十河一存 鬼十河 第二話
讃岐の十河家で活躍する一存は鬼十河と呼ばれるようになった。その名が讃岐に響き渡る頃、畿内である事件が起きる。そして始まる混乱に一存も関わっていくことになる。
一存が「鬼十河」と呼ばれるようになってからしばらく経った。寒川家との戦いはまだ続いているが情勢は十河家の有利に傾いている。
「これも一存のおかげだな」
存春はそう言って一存を褒めた。実際、一存はあの撤退以降は寒川家との戦いで多くの勝利を収めている。敵も鬼十河の恐ろしさは肌身に染みているようで一存が戦いに出ればそれだけで敵に脅威を与えることができた。
義父に褒められた一存は照れくさそうに笑った。
「そんなことは無いさ。そもそも親父殿が戦いやすいようにしてくれているからさ」
そう大きな体を縮めて一存は言った。この頃には一存の体格もさらに良くなり戦場の戦いぶりも相まってまさしく鬼と言っても過言ではない。もっとも平時は剛毅だが粗野さはない好青年なのだが。
さて一存の奮闘で讃岐は落ち着きつつある。しかし海を挟んだ畿内は混乱の度を強めていた。
細川晴元は将軍足利義晴を立てて幕府を運営している。それを支えるのは茨木長隆などの畿内の武将。それに加え畠山家臣でありながら晴元の政権に参加している木沢長政。そして元長の仇である三好政長たちであった。
彼らは手を組んで元長を排除した。その後は一応の安定を見せるもののしばらくして木沢長政と三好政長の間で対立が生じる。この対立は長政の離反と言う形で顕現した。
長政の離反の際には範長も不意を突かれて被害を被っている。しかし無事に生還しその後は長政との戦いに参加した。その後に長政は政長たちに攻め滅ぼされている。
一方で範長は三好一族や四国の勢力の後援もあり着実に晴元政権の中で存在感を醸し出していた。しかしそれを気に食わないのが三好政長である。また範長も政長が元長から奪いとった領地を返還するように晴元に求めていた。しかし晴元は政長の肩を持つ。
「大殿は何を考えているのだ」
この話を聞いて一存はそうこぼした。現在範長の勢力は晴元政権内の重要な戦力の一つである。そんな範長の要求を無下にするような晴元に一存は苛立った。
「兄貴は幼いころから大殿に仕えて頑張っている。それなのに政長なんぞの肩を持つのか」
こうした不満は三好の兄弟たちの間で共有されている。事実範長は晴元の対応に苛立ち兵を動かしたこともあった。この時には範長と政長の間で小規模な戦闘も起きている。最終的に六角定頼の仲介で和解したがいまだ火種はくすぶっていた。
こうした情報は阿波の義賢経由で一存や存春の下にも届く。
「大きな戦が起きるかもしれんな」
存春はそうつぶやいた。実際畿内の緊迫した空気は讃岐にも届いている。存春は一存を見て言った。
「もしこの後範長殿に助力を求められれば十河家は力の限り手を貸そう」
「本当か! 親父殿」
「ああ。範長殿の後援で我らは優位に戦えた。何より元長殿の代からの恩義もある。当然ことだ」
「親父殿…… ありがとう」
一存は涙を流して言った。それだけ義父の心遣いがうれしかったのである。そんな一存の姿を見守りながら存春はつぶやいた。
「しかしそうなれば天下は大きく変わるかもしれんな」
そのつぶやきはのちに現実のものとなる。
天文十二年(一五四三)、この年に細川晴元を動揺される事件が起きた。かつて細川家の当主の座をめぐり争った細川高国の後継者を自称する細川氏綱が挙兵したのである。しかも氏綱は挙兵の際に一万もの兵を集めた。さらに河内(現大阪府)守護の畠山稙長も氏綱を支援している。
晴元は範長に氏綱の撃退を命じた。この時は稙長が氏綱の支援を止めたため晴元方の勝利に終わる。しかしこの後も氏綱は反晴元の活動を続けた。
この事態に晴元は苛立ちを募らせる。
「うっとおしい奴め。範長よ。早く氏綱の首を上げるのだ」
「承知しています。しかし畿内には氏綱殿を助けるものも多く…… 」
この現状に範長は氏綱を支援する勢力を叩くことで対応していた。氏綱はなかなかに逃げ上手で捕縛することもできない。そこで範長は氏綱を支える勢力を弱らせ氏綱から戦力を奪おうと考えていた。しかし
「範長よ。貴様の働きが足りないのではないか」
と言ったのは三好政長である。木沢長政が死に政長は晴元の側近としての地位を確固なものとしていた。
政長は続ける。
「我々家臣は殿の安寧のために働かなければならん。それができずあまつさえ言い訳するとは。亡き父上に申し訳が立たんと思わんのか」
「その通りだ政長。全く、元長は儂の望みをすべてかなえた。だというのにその息子のお主は! 」
この二人は元長の仇ともいえる。そんな人間が殺された人間の息子に言う言葉ではない。しかし範長はじっとこらえていた。範長はあくまで晴元に逆らうつもりはない。晴元を支えることが父の望みであったからである。だからこの時も、そして今までもじっと耐えていた。
こうした兄の苦境を知っても一存は動けなかった。いや本当はどうにかしたいのだが範長が晴元に逆らう気がない以上どうしようもない。
「兄貴は何だってあんな殿さまに仕えているのだ」
この時の一存は苛立つことしかできなかった。
範長が細川家内で苦境に立たされる頃、天文十五年(一五四六)にある出来事が起きた。畠山家臣遊佐長教が氏綱支援を表明したのである。長教は木沢長政とも同等の勢力を誇る武将で氏綱としては強力な後ろ盾ができた。
ここで氏綱と長教は堺を攻撃した。この時に範長は晴元の命令で堺に詰めていたので応戦する。しかし兵力がまるで不足していた。
「こうなっては仕方ないな」
範長は仕方なく堺の会合衆の仲介で撤兵することにした。勝ち目がない以上致し方のない判断である。しかし晴元は怒った。
「戦いもせずに逃げるとは! 」
さらに氏綱たちは摂津(現大阪府北部と兵庫県東部)の国人との同盟を画策した。摂津の国人たちは政長に反発を抱いているものも多い。その影響もあってか多くの国人たちは氏綱方に付いた。
こうした氏綱方の積極的な行動に範長は追い詰められていく。そんな時一存のもとに範長から手紙が届いた。
「一存よ。お前の力を貸してくれ」
手紙を読んだ一存は歓喜に打ち震えた。そして叫ぶ。
「任せろ兄貴! 」
手紙が届いたのは一存だけでなくほかの兄弟のもとにも届いていた。ここに三好の兄弟たちは力を合わせて困難に立ち向かうことになる。
長男三好範長の窮地に集結したのははせ参じたのはこの三人である。
まず阿波で範長の留守を預かる次男三好義賢。
「久しいな。兄者」
次に阿波の安宅水軍を継いだ三男安宅冬康。
「お久しぶりです。兄上」
そして最後は鬼十河こと四男十河一存である。
「久しぶりだな! 兄貴たち! 」
一存は兄たちとの再会を喜んでいた。同じ四国にいる義賢はともかく畿内で行動する範長や淡路の冬康と会うのは本当に久しぶりである。
そんな一存に対し優しく微笑むのは冬康であった。
「久しぶりですね。又四郎。いえ、今は一存でしたか」
「ああ。久しぶりだな千世兄貴」
冬康は温厚で穏やかな気性の持ち主である。一見戦国武将には見えない。
「本当に、立派に成長しました」
「そう言う千世兄貴こそ」
二人は再開とお互いの成長を喜んだ。そんな二人に義賢は言う。
「お前たち。我々は顔を合わせるために集まったのではないぞ」
静かにだが威厳をもって義賢は言った。それに対し冬康は素直に頭を下げる。
「そうでしたね。申し訳ありません。兄上」
一方の一存は不満そうだった。
「別にいいじゃないか。久しぶりの再会なんだぞ」
「状況を考えろと言っている」
「何を…… 」
先ほどとは打って変わって険悪な空気がその場に流れ始めた。にらみ合う一存と義賢。だがその時
「まあ、落ち着け二人とも」
と、範長が言った。穏やかな声である。
「一存の再会を喜ぶ気持ちもわかる。だがそれはこの危機を乗り越えてからだ。そうだろう」
そう言って範長は一存を諭した。一存も本当はそれをわかっているので落ち着いた。
「すまん。満兄貴」
「気にするな。俺も言い過ぎた」
二人がお互い謝ると険悪な空気は消えた。それを察して冬康は安堵のため息をつく。
場が落ち着いたところで範長は現状を話し始めた。
「皆は知っているだろうが、現在氏綱殿の攻勢が激しい。また摂津の国人たちの多くは氏綱殿に付いた」
「とするなら周りは敵だらけ、と言う事か」
義賢が冷静に言う。それに範長は頷いた。
「ああ。そうだ。それと悪い知らせがある」
「悪い知らせ? 」
「どうも義晴さまは氏綱殿と誼を通じているらしい」
その発言に一同凍り付いた。将軍が敵になればいろいろと不都合が生じる。
「時が経てば我々は不利、と言う事ですね」
冬康はさっきとは打って変わって険しい表情で言った。さっきまでの温厚な雰囲気は感じられない。
「しかし急いで遊佐殿を攻撃しても勝てるかどうかはわからんぞ」
一存も険しい表情で言う。厳しい状況だというのはわかっていたがここまでとは考えていなかった。
範長は一存の言葉にうなずいた。
「一存の言う通りだ。そこで私はまず摂津の国人たちへの対応から始めようと思う」
範長は宗提案した。だがそれに対し義賢は意見する。
「しかしどうする? 彼らはこちらが不利だからこそ氏綱殿に付いた」
「ああ、そうだ。しかしだからこそこちらが息を吹き返したと知れば動揺する」
「なるほど。しかしどうする」
義賢の疑問に範長はこう答えた。
「これよりまず城を攻める。そしてこちらが有利なうちに講和を結び、すぐに別の城を攻める。これを繰り返せば摂津の諸将も動揺し、こちらに帰参するものも多く出よう」
範長は自分の計画を話した。しかし今度は一存が疑問を呈した。
「しかしそんなうまくいくかね」
「それに関しては一つ考えがある」
「堺の会合衆ですね。彼らの影響力は強い。そして我々は父上の代から会合衆とつながりを持っている」
冬康は範長の考えを代弁した。それに範長は満足そうに微笑んだ。
「冬康の言う通りだ。あとは我々がいかに早く、強く攻めることができるかだが…… 義賢、一存」
範長は二人の弟を見た。
「お前たちが引き連れてきた三好と十河の兵。その精強さを見せてもらうぞ」
「承知した。兄者」
「任せろ! 兄貴! 」
義賢は冷静に一存威勢よくそして二人とも自信満々に答えた。そして範長は冬康を見た。
「冬康は水軍を指揮して二人を助けてやってくれ」
「かしこまりました。兄上」
最後に範長は立ち上がっていった。
「ここが正念場だ。だが私は皆の力を信じている。では、出陣だ! 」
「「おう! 」」
範長の言葉に弟たちは力を込めて答えた。
こうして三好四兄弟の戦いが始まった。
作戦を決めたのは天文十五年の十月である。そして行動を開始したのは翌天文十六年(一五四七)の二月であった。この四ヶ月の間に範長たちは準備を終え一気に攻勢に出る。
戦いの先頭に立つのは義賢、一存である。範長は後方から全体の指揮を執り、冬康は各軍事行動を支援した。
いざ戦いになると一存はまず突撃した。
「皆恐れるな! この鬼十河に勝てるものはない! 」
「「おお! 」」
一存が率いるのはともに讃岐からやってきた十河家の兵たちである。一存が養子に来てからともに戦い続けた精兵たちは、摂津の地で思うさま暴れた。
「摂津の兵など恐れるものか! 」
「おうよ。一存様に率いられた我々もまた鬼だ。十河の鬼の戦いぶりを見せてやる」
鬼十河に率いられた鬼の兵たち。彼らの暴れぶりは摂津の国人たちの戦意をへし折った。
こうして暴れまわる一存達。しかしその考えなしに見える突撃を好機と見るものもいる。
「あのような戦いぶりでは。所詮田舎者よ」
そう言って不意を突こうとする者もいる。しかしいざ襲撃しようとすると
「申し上げます! 」
「なんだ」
「敵兵です! 」
「なんだと」
その攻撃を予期していた阿波の軍勢に攻撃された。その兵を率いるのは義賢である。
義賢は一存達が突撃したのちの制圧などを主に努めた。他にも一存が思う様に暴れられるようにフォローもしている。
「全く。手のかかる弟だ」
そうは言うが実際は一存の暴れぶりに目を細める義賢である。
こうした四国勢の奮闘を支えるのが冬康率いる水軍であった。冬康は兵站の管理を一手に引き受けさらに四国との連絡も旗下の安宅水軍を生かしている。
「兄上たちや一存が思うさま戦えるよう我々は全力で助けるのだ」
こうして冬康の支援で三好軍は迅速な行動が可能になった。
この一存達の激しい攻撃に戦意が折れた国人たちに対し範長はこう伝えた。
「今下るならば私が晴元さまへ口利きしよう。心配するな決して損はさせない」
そして降伏してきた国人たちを範長は許し晴元のもとへと帰参させた。こうした処遇はさらに評判になりほかの国人たちにも伝播する。そうするとさらに帰参する国人たちも続出した。こうして最後の方は戦いにもならず無血で降伏させるところまで行く。そして六月には摂津を再び晴元の勢力圏に戻したのである。
「こうもうまくいくとはな」
この結果に義賢は呆れたように言った。一存もうなずく。
「全くだ。しかしそれだけ千兄貴の策が良かったという事だろ」
「ああ。しかし、油断は出来んよ」
「そうだな。まだ河内の遊佐殿が残っている」
こうして四兄弟は遊佐長教との決戦、舎利寺の戦いに臨むのである。
天文十六年の七月。範長たちは軍勢を集結させ河内に向けて南下し始めた。目指すは遊佐長教が籠る高屋城である。一方の長教も範長たち三好軍を迎撃戦と高屋城を出て北上した。そして両軍は摂津の舎利寺で激突する。
両軍は遭遇するやお互い矢を射かけた。
「怯むな! 射ち続けろ」
義賢の檄が飛び三好軍からおびただしい量の矢が飛んでいく。だが敵も怯まない。両軍互角の状況であった。
ここで一存が叫ぶ。
「兄貴。こうなったら切り込むしかないぞ」
「そうだな…… 一存。いけるか? 」
「当然だ。任せろ」
そう言うと一存は引き連れてきた十河家の兵と共に突撃した。
「行くぞ皆。俺たちの力を見せつけてやる」
「「応! 」」
一存は兵を連れて突撃する。しかし敵方もさるものでひるまずに反撃してきた。
「なるほど。今までとは違うようだ」
長教の軍勢は摂津の国人たちより強かった。これは負ければ後がないということが精神に影響していたからである。この遊佐軍の反撃は今までの誰よりも強く一存は苦戦を強いられた。
「いかん。我々も続くぞ」
義賢は苦戦する一存の姿を見て自ら兵を率いて援護に向かう。遊佐軍もそれに応じるかの如く兵を突撃させた。こうして戦いは激しい白兵戦に移行していく。
一存は自ら先頭に立ち暴れまわった。
「鬼十河を舐めるな! 」
まさしく鬼と言うべき戦いぶりである。しかし長教の軍勢は一存に怯まず襲い掛かってきた。その姿に一存は思わず感心してしまう。
「なんと見事なやつらだ。俺を恐れんとは」
敵を薙ぎ払いながら感心する一存。そんな一存に義賢は言った。
「感心している場合か」
「ああ。すまん」
「わかっているなら早く決着をつけるぞ」
そう言って義賢は軍勢を自由に指揮する。そして敵の勢いが弱まっているところを見つけるとそこに兵を向けた。
「そこから崩せ」
弱い部分から攻撃を受けた遊佐軍は一瞬ひるんだ。一存はその隙を見逃さない。
「今だ! 突っ込め! 」
一存の叫びと共に三好の兵たちが突撃していく。隙を突かれた遊佐軍は体勢を立て直せず潰走し始めた。
「逃すな! 」
「待て一存。これ以上はわが軍も持たん」
だが三好軍も被害を受けていた。一存は追撃を行おうと義賢に止められてしまう。しかし戦いそのものは三好軍の勝利で終わった。
戦いが終わり本陣に戻った一存と義賢。範長と冬康は二人を迎え入れる。
「お疲れ様です。兄上。一存」
「ああ、よく戦ってくれた」
ねぎらいの言葉をかけられた一存は照れくさそうに笑った。一方の義賢は苦い顔をしている。
「すまない。遊佐殿には逃げられた」
頭を下げる義賢。それに対し一存は言った。
「仕方ないだろう。兄貴の言う通り被害はあったし兵も疲れていた」
「俺の仕事はそうならないようにすることでもある。あそこで死力を尽くさなければならなかったのは俺の責任だ」
「まあまあ兄上。今は勝利を喜びましょう」
「冬康の言う通りだ。二人ともよく戦ってくれた」
範長と冬康は義賢を慰める。そこでやっと義賢の表情も晴れるのであった。それを見た一存もほっとした表情を見せる。
こうして舎利寺の戦いは終わった。この勝利は三好範長とその弟たちの声望を内外に広めることになる。そしてそれが新たな戦いにつながっていくのであった。
さしずめ四兄弟集結編と言った話でした。史料や逸話から四兄弟のキャラクターがつかみやすいのは作者としてはありがたい話です。
さて今回の舎利寺の戦いは三好四兄弟の名を大きく知らしめる機会になりました。ここから四兄弟は歴史の表舞台で活躍し始めます。また戦いの規模も大きさや激しい情勢の変化はほかの有名な戦いに勝るとも劣りません。興味を抱いた方は調べてみるのもいいかもしれませんね。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




