十河一存 鬼十河 第四話
江口の戦いに勝利した長慶は京に入った。そして畿内で最大の実力者に躍り出る。しかしそんな長慶に数多くの危機が訪れる。一存は兄を助けるべく奮戦するが思いもよらぬ事態が一存や長慶、そして三好家に降りかかる。
江口合戦で勝利した長慶たちは細川氏綱を擁して上洛した。長慶としては将軍の義晴に逆らうつもりはない。管領を晴元から氏綱に変えるだけだと考えていた。しかし
「晴元様が義晴様と義藤様を? 」
将軍の義晴と嫡男の義藤は晴元に連れられ近江(現滋賀県)に逃れていた。
「晴元はまだあきらめていないのか」
一存は忌々しげにつぶやいた。将軍を連れて行ったのは大義名分のためで長慶との戦いをあきらめていない証拠である。実際に将軍職を譲られた義藤は京の奪還を目指して中尾城と言う城を築いた。勿論晴元もそこにいる。義晴はしばらくして病に倒れ死んでしまったが、新しい将軍と元管領は打倒長慶のために手を携えるのであった。このことは後後まで尾を引くことになる。
さて長慶は京に入ると家臣たちに役目や領地を与えた。長慶は様々な人物を家臣として取り立てている。その中に松永久秀と松永長頼の兄弟もいた。
松永兄弟の出自はよくわからない。だが長慶が近畿で活動し始めた頃に仕えたらしい。兄の久秀は長慶の祐筆(書記)として取り立てられた。その後は長慶の奉行として政務で頭角を現して出世している。一方弟の長頼は戦いでの働きで功績を上げていった。そのためか出世は兄よりも早くこの時も京の周辺に領地を与えられている。
一存は久秀と長頼の双方に面識があった。長頼とはお互い兄を支える弟と言う立場と武の面に秀でているということで仲が良かった。
この時長頼が領地を得たことを一存は喜んだ。
「長頼の戦働きは大したものだ。兄貴もそれをよくわかっている」
そんなふうに言う一存。それに対して長頼はかぶりを振る。
「何の。拙者は家臣として当然の働きをしているまで」
長頼はがっしりとした体格で厳つい顔をしたいかにも武辺者と言った風体である。しかし笑うと子供のような愛嬌があった。
「長慶さまに拾われてやっと日の目を見ることができました。その恩義に報いているだけです」
「そう言ってくれるか。しかしお前はともかく久秀はな…… 」
そう言って一存はここにいない久秀のことを思い出す。すると表情が険しくなった。
久秀はあまり戦場に出ず後方での働きが多かった。それでも長慶は長頼同様久秀を取り立てている。しかしそんな久秀を弟の七光りと揶揄するものも多い。
「どうもな…… あ奴は信頼できん」
一存はそう忌々しげに言った。脳裏に浮かぶのは、長頼とはまるで違う細身の体格でおとなしげな風貌の久秀の姿である。このひ弱そうな風体が久秀の悪評を後押ししていた。
初めて久秀と顔を合わせた時の言葉を一存はよく覚えている。
「こうして日の当たる場所に来た以上、どんな手を使ってもこの場に居座り続けますよ」
「そりゃあどういう意味だ」
「二度と日陰には戻りたくない。それだけです」
そう言って久秀は一存を見た。一存はその時久秀の目を見ている。
長頼は兄をかばった。
「兄は兄で重要な仕事をしています。そのおかげで拙者は思う存分に暴れられるのです」
「それはそうなのだがな」
一存は長頼の物言いに頷きつつも険しい表情を変えない。
脳裏には相変わらず久秀の姿が浮かんでいる。だが一存が一番気になるのは暗く底の知れない久秀の目であった。
ともかく長慶は京とその周辺を統治する体制を整えると摂津に戻った。そして摂津周辺の晴元派の勢力を制圧していく。一存は一度讃岐に戻るがすぐにとんぼ返りした。これには長慶も呆れた。
「お前はもう少し十河の家に孝行しろ」
「そうは言うが親父殿の言いつけなのだ。こっちは問題ないから兄貴を支えろと。そうすることが十河家の繁栄につながるとも言っている」
「そうか…… ならば存春殿の好意に甘えよう」
こうして一存は長慶を助けて戦った。そして天文十九年(一五五〇)の七月に長慶に率いられ上洛する。この時は一万八千もの兵を伴っていた。目的は京周辺の晴元派の掃討である。
今回の上洛に一存は勇躍した。
「ここいらでいよいよ決着をつけようってか」
一存としては晴元を打ち取って兄の心を穏やかにさせたいと考えていた。この段階でも長慶は晴元に逆らったことを後悔している節を見せる。
「(万兄貴も千世兄貴もいない。俺が千兄貴の力になるのだ)」
こうして上洛した一存達。一方の晴元もこの動きに呼応して山中に籠った。しかも六角家の援軍も得ている。
長慶はこの動きに対して大胆な動きを見せずにらみ合いの体制に入った。両軍は兵を小出しにして争ったが本隊を動かそうとはしない。双方リスクの大きい勝負をしようという気持ちにはならなかった。
なお余談だがこの時の小規模な戦いで長慶配下が鉄砲で射殺されるということがあった。これは戦国時代の鉄砲使用の速い例としてよく取り上げらる。
さてにらみ合いを続けた両軍だが結局長慶が引き上げることで決着がついた。この後十月に再び上洛するが同様ににらみ合いに終始してしまう。この状況にしびれを切らしたのが一存であった。
「兄貴よ。こうも大軍を動かして何もしないというのはさすがにどうかと思うぞ」
一存は長慶にそう言った。長慶は険しい顔で一存の意見を聞いている。どうやら長慶も悩んでいるようだった。
「色々と周りのことが気になるのかもしれんがここは動くべきではないのか」
「それもそうだが…… 果たして将軍様に牙を向けることに皆抵抗はないのか」
長慶の気がかりはそこである。晴元の下には将軍足利義藤がいた。そんな晴元を攻撃すれば将軍に弓を引くことになる。それだけに長慶は悩んでいた。
一存は悩む長慶に言う。
「兄貴。兵や家臣たちは兄貴を信じてここまで来た。それは将軍がどうとかそういう事じゃない。三好長慶と言う男を慕っているからだ」
「一存…… 」
「皆を信じてくれ。兄貴」
そう言われて長慶の表情が変わった。険しい表情は消え覚悟の決まった潔い顔になる。もはや迷いは消えたようだった。
「よし。打って出よう」
「わかったぜ。兄貴」
「ただし一存はここに残って私の補佐をしてくれ。いいな」
「う…… わかったよ」
前線にでて暴れる気満々であった一存は苦笑いするのであった。
長慶は兵を集めると晴元方の拠点である中尾城の周辺を攻撃した。さらに松永長頼に数万の兵を預け六角家の領地である近江に進軍させる。これは六角家の軍勢が阻んだがその隙に三好家の別働隊が近江に侵入した。
この事態に足利義藤は自分たちの不利を悟った。そして中尾城を放棄する選択肢を取り撤退する。中尾城は三好家が接収しのちに破棄した。
こうして今回の戦いは三好家の優勢で終わる。だが晴元も義藤も健在で戦いを止める気もなさそうであった。
「まだまだ長引きそうだな」
戦いが終わり讃岐に帰る途中で一存はそうつぶやくのであった。
中尾城の落城の後、長慶は近江へ長頼を派兵するなどして晴元方の掃討を試みる。しかし六角家と協力している晴元を倒すことはできなかった。
こうして戦況は膠着状態に陥った。この時一存は讃岐に帰還している。江口の合戦以降の一存は殆ど三好家の武将として戦っていた。これは一存の義父存春が家を守っていてくれたおかげである。
帰還した一存に存春は言った。
「もう戻って来てよかったのか」
「ああ。しばらくは大丈夫そうだ」
「ならいいさ。しばらくは休むがいい」
そう言って存春は一存をやさしく迎える。また讃岐に残っていた家臣たちも一存の帰還を喜んだ。
「一存様が帰ってこられた。また武功を上げられたそうだ」
「ああ。本当に大したお方じゃ」
「全く我々家臣も鼻が高い」
そう言って皆一存を褒めたたえる。一存はそれが嬉しくも恥ずかしい。
こうして讃岐に帰還した一存はほどほどに休むと十河家の政務に携わる。もっとも存春が当主として現役であるのでやること少ない。
「全く俺は楽をさせてもらっているな」
義賢は長慶の留守を預かる身として、冬康は安宅水軍の長として様々な仕事を行っている。それに比べて一存は気楽であった。結局は今回の讃岐の帰還は一存の骨休めとして長慶がいいつけたものである。
こうして気楽に讃岐で過ごす一存。しかし衝撃的な一報が飛び込んできた。
「千兄貴に刺客だと! 」
一存はその報告を存春と一緒に聞いた。そして報告を聞き終える前に思わず立ち上がり叫んでしまう。
「どういうことだ! 」
そう言って義賢からの使者に詰め寄る一存。だが使者は一存の迫力に負けて続きが言えない。次第に苛立ち始める一存。その時存春が口を開いた。
「一存よ下がれ。それではこの者が話を続けられん。それでは何もわからん」
存春にそう言われて一存は冷静になった。そして落ち着いた足取りで使者から離れると続きを促す。使者の方も落ち着いて話し始めた。
ことは天文二十年(一五五一)の三月十四日に起こった。その日長慶は幕府に仕える伊勢貞孝の宿所にいたという。伊勢貞孝は幕府に仕える身であったが長慶とは親しい中であった。だがそこにいた幕府の奉公人の中には将軍足利義藤の息のかかったものもいたという。
「将軍からの刺客とは…… 」
このことに存春も驚いた。長慶の権勢が晴元や義藤を脅かしていることはわかっている。だが将軍から刺客が放たれるようなことになるとは思っていない。
「それで千兄貴はどうなったのだ」
「幸い難を逃れたようです。念のため用心のために京から離れています」
「そうか…… それは良かった」
一存は胸をなでおろした。長慶が無事だっただけでもいいことである。
「しかし暫くは動けんな」
「そうだな親父」
存春の言葉に一存は頷いた。この暗殺未遂が反長慶の動きに連動したものとも考えられる。事実暗殺事件の翌日に伊勢貞孝の屋敷が襲撃されたらしい。長慶にはいまだ敵も多かった。迂闊に動けば隙をつかれる恐れもあった。
「歯がゆいな…… 」
一存は苛立ったがどうしようもない。動けないのは兄たちも同様であるようだった。とりえず情報のやり取りはしているが敵のはっきりとした動きもつかめていない。
そんな折、同年五月に衝撃的な事件が起きた。長慶の同盟者で舅に当たる遊佐長教が暗殺されてしまったのである。
「これはいかんぞ。だがどうすれば」
この報を聞いた一存は今までにない位に動揺した。これにより長慶は畿内の大きな味方を失ったことになる。
一存はどうすることもできずただ立ち尽くすのであった。
長慶の暗殺未遂事件から四ヶ月後の七月十四日。三好政勝を筆頭とする一団が京の相国寺に入った。晴元は暗殺を警戒した長慶が京を離れるのを見計らって行動に出たのである。
「晴元め…… 」
この報告を聞いた一存は歯ぎしりをするばかりであった。現在ことは晴元の思惑通りに進んでいる。それに対して一存は何もすることはできない。
一存は何度も讃岐を出て長慶を助けに行こうと考えた。しかしそのたびに長慶や義賢に制止されている。
「心配は無用だ。お前は十河の家を守ることに集中しろ」
義賢はそう言った。しかしその義賢の顔色も悪い。それだけ現状はいろいろ厳しかった。
そんな時に長慶から使者がやってきた。一存はすぐに報告を聞く。
「どうした! 」
「は、はい。相国寺の敵は無事に打ち破ったとの由を殿から預かりました」
「なんと! そうか! 」
使者が持ってきたのは相国寺の晴元方を打ち破ったとの報告だった。この報告に一存もやっと安心することができる。
「(しかし誰が指揮を執ったのか…… いや、今畿内にいるものだと長頼ぐらいしかいないか)」
一存はこの勝利は松永長頼がもたらしたものだと考えた。そして確認するように使者に聞く。
「此度の戦で指揮を執ったのは松永長頼か? 」
すると使者は頷いた。
「その通りです」
「そうか。やはりな」
一存は満足げにうなずいた。長頼は三好の家臣の中でも武勇も人柄も認めている男である。その長頼が三好家の危機を救ったことが不思議と嬉しかった。
しかし次に使者から出た言葉を聞いて凍り付く。
「それと松永久秀殿も活躍なされたそうです」
「なんだと…… 」
使者の口から出たのは長頼の兄、久秀の名であった。使者は凍り付く一存をよそに話を続ける。
「此度の戦で久秀殿は摂津や河内の国人たちを説き伏せ多くの兵を集めたそうです。戦いもこちら圧倒的に上回っていたので損害も出なかったようで。いやはや大したものです」
「…… 兄貴は何と」
「はい。此度の久秀殿と長頼殿の働きは見事である、と」
「そうか…… わかった。もういいぞ」
「ははっ」
一存に促され使者は去っていた。残された一存の頭の中には信頼ならない久秀の顔が思い返されている。
「(あの男が兄貴の危機を救ったというのか。兄貴への忠誠は本物なのか。だがやはり信頼できん。あの男は三好家にきっと害をなす)」
この考えに根拠はない。しかし何故か一存にはそう思えてならなかった。
一方で長慶は今回の松永兄弟の働きに感激した。
「私には兄弟以外頼れる者はいなかった。しかしこれからはお前たちが私を支えてくれる。これからも頼りにしているぞ」
長慶にこうに言われた長頼はこう答える。
「これからも三好家長慶さまのために誠心誠意努めていきます」
そして久秀はこう答えた。
「これよりもどんな手を使っても三好家を大きくしましょう」
二人の答えに長慶は満足げにうなずいた。
こうして久秀長頼兄弟の活躍で晴元の反撃を潰すことができた。やがて年が明けて天文二十一年(一五五二)一月に晴元を後援していた六角定頼がこの世を去る。晴元にとっては先年の敗戦に匹敵する痛手であった。
定頼の跡を継いだ息子の六角義賢は方針を転換し長慶と晴元、義藤の調停を図った。この義賢の方針転換は長慶にとっては喜ばしいものである。
「義藤さまと晴元さまと戦わずに済むのならばそれでいい」
長慶は今でも主筋にあたる義藤と晴元と争っていることを悩み続けていた。義賢の提案は渡りに船ともいえる。
一方の義藤は戦況の悪化を受けて調停を受けることを承諾。そして和睦が成立した。
和睦の条件は長慶が晴元の息子の聡明丸を取り立てること、細川氏綱が正式に家督を継ぐこと、義藤が上洛することの三つである。
一存は兄の三好義賢に挨拶に行った時にこの話を聞いた。
「これで丸く収まるかね」
「さあな」
こっちの義賢には取り付く島もなかった。
こうして和睦は成った。これで畿内の争いも終わる。多くの人が考えた。しかし渦中の人の一人である細川晴元は若狭(現福井県)出奔している。これを晴元が和睦に納得していないと理解していると考える人もいた。一存もその一人である。
「兄貴よ。甘すぎるぜ」
讃岐の一存はそう言って大きなため息をついた。
細川晴元という人物はなかなかに波乱万丈な人生を送ています。ここまでの話だけでも一度も没落し返り咲いたと思ったらまた没落しました。しかしそれでも再起を目指し戦い続けます。ある意味尊敬できる精神力ではあります。
さて今回の話では一存はあまり活躍しませんでした。そして一存の代わりに活躍を始めるのが松永久秀、長頼の兄弟です。彼らと一存の関係がどうだったのかはよく分っていません。ただ一存は久秀を嫌っていたといわれています。久秀の未来を考えると慧眼ともいえるのですがこの頃は一家臣。しかも三好家のために働いています。おそらくは直感的なものか性質的な理由なのでしょうが不思議なものですね。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




