十河一存 鬼十河 第五話
長慶と義藤、晴元の間で和睦が成り平和が訪れるかに見えた。しかし混乱の火種はいまだくすぶり続けている。一方その頃一存の下に兄の義賢から使いが来る。一存は義賢のある策動を助けることになる。
一応の和睦が成り讃岐や阿波の情勢は安定してきた。一存は阿波に出向き義賢と今後のことを話しあう。
「讃岐は問題ない。親父殿がにらみを利かせている間は俺も動ける」
「そうか。存春殿はなかなかにやり手だな」
「満兄貴の方はどうだ」
「一応は安定している。だが…… 」
義賢は渋い顔をして黙った。それをみて一存の顔つきも険しくなる。
「何か問題でもあるのか? 」
「何か動きがあるわけではない。しかし持隆様がな」
ここで話にあがった持隆と言うのは阿波守護の細川持隆のことである。持隆は晴元の従弟で義賢の主君に当たる人物であった。
性格は温厚でお人好しともいえる部分もある。ただ器量がいいわけではなく家中の運営は義賢に任せきりにしていた。そしていささかお節介なところがある。
「持隆様がどうした」
「晴元殿が出奔したことをひどく嘆いておられる」
細川持隆は晴元を早くから支えていた。晴元と高国との戦いやその後の混乱でも晴元を支えて奮闘している。一方で長慶たちにも好意的でいろいろと手を貸してくれたりもした。
そう言う人物だから長慶と晴元が敵対した時はひどくうろたえたという。
「長慶は元長殿の遺言を違えたのか? 」
義賢は持隆がそう言ったことを覚えている。
その後紆余曲折あって長慶と晴元の間で和睦が結ばれた時は誰よりも喜んでいた。そして晴元が今回の和睦に納得せず出奔したことを知るとひどく落ち込んでいる。
義賢は眉間にしわを寄せて唸る。
「正直持隆様がどう動くかは俺にもわからない。今は我々に敵対するつもりはないようだが油断は出来ん」
「そうだったのか」
一存は江口の合戦から義賢が阿波を離れられない事情を改めて理解した。
「しかし晴元も持隆様も我々に支えられて家を維持しているじゃないか。だというのに勝手をするのはどういうことなのだ」
そう憤る一存。それに対し義賢はこう言った。
「彼らからしてみれば細川家あっての三好家と考えているのだろう。それもある意味間違っていない。しかし持隆様はともかく晴元殿は兄者を嫌いすぎているな」
義賢の言う通り晴元は長慶をとにかく嫌っている。長慶を利用することはあっても話を聞いたり助けたりということは無い。それは強大な力を持つ長慶への恐れなのかもしれないが。
「晴元はいつまで兄貴と戦うつもりなんだ」
「おそらくは死ぬまでだろう。しかし兄者は晴元さまに甘い。これではいつまでたっても戦いは終わらん」
そう言って義賢は大きなため息をつく。同じようなことを考えていた一存も大きなため息をつくのであった。
結局出奔した晴元は丹波(現京都府)の波多野元秀を頼り長慶との戦いを続けた。これは和睦が成立した同年中のことである。長慶は元秀の八上城を攻撃したが従軍していた家臣に内通者が現れた。そのため撤退を余儀なくされる。
晴元はまだまだ戦うつもりだった。義賢の言う通り死ぬまで戦いを止めないつもりなのかもしれない。
京周辺において長慶と晴元の戦いは続いた。さらに天文二十二年(一五五三)将軍足利義藤の家臣が長慶の排除を目論んで晴元と密約を交わす者もあらわれる。これには長慶も怒り義藤との関係も悪化した。この結果、義藤は前年に築城した霊山城に立てこもる。結局、長慶と晴元、義藤の間に出来た和睦も一年足らずで破局してしまった。
こうして畿内が再び混乱に落ちる中で一存は義賢に呼び出された。しかも隠密でと言う条件つきである。
「万兄貴は何かやるつもりか」
「だろうな。おそらく持隆殿に関わることだろう」
「親父。留守は頼む」
一存は留守を存春に頼むとわずかな家臣を連れて讃岐を出た。この行動は表向き畿内への出向という名目である。実態を知るのは同行する家臣と存春のみである。
味方も欺き讃岐を出た一存は素早く阿波に入った。そして急ぎ義賢のいる勝瑞城の近くの寺へ向かう。寺に入ったのは夕暮れであった。
寺はあまり大きくないが三好家とは縁のある寺であった。またここの住職は口が堅い。密談にはもってこいである。
一存達兄弟は幼いころにここで学んでいる。師は住職であった。
「久しいな。厳沓和尚」
「ああ久しいな又四郎殿。いや、今は十河一存殿であったか。何とも立派になられたものだ」
「なに。昔和尚に色々教えてもらったおかげだ」
「いやいや。兄ごたちはよく学んでいたが、貴殿はすぐに学問を止めて遊びまわっておったよ」
厳沓和尚の物言いに一存は苦笑いするしかなかった。
「まあなんだ。あの頃は幼かったからな」
「何、恥じることはありませぬ。今は鬼とも称される将になられた。その素養は昔からあったということ。それが形になったことを幼いころを知る身からすれば嬉しゅうございます」
そう言って厳沓は涙を見せた。それを見て一存は改めて礼を言う。
「それも和尚が優しく見守ってくれたおかげの事。また此度も迷惑をかけるというのに温かい言葉。本当にありがとう」
一存のしっかりとした物言いに、厳沓の目からさらに涙があふれるのであった。
さて一存は寺で義賢を待つ。やがて日が落ちるころに義賢がやってきた。
義賢は挨拶そこそこに話を切り出す。
「此度はお前の手を借りたい。信頼できる者が必要なのだ」
「なんなりと言ってくれ兄貴。それで何をするつもりなんだ」
一存の問いに義賢はなかなか答えなかった。だが意を決して言う。
「持隆様を討つ」
簡潔な、だが衝撃的なことである。一存は義賢の言葉をゆっくりと飲み込むと口を開いた。
「やはり晴元さまのことか」
「ああ、それもある」
義賢が言うにはこのところ持隆は晴元と連絡を取り合っているらしい。持隆自身は極秘裏の行動のつもりだろうが、家中を掌握している義賢には筒抜けであった。
この持隆の行動は義賢や一存からしみてみれば許せるものではない。だが義賢が決意したのはほかにも理由があった。
「どうも義栄様とも通じているらしい」
ここで名前の出たのは足利義栄のことである。義栄は現将軍の義藤の従弟であった。この義栄と三好家はいささか複雑な関係にある。
義栄の父は足利義維と言い前将軍足利義晴の弟にあたる。もともと細川晴元と一存達の父の元長は義維を擁していた。しかし晴元は方針を転換し義晴のもとに下る。元長は最後まで義維を擁していたが、三好政長の謀略で戦死したのは前にも記した。
その後義維は阿波に逃れ持隆の父の之持に庇護されていた。之持の死後は持隆が面倒を見ている。勿論義栄も一緒だ。
「それで持隆は義栄と通じて何を企んでいるんだ? 」
一存はそこが分からなかった。畿内では晴元と義藤が再び手を組もうとしている。その晴元と通じている持隆が義栄と通じて何をしようとしているのか。さっぱりわからない。
義賢は大きなため息をつく。そして苦々しい表情で話し始めた。
「どうも義栄様を将軍にしようとしているらしい」
「…… そんなことできるのか? 」
「わからん。が、望みは低かろう」
「第一そんなことをすれば迷惑なのは晴元だろう」
一存の疑問も尤もで義藤と近い晴元にすれば、持隆が別の将軍を担ぎ上げる利点がない。持隆か義藤のどちらかとの関係に亀裂が生じるのは日の目を見るより明らかである。
「どうも義栄様を将軍にして兄者と晴元殿の仲を取り持とうと考えているのではないか。出来るわけないが」
義賢は吐き捨てるように言った。持隆が義賢の言っていることを考えているのならば全く現実的ではない案である。
実際問題長慶は晴元、義藤と敵対しつつもできる限り和平の可能性を模索している。そんな長慶が義栄擁立案を受け入れる可能性は限りなく低い。一方晴元は義藤との繫がりが生命線でもある。義栄を擁立などすれば義藤に見限られ確実に畿内で孤立する。だから持隆の計画が実現する可能性はゼロに近かった。
しかし義賢が調べる限り持隆は行動に移そうとしている。さらに義栄も存命の義維も乗り気であった。
「ここで持隆様に馬鹿な真似をされれば情勢はさらに混乱する。下手をすると兄者に害が及ぶ」
「だから討つ、と言う事か」
「ああそうだ」
その一言に義賢の決意は十分に籠っていた。ならば一存の答えは一つしかない。
「俺に出来ることがあれば何でも言ってくれ」
「ああ。すまん」
こうして一存と義賢の二人による持隆排除の策動が始まった。
二人の計画は単純かつ明瞭であった。義賢が持隆を呼び出し一存が連れてきた家臣たちが持隆を討つ。要するに暗殺である。これについてはほぼ段取りがついていてあとは実行という段階であった。
「要するに俺はそのためだけに呼び出されたのか」
「そう言うな。最後の仕上げには信頼できるものが必要だったのだ。現状お前以外いない」
そう言われると一存も悪い気がしない。
さて義賢がやろうとしていることは所謂主殺しである。当然実行すれば反発を買う。しかしそれについて義賢は十分な根回しを行っていた。そもそも持隆は殆ど傀儡のようなもので家中は義賢が掌握している。今回の件は持隆の子の真之を擁立することを条件に黙認される。
「所詮皆自分の身が惜しいのだ」
義賢はそう言った。その語り口には嘲りも侮辱も感じさせない。ただ事実を言っている、そう言った冷徹さのみがある。そんな義賢の物言いに一存は背筋が冷たくなったのを感じた。
こうして準備が整い迎えた天文二十二年六月、計画は実行に移された。
義賢は持隆を勝瑞城近くにある見性寺に呼び出した。理由は畿内の情勢について内密の相談があるということにしてある。持隆はこれを疑わずにやってきた。
「それでいったい何用なのだ? 」
細川持隆と言う人物は戦国時代に似つかわしくない温厚な人物であった。また人を疑うことを知らない。皮肉にもそれが持隆を殺すことになる。
義賢は無言で書状を差し出した。それは入手していた持隆と義維とのやり取りの証拠である。
書状を見た持隆は絶句した。一方の義賢は表情を変えず静かに言う。
「殿。残念に思います」
そう言うや否や一存率いる刺客が乱入してきた。持隆は何か言おうとするがそれも間に合わず斬殺される。義賢は目の前で起こる惨劇を無表情のまま見つめていた。
暗殺が成功すると義賢はすぐに持隆の死体を処理させた。そして後日持隆が急病で死んだという事と息子の真之が跡を継いだということを各所に伝える。こうして家督相続終わり阿波では何の混乱もなかった。ただ一つ上げるとするならば持隆と誼を通じていた義維が阿波を出て行ったことぐらいである。
この時すでに一存は讃岐に戻っていた。勿論讃岐の一存や存春の下にも義賢からの連絡は届いている。
「恐ろしい男だな」
「全くだよ」
義賢からの書状を読みながら存春は言った。一存も舌を巻いて感嘆している。
こうして阿波にて一つ事件が終わった。一方混乱の続く京では長慶と義藤の対立が続いている。
持隆の死から二ヶ月後義藤のこもる霊山城は落城する。これに持隆の死が影響しているかどうかはわからない。しかし義藤は元より晴元もまだ戦意は萎えていないのは間違いなかった。
義藤は晴元と合流し丹波に逃れた。その後長慶は松永兄弟に丹波への侵攻を命じるが、逆に敗れて引き上げることになってしまう。
「久秀はともかく長頼もやられるとは」
一存は晴元らの執念に舌を巻いた。長慶が晴元や義藤に遠慮している部分もあるのだろうがそれにしても頑強な反攻である。
「俺に何か手助けは出来ないか」
そう言う旨を長慶に伝える一存。それに対して長慶から返事が返ってきた。
「心配かけてすまない。だが問題ない。お前の力が必要なときは連絡する。ありがとう」
相変わらず丁寧な返事であった。一存は変わらぬ兄の言動に苦笑してしまう。
さて一存への手紙で心配ないといった長慶は敗戦の処理が終わると一気に動き出す。
まず敗戦の翌年の天文二十三年(一五五四)には再び丹波に出陣して晴元方の城をいくつか落としている。その後も何度か丹波に出陣し晴元方の勢力を削いでいった。
一方で同年中に三好一族の三好長逸が摂津(現大阪府および兵庫県)の国人有馬氏の要請受けて出陣している。有馬氏は隣国播磨(現兵庫県)の別所氏と戦っていた。そこで長慶に後援を依頼し長逸が出陣したという事である。このように長慶の権勢は畿外にも知れ渡り頼るものも増えてきた。
長逸は播磨で別所家の城をいくつか落とす活躍を見せる。すると今度は播磨の守護の赤松氏が長慶に後援を求めてきた。
赤松氏は同国の明石氏と抗争中であった。明石氏は晴元方と接近し攻勢を強めている。そう言うわけで晴元と対立している長慶に後援を依頼したという事であった。
相手が晴元に通じる勢力ということで今度は長慶自ら出陣する。さらに長慶は一存に義賢、冬康にも出陣を要請した。
三好兄弟は冬康の本拠地淡路にて集結した。迎えるのはもちろん冬康である。
「お久しぶりです。皆元気でしたか」
「ああ。何も問題はない」
そう怜悧に答えたのは義賢。
「正直力が有り余っている位だぜ」
そう力強く答えるのは一存。
「お前たちは変わらないな…… 」
そう穏やかに答えたのは長慶であった。しかし長慶はどこか疲れている感じもする。一存はそれに気づいた。
「大丈夫か千兄貴」
「大丈夫だ。ただこのところ忙しかったからな」
「そのようですね。ですが此度の戦が終われば休めましょう」
「ああ。そのために俺たちを呼んだのだろう」
「その通りだ」
長慶は頷いた。確かに今回の軍事行動で兄弟全員を集結させるほどの必要はない。それでも集めたのは三好家の力を見せつけるという理由がある。見せつけるのはもちろん晴元だ。
「今丹波は少しずつ我らの手に落ちつつある。そのうえで明石氏を下せば晴元さまも意気も下がろう」
そう目的を言う長慶。その理由に一存は納得がいったが気に入らないところもあった。
「まだ晴元を主君だと考えているのか? 」
その一存の物言いに長慶は黙り込んだ。すると今度は義賢と冬康が口を開く。
「もはや晴元殿は敵だ。何より我々は氏綱様を掲げている」
「兄上のお気持ちは理解できます。しかしここまでかたくなな態度に出られてる以上もはや容赦はするべきではないかと」
二人の口からも厳しい言葉が出る。長慶は押し黙ったままだった。
兄弟の間を重苦しい空気がつつむ。しばらく誰も言葉を発しなかったが意を決して一存が口を開いた。
「ま、まあとりあえず目の前の戦の勝利だ。なあ千世兄貴」
「そうですね。それに手がないと理解すれば晴元殿も下るでしょう」
「あとはその時と言う事か。まあそうなれば兄者の判断に俺たちは従おう」
一存に続き冬康と義賢も口を開いた。三人とも長慶を苦しめたいわけではない。とりあえずこの話題は終わりにしようという事である。
「すまんな」
長慶は謝った。その短い言葉の中に様々な意味が込められていることを一存達は理解している。そしてそれが自分たちを大切に思っているからだということも。だから一存達は長慶についていくのだ。
ともあれ軍議を終えた三好兄弟は播磨に侵攻した。天文二十三年の十一月に明石氏の本拠地の明石城を包囲。年が明けて天文二十四年(一五五五)の一月には明石氏は降伏した。
この後晴元たちの活動は一時鎮静化する。その間にも長慶は畿内での権力を確立していき周辺諸国への影響も強めていくのであった。
一存は改めて誓う。
「命ある限り三好の家を、何より兄貴たちを支えて行こう」
そう誓う一存は自分の命が長く続くと信じていた。戦いで死ぬとは思っていないからだ。ゆえに一存は自分の最期が思いもよらぬものになるとは思っていない。
今回の話で義賢は主君の細川持隆を暗殺しました。この理由については本編で語られているほか諸説あります。しかしはっきりとした理由は分からないのが現状のようです。それにしても長慶は晴元と戦ったり和睦したりと忙しいのに弟の義賢は容赦なく主君を暗殺しています。ここら辺に長慶と義賢の性格の違いが見えます。長慶がお人好しなのか、義賢が非情なのか。どちらかは読者の方々のお好きな方でどうぞ。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では