十河一存 鬼十河 第六話
長慶の畿内制圧は着々と進んでいく。一存も兄を助け戦い続けた。そして一存達の戦いに一区切りがつく時、一存に悲しい別れが訪れる。
一存達三好兄弟が明石氏を下してから三年経った永禄元年(一五五八)の正月。一存は居城の十河城にて家臣たちと新年を祝っていた。
「皆、今日は無礼講だ。楽しんで過ごせ」
養子に出た一存と冬康は新年を自分の養子先で過ごすようにしている。これは養子先を粗略にしないようにという長慶の言いつけがあるからだ。もっとも一存としては十河家で過ごす新年に何の不満もない。もう十年以上いるのだから実家も同然である。
「今年も十河家と三好家のために皆の力を貸してほしい」
「「応! 」」
一存の言葉に家臣たちは力強く答えるのであった。
家臣たちとの宴会も終わり一存は存春と酒を飲み交わしていた。
「改めて今年もよろしく頼む。親父殿」
「ああ。こちらこそよろしく頼む」
そう穏やかに答える存春。だがその姿はどこか弱々しい感じもする。
「(親父殿もそれほど年ではないはずなのだがな…… やはり俺が苦労をかけすぎたからか)」
実はこのところ存春の体調はすぐれなかった。一存はその理由が自分の留守をしていてくれたからだと思っている。
そんな一存の考えは存春には筒抜けであった。
「私の体のことは別にお前のせいではないぞ」
一存は驚いて酒をこぼしそうになる。そんな一存を尻目に存春は酒をすする。そして空の盃を置くと一存に力強い笑みを見せた。
「お前は何も心配する必要はない。思う存分暴れろ」
「ありがとう親父殿。しかしこのところは平和なものだ」
「確かにそうだ」
実際このところ晴元と義藤の活動は沈静化していた。何か起きたことといえば義藤が名を義輝と改めたぐらいである。かつてあれだけ活発に活動していたのが嘘のようだった。
「いい加減あきらめたのかもな」
一存は気楽に言った。実際畿内での長慶の覇権は盤石なものになりつつある。晴元と義輝が付け入るスキは見当たらないほどであった。
しかし存春は一存の見通しを否定した。
「いや、今は力を蓄えている時期なのだろう。おそらく再び動き出すはずだ」
「そうか? 」
「ああ、そうだ。今までの戦いぶりはそれほどの執念を感じさせるものだった。それはお前も知っているだろう」
存春に問いかけられて一存は考え込んだ。確かに晴元の執念はすさまじい。一存はかつて義賢が「晴元殿は死ぬまで戦いを止めない」といったことを今でも信じている。
一存は盃の酒を一気に飲み干すと言った。
「ならば次の戦いで最後だ。その時にケリをつけてやる」
力強い決意表明であった。そんな息子の姿を存春は頼もしそうに見ている。そして
「私が死んでも大丈夫だな…… 」
と、つぶやいた。
「何か言ったか? 親父」
「いや、なんでもない」
存春のつぶやきは一存の耳には入らなかったようだ。存春はそれでいいと思っている。
永禄元年細川晴元と足利義輝の二人が再び動き出した。晴元たちは同年の四月ごろ近江の坂本に着陣した。坂本は交通の要所で京を窺う場所にある。晴元たちはここから悲願の入京を果たそうとしていた。
これに対して長慶は京を防衛するため防衛線を築き、摂津にいた松永久秀を呼んで迎撃の体制を取った。
ここで長慶はまず将軍山城を制圧した。将軍山城は近江から上洛する際の拠点とされる城である。長慶はここを抑えることで晴元たちの出鼻をくじこうとした。
この長慶の動きに対し将軍山城の南東にある如意岳に陣取った。そしてここから攻勢をかける。すると将軍山城に詰めていた三好家臣が状況を不利と判断し撤退してしまう。結局将軍山城は晴元と義輝の手に落ちた。
ここで動いたのが松永久秀である。久秀は長慶にこう訴えた。
「今如意岳の防備は手薄となっています。ここで攻め落とせば敵も動揺しましょう。さすればこちらに流れを引き戻せます」
「なるほど良い案だ。久秀、その策成し遂げられるな」
「もちろんです」
「ならば任そう」
長慶の許可を得た久秀は弟の長頼と三好一門の三好長逸を連れて如意岳に向かう。久秀の読み通り如意岳の防備は手薄であった。
「ではいただこうか」
久秀率いる三好軍は如意岳の晴元、義輝軍に襲い掛かり陣を乗っ取った。守備していた敵兵は残らず討ち取り残されていた物資も奪う。さらに占拠した翌日には小規模だが晴元、義輝方と一戦及び勝利した。
ここまでの出来事は晴元と義輝が坂本に入った四月から六月までの間に起きたことである。この目まぐるしく変わる戦況の報告を一存は讃岐で聞いていた。報告している長慶からの使者も詳細が書かれた書状を読みながらやっと正確に報告できるという有様である。
「それで今はどうなっているのだ」
「はい。敵方は将軍山城に籠り動く様子はないようです」
「なるほどな」
どうやら晴元と義輝は持久戦に入るつもりのようだった。一存はその点について疑問がある。
「しかし城に籠ったところで援軍が無ければ意味がないのではないか」
「その点については六角殿が後援しているからではないかと」
「また六角殿か」
現在の六角氏の当主は六角義賢である。晴元は義賢の姉を娶っているので二人は義兄弟の間柄であった。義賢は長慶と晴元を和睦させようとしたこともあったが、基本的には晴元側の人間である。
「それで六角の連中の動きはどうだ」
「それがどうも和睦を模索しているようです」
「なんだと? 戦うつもりはないのか」
「どうやらこのままでは不利に傾くと思っているようです」
「そうか…… それはまずいな」
またも上がってきた和睦の話に一存の表情が曇る。
「(千兄貴は晴元とも義輝とも本当は争いたくないと考えている。和睦があがればのっかるつもりだろう。しかしそれじゃあ同じことの繰り返しだ)」
一存はしばらく考え込んで言った。
「千兄貴…… 長慶さまに簡単に和睦しないようにといっておいてくれ」
「かしこまりました」
そう言って使者は去っていった。
それから数日後、今度は義賢から使者が来た。
「万兄貴は何て言っているんだ」
「はい。これより四国勢は長慶さまを助けるために出陣する。そして一存様も準備をするようにとのことです」
「そうかそうか! よしすぐさま出陣の準備をするぞ」
一存は勇躍した。四国勢総動員ということは相当な規模の軍勢となる。
「(この大軍で晴元も義輝も圧し潰すつもりか。兄貴もついに覚悟を決めたという事か)」
一存は長慶が晴元と義輝を討つつもりだと思った。そうなれば何が何でも兄を助けなければならない。一存は家臣を呼びつける。
「皆急いで戦の準備だ。海を渡るからそのつもりでいろ」
「承知しました。鬼十河の力を見せつけてやりましょう! 」
「当然だ! 」
意気揚々と走り去る家臣。一存も久しぶりの大戦の気配に心が躍るのを感じていた。
長慶の要請により四国勢は海を渡る。まず永禄元年の七月に長慶や一存の叔父にあたる三好康長が先遣隊として出陣。続いて八月から九月にかけて一存ら長慶の弟たちが出陣した。
一存は意気揚々と海を渡る。船は安宅水軍の用意したもので義賢と冬康も乗っている。
「此度の戦いで晴元の息の根を止めてくれる」
これまで長慶を苦しめ続けた晴元への怒りは大きい。一存は今回の出陣で何が何でも晴元を仕留めるつもりだった。
そんな一存を義賢と冬康は気の毒そうに見ていた。その視線に気づいたのか一存は二人に尋ねる。
「いったいどうしたのだ? 」
それに対し義賢はため息をつくだけだった。一方冬康は苦笑しながら言う。
「いえ、なんでもありません。ただ」
「ただ? 」
「一存の思うようにはならないかもしれません」
冬康の言葉を聞いて一存の顔色が変わった。そして一存は冬康に詰め寄る。
「どういうことだ? 千世兄貴」
冬康は気まずそうに眼をそらす。そんな冬康に変わるように義賢が言った。
「此度の出陣は戦うことが目的ではない、という事だ」
義賢はそう言った。その時の一存には分からなかったが、海を渡り長慶と合流してから理解することができた。
長慶と合流した四国勢は将軍山を囲むが攻撃するようなそぶりは見せない。一方で一存が聞き及んだところでは和睦の交渉が随分と進んでいるとのことだった。
「俺たちが呼ばれたのは交渉のためか」
一存はがっかりしてしまう。要するに四国勢が動員されたのは晴元や義輝に圧力をかけるためであった。長慶は自分の軍事力を誇示することで和睦交渉を有利に進めようと考えていたのである。つまり長慶は今回も晴元との和睦を選択したのである。
「これじゃあ同じことの繰り返しじゃないか」
今回ばかりは一存も長慶に詰め寄る。しかし長慶は聞く耳を持たず義賢や冬康になだめられる形で一存が折れた。
長慶に詰め寄ったのち一存は苛立ちながら自分の陣に帰る。
「晴元は何度も千兄貴に盾突いている。もはや容赦は必要ないはずだ」
「その通りです」
一存の苛立ちに何者かが同意した。背後から聞こえた声に一存は驚かない。ゆっくりと振り向くと声の主を睨む。声の主は一存に睨まれているのを感じていないかのように涼しげに立っていた。
「何の用だ。松永久秀」
「全く、一存様のおっしゃる通りにございます」
「何の用だと聞いている」
久秀は一存の問いに答えずただ先ほど一存がこぼした言葉に同意している。一存は殺気を込めて睨みつけるが久秀が気にしている様子はなかった。
「細川晴元は長慶さまに盾突く敵。そのような者に情けをかけていればいつかは身を滅ぼしましょう。一存様もそう思いになられているようで」
その久秀の問いに一存は答えなかった。しかし内心はその通りである。
一存は久秀に背を向けて歩き始める。そんな一存の耳に久秀の声が聞こえた。
「邪魔なものは何としてでも排除する。そうでなければ生き残れない…… 」
そのまま振り返らず一存は自陣に帰った。
この後ふたたび六角義賢の調停で長慶と晴元・義輝は和睦した。もっとも晴元はやはり和睦を受け入れず坂本に帰ってしまう。一応義輝は和睦を承諾したので京に帰ることができた。四国勢は和睦が成立すると各自帰還していく。
「これでよかったのか? 千兄貴」
一存は一人つぶやいた。それに答えるものは誰もいない。
長慶と晴元・義輝との争いに一応の決着はついた。これで一応畿内は安定し始める。一存は釈然としないものを感じながらも讃岐に帰った。そして愕然とする。
「親父…… 」
讃岐に戻った一存が見たのは病み衰えた義父の存春の姿であった。一存は留守をしていた家臣に詰め寄る。
「いったいどういう事だ! 」
すると家臣は床に額をこすりつけて謝罪する。
「も、申し訳ありせぬ! 」
「何故知らせなかった! 」
「それは殿が若の心を煩わせぬようにと…… 」
そう言われて一存は黙るしかなかった。自分に知らせなかったのは存春の意志でこの家臣は従ったに過ぎない。
「わかった。下がっていい。お前は正しいことをした」
「本当に申し訳ありませぬ…… 」
「気にするな。もし悔いが残るならこの先も俺を支えてくれ」
「はい…… 」
一存の優しい言葉に感涙しながら家臣は去っていった。
この後も存春の状態は良くならなかった。一存は長慶に頼み畿内から腕のいい医者を送ってもらう。しかし
「これはどうしようもありませぬ」
医者は首を横に振った。その態度に一存は怒る。
「それでも医者か! 」
「医者は神ではありませぬ。どうすることの出来ぬ病もあります」
そう言って医者は存春を見た。この時存春は苦しむ様子も無く眠っている。
「正直感心しております。この病に蝕まれて相当の苦しみがあるはずなのにそれを見せない。本当に立派なお方です」
「そうか…… 」
一存も存春を見た。家臣たちの話によると苦しむ姿を絶対に見せないらしい。ただ声だけが聞こえるとのことだった。
医者はくすりを差しだした。
「これは病の苦しみを抑えるものです。私に出来るのはここまでです」
「そうか。ありがとう」
そこで一存は医者も無念であると知るのであった。
存春の病状はどんどん悪くなっていく。遂には立つこともできなくなった。そんなある日一存は存春に呼び出される。
「なんだ親父殿。何か欲しいものがあるのか」
一存は優しく言った。それに対して存春は笑顔を見せる。
「息子に物をねだるほど落ちぶれてはいない」
存春は相変わらずの物言いであった。一存は助かる見込みがないと知っていたがほっとする。すると存春は言った。
「おそらく明日か明後日かそのくらいに私は死ぬだろう」
あっけらかんとした言い方であった。一存は息をのむ。
「私が死んでも葬儀は行うな。もし長慶殿から呼ばれたらすぐに行け」
「親父…… それは」
「元長殿や長慶殿のおかげで私はいい思いができた。何より素晴らしい息子に会えた。その恩は計り知れん」
存春は一存を見る。その表情は穏やかで優しいものだった。
「私はお前を息子に出来て幸せだったよ」
一存の目には涙が浮かんでいた。しかし一存はそれをぬぐうと笑ってみせる。
「俺も親父の子になれて幸せだったよ」
「そう言ってくれるか」
「当然だろう」
二人は自然と笑いあう。血がつながらなくてもこの二人には確かな絆が存在した。
それから数日後、十河存春は死んだ。享年は四十九歳である。
一存は存春の言いつけを破り葬儀を行った。
「親父殿は讃岐で一番の将。そんな男を弔わないでどうする」
その言葉に十河家の家臣たちは頷く。皆鬼十河があるのは存春がいたからだと理解している。勿論一存も同様である。
「これよりは俺が十河の家も三好の家も守る」
そう一存は決意するのであった。
後日、十河家の政務を行っていた一存は立ちくらみに襲われた。
「んん? 」
一存はいままで大きな病にかかったことは無い。立ちくらみなどありえなかった。
「殿、お疲れなのでは」
「何のことは無い。心配するな」
心配する家臣に一存は笑いかけた。実際この年の間立ちくらみに襲われるということはない。だが知らぬ間に黒い影が一存に迫っていたのも事実である。
一存の義父の存春が死んでしまいました。存春に関しては史料が少ないのでほとんど想像で書いています。その結果何というか子を見守るいい親父といった感じになりました。個人的にこれでよかったと思っています。
この話で起きた大きな出来事に長慶と義輝、晴元の和平があります。晴元はこの和平以降は目立った行動を見せることなく死んでしまいます。また最後まで長慶と和解することは無かったようです。長慶が何度も和解を持ち掛けていたのにそれを拒み続けたのは良くも悪くも元主君の意地があったのでしょう。ある意味すごいと感じます。
さて十河一存の話は次で最後となります。想定以上に長い話になりましたがお付き合いいただいてありがとうございました。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




