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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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戸田忠次 亀鑑 前編

 三河の武将。戸田忠次の話。

 忠次が生まれた戸田家は叔父の康光が当主であった。父の光忠は康光を支えて戸田家を盛り立てている。しかしあることがきっかけで戸田家に災いが降りかかる。そしてそこから忠次の激動の人生が始まった。

 亀鑑。意味。行動や判断の基準となるもの。

 

 三河(現愛知県)の田原城を含む三河の沿岸を治めるのは戸田康光である。この康光と言う男はいささか粗忽で短慮なところがあった。

「まずは目先のことだ」

 そう言って目先の利益を優先しては失敗するということを繰り返している。それでも戸田の家が傾かないのは康光の弟を始め一族郎党が戸田家を支えているからだ。

 さて康光の弟に光忠と言う男がいる。光忠は落ち着いた性格で熟考熟慮の人物であった。

「ことを急いては仕損じる。これが一番肝要だ」

そんな光忠には息子がいた。息子はのちに忠次と名乗るようになる。ここでは始めから忠次としよう。

忠次は父と違い血気盛んで思い立ったが吉日の行動派だった。はっきり言って落ち着きと考えが無い。その上血の気も多かった。いつも血の巡りがいいからか赤い顔をしていて落ち着きなくしている。これが光忠にとっては悩みの種だった。

「あ奴ももう少し落ち着いてほしいものだ」

そうゆうわけでよく光忠は忠次に説教をする。

「今のままではいずれ身を亡ぼす。少し落ち着きを持つようにしろ」

 こんなふうによく説教されていた。しかし幼い忠次には不満しかない。当然反論する。

「叔父貴は親父が亀のようだと言っている。いつも行動がのろい亀だと」

 忠次は叔父の康光が言ったことを素直に口にした。それを聞いて光忠は大きくため息をつく。

「兄上はまだそんなことを言っているのか」

 光忠は康光が自分をそう評していることを知っていた。このことは家中の皆も知っているし、そのため一部のものは光忠を侮っている。もっともそんなことを今更気にする光忠ではない。それに重臣たちは落ち着いた光忠の方を信頼していた。

 いまだ不満そうな忠次に光忠は言った。

「確かに私は行動が遅いかもしれん。しかしお前や兄上は逆に行動が速すぎる。それに目先のことにすぐに飛びつきすぎだ」

「それでいいじゃないか。目の前の手柄に飛びつくのが侍と言うもんだろう」

「手柄を目指すなとは言わん。だが行動をする前に少しだけ考えろと言っているのだ。もしお前がこのままなら何か大きな失敗をしでかすぞ」

 不安げな顔で光忠は言った。しかしそれを忠次は鼻で笑う。

「それじゃあ叔父貴も何かしでかすのか」

 忠次がそう言うと光忠は大きくうなずいた。

「そうなるかもしれん。しかしそうならないようにするのが我々の役目だ」

「ふーん。そうか」

「まあ今日はここまでだ。とにかくお前はもう少し落ち着きを持て。私のようになれとは言わんから」

「わかった」

 そう忠次が理解しているのかしていないのかわからない返事をして今日の説教は終わった。うるさい父から解放されて忠次は思う。

「(親父はあんなこと言っている。けど俺も叔父貴も大丈夫だろう。親父は心配しすぎなのだ)」

 と、何もわかっていない忠次であった。実際問題家が存続しているのは事実である。もっともそれが光忠たちの苦労の賜物であることを忠次は理解していない。

 兎も角戸田家は光忠たちの苦心で成り立っているようなものだった。しかしその安定は康光の短慮であっさりと動揺する。そして暫くして光忠の心配が的中する事態が起きた。これが忠次の人生にとって大きな転換点となる。


 天文十六年(一五四六)のある日。その日は前日からなんだか慌ただしかったと忠次は記憶している。正確に言えば供を連れて外出していた叔父の康光が帰って来てからだ。

 この時忠次は元服して間もない頃であった。一応初陣は済ませているが家のことに関われるような立場ではない。したがって慌ただしい理由も聞いていなかった。

 そう言うわけで何やらひそひそと話している女中たちを捕まえて聞いてみることにする。

「いったい何があったんだ」

 元服した忠次は堂々たる体格になっていた。顔つきもいささかどう猛さを感じさせるものになっている。そんな男に話しかけられたのだから女中たちは聞こえないふりをして去っていく。結局一番おとなしそうな女中が残された。

 女中は顔を引きつらせながら答えた。

「さ、さあ…… でも確かお館様が光忠さまと御家老様たちと何か話し合っているとか」

「何を話し合っているんだ」

「そ、それは知りませんが。しかし光忠さまはなんだか怖い顔をしていました」

「そうか、わかった。いっていいぞ」

 忠次がそう言うや女中は逃げるように去っていった。残された忠次は思案顔になる。

「(いったい何を話し合っているんだ? 親父は怒っているようだが)」

 そこは思い立ったが吉日の忠次だ。思案も一瞬ですぐに歩き出した。目指すは父と叔父の下である。

 忠次たちが住む田原城はそこまで大きくない。しばらく歩くと光忠の声が聞こえた。

「いったいこれからどうするつもりですか! 」

 それは普段の光忠からは思いつかないような大音声であった。さすがの忠次も驚き足を止める。

「(おいおい。何があったんだよ)」

 忠次は気取られぬようにゆっくりと進む。その間にも光忠の声が聞こえた。他にも家老たちの声も聞こえる。

「これでお家もおしまいですな…… 」

「全く。短慮な行動はあれだけ控えてくれと言ったでしょう」

 聞こえる内容から康光が責められているようだった。忠次は声のする部屋に近づくと戸を少しだけ開けた。そこから中を覗き込むとは想像通り康光が光忠や家老たちに囲まれて詰問されている。

 光忠は深くため息をつくと言った。

「目先の銭に気を取られての所業。呆れるほかありません。これには今川様もお怒りになられるでしょう」

 ここで出た今川様と言うのは駿河、遠江(双方とも現静岡県)を治める大大名今川義元のことだった。今川家は三河を治める松平家を従属させている。この松平家と戸田家は縁戚関係にあり、同様に今川家に従っていた。

 光忠は続ける。

「今回の命は我々と松平殿との縁を信じての事。それをないがしろにしてしまうとは…… 」

 そう言うと再び光忠はため息をついた。ついでに家老たちもため息をつく。

 周りがため息をつく中で攻められていた康光は気にしていない様子だった。

「しかし今の織田殿は飛ぶ鳥を落とす勢いだそうだ。今のうちに恩を売っておくのも悪く無かろう。その上銭まで手に入るのだぞ」

 康光が言った織田殿と言うのは尾張(現愛知県)の織田信秀のことである。信秀は尾張を治める守護の家臣であるがその勢力は守護を上回っていた。その実力は近隣の諸国に知れ渡っている。

「我々が怒っているのはそこではありません。我々に何も言わなかったことと。それに織田殿に命じられた手段のことです」

「しかしなあ…… 」

「言い訳は聞きません。これは当家の存亡の危機です」

「大げさだろ」

「いえ、大げさではありませんよ」

 光忠は最大級のため息をついた。そして呆れきった目で言う。

「まさか竹千代殿を銭で売るとは…… 」

 家老たちは絶望しきったため息をつく。しかし康光と外で盗み聞きしていた忠次は相変わらずあっけらかんとしていた。

 光忠が言った竹千代と言うのは松平家の嫡男のことである。この頃松平家は複雑な立場にあった。

 松平家の現当主広忠は水野家から妻を迎えていた。この水野家は尾張と三河の境界に領地を持つ領主である。

 水野家は松平家と同様に今川家に従っていたが、ある時織田家に従うようになる。それをきっかけに広忠は妻と離縁することになった。そしてこの離縁した妻との間に出来た子供が竹千代である。さらに広忠が離縁した後に嫁いだのは光康の娘であった。

 これらのことからわかるようにいろいろと松平家と戸田家はいろいろと複雑な関係である。そして今回松平家は竹千代を人質として今川家の本拠地である駿府に送ることになった。その護送をすることになったのが康光たちである。

 ここで康光はとんでもないことをしてかしてしまった。なんと竹千代を今川家で無く織田家に送ってしまったのである。しかも銭と引き換えで。

 光忠は何度目かわからないため息をつく。

「こうなれば今川様は我らに兵を送るでしょう」

「心配しすぎじゃないか? 」

「それだけのことを兄上はしてしまったのです」

「だがそうなれば織田殿や水野殿も手を貸してくれるだろう。それに息子を取られた広忠だってこっちに付かざる負えまい」

「ならばいいのですが、広忠殿はなかなか頑固なお方。どうなることやら」

 暗澹たる気持ちの光忠と楽観的な康光。この兄弟は驚くほど真逆であった。

 一方で盗み聞きをしていた忠次はこんなことを考えていた。

「(戦になれば大暴れできるな。俺の力を見せてやる)」

 今の忠次にはこんな程度の考えしかできない。


 康光が竹千代を売ったという情報はすぐに今川義元の耳に入った。当然義元は激怒する。

「言語道断のふるまいである。絶対に許さん! 」

 義元はすぐさま兵を出陣させる。その兵力は戸田家とは比べ物にならない規模のものだった。

 この情報を聞いた光忠は冷静だった。家中の者が大慌てでいる中でこう吐き捨てる。

「こうなるだろうとは思っていた。慌てるほどのことではない」

 そんな父親を忠次は見直すのであった。

「驚いた。親父がここまで肝が据わっているとは」

「さっきも言っただろう。こうなるだろうと思っていた、と」

「それもそうだな。しかしどうするんだ? 」

 忠次はそう訊ねるが光忠は黙っていた。この緊急時に黙られると忠次も不安になる。

「親父? 」

 不安そうに忠次は尋ねた。光忠はそんな忠次に言う。

「こんなことで死ぬのは馬鹿らしい」

「それは…… そうかもしれんが」

「忠次よ」

「ああ、なんだ」

「まずは生き残ることのみを考えろ」

 力強く光忠は言った。忠次はただ頷くばかりである。

「生き延びれば希望はある。生き続ければいつか道は開ける」

 光忠のつぶやきは忠次の心に強く刻み込まれるのであった。

 やがて今川家の軍勢が襲来した。迅速な行動であり戸田家はろくな対策を打てなかった。

「織田殿の援軍は来ないのか? 」

 康光は青い顔をして言った。それに対し光忠は冷然と答える。

「なにぶん今川様の動きが速い。間に合わんでしょう」

「広忠はどうしている。奴は織田殿に付くのだろう!? 」

「広忠殿は今川様に従う旨を伝えたようです」

「自分の子供が可愛くないのか…… 」

 絶句する康光。結局のところ甘い見通しで行動していたつけが回ってきたという事である。

 一方で光忠は相変わらず落ち着いていた。

「もはやあきらめるほかありません」

「い、いや。まだだ。こうなれば義元殿に詫びを入れよう」

「もうすでに使者は送りました」

「それでどうなった」

 康光は期待のこもった目で光忠を見た。光忠は静かに答える。

「書状を渡すこともできずに帰ってきました」

 光忠の答えを聞いた康光は膝から崩れ落ちた。そんな哀れな兄を光忠は冷静に見下ろしている。

 結局田原城は今川家の攻撃を受けあっさり落城した。康光は嫡男共々討ち死にし戸田家は滅亡となる。しかし戸田氏の血が絶えたわけではなかった。

 田原城から少し離れた山小屋に光忠の姿がある。他に光忠の妻や田原家の家臣の姿もあった。

 光忠は家臣に尋ねた。

「忠次は何処だ」

「それが見当たらず」

「あの馬鹿者が…… 」

 そう言うと光忠はため息をつく。光忠は義元の軍勢が迫るとひそかに妻を家臣とともに避難させていた。全ては康光にも極秘で進めたことで、知っているのは戸田家でもわずかな数である。

 そのわずかな数に忠次は入っていなかった。これは言っても聞かないだろうという考えである。一応この場所のことは伝えたし生き残ることだけを考えろとは言ったが

「(やはり話しておくべきだったか)」

と、光忠は今更になって後悔していた。

 遠くには燃え上がる田原城が見える。そろそろここから逃げないと危険である。

 光忠は苦渋の表情で腰を上げた。するとそこに

「親父! 遅くなった」

「忠次! 」

待望の忠次が駆け込んできた。忠次は返り血にはまみれていたが怪我をしている様子はない。

「無事だったか」

「ああ。正直意地になって切り込もうかとも考えたが、親父の言うように少し考えた」

「それで? 」

「考えてみると叔父貴のへまに付き合ってやる必要はないって思った」

「そうか…… そうか」

 からりと笑って言う忠次。光忠は苦笑するしかなかった。しかし何よりお互いの無事を喜んでいる。

 この後忠次たちは縁を頼って岡崎に逃げ込む。岡崎は松平家の本拠地であったが、幸い光忠の事情を理解してくれた。

 こうして光忠たちは生き延びることができた。しかしこれで安穏とした日々が送れるわけではない。


 あけましておめでとうございます。本年も戦国塵芥武将伝をよろしくお願いいたします。

 さて今回の主人公はのちの徳川家臣戸田忠次です。おそらく彼のことを知っている人は少ないと思われますが叔父の康光の名に聞き覚えがある方はいるのではないでしょうか。康光がやったことは本編に書いてありますがあまりにも迂闊としか言いようがないことをしています。挙句死ぬ羽目になるのですから何を考えていたのか本当にわかりません。忠次もいい迷惑だったでしょう。

 それはともかく忠次の人生はここから動いていきます。忠次はいかにして徳川家に仕えるようになったのか、タイトルは何故亀鑑なのか。それらは後後わかりますのでお楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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