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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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戦国塵芥武将伝 特別編

 前の投稿に合った通り特別編です。今までの主人公たちの生没年、簡単な来歴、関係のある事件、そして作者のどうでもいいコメントがついています。暇だったら読んでください。

畠山義英 (一四八七~一五二二)

関わった事件 両細川の乱

来歴 畠山家当主。幼いころに同族の畠山尚順と畠山家当主の座を争い続けた。だが混乱の続く畿内の情勢に翻弄され幾度も挫折する。最後は消息不明となった。

作者の一言 最初の話の主人公です。なんというかともかく当時の畿内の混乱に翻弄された人と言う印象です。

森可成 (一五二三~一五七〇)

関わった事件 桶狭間の戦い 第一次信長包囲網

来歴 織田家臣。もともとは斎藤家に仕えていたが織田家に仕えるようになる。織田信長の初期のころからの家臣で多くの戦いに参戦した。元亀元年(一五七〇)に信長の背後をつこうとする浅井・朝倉連合軍を足止めすべく奮戦し戦死した。

作者の一言 信長の古参の家臣ですが息子の方が有名という悲しい事実。ただ比叡山焼打ちの時の配慮や

息子たちが厚遇されたことを考えると信長からは目をかけられていたのでしょう。

足利晴氏 (一五〇八~一五六〇)

関わった事件 関東享禄の内乱 第一次国府台の戦い 河越城の戦い

来歴 古河公方。関東享禄の内乱で父を、第一次国府台の戦いで叔父を打倒し古河公方の立場を確立する。しかし次第に北条家の干渉を受け勢力を衰えさせる。のちに挽回を期して両上杉氏と共に河越城を攻めるが大敗。以後は権勢を失い北条家に下った。

作者の一言 一時は間違いなく戦国時代の関東の中心人物でした。しかしそれと同時に滅亡する旧権力の象徴ともいえる人物です。正直一部の行動が残念な人とも言えます。

藤懸永勝 (一五五七~一六一七)

関わった事件 山崎の合戦 小牧・長久手の戦い 小田原攻め 文禄の役 関ヶ原の戦い

来歴 織田、豊臣家臣。始めは祖父に伴われ浅井家に嫁ぐ信長妹お市に従う。浅井家滅亡後は信長の四男で羽柴(のちに豊臣)秀吉の養子なった秀勝に従う。秀勝の死後は秀吉に仕え関ヶ原の戦いでは西軍に属す。その結果所領を減らした。

作者の一言 何というかこの人は様々な事件の影で生き続けたという印象があります。ある意味このシリーズの象徴とも言えるでしょう。

前田茂勝 (一五八二~一六二一)

関わった事件 特になし

来歴 徳川家臣。洗礼を受けたキリシタン大名であった。父の跡を受け継ぎ大名となるが乱行が目立ち家臣を多く手にかける。そのため改易された。

作者の一言 親の遺産を潰す人は多々いますがこの人は特上です。ともかくとんでもないことをしでかしたなあと言う印象です。

田原親虎 (一五六〇~不詳)

関わった事件 耳川の戦い

来歴 大友家臣。京の公家の子に生まれるが大友家の重臣である田原家に養子に入る。その後キリスト教に入信するが養父の怒りを買って勘当された。あとで許されるが耳川の戦いに参戦するも消息を絶つ。

作者の一言 調べるのに苦労した人です。しかし主君と同じ信仰を持とうとしたら勘当されるというのはだいぶ理不尽な感じですね。それが当時のキリスト教に対する偏見の象徴なのでしょう。

武田元信 (一四六一~一五二一)

関わった事件 長享・延徳の乱 明応の政変 永正の錯乱 両細川の乱

来歴 若狭武田家当主。武田家は室町幕府と関係が深く、元信もよく幕府に出仕した。一方で細川家とも縁が深く明応の政変の後は細川政元と協力して活動した。だが永正の錯乱で政元が死ぬと権勢を失う。しかしのちに復権することができた。

作者の一言 この人も畿内の混乱に巻き込まれた人でしょう。義英のように悲しい終わりにならなかったのは代々の領地があったことと義澄には一途に仕えたからだと思います。

太田資正 (一五二二~一五九一)

関わった事件 小田原城の戦い 第二次国府台の戦い 沼尻の戦い

来歴 扇谷上杉家臣。主家が北条家に滅ぼされた後も反北条の戦いを続けた。しかし新北条の息子に居城を追われてしまう。その後は佐竹家に仕えつつ織田家などの遠方の勢力とも連携した。生涯を反北条の戦いにささげ北条家の滅亡の翌年に亡くなった。

作者の一言 関東における反北条の象徴と言える人物です。生涯のほとんどが北条家との戦いで多くは敗れています。そして宿敵の滅亡を見届けて死ぬという完璧すぎるストーリ性を持っています。正直大河ドラマの主人公とか無理ですかねぇ。

来島通総 (一五六一~一五九七)

関わった事件 中国攻め 四国攻め 九州攻め 小田原攻め 文禄の役 慶長の役

来歴 伊予(現愛媛県)の海賊。のちに大名。河野氏に仕える海賊であったが裏切って豊臣秀吉に仕えるようになった。その後は秀吉の旗下の水軍として各地で任務にあたった。文禄・慶長の役でも水軍として戦う。しかし文禄の役で兄を慶長の役では自身が戦死してしまう。

作者の一言 時勢を見きわめ己の技量を生かしのし上がる。こういう人物はかなり好きです。話の方もノリノリで書いていた記憶があります。

浦上則宗 (一四二九~一五〇二)

関わった出来事 長禄の変 応仁の乱 長享・延徳の乱 明応の政変

来歴 赤松家臣。没落した主家の再興に尽力した。しかし次第に専横し始めるようになる。やがて家中の反発や敗戦で権勢を失うと失意のうちに死んでいった。

作者の一言 現段階で唯一応仁の乱に参加している主人公です。そののし上がりぶりは戦国時代らしいとも言えるでしょう。ついでにその末路もそれらしい感じを受けました。

松平忠吉 (一五八〇~一六〇七)

関わった事件 関ヶ原の戦い 

来歴 徳川家臣で徳川家康の息子。家康の第四子。のちに将軍となる秀忠の同母弟で将来を嘱望された。また関ケ原の戦いでも奮戦する。しかし二八歳の若さで死亡する。

作者の一言 おそらく初陣で薩摩隼人を相手にすることになりました。ある意味不幸です。早死にしたのはこの時の傷が原因ともいわれています。やっぱり不幸です。

赤沢朝経 (一四五一~一五〇七)

関わった出来事 長享・延徳の乱 明応の政変 永正の錯乱

来歴 細川家臣。信濃(現長野県)の出身で細川政元に仕える。明応の政変の後から政元の爪牙として戦う。時には政元に謀反することがあったがすべて許された。明応の政変で政元が死ぬとその混乱に巻き込まれ自害する。

作者の一言 知られざる猛将という言葉がしっくりきます。明応の政変から政元が死ぬまでの間に起きた戦ではしょっちゅう名前が出るという。もう少し知名度が上がらないかなと思います。

松平康元 (一五五二~一六〇三)

関わった事件 三方ヶ原の戦い 小牧・長く手の戦い

来歴 徳川家臣で徳川家康の異父兄弟。桶狭間の戦いの後に家康が独立するとその旗下に入った。その後は家康を支えて各地の戦いに参戦した。

作者の一言 徳川家康は息子の知名度は高いのですが弟たちとなるとだいぶ認知率が下がります。皆地味だからなのですが家康からは割と信頼されてたのはなんだかいい話ですね。

真木嶋昭光 (不詳)

関わった事件 第一次、第二次、第三次信長包囲網 

来歴 室町幕府の幕臣。詳細は不明だが足利義昭が織田信長と敵対し始めた頃からの家臣。義昭が京を追われてからも付き従い続けた。義昭を弔ったのちの消息は不明。

作者の一言 いつの間にか義昭に仕え、義昭が死ぬといつの間にかいなくなっているという。何とも不思議な人物です。時々昭光のように書状等に名前はあるのに生没年不詳と言う人物が出てきます。何とも不思議な話です。

石井与次兵衛 (一五二七~一五九二)

関わった事件 中国攻め 四国攻め 九州攻め 小田原攻め 文禄の役

来歴 豊臣家臣。播磨明石の海賊であったが縁があって豊臣秀吉に仕える。その後は秀吉の水軍の一角として様々な戦いに参戦した。しかし母の危篤を知り大阪に帰る秀吉が乗る船で事故を推してしまい、責任を取って自害した。

作者の一言 一寸先は闇と言う言葉を体現した人生です。しかも事故にあったところに自分の名前がついているという悲しさ。

土居清良 (一五六三~一六二八)

関わった事件 四国攻め

来歴 伊予の武将。 父と祖父を一五歳の時に失い一時所領も失う。しかしあとで復帰し一条家や大友家と戦いを繰り広げた。豊臣秀吉が四国を制圧した後は帰農する。

作者の一言 活動した範囲は小さく大きな事件に関わった訳でもない。にもかかわらず様々な個性を持つ不思議な人物でした。この人も話を書いてて楽しかったですね。

豊臣秀勝 (一五六九~一五九二)

関わった事件 九州攻め 小田原攻め 文禄の役

来歴 豊臣家臣で豊臣秀吉の甥。秀吉の姉の息子で秀吉の養子に入った。一時怒りを買い勘当されるが許され復帰する。文禄の役では朝鮮に渡海するが現地で病死する。

作者の一言 この人は生きていれば歴史が本当に変わったかもしれない人物です。しかし自害したり病死したりと豊臣家の第二世代は早死にしすぎです。秀吉は長生きだったのにそれだけが不思議です。

茨木長隆 (不詳)

関わった事件 両細川の乱 天文の錯乱 江口の戦い

来歴 細川家臣。同輩の三好政長や木沢長政と共に政敵の三好元長を一向一揆の力を借りて排除した。しかしその余波で畿内の仏教勢力の暴走を起こし畿内を混乱させてしまう。のちに政長が元長の息子の長慶に敗れたため権勢を失う。その後の消息は不明。

作者の一言 何とも因果応報ともいえる人生を送った人です。しかし共謀した二人とは違い生き残ったのはそこまで重要な人物ではないと判断されたからでしょうか。そこは不思議です。


 何ともお目汚しの内容でした。本当はもう少しちゃんとしたものを作りたかったのですが思った以上に手間がかかりこの程度のものになりました。ご容赦を。

 しかし見返してみると若干時期が偏っているのかなとも思います。特に畿内で明応の政変から両細川の乱のあたりで活躍した人が多いかなと言う感じです。今後はもっといろいろな時代や地方の人を取り合え下られると良いなと思います。

 さて次回は予告通り休ませていただきます。そして年が明けて一月六日に新年最初の投稿となります。よろしくお願いします。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。それと本年も読者の方々にはお世話になりました。来年もよろしくお願いします。それではよいお年を。では

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