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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
62/402

戸田忠次 亀鑑 中編

 叔父の失策で城を追われた忠次。そんな忠次に更なる不幸が降り注ぐ。忠次はこの先どうなるのだろうか。

光忠たちは岡崎に逃げ込んだ。このことは当然松平家の耳にも入るし光忠もそれは承知している。

松平家に対し光忠は弁明した。

「竹千代さまのことはすべて兄の康光の独断です。我らは関わっていはいません」

 それは事実なのだが松平家が信じるかどうかは別問題である。忠次もその点は理解できた。

「信じてもらえるかね」

「仕方あるまい。しないよりましだという事だ」

 光忠の弁明の後、忠次たちは放っておかれた。弁明を松平家が信じたかどうかは不明である。結局のところ売り払った当人が死んでいるのでこれ以上は責任を取らせようもないと考えたのかもしれないが。

 さてその松平家の当主の広忠だが実の子を奪われたにもかかわらず織田家に従わなかった。これを非情と考えるか頑固と考えるかは各人に任せよう。ともかく広忠は恩義ある今川家に従い続けた。これに業を煮やした織田家は広忠に刺客を放つ。そして天文十八年(一五四九)に広忠は暗殺されてしまった。

 これに岡崎中がひっくり返るような騒ぎになった。勿論忠次たちも驚いたし動揺もする。

 忠次は光忠に尋ねた。

「親父よ。いったこれからどうなるんだ」

 光忠は苦々しい顔で忠次に言った。

「私にわかるわけなかろう」

 結局のところ岡崎は今川家の支配下にはいることになった。織田家にいる竹千代は今川方が捕虜にした織田家の庶子との交換が成立する。しかし竹千代は岡崎に帰らず今川義元のいる駿府に送られた。

 松平家は一応存続したが地理的な関係もあり織田家との戦いではいつも危険なところで戦わされた。忠次たちもその戦列に加えられ厳しい戦いを強いられる。しかし活躍したところで出世や恩賞が見込めるわけもなかった。

「これも叔父貴のおかげか」

 忌々しげに忠次は言った。周りの皆も無言でうなずく。光忠はため息を一つついた。

 こうして忠次たちは苦しい生活を強いられることになる。そうしているうちに家臣たちは死んだり去って行ったりしてどんどん減っていく。忠次の母は苦しい生活と心労で倒れてしまいついには死んでしまった。

 このことに一番衝撃を受けたのは光忠であった。

「こんなことになるのならあそこで潔く死んでいた方がましだった」

 意気消沈してそんなことを言う光忠。だがそれを忠次は否定する。

「俺はまだ生きている。だから親父はそんなことを言うな。まだ希望はある」

「そうだと良いのだが」

 疲れ切った表情で言う光忠。もはや人生に疲れ切っている様子である。しかし忠次は違った。

「生き延びれば希望はある。生き続ければいつか道は開ける。そう言ったのは親父だろう」

「しかしな。忠次よ」

「俺はまだあきらめん。こんな無様な姿で死ぬなどごめんだ」

 忠次はあきらめていなかった。しかしまだ忠次には不幸が襲い掛かるのであった。


 永禄二年(一五五九)忠次と光忠は織田家に従う水野信近との戦いに出陣した。

 この戦いに挑む忠次は相変わらず気合が入っている。

「俺の戦いぶりを見せつけてやる。そして必ず生き残って見せる」

 しかし光忠は疲れ切った表情でいた。まるで覇気がない。もはやすべての希望を失っているようだった。

そんな姿を見せる父親の身を忠次は案じた。

「親父は出陣しなくてもいいのだぞ」

「心配いらん」

「しかしそんな姿では敵に討たれてしまう」

 そう心配そうに言う忠次に光忠は投げやりに答える。

「それでもかまわん。もはや私には未来はない」

 光忠はそう言うと行ってしまった。忠次は去っていく父親の小さな背中を悲しげに眺めている。

 その後忠次たちを含む今川軍は水野軍と交戦した。今川軍の主な構成は松平家の家臣が多い。そして水野信近は竹千代の母の兄にあたる人物である。松平家とも忠次たちとも因縁のある相手であった。

 いざ戦いが始まれば数の多い今川軍の有利であった。

「これは生き残れるか」

 このところ忠次はまずそこを重視して行動していた。全ては自分や父、家臣たちの未来を切り開くためである。

「しかし親父が心配だな」

 忠次の懸念はそこであった。光忠と忠次はそれぞれ別の場所に配置されている。これは裏切りや敵前逃亡を未然に防ぐ措置でもあった。要するに戸田家の人々は松平家にも今川家にも信頼されていない。

「どうにかして親父の状況を知りたいんだがな」

 そう忠次が考えているとにわかに自陣が騒がしくなった。

「どうした! 」

「どうやら敵が切り込んできたようです。それで右翼が崩れたとのことで」

「右翼!? 親父のいる方じゃないか」

 忠次の顔が蒼くなる。しかしここで勝手な行動をとればどうなるかわからない。

「(生き延びてくれよ。親父)」

 そう忠次は願った。しかしその願いは無残にも打ち破られる。

「戸田光忠殿討ち死に! 」

 その報告が聞こえた時忠次の頭は真っ白になった。それからのことはよく覚えていない。気付いたときには戦いは終わり、忠次は運び込まれた父親の死骸の前で呆然としていた。

「嘘だろ…… 親父」

 光忠は体中に槍のものと思われる傷を負っていた。光忠は馬に乗っていたので槍で突かれて落馬したところをめった刺しにされたのだと思われる。

「なんて顔をしてるんだよ! 」

 忠次は叫んだ。光忠の体はズタボロであったが顔にはあまり傷がついていない。そしてその死に顔は驚くほど安らかであった。まるで死ぬことができてほっとしているかのようである。忠次は怒ればいいのか悲しめばいいのかわからない。どうすることもできず呆然としていた。

 戦いそのものは今川家の勝利で終わった。しかし損害も大きく信近には逃げられてしまっている。

 今川家は光忠に責任を負わせた。光忠の働きが悪く右翼が崩れ、そのせい信近を討てなかったという事である。光忠は戦死したので実際は忠次に責任が負わされる。

 実際の所光忠の責任かはわからない。ただ右翼が崩れて動揺した時に光忠が死んだのは間違いないはずである。

「(死人に口なしか)」

 忠次そう思った。しかしどうすることもできない。忠次は生き残った家臣ともども岡崎を追い出される。光忠の弔いもできなかった。

 岡崎を追い出される忠次主従。家臣たちは意気消沈している。しかし忠次はまだあきらめてはいなかった。

「俺は必ず返り咲く」

 そう決意して忠次は岡崎を去る。一度も振り向くことは無かった。


 忠次が岡崎を去った翌年の永禄三年(一五六〇)。驚くべきことが起こった。桶狭間の戦いである。この戦いで今川義元は戦死し今川家はその勢力を大きく後退させた。

 この義元の死の影響は様々な場所に現れた。その一つが松平家の独立である。

 かつて竹千代と呼ばれた少年は松平元康と名乗るようになっていた。元康は今川家の武将として桶狭間の戦いにも参戦していたが義元の死を受け岡崎に帰還。独自の行動をとり始める。そして織田家と同盟を結び後攻の憂いを取り除くと名を家康と変え今川家から独立した。

 こうした情勢の激変の中で忠次は食うや食わずの生活を続けていた。岡崎から追われたのち松平家から声がかかることも無い忠次たちは、自ら食い扶持となる戦場を求めて駆けまわる。そうして何とか生き続けていた。

 この頃になると落城から付き従った家臣たちはだいぶ少なくなっていた。戦いで死ぬものもいたが生活に耐えられなくなって忠次の下を離れていくものもいる。そんな家臣たちを忠次は責めなかった。

「俺は俺のやり方で自分の道を切り開く。だがそれをお前たちにまで押し付けようとは思わん。俺の下から去りたければ去ればいい」

 父の死を始め様々な苦難を潜り抜けた忠次にはある種の風格のようなものが現れるようになっていた。相変わらず戦いになれば荒々しいが、ちゃんと考えてから行動するようになっている。

「親父は死んだが親父の教えは生きている。俺は生涯忘れることは無いだろう」

 忠次は後々までそうこぼしていた。

 さて松平家は独立していざ戦国武将として羽ばたこうとする最中、永禄六年(一五六三)に問題が立ち上がった。それが一向一揆である。一向宗こと本願寺教団は三河の地で確固たる立場を築いており特権も持っていた。それが戦国大名として飛躍しようとする家康にとっては都合が悪い。次第に家康と本願寺教団は対立するようになり、本願寺教団率いる一向宗が一揆をおこし家康の松平家との武力衝突となったのであった。

 この一向一揆の蜂起に対し忠次はあまり興味がなかった。

「一揆に加わり武功を挙げたところで仕官ができるわけではあるまい。しかし松平家に加わるのも無理だ。家康殿が俺の素性を知れば許すはずがない」

 忠次は松平家康が成長した竹千代であることを知っている。家康からしてみれば忠次は自分を売り飛ばした男の甥である。いい感情を持つはずがないと忠次は考えていた。

 ついでに言えば忠次は一向宗の門徒ではない。一揆に加わる義理も無かった。

「取り合えずやり過ごそうか」

 家臣ともどもそう考えていた忠次だがそうもいかない事態が起こった。この頃忠次が滞在していた村の門徒たちも一向宗に参加することになったのである。その中にはいろいろと忠次の世話を焼いてくれた者たちもいた。

 彼らは忠次の勇猛さも承知していた。忠次は村が野武士に襲われると率先して追い払っている。これは忠次なりの義理なのであるがそうした姿勢は村の人々からの信頼を集めた。

 そうした村人の一人、七兵衛が忠次を訪ねた。

「戸田様。お願いします。儂らに力を貸してくれませんか」

「うーむ。だがなあ」

「手を貸してくれれば戸田様やご家臣の食い扶持には困らせません」

 それを聞いて忠次は少し目の色を変えた。現在食うに困る家臣も多い。忠次は悩んだ。

「(魅力的な提案だ。とは言え松平家に背けばいよいよ仕官の口は難しくなるな)」

 忠次は一揆が松平家を倒せるわけがないと思っていた。そもそも一向一揆も自分たちの権利を守るのが目的で松平家をどうこうと言う考えではない。

「(しかし思い切って話に乗ってみるか。どちらにせよこれ以上三河にとどまっても再起の芽は出んかもしれん)」

 結局忠次は一揆に参加することにした。熟慮したが実際の所選択肢はないも同然である。

「(この際手柄を立てて坊主どもから銭でもせびるか)」

 そんな気持ちの忠次であった。しかしこの選択が忠次の人生を大きく変えることになる。


 こうして忠次も一向一揆に参加することになった。なおこの時の一向一揆には松平家の家臣も参加している。彼らは主君への忠義より信仰を取ったのであった。

 その話を聞いた忠次はこう思った。

「松平家康と言うのは大した男ではないのか? 」

 相手が愚物なら一向一揆にも勝機が見えよう。事実一揆方は松平家の家臣が参加したことで意気が上がっている。

 しかし忠次が手をまわして調べてみると一向宗でありながら松平家に残ったものも多くいるそうだった。彼らは一向宗から浄土宗に改宗してまで家康に付き従うことを選んでいる。つまりそれ程家康に付き従う意味を見出したわけだった。

「俺は思い違いをしていたのかもしれん。ともかくこれからだな」

 忠次はすぐに認識改めて戦いに臨んだ。流された参加することにはなったがもとより負けるつもりはない。やるからには勝つというのが忠次の考え方である。

 しかし肝心の一揆方に問題があった。そもそも彼らは自分たちの権益を守るために戦っているわけであって松平家を倒そうというものではない。ついでに一揆をまとめ上げる指導者がいなかった。結果ちゃんとした戦略も無いまま散発的な戦闘を行う。そして緒戦ではある程度の戦果は上がられたがそれ以上はない。結局全体では松平家の有利で進んだ。

「これでは勝てん。あいつらはやる気があるのか」

 忠次は苛立った。現状一揆以外の松平家に反抗的な勢力も活発に活動しているから戦いになっている。だがそれ以上のことは望むべくもなく徐々に不利に陥っていた。

 戦況が拮抗すれば和議と言う形にできた。しかし現状ではそれも無理そうである。忠次は焦った。

「このままずるずると負ければ損するばかりだな」

 もとより忠次はここで死ぬつもりもあきらめるつもりもない。かといって惰性で戦闘に参加し続けるのも何の意味もなかった。

 一応一揆方にも多少の危機感はある。しかし何も打開策は出ないでいた。

 そんな時ある噂が一揆方の間で立つ。それは一揆方に内通者がいるという噂である。そしてそれがなんと忠次だというのであった。

 その噂を聞いた忠次は唖然とした。

「そんな馬鹿馬鹿しい噂を誰が流しているのだ」

 いらだつ忠次に七兵衛が言った。

「それはわかりませんが…… 儂らの村のものではありませんぜ」

 それはそうだろうと忠次は頷いた。忠次としては村人とは信頼関係がちゃんとできていると思っている。それに

「もしそうならとっくに首を差し出されてるからな」

と言う事である。

 にやりととんでもなことを言った忠次に七兵衛は怒った。

「儂らはそんなことせんですよ」

「ああ、わかっている。だとすればほかの村の連中かこっちについてる侍のどっちかか」

「そうだと思います。しかしなんでまたそんな噂が」

 そのことについては忠次も心当たりがないわけではない。一応今の松平家当主の継母は忠次の叔母に当たる人物である。忠次としてはとっくに切れた縁だがそこを疑うものがいてもおかしくない話であった。

「(だとすりゃ侍の誰かか。しかし腹の立つ話だな)」

 忠次は内心憤っていた。これまでの戦いで忠次は手を抜いたりしたことは無い。常に全力で戦っている。

 しばらく忠次は黙り込んだ。その姿を七兵衛が不安そうに見ている。

「戸田様? 」

 七兵衛は忠次の顔を覗き込んだ。忠次は瞑目している。がしばらくして口を開いた。

「七兵衛」

「へ、へい」

「お前はこれ以上戦いを続けるつもりはあるか」

 忠次にそう問われると七兵衛は腕を組んで唸った。

「うーん。正直村の連中もこれ以上はもういいといってます」

「そうか…… なら俺に考えがある」

「へ、へえ」

「安心しろ。お前らに迷惑はかけん」

 そう言うと忠次は自分の考えを七兵衛に話した。話を聞いた七兵衛は驚いた顔をする。その顔を忠次は面白そうに眺めていた。

 

 その後忠次や村の人々は戦いに参加しなかった。表向きは内通の疑惑がある忠次を監視するためと言うものである。もっとも実際は一揆からの離反である。一揆方も内通の疑惑があったのでそれを咎めず放置した。

 この放置されている間に忠次は松平家への接触を試みる。幸い家康の継母である忠次の従姉が存命であった。彼女はあまりいい立場ではないようだが数少ないつながりの一つである。

 忠次はこう訴えた。

「叔父康光は許されない罪を犯しました。そして父の光忠はその罪を償うために松平の方々と共に戦い死にました。どうか私も償いのために戦わせていただけないでしょうか」

 これは半分本心であるが半分は嘘である。康光が許されない罪を犯したというのは忠次自身強く感じている。しかし光忠が死んだのは償いのためではない。

「親父が死んだのは明日のためだ。親父が残した明日を続けるためには嘘も吐く」

 また忠次はこれまで入手した一揆方の情報も併せて送っている。しかし正直松平家が自分たちを受け入れる確率は低いと考えていた。

 こうした忠次の訴えが届いたのか家康から返事が来た。内容は忠次の参陣を認めるというものである。

 忠次はすぐさま準備を整える。さらに近隣を含む村の人々を集め二百の兵とした。そして家康のもとに向かう。永禄七年(一五六四)のことである。

 驚いたことに忠次はすぐに家康に拝謁することになった。たとえ継母の従弟とはいえ破格の扱いである。忠次はがぜん家康の人柄が気になった。

「(いったいどんな男なのだ)」

 そしてついに忠次は家康と対面した。家康の背はそれほど高くない。体つきはがっしりとした堅肥りであった。顔つきはどちらかと言うと穏やかそうな雰囲気である。

「(この男が…… )」

 忠次は家康を品定めするように見た。するとそれに気づいたかどうかはわからないが家康が話しかけてきた。

「戸田忠次か」

「はい」

「お主には言っておかねばならぬことがある」

 そう言われて忠次の顔に緊張感が走る。忠次と家康の関係からして康光のことだろう。忠次は緊張したまま家康の言葉を待った。

「おぬしの叔父は儂を売った。しかしそのおかげで信長殿と縁ができ此度の同盟もうまく運んだ」

 信長殿と言うのは織田家の当主織田信長のことである。そして此度の同盟とは松平家とだけが結んだいわゆる清州同盟のことであった。

 予想外の話に忠次は驚いた。そんな忠次に家康は言った。

「人の運命の不思議なことよ。ともかく礼を言っておこう」

そう言って家康は頭を下げた。そんな家康の姿に忠次は呆然とするばかりであった。


 何はともあれ忠次は松平家の旗下に入った。そして一揆の鎮圧に励む。

 忠次は七兵衛をはじめとした一部の村人たちを自分の配下として組み込み戦った。それに加え一揆方の情報提供をしている。その見返りとして七兵衛たちの村の赦免を引き出している。

 七兵衛は言った。

「戸田様にはお世話になりっぱなしですね」

「気にするな。俺もお前らには助けられた」

 忠次としては世話になり続けた恩返しでもある。

 こうして一揆方との戦いは続いたがもともと松平家方が有利と言うこともあって、一揆はほどなく鎮圧された。戦いが終わると七兵衛たちは村に戻る。そして忠次は松平家に仕えることになった。

 しかし忠次には気になることがあった。

「(殿は俺のことを本当に許しているのか)」

 家康は始めて謁見した時はああいってくれた。しかしそれが本心かどうかは忠次にはわかりかねている。

 そんな折に忠次は家康に呼び出された。用向きは家康継母への挨拶である。もっとも従姉とは言え殆ど面識のない相手なので会話もはずもない。忠次は挨拶もそこそこに帰ろうとしたが家康の小姓に呼び止められた。

「殿がお呼びです」

 いったいなんだと思う間もなく忠次は家康のもとに連れてこられた。他の家臣はいない。忠次の表情に緊張が走る。そんな忠次の緊張に気付いているのかどうか家康は忠次に声をかける。

「よく来たな。忠次」

 忠次は無言で平伏した。内心では動揺している。

「(いったい何の用事なのだ)」

 顔を挙げずた忠次は家康の言葉を待った。やがて家康が口を開く。

「渥美に領地をやろう。今はまだ小さいが手柄次第ではさらに大きい領地を得られるぞ」

 家康の言葉を聞いて忠次は驚いた。そして思わず言ってしまう。

「と、殿」

「なんだ」

「わ、私の叔父は殿に大変な無礼を働きました。それなのになぜ私を召し抱えたのですか」

 忠次は今までずっと思っていたことを口にした。だがそれを家康は笑い飛ばす。

「それについては以前言ったであろう」

「し、しかし」

「あれでは納得いかんか」

「はい」

 家康はしばらく思案すると口を開いた。この間忠次は動揺し続けている。

「結局のところあれはお主の叔父の罪。お主が悪いわけではない。それに前言った通りあれのおかげで信長殿との伝手もできた。そう言う意味ではやはり儂にとっては得であったと思う」

「しかしあの時殿の命は危なかったのでは」

「確かにそうだ。しかしそれはもう過去のことだ。重要なのは今生きているということで、それをどう明日につないでいくかだ」

 家康はそう言った。その言葉に忠次は感じ入っていた。そして父親の言葉を思い出す。

「生き延びれば希望はある。生き続ければ道は開ける。そう親父は昔に言っていました」

「ほう。それはいい言葉だ」

「はい。そしてそれが本当なのだと実感していることです」

「そうか。道は開けたか」

 忠次は無言で平伏した。そして言う。

「戸田忠次。これよりは身命を賭し殿の明日と未来を切り開いていせます」

「そうか。頼んだぞ」

 家康は満足げに頷いた。平伏している忠次は泣いている。家康に仕えることができたおかげで今まで生きてきて意味はある。そう感じているからだ。

「(親父の言う通りだ。俺は希望を見つけ、道が開けた。これも親父が生き残らせてくれたおかげだ)」

 忠次亡き父に心の底から感謝するのであった。

 こうして忠次は家康に仕えることになった。そしてその忠実な配下として戦いの道を歩むのである。


 いろいろありましたが忠次は無事に家康に仕えることができました。しかし二人の関係というか繫がりとうのは本当に不思議な縁です。家康の継母は忠次の従姉でありその継母の父親が家康を売り払ったわけです。そんな二人がいろいろあって主従関係になるのだから戦国の世と言うものは本当に不思議ですね。

 さてここからは時代がかなり早く流れます。そして忠次の最期まで行きますのでお楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では


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