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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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奥平信昌 婿殿 第一話

 三河の武将。奥平信昌の話。

 奥平信昌は三河の奥平家に生まれた。信昌が生まれた頃、戦国の世は終わりの始まりを迎える。その中で信昌は様々な出会いと別れを体験する。

 三河国(現愛知県)作手。奥平氏は昔々にこの地にやってきた。そして代々この地で暮らしてきた。当代は定能である。そして息子は九八郎といった。

 さて奥平氏が惣領の奥平家はさほど大きな家ではない。こうした家は近くの大きな家に従属し命脈を保つというのが戦国の世の習いである。

 九八郎が生まれた弘治元年(一五五五)に奥平家は今川家に従属していた。この時の今川家は傑物の今川義元を当主に置き、本領の駿河(現静岡県)だけでなく遠江(現静岡県)、三河を支配する一大勢力であった。

「今川家に従っておればお家は安泰。何も心配することは無い」

 当主の貞能はそう家臣たちに語っていたし、家臣たちもそう信じていた。

 ところが九八郎が五歳になった永禄三年(一五六〇)にとんでもない事態が起こる。今川義元が尾張(現愛知県)の桶狭間で戦死してしまった。さらに三河では今川家に従属していた松平家が独立するという事態も起こる。

これに奥平家は大騒ぎとなる。

「松平殿は今川家から離れるらしい」

「これは大変なことだ。これからどうなる」

「わからん。しかし今川家が三河からいなくなるとも考えられん」

 この事態に貞能は今川家に従い続ける道を選ぶ。

「あくまで義元さまが討たれただけだ。まだ今川家の力は衰えていない」

 しかし貞能は目ざとい男でもある。

「松平家とも通交を絶やさぬように」

 そう一部の家臣に言いつけていた。

 九八郎はそうした父親の背中を見て育った。幼い九八郎には父親の生き方がいいものか悪いものかはわからない。ただ

「父上は必死でわたしたちをまもっているのだ」

というふうに理解していた。この感覚も間違いではなく実際に貞能が奮闘するのも奥平の家と一族を長らえるためである。九八郎も幼いながらにそれは理解している。

 そんなこんなで義元死後は三河を中心に松平家と今川家の戦いが始まった。戦いは松平家の優位で進んでいく。

「なるほど。松平家康とはなかなかやるようだな」

 貞能の見立て通り現松平家当主の松平家康は今川義元と同様の傑物であった。義元の戦死を機に松平家を独立させ今川家との戦いも有利に進める。またこの間松平家の領内で一向一揆が起き家臣の一部が参加するという危機も乗り越えて三河の西側を掌握した。そして家康が次に狙うのは東三河である。東三河には作手も含まれていた。

「ここが潮目か」

 永禄七年(一五六四)家康が東三河への侵攻を開始するにあたって貞能は今川家を離れる決断をした。そして松平家の傘下に入り今川家との敵対を始める。

 この決断を家康は歓迎した。ここから奥平氏と家康の長い付き合いが始まる。

「今度父上の殿になった家康さまとはどういうおひとだろう」

 この時の九八郎はそんな感想しか抱かない。もっとも先のことなどわからないのだから当然である。


 三河を統一した家康は姓を松平から徳川に変える。そして今川領の遠江への侵攻を始めた。当然貞能も家康に従い遠江へ向かう。

 この頃の九八郎はまだ十代前半の少年であった。しかし当主の息子である以上は留守を任される立場である。

「留守の間のことは頼むぞ」

「お任せください。父上」

「うむ。よい返事だ」

 目ざとく時勢を読み取る貞能も息子の前ではよい父親であった。息子は父を尊敬し、父も息子を大切にしている。だからこそ必要とあれば鞍替えもすると貞能は考えていた。

「(今は家康さまの下で功を上げ、家の安泰につなげるのだ)」

 そう言う心境で貞能は戦いに臨む。一方の九八郎は

「(父上が無事に帰ってきますように)」

 と祈っていた。

 家康率いる徳川家は遠江へ侵攻し順調に制圧していく。もはや今川家の衰退は明らかであり勝ち目はなかった。最終的に今川義元の息子で当主だった今川氏真は掛川城に追い詰められる。そして徳川家に降伏し妻の実家である北条家の下に落ちのびていった。

 貞能も無事に作手の居城亀山城に帰還した。九八郎も喜んで父親を迎える。

「おかえりなさい父上」

「ああ。帰ったぞ九八郎。よく留守を務めたな」

「はい! 」

 九八郎は父に褒められ素直に喜んだ。しかし父がどこか深刻そうな顔をしている事には気付かない。

 帰還した夜に貞能は奥平一族で重臣でもある奥平与十郎を呼んだ。与十郎は貞能とは竹馬の友であり強い絆で結ばれている。才覚もあり早いうちから貞能の側近として抜擢されていた。今回の遠江への出兵に際しては九八郎を傍で支える役目を引き受けている。

 貞能は与十郎に尋ねた。

「留守中変わったことは無かったか」

「はい。家中に問題はありません。九八郎さまも立派に務めを果たしました」

「そうか」

 そう言う貞能だが顔は暗い。何か心配事を抱えているようだった。与十郎にはそれが何かわかっている。

「武田信玄殿のことですか」

「ああ、そうだ」

 多く語らずとも分かり合っている二人である。貞能の心配事を的中させる与十郎に驚きもしない貞能であった。

 ここで上がった武田信玄というのは甲斐(現山梨県)信濃(現長野県)などを治める大大名のことである。信玄率いる武田家は周辺諸国にも武名をとどろかせる精強な軍を抱えていた。

 今回の徳川家の遠江侵攻に際し武田家は駿河に侵攻している。これは徳川家と同盟し今川家の領地をわけあおうという目論見によるものであった。しかし双方同盟の内容に見解の相違があり現在では決裂してしまっている。

 この情報は従軍していた貞能も作手に残っていた与十郎も知っていた。

「今はまだ大丈夫だが、いずれ徳川家と武田家で戦になるかもしれん」

 貞能の心配事はそこであった。三河は武田家の領地である信濃と接していた。武田家の侵攻の仕方によって奥平家は真っ先に戦うことになる。

「今の徳川家では武田家には勝てまい。領地も兵も将も武田家の方が上だ」

「左様ですね。武田家に攻撃されればひとたまりもないでしょう」

「ああ。だとすれば武田家に下ることも考えなければならん」

「その通りです。しかし今はまだ」

「ああ、わかっている」

 現状武田家が侵攻してくると決まった訳ではない。迂闊に武田家に下るような真似をすれば徳川家に攻撃されるだけである。

「結局はいつも通り機を見て動くという事か」

「左様ですね」

 与十郎は頷いた。貞能もうなずく。こういう考えが今まで奥平家を生き延びさせてきたのである。

 しばらく二人は今後のことを話していた。すると不意に思いついたように貞能が言う。

「そう言えば九八郎の嫁のことはどうなった」

「はい。一族の娘のおふうというものがおります。この者なら器量もよろしいかと」

「そうか…… ならばその娘でいい。九八郎の元服の時期と合わせて進めておいてくれ」

「かしこまりました」

「よし。とりあえず今日はここまでだな」

 こうして二人の話し合いは終わった。気付けば夜も更けている。九八郎は自分の人生の関わることがあっさりと決められていることなど露知らずによく寝ていた。


 元亀元年(一五七〇)。この年の初め九八郎は元服をした。名も定昌と改める。

「よくここまで大きくなったな」

「ありがとうございます父上。これよりは私も奥平の家のために力を尽くします」

「うむ。頼むぞ」

 また同時期に妻も娶ることになった。相手は以前貞能と与十郎が決めたおふうである。

 おふうは大人しい娘であった。年は定昌の二つ下である。

「何卒よろしくお願いいたします」

 恭しくおふうは言った。定昌はそんなおふうに優しく微笑みかける。

「そんな堅苦しくなることは無い。これよりは夫婦なのだから一緒に頑張ろう」

 定昌の優しい言葉におふうも心が休まったようだった。

「よろしくお願いします」

「こちらこそ」

 二人が会ったのはこの日が初めてである。しかし二人の心は早くも通じ合うのであった。

 さてこの元亀元年は定昌と貞能の主君の家康にとっては様々な出来事があった。

 家康は今川家から独立した後織田信長率いる織田家と同盟を結んでいた。この同盟もあり家康は織田家と共同で軍事行動をとることもある。

 元亀元年の四月に信長は越前(現福井県)の朝倉家を討つために出陣した。家康も兵を率いて同行している。しかし近江(現滋賀県)の大名の浅井長政が朝倉攻めの途中で攻撃を仕掛けてきた。長政の浅井家は織田家と同盟関係にあり長政は信長の妹を娶っている。信長も完全に味方と思っていた相手の攻撃で危機に陥った。結局信長は辛くも虎口を脱して逃げ延びる。家康も無事に撤退できた。

 帰還した家康は居城を三河の岡崎城から遠江の浜松城に変えた。そして体勢を立てなおした信長と共に六月に浅井家を攻撃する。

 この浅井攻めに奥平家も動員された。そして定昌も出陣することになる。

「期待しているぞ定昌」

「はい。お任せください父上」

 定昌にとってはこれが初陣である。しかし奥平家の明日を担う身として父に恐れや不安を見せるわけにはいかなかった。

 出陣前の夜、定昌はおふうに語った。

「正直不安なのだ。まさか初陣が遠く離れた近江だとは思わなかった。それに敵方は相当に手強いらしい」

 定昌は心中の不安を吐露する。そんな定昌の手をおふうはしっかりと握った。

「大丈夫です。定昌さまはきっと無事に初陣を果たします」

「何故そう思うのだ? 」

「定昌さまに嫁ぐ前私は夢を見ました。その夢は定昌さまが立派な姿で立派な城で見事に政を行っている姿です」

 急にそんなことを言われて定昌はびっくりした。そんな定昌に言い聞かせるようおふうは話を続ける。

「実際に嫁ぎ、定昌さまの優しい心に触れてこの方は素晴らしいお方だと思いました。だから私が見た夢もきっと本当になります」

「本当にそう思うか? 」

「はい」

 おふうははっきりと答えた。そのおふうの答えに定昌の心は不思議と落ち着く。

「(おふうが本当のことを言っているかどうかは分からない。だが今心が落ち着いているのは確かだ。ならば何も不安に思うことは無い)」

 定昌はそう考えるようになった。

 翌朝、定昌はおふうに言った。

「いって来るよおふう。そなたの見た夢を本当にするために」

「はい。ご武運をお祈りします」

「ああ。待っていてくれ」

 幼い夫婦は別れの挨拶を交わすのであった。

 こうして定昌の初陣、姉川の戦いが始まるのであった。


 家康率いる徳川軍は織田家の軍勢と合流し近江に侵入する。織田徳川の連合軍は浅井家の横山城を攻め落としにかかる。浅井家は朝倉家と共に横山城救援のため出陣した。織田徳川連合軍は浅井朝倉連合軍と合戦に及ぶ。姉川の戦いの始まりである。

 奥平家を含む徳川軍は朝倉家の軍勢に対応した。数は朝倉軍の方が優勢である。

「これは厳しい戦いになりそうですね」

 与十郎はそう言った。貞能もうなずく。

「織田家の軍勢の方が数は多い。だがそれでも朝倉勢を我々に任せるか」

「よほど裏切りに腹が立ったようですね」

「そのようだ」

 二人はそんな会話をしている。とは言え余裕が見えた。

 一方定昌はひたすらに深呼吸をしていた。二人の会話も耳に入らない。そんな定昌を貞能も与十郎も心配そうに眺めていた。

 貞能は定昌に一言声をかけようとする。だがそこに家康からの伝令が駆け込んできた。

「朝倉勢の先鋒が近づいてきました。家康さまからこちらも前に出よとのご指示です」

「わかった。行くぞ! 」

 そう貞能が叫ぶ。それに呼応し奥平家の将兵も打って出た。勿論定昌もである。

「(必ず生き残りおふうのもとにかえるのだ)」

 定昌は腹を決めると馬を走らせる。兵たちもそれに続く形で敵に向かっていくのであった。

 戦いは一進一退の攻防が続く。やはり数で負けているのは明らかである。しかし徳川勢は数の不利を覆す戦いぶりを見せた。

 定昌も必死で戦う。途中幾度か危機に見舞われたが与十郎やその配下に救われた。

「これは危ないのではないか」

「ええ。少し押されているようにも感じますね」

 不安そうな定昌に同意する与十郎。するとどこからか大きな掛け声があがった。

「なんだ!? 」

 驚く定昌。そこに伝令が駆け込んでくる。

「家康さまが自ら兵を率いて突撃したようです」

「なんだと!? 」

 今度は与十郎が驚いた。大将自らと突撃するなど信じられない事態である。だがここで戦況も動く。徐々に徳川家が優勢になり始めたのである。主君の行動に連れられる形で将兵もさらに奮戦し始めたのであった。

 この動きに定昌も続いた。

「我々もいこう! 」

「「おう! 」」

 初陣の若殿に奥平家の将兵も続く。与十郎は始め呆気にとられていたがすぐに続いた。

「若を死なせるな! 」

 こうして徳川家の奮戦で朝倉勢は総崩れとなった。それが波及し浅井家も織田家攻撃に総崩れとなる。そして戦いは織田徳川連合軍の勝利で幕を閉じた。

 戦いの後、定昌は父に連れられ家康に目通りした。

「失礼します。初陣を遂げた息子を連れてまいりました」

「お、奥平定昌です」

 父に促され定昌は家康に平伏する。家康は中肉中背の男で一見風采の上がらない感じであった。しかしその体からは威圧感のようなものが感じられる。

「定昌、といったな」

「は、はい」

「初陣にもかかわらず見事な戦いぶり。これよりも父に孝行し徳川の家を支えてくれ」

 主君からの優しい言葉に定昌は思わず顔を上げた。そこで見たのは優しい表情を浮かべる家康の顔である。定昌は感極まって額を地面にこすりつけた。

「(私の戦いを知ってくれたのだ。本当に素晴らしいお方だ)」

 感極まる定昌はなかなかその場から離れられなかった。

 こうして定昌の初陣は無事に終わった。亀山城に帰ると戦勝と初陣を祝って宴会が行われる。

「家康さまも定昌を目にかけてくれているようだ。これは本当に有難い」

 貞能もこの時は上機嫌である。

 宴会が終わり定昌はおふうとともに床に就いた。そこで定昌は興奮気味に言う。

「家康さまというお方は素晴らしいお方だ。勇猛なだけでなくとても大きな器を持たれている」

「それよいことですね」

「これからは父上と共に家康さまを支えて行こうと思う」

 定昌は自分の決意をおふうに伝えた。おふうは優しく定昌を見つめている。やがて二人は静かに仲睦まじい時を過ごすのであった。

 だが二人は知らない。この後で起きる悲劇のことを。


 というわけで今度の主人公は奥平信昌です。もっともまだ名前は信昌になっていませんが。

 さて今回の話の中心は信昌よりも父親の貞能となっています。貞能は戦国時代の小領主の代表的な例といっていい生き方をしています。強いものに寄り添い自分の家を守る。人によっては情けないと考える人もいるかもしれませんがそうでなければ生きていけない時代なのです。そして筆者はそう言う生き方が好きだったりします。しかしこの貞能の生き方が信昌にある悲劇をもたらします。それはまだ先の話ですがお楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

 


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