十河一存 鬼十河 第三話
畿内が混乱を深める中で、一存達は兄弟の力を結集し勝利した。しかしこの勝利は一存の兄の長慶にある決断を迫る。そして一存は大きな転機となる戦いに加わることになる。
舎利寺の戦いで勝利した三好兄弟。しかし肝心の遊佐長教は逃してしまった。また、細川氏綱も健在である。
範長たちは長教を追って河内に至る。しかし長教は氏綱と共に迎撃態勢を整えていた。ここで範長は決戦せずに長教とにらみ合うことにする。これは海を越えてやってきた弟たちを一度家に帰すためであった。
「準備が整い次第戻ってきてくれ」
弟たちを見送りながら範長はこう言った。弟たちももちろんそのつもりでいる。
さて範長たちと長教の対陣は長期に及んだ。長期の対陣は双方を消耗させる。
「何とか和睦できないか」
摂津の国人の帰属と舎利寺の戦いの勝利は氏綱の勢いを完全に削いだ。範長としてはこれ以上の戦いはいたずらに消耗するばかりだと考えている。そしてそれは晴元も同様のようだったし氏綱と長教も同様であった。
結局両者は天文十七年(一五四八)の四月に六角定頼の仲介で和睦することになった。範長はこのことを弟たちに謝る。
「戻ってきてくれて悪いが和睦することになった。すまん」
頭を下げる兄に冬康は言った。
「仕方ありません。これ以上は皆に苦労を掛けるばかりでしたから。丁度いい機会です」
義賢と一存もうなずくのであった。
こうして三好兄弟の戦いはひとまず終わる。この一連の戦いで範長をはじめとする兄弟たちの声望は高まった。またその存在感も晴元政権内で非常に大きいものになっている。
そうした風聞を讃岐に帰った一存は嬉しそうに聞いていた。
「皆、兄貴のことをほめたたえている。全く自慢の兄だ」
声望が高まったのは範長だけでなく一存含む弟たちも同様であった。
この時は一存も存春に自慢げに言う。
「鬼十河の名が摂津や河内だけでなく山城(現京都府)のあたりにも響いているそうだ。俺の武辺もなかなかのものだろう」
「そうだな。やはりお前は大した男だ。しかし…… 」
存春は一存を褒めたあとで暗い表情になった。それを一存はいぶかしげに見る。
「何だ? 親父」
「少しばかり帰ってくるのが速かったのではないか」
「早い? そんなこと言ってもいつまでもあっちにいるわけにはいかんだろう」
「確かにそうだ。だがおそらく範長殿はまた乱にも巻き込まれるぞ」
そう存春は言った。
「どういう意味だ親父。長教殿とは和睦が成ったのだぞ」
「ああそうだ。しかし範長殿の声望が高まれば担ぎ上げるものも多くなる。それを気に食わんと思うものもいるだろう」
そう言われて一存の脳裏に思い浮かぶのは父の仇、三好政長であった。
「何にせよ範長殿はまたお前の力を必要とする。その時は思う存分暴れるが良い」
存春はそう言って一存の背中を押す。そこで一存の顔も明るくなるのであった。
範長と長教の間で和睦が結ばれた翌月、ある事件が起きた。
摂津の国人の池田久宗と言う人物がいた。彼は三好政長の娘を娶っている。しかし先の戦いでは細川氏綱にのもとに下った。
その後は範長に攻められて晴元に帰参した。そんな久宗が晴元の屋敷に呼び出され殺されるという事態が起きる。
この事件は範長に衝撃を与えた。
「一度許したものを殺害するとは。晴元さまは何を考えているのだ」
この晴元の行いは範長の面目を潰す物であった。さらにそれだけでなくせっかく帰参した摂津の国人たちの反発も招いてしまう。
さらに悪いことに池田家の家督をついだのが三好政長の孫にあたる池田長正であった。このことも摂津の国人たちの晴元への印象を悪くしてしまう。
こうした流れの中で同年八月に範長は晴元に三好政長とその息子の政勝の排除を願い出るという行動に出た。範長としては仇敵とその息子であること、そして摂津の国人たちの意をくんでということもある。
この話を一存は義賢から聞いた。
「千兄貴も思い切ったな」
「ああ。穏やかな兄者にしてはかなり思い切った行動だ」
「しかし大殿はどうするかな」
「わからん、が予測はできる」
義賢は自信ありげに言った。一存は気になったので聞いてみた。
「どうなるんだ? 」
「晴元さまのこれまでの行いを考えればわかる」
「なんだよそれ」
一存は呆れてしまった。義賢は涼しい顔をしている。結局義賢の予想はわからずじまいであった。
その後晴元は範長の願いを聞き入れず政長と政勝を相変わらず重用した。これが義賢の予想通りかはわからない。だが範長の中で何か心境の変化があったのは事実である。
晴元への嘆願から二ヶ月後の十月に範長は長教の娘を娶って名を長慶と改めた。婚姻自体は和睦の一環として話し合われていたと考えられるが名を変えたのはなにがしかの決意の表れと言える。そして長慶は思い切った行動に出た。
その話を知った一存は心底驚いた。
「千兄貴は大殿を見限ったというのか? 」
長慶は晴元のもとを去り細川氏綱の擁立に動いたのである。これは明確に晴元と敵対する道を選んだという事だった。
「これから忙しくなりそうだな」
こうなった以上戦いは避けられない。一存は新たな戦いに向けて決意を新たにするのであった。
長慶が晴元から離反して少ししてから一存は海を渡り長慶と合流した。淡路からは冬康もやって来ている。しかし義賢の姿はなかった。阿波に残っているからである。
「義賢兄上は阿波に残ったのですか」
「ああ、そうだ。しかし何故? 」
一存はその理由が分からなかった。だが冬康は理解しているようである。
「おそらく持隆様を警戒してのことでしょう」
「持隆様を? 」
「ええ。持隆様は晴元さまと古い付き合い。今は立場を明確にしていませんが油断はできません」
「なるほどな。そういう事か」
冬康の解説に一存は納得するのであった。
さて一存、冬康が引き連れてきた兵と合流した長慶は政長との戦いに突入した。まず長慶たちは摂津の政長の拠点、榎並城を攻める。この周辺はかつて一存達の父、三好元長が管理していた土地であった。政長は元長の死後この土地の権利を奪い取ったのである。
この土地を攻める一存や冬康の意気は高かった。
「政長が親父から奪い取ったものを取り返してやる」
「当然です。このために我々は苦労をしてきたのですから」
一方で長慶の意気は高いとは言えなかった。作戦計画は相変わらずだし頭の切れも変わっていないがどこか暗い雰囲気をしている。そのことが一存には気になった。
「いったい千兄貴はどうしたんだ。あの調子では足元をすくわれかねんぞ」
そんな一存の疑問に答えるのは冬康である。
「やはり晴元さまを裏切ってしまったことが堪えているのでしょう」
「今更か? もう腹をくくるしかあるまい」
一存は憤慨したがそれを冬康はなだめる。
「昔兄上から聞いたことがあります。父上は死の間際に「三好家と晴元さまを頼む」と言ったそうです。兄上のことです。今回のことで父上も裏切ってしまったと考えているのでしょう」
「だが大殿は兄貴の歎願を退け続けたのだろう。そして仇の政長の肩を持ち続けた。今回もそうだ。だったらもう槍も向けるしかない。そうだろう千世兄貴」
「そうです。だからこそ我々は兄上を支えこの戦いを勝利に導かなければなりません」
冬康は毅然とした態度で言った。一存も冬康の言葉に大きくうなずくのである。
こうして一存達兄弟は進軍し榎並城を包囲した。しかし榎並城には政長の息子の政勝が籠り、さらに万全の準備を進めていたので容易に落城しない。包囲が長期にわたるであろう気配を見せ始めた。
実際包囲は年が明けても続いた。天文十八年(一五四九)に入ると正月に長慶は遊佐長教と会談し連携を確認している。また一存達は息子の救援に来た政長を撃退していた。しかし榎並城そのものを落城させるには至らない。
気づけば四月になっていた。ここまで榎並城が持ちこたえている事実に一存は素直に驚く。
「なるほど。思ったより大した男らしいな」
「その通りですね。しかしここまで耐えられるということは何か理由があるのでしょう」
政長は榎並城救援のために何度か兵を出した。しかしそれらは長慶たちに阻まれている。こう何度も救援が阻まれれば心が折れても不思議ではない。
冬康は長慶を見た。長慶は少し思案した後で口を開く。
「おそらく六角殿の援軍を期待しているのだろう」
「六角定頼殿ですか」
六角定頼は近江の大名で機内での和睦の仲介などが行えるほどの影響力を持っていた。勿論軍事力も相当なものである。そして晴元の舅でもあった。
「もし六角殿が兵を出せばそれを恐れて寝返りが出るかもしれませんね」
「いかんな。そうなれば俺たちは終わりだぞ。兄貴、何か策はないのか」
一存は長慶に尋ねた。長慶は無言で首を横に振った。榎並城がここまで持ちこたえている事が大きな一番の計算違いである。
三兄弟の間に重苦しい沈黙が流れた。結局軍議はそのまま終わりになってしまう。一存は己の無力に憤るしかなかった。
やがて恐れていた事態が起きた。晴元が六角定頼の援軍を取り付けて出陣してきたのである。
晴元は山城を出て摂津の戦場に向かった。しかし摂津の大半は長慶の味方になっている。容易には摂津に侵入できない状況であった。
それでも晴元の出陣は政長や政勝の戦意を高揚させた。政長たちはこの機に打って出て長慶方の拠点を攻撃する。その成果は上がらなかったが長慶たちは有効な打開策を出せなかった。
そうこうしているうちに五月になった。晴元は摂津の政長方の拠点である三宅城に入る。政長も三宅城に入り晴元と合流した。
この事態の変化に一存は何も手を出せなかった。
「このままでは座して死を待つだけではないか」
一存は焦っていた。一方で冬康は落ち着いている。それが一存には気になった。
「千世兄貴は何故落ち着いていられる」
そう聞かれて冬康はこう答えた。
「兄上は機を待っています。そしてそれはもうすぐやってくるはずです」
「本当か? 」
一存の問いに冬康は答えなかった。だが冬康、そして長慶の読み通りその機がやってきた。
六月に入ると政長は三宅城を出て江口城に入った。ここは三宅城と榎並城の間に位置する要地であり川に囲まれた天然の要害である。政長はここから榎並城を支援すると同時に六角勢の到着を待つつもりであった。
しかし江口城にはある致命的な欠陥があった。川を周囲に囲まれているため陸の出入り口は一つしかない。つまりこの場所を封鎖されると江口城は完全に孤立してしまうことになる。
長慶は江口城の重要性も弱点も理解している。そして政長が榎並城を支援するために江口城に入るだろうと予測した。果たして政長は長慶の読み通り江口城に入る。これが長慶の待っていた「機」であった。
「皆! 行くぞ! 」
政長が江口城に入るや否や長慶は出陣した。榎並城には包囲を維持できるだけの兵を残し江口城の封鎖に入る。先にも記した通り江口城は陸路を一つ封鎖すれば実質的に包囲は出来たも同然であった。
さらに長慶は冬康と一存を別働隊として派遣し水上の交通も封鎖させる。これで政長に逃げ道は無くなった。
「これが兄貴たちの言っていた機か」
一存は一人感心していた。迅速な行動により江口城は満足な準備もできず包囲されている。また兵も三宅城と分散させてしまったので戦力も減っていた。また短期決戦の準備しかしておらず兵糧も少ない。
しかし油断は出来ない。六角勢は摂津に向けて着々と歩を進めていた。
「勝つか負けるか。大博打だな…… 」
一存のいう通り三好家の命運がかかった大博打が始まったのであった。
天文十八年六月十二日。この日近江から先着した六角軍を長慶たちは撃破した。撃破したのはいいがすでに六角軍の一部が到着しているというのは重い事実である。
冬康と一存は長慶に提案した。
「兄上。政長殿は救援を出さず城に籠ったままです。こちらと戦力に差があるからでしょう。ここは一気に攻めるべきです」
いつもは大人しい冬康とは思えない提案である。それほど状況はひっ迫していた。
一存も冬康に同意する。
「千世兄貴の言う通りだ。このままでは機を逃す」
しかし長慶は煮え切らない返事をする。
「ああ…… 二人の言う通りだな…… 」
そうは言うが最終的な決定はせずにその日の軍議も終わってしまう。
一存は苛立った。
「まだ兄貴はためらっているのか」
苛立つ一存を冬康はなだめる。
「仕方ありません。父上の遺言もあります。ですが兄上も動かかなければならないということを理解しています。きっと覚悟を決めるでしょう」
実際冬康の考え通り長慶は覚悟を決める。江口城への総攻撃は二十四日に決まった。
攻撃決定の後、冬康は一存にこんなことを言った。
「もし当日兄上の動きを遅いと感じたらあなた達だけで突入しなさい。責任は私がとります」
「そりゃどういう意味だ」
「兄上は背中を誰かに押してほしいと考えています。どうやら私ではそれは無理なようです。」
そして二十四日に長慶と一存はそれぞれ東西に分かれて配置に付く。冬康は後方で待機していた。一存が率いるのは讃岐から連れてきた十河家の精兵である。
一存は反対側の長慶の部隊を見る。動く気配はない。
「(兄貴…… )」
兄にとって父の遺言はそれほど重いのか。一存はそれを強く感じている。そして決めた。
「(悪いな兄貴。俺は親父の顔もほとんど覚えていないんだ)」
一存は大きく息を吸うと力の限り叫んだ。
「これより突撃する! 俺に続け! 」
「「お。おおおおおお! 」」
十河家の兵たちは一瞬戸惑うが一存が駆け出したのを見てすぐに続いた。
一方の長慶の部隊は一存が命令を待たずに突撃したことに驚いた。しかし
「一存を死なすな! 」
長慶はそう叫ぶと突入した。兵たちもそれに続く。
すさまじい勢いで突撃する一存達。それに対して疲労困憊であった政長方はなすすべもなくやられていく。戦いはあっという間に長慶たちの勝利で決着がついた。
三好政長は江口城を脱出しようとするが川を渡りきれず溺死。他に多数の死者が出た。この事態に榎並城の政勝、三宅城の晴元は城を脱出し逃亡する。六角軍はあと少しと言うところまで迫ってきたが、晴元が戦死したという誤報を聞いて撤退してしまった。
長慶たちに損害はほとんどなく結果、長慶たちの圧勝で終わった。
戦いの後に一存は長慶に謝った。
「すまん。勝手に動いちまった」
そんな一存を冬康がかばった。
「兄上。一存は私の命で動いたのです。罰するなら私を」
だがそんな二人を長慶は責めなかった。
「すまない。私が不甲斐ないせいで二人に迷惑をかけた」
「兄貴…… 」
「本当は氏綱様を擁した時点で覚悟を決めなければならなかったのだ。なのに私の腹はいつまでも決まらず危うく三好の家を潰すところだった。本当にありがとう。お前たちのおかげで三好の家は救われた」
長慶はそう言って一存達をほめたたえる。一存と冬康は照れくさそうに顔を見合わせるのであった。
こうして長慶たちは父の仇を討つことができた。だがこの勝利が意味するのはそれだけではない。敗北したのは政長だけでなく晴元もである。この事実は晴元が作り上げた政権を崩壊させたも同様であった。
これで三好長慶は畿内における政治闘争の勝者となった。だがそれでも畿内の混乱は収まらない。一存もまだ戦い続けることになる。
戦国時代の人物にはある戦いが転機となる人物が何人もいます。江口の戦いの勝利は一存を含めた三好兄弟の人生を大きく変えました。それが幸か不幸かは後の話を見ていただいて判断していただくとしてとりあえず長慶たちは父の仇を討てました。それは幸運であったと思います。
さて畿内の戦国時代はここからさらに変化し混乱していきます。主君に刃向かうことになってしまった長慶はどうなるのか。そして長慶を支える一存はどうなるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では