のことといえる。

 気落ちした様子で歩く定昌。そんな定昌に付き従う男がいる。男は定昌に言った。

「心配することはございません。殿も若のことを心配なさっていますから」

「そうか… だと良いのだが」

「きっとそうでしょう」

「そこまで言うならそうなのだろう。すまないな定直」

「お気になさらず」

 男の名は奥平定直といった。定直は元々阿知波という姓である。しかし定昌たちが脱出する際に実直な働きを見せた。それを気に言った貞能が定昌の直属の家臣として配したのである。さらに奥平の一族に加えた。

 定直は定昌とそれほど変わらない年齢であった。人柄は穏やかで実直な男である。いささか地味な風体であるがその人柄の良さは付き合いの浅い定昌でもわかるほどであった。

「(父上も私を気遣って定直を仕えさせたのだな)」

 諸事に気遣いを見せる定直の存在は確実に定昌の心を癒していた。

 さて呼び出された定昌が到着するとそこには貞能のほか与十郎を含む奥平家の重臣たちもそろっていた。それを見て思わず緊張する定昌。それは右後ろで平伏している定直も同様であった。

「(いったいなんだ? )」

 定昌は父の言葉を待つ。そして貞能は言った。

「今日をもって家督を定昌に譲る」

 その言葉を定昌は始め理解できなかった。しばらく呆然としていたが気を取り直して質問する。

「そ、それは何故…… 」

 やっと出たのはそんな質問であった。その様子に貞能は苦笑しつつ答える。

「武田家を離反し作手からここまで逃れてきた。これからはおそらく家康さまに仕え続けることになろう。儂は今まで様々なところに属してきた。そのような男では信頼を得るのは難しい。それゆえお前に家督を譲る、という事だ」

 貞能はそう語った。定昌は語ったことがすべて真実とは思わなかった。しかし父の決意が固いことは理解できる。こうなれば気落ちしている場合ではなかった。

 定昌は恭しくうなずくと言った。

「承知しました。この定昌、父上から譲られた奥平の家、心血を注いで守り抜いて見せます」

「うむ。頼んだぞ」

「はい! 父上」

 そう力強く姿に先ほどまでの陰鬱な雰囲気は何処にもなかった。

 この家督継承が行われた日の夜。貞能は与十郎と二人で話していた。

「しばらくは苦労も増えるだろうが定昌を支えてやってくれ」

「承知ました。しかし殿」

「なんだ? 」

「亀姫様の件はどうします」

「家康さまが言うにはまだいいとおっしゃっておった。どうやら気遣われているらしいな」

「左様ですか」

「まあ気に入ってもらえているならそれでいい。ともかくこれよりは定昌が当主。改めて頼むぞ」

「もちろんです」

 そう言って二人は酒を飲み交わすのであった。

 一方定昌は一人でいた。一人月を見上げて物思いにふける。

「(おふう。父上が私に家督を譲られたよ。もしかしたらお前を死なせてしまったのを悔やんでいるのかもしれない。しかしそれについては私も同罪だ。だから私は全力で奥平の家を守ろうと思う。それがお前の死にわずかでも報いることになると思う。見守ってくれ)」

 定昌はそう誓うのであった。


 奥平家の離反とそれに伴うおふう、千丸の死の翌年の天正二年(一五七四)。武田勝頼は織田家の領地である美濃(現岐阜県)に侵攻し明智城を攻略した。ついで遠江の徳川方の要所である高天神城をも落城させる。

 高天神城は勝頼の父の信玄でも落とせなかった城である。高天神城の攻略は勝頼の自信を深めると同時に、武田家の武威がいまだ健在であるということを知らしめた。

 この事態に家康も危機感を募らせた。

「武田勢はすでに退いたがいつ再び襲って来るかわからない」

 今回武田家は高天神城を落として撤退していった。これはさすが名将武田信玄が落とせなかった高天神城ということで武田家も消耗していたのである。しかし再び徳川領に襲い掛かるであろうことは目に見えている。家康は武田家への備えを始めた。

 そうしているうちに年が明け天正三年となった。この頃には定昌も立派な奥平家の当主になっている。

「それで与十郎。武田家の動きはどうなのだ」

「はい。まだ大きな動きは見せていませんが大規模な侵攻の準備を始めているようですね」

「ならば戦いの日も近いか」

「左様ですね」

 定昌の問いに与十郎もうなずく。その与十郎だがなぜか嬉しそうな顔をしていた。それが気になった定昌は与十郎に尋ねる。

「どうしたのだ? 」

「いえ、定昌さまも立派な当主になられたなぁ、と」

 そう言われて定昌は溜息をつく。

「いきなり何を言うのだ」

「申し訳ありません。ですがあの若様が立派な殿になられて。重臣一同喜んでいますよ」

「気の早い話だ。私はまだまだ父上には及ばんよ」

 そう言って定昌はこれまでの苦労をかみしめた。当主になってからは今まで知らない様々な苦労をしている。改めて貞能を尊敬するほどであった。

 なお貞能は現在家康のそばに仕えていた。隠居の身であるが三河における徳川武田の国境についていろいろ詳しいことを買ってのことである。

「(相当気に入られているようですね。亀姫様のことも双方乗り気のようですし)」

 そんなことを与十郎は考えていた。それを知ってか知らずか定昌は与十郎に尋ねる。

「そう言えば父上から新しく嫁を娶れとこのところ手紙が来るが」

「それは…… 仕方のないことでしょう。殿には跡継ぎがおられませぬから」

「それは分かっているのだがな」

 定昌は渋い顔をした。これには与十郎もため息をつく。

「(まだおふうが忘れられないという事ですか)」

 当主に就任してから定昌は見違えるほど元気になった。しかし内面ではおふうのことをまだ思っている。それだけは与十郎としてはどうにかしてほしいところだった。

 一方の定昌も貞能や与十郎の心配を理解しているつもりである。

「(新しく妻を娶らなければいけないというのは分かる。しかしおふうあんな死に方をさせた私にそんなことが許されるのだろうか)」

 当主になっても定昌の心の中には黒い影が残っている。それは誰にも晴らせない暗い影であった。

 

 定昌と与十郎がそんなやり取りをしていると定直が入ってきた。

「殿。家康さまからの使者です」

「そうか。通せ」

「かしこまりました」

 そう言うと定直は使者を呼びに行った。

 現在、定直は定昌の直属の家臣となっている。立場としては貞能にとっての与十郎な位置であった。始め定直はこの立場を固辞しようとした。

「某は所詮無骨者。このままで構いません。それに与十郎さまのようにはできませぬ」

 そう言う定直に対し定昌は言った。

「私はまだ若い。何より当主として未熟だ。そんな時にお前のような実直な男が助けてほしいのだ。頼む」

 こう主君に懇願されては定直も承諾するしかなかった。

 さて定直の現状はひとまず置いておき家康からの使者のことである。使者はこう述べた。

「殿は奥平殿に長篠城に入っていただき武田家の抑えを果たしてほしいとのことです」

「なんと…… 」

 使者の口上を聞いて声を挙げたのは与十郎であった。確かにその内容は驚くべきものである。

 長篠城は先だって徳川家が武田家から奪還した城である。地理的には三河における武田家への最前線であった。その重要な拠点を少し前に帰参した定昌に任せるといのだから与十郎が驚くのも無理はない。

 定昌は口上を聞いてからしばらく黙っていた。そして静かに言う。

「承知いたした。殿に粉骨砕身し努めるとお伝えください」

「かしこまりました」

 使者は定昌の返答を聞くとすぐに去っていった。

 しばらくして与十郎が口を開いた。

「いささか浅慮では? 」

 与十郎はこう言った。要するにすぐに返事をしなくてもいいという意味である。それに対して定昌は言う。

「家康さまは私に期待してくれている。だからこの任を任されたのだ」

 それを聞いて与十郎は残念そうな顔をした。明らかに落胆の色が浮かんでいる。ところが定昌はそんな与十郎の表情を見てにやりと笑った。

「そんな顔をするな与十郎。私だってわかっている」

 そう言われて与十郎はびっくりした。そして定昌は自嘲気味に言う。

「此度の件は我々を試しているのだろう。家康さまは一度裏切ったものを安易に信ずるような甘いお方ではない。ここで我らが徳川家のために力を尽くすかどうか試すおつもりなのだ」

 定昌はそう言った。それを聞いて与十郎は安堵した表情になる。そして頭を下げた。

「申し訳ありませぬ。殿を侮るような態度を」

「気にするな。昔の私ならそう考えた」

「それは…… まあ置いておいて。しかし我々の選択肢は始めから決まっているのも事実です」

「そうだな。もはや武田に下ることは出来まい」

 奥平家の裏切りに武田家の主の武田勝頼は激怒した。その結果がおふうと千丸の死である。もし再び武田家に下ったとしても勝頼は自分たちをゆするまい。そう定昌も与十郎も考えている。

「我々は武田家と死力を尽くして戦う他はない。そうだろう。与十郎」

「左様ですね。家康さまはそこも理解しておられるのでしょう」

「きっとそうだ。しかし望むところだ」

 そう言った定昌は獰猛な表情をしている。

「相手が武田の者どもならば死ぬまで戦って見せる」

 定昌の表情に与十郎は驚いた。そして気づく。

「(おふうを殺した恨み、という事ですか。すさまじいものですね。しかしこれほどの怒りを抱えておられるとは)」

 与十郎は定昌の様子に危惧を覚えるのであった。


 数日後、定昌は定直と兵を引き連れて長篠城に入った。留守は与十郎に任せてある。そして急ぎ武田家の襲来に備えた。

「城の各所の補修を進めろ。それと物資の備えも怠るな」

 長篠城は東西と南方を絶壁に守られている。しかし北側は平地が広がっていた。ここが弱点とも言えたが一方で敵が攻めてくる方向が特定できる。

「この一面を守り抜けばこの城が落とされることは無い」

 定昌も家臣たちもそう確信している。しかし懸念も無くはない。定直は言う。

「数で攻めてこられればひとたまりもないのではないのでしょうか」

「そうだな。武田家が本気で襲いかかればそれは恐ろしい数の兵を集めるだろう」

 武田家がどれほどの規模で攻め込んでくるかはわからない。もしも大軍で攻められてはひとたまりもなかった。

「その時は殿の後詰を期待するしかないな」

 定昌は改めて自分が追い詰められた立場にいると確信した。

 そうして定昌が備えを進めていると浜松の手紙が届いた。

「誰からだ? 定直」

「浜松の大殿からです」

「父上から? いったいなんだ? 」

 定昌は不思議に思いながら手紙を読む。手紙にはこう記してあった。

「与十郎から話は聞いた。相当の意気のようだが血気にはやれば道を誤る。敵がいくら憎かろうともまずは冷静に対処するのだ。敵を多く討つ事がお前の任ではない。お前は城を守り徳川の家を助けることが任だ。その任を果たせば武田への復讐も自然と成しているだろう。それを忘れるな。そして何より生き残ることを目指すのだぞ」

 それは長々とした説教であった。これに定昌は少しうんざりとしたが、貞能の心配ちゃんと受けとめる。

「(与十郎め私が城を出る前か後かはわからないが父上にこんなことを。しかしそれほど私の姿は心配されるようなものだったのか…… )」

 定昌は少し反省した。おふうを殺されたことを恨むばかりで冷静さを欠いていたのは事実であろう。

「冷静になれ、か。それに何より生き残れとも書いてあるな。確かにそうだが」

 定昌はちゃんと父の諫言を理解している。しかし頭で理解できてもそれができるかどうかは別の話であった。

「この怒りを止めることは出来ん。だから敵を討ち、そうして城を何としてでも守る。それしかない」

 怒りが収まらないのならばそれを戦いに生かすしかない。定昌はそう考えた。

「この城を失う事は奥平家の終わりと同じだ。それは生きても死んでも変わらない」

もはや奥平家に武田家に下る選択肢はない。もう徳川家の中で生きていくしかなかった。それは徳川家が武田家に敗れた時点で何もかも終わりである。

「もはや道が一つしかないのなら死力を尽くして戦うしかないじゃないか」

 定昌は一人そうつぶやくのであった。

 こうして定昌は万全の準備を整え武田家の襲来を待つ。そして運命の長篠の戦いの幕が開けるのである。

 この話で元号が変わり天正になりました。この天正の年間は戦国時代の有名な出来事がいくつも起きます。そして戦国時代も終焉に向かっていきます。そうした重要な出来事の中で定昌にもいろいろな出来事が起きるのですがそれは後のお楽しみということで。ご期待ください。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ