足利晴氏 空晴れず日は落ちる 前編
関東の武将。足利晴氏の話。
古河公方の嫡男に生まれた晴氏。かつては関東一帯を支配していた古河公方の権力を取り戻すため、骨肉の争いを勝ち抜いていく。肉親の血にぬれた道の先に、晴氏は何を見るのか。
相模国波多野。関東の雄、北条氏が支配する土地の一つである。
この波多野の片隅に庵が一つあった。まるで世間から忘れ去られたように佇む小さな庵である。
庵の外観は小さいながらも風情の感じられる上品な佇まいをしている。しかし固く閉ざされた門と、そこで見張りをしている兵士たちの存在が物騒な雰囲気を醸し出していた。上品さと物々しさという相反する二つの要素。それらがこの庵に住む者の立場を表していた。
庵の縁側では一人の男が庭を眺めていた。猫の額ほどの小さな庭であるが男の無聊を慰める程度の効果はある。とは言え二年も同じ庭を眺めていればさすがに飽きてきた。しかし男にはほかにやることも無い。見飽きた庭と曇り空の相乗効果で男はどんどん憂鬱な気分になっていった。
「侘しいな…… 」
そうつぶやく男の名は足利晴氏。かつては古河公方の座につき、八万の軍勢を指揮した男である。
晴氏は曇り空に向けてため息をつく。
「なぜこうなったのだ…… 」
今の晴氏は北条家に捕らわれこの地で幽閉される身である。口から出るのは今の己の身を嘆く言葉と、こうなってしまったことへの疑問ばかりであった。
そんなむなしい境遇の中で晴氏はここにいたるまでの経緯を思い出していた。
足利晴氏は永正5年(一五〇八)に第三代古河公方足利高基の嫡男として生まれた。古河公方は元々鎌倉公方と称された室町幕府の出先機関である。いわば関東における最高権力者であってその影響力は大きい。鎌倉公方と称された頃は関東だけではなく東北や伊豆、甲斐なども支配下におさめていた。だがそれも一時の事である。
のちに鎌倉公方は室町幕府との対立や補佐役である関東管領上杉氏との対立で一時滅亡した。その後、下総国古河を本拠にした古河公方として復活する。だが往時の力はなく関東の東側を支配下におさめる程度であった。
晴氏が生まれた頃は戦乱が悪化し、各家での内紛も頻発した。かくいう晴氏の父、高基も自身の父親との抗争に勝利し古河公方の座についた経緯がある。そんなときに生まれた晴氏の心には己の力で古河公方を再び関東の覇者にしたいという思いがあった。そしてそれは成長するにしたがって徐々に大きくなっていく。
時は流れて享禄元年(一五二八)に晴氏は元服した。この時に晴氏は二〇歳でかなり時期が遅い。このことが晴氏には不満だった。
「父上は私に跡を継がせたくないのだ」
晴氏はそう家臣たちにこぼしていた。それには同情する者もいたが、一方で気位が高く血気盛んなところもある晴氏に不安を覚える家臣もいないわけではなかった。
さらにこのところ晴氏と高基の関係はあまり良くなかった。それは近年台頭してきた北条家の存在がある。このころの北条家の当主は2代氏綱であった。高基はこのころ独自の活動を続けていた関東管領の上杉家に見切りをつけ、新興勢力である北条家と手を結ぼうとしている。だが、これも晴氏の気に食わなかった。
「奴らは北条などと名乗っているが、もともとの姓は伊勢で室町殿の家臣ではないか。そのような者どもを信頼などできるか」
というふうに高基の方針には憤っていた。確かに北条氏綱の父は伊勢盛時という人物で、幕府の家臣の一族とも言われている。なんにせよ関東の側から見ればよそ者であり侵略者であった。
当時晴氏のような考え方をしているのはそこまで珍しくない。北条家の侵攻に対して他国の逆徒という言葉を使うこともあった。とは言え北条家の勢力は日に日に強大なものになっていっている。そういうわけで高基は接近を試みているのであるが、気位の高い晴氏には受け付けなかったという事であった。
そんな晴氏に困った高基は、晴氏を呼び出して叱りつける。
「そのような心持では儂のあとは継がせられんぞ」
「もともと私に跡を継がせる気がないのに何を言いますか」
「もういい年なのだ。おとなしくなれ」
「こんな年まで元服させなかった父上が言いますか」
こんなふうに二人言い争った。こうして高基・晴氏親子の間は急速に悪化していく。そしてついに父子骨肉相食む争いが始まるのだった。
足利親子の戦いと同時期に起きた上杉家の内乱を合わせて関東享禄の内乱という。この戦いで晴氏に与する勢力の方が大きかった。これは高基が新興勢力である北条氏に接近するのを快く思わないものが多かったことの表れであろう。この晴氏を支持するものの中には晴氏の祖父、つまり高基の父親である足利政氏の姿もあった。高基と戦い敗れたあと政氏は隠居していた。
「やはり私の考えは正しいのだ」
かつて古河公方であった祖父の支持を受け、高基より多くの勢力に擁立された晴氏は自分への自信を深めた。
「皆も強き古河公方を待ち望んでいるのだろう。父上のような臆病風に吹かれてはいかんのだ」
こうして晴氏の考えは強固なものになっていった。そして晴氏は父を打ち倒し、古河公方の座につく。
古河公方の御所である古河城に入った晴氏は高基と面会した。晴氏が上座で高基が下座である。父を見下ろす晴氏は得意満面といった感じだった。一方の高基は沈んだ雰囲気である。
父親を見下ろす晴氏は得意げに言った。
「これで私が正しいということがお分かりいただけましたね」
高基は答えない。そんな高基を晴氏は笑った。
「かつては力づくで古河公方の座を奪った父上も私にはかないませんでしたね」
これにも高基は答えなかった。ただ静かに晴氏の暴言を受け止めている。それが晴氏には面白くなかった。
「何か言ったらどうなのですか。息子に負けて悔しくないのですか」
「晴氏よ」
そこでついに高基が答えた。そして
「ゆめゆめ己の力を驕るな。驕り高ぶれば身を亡ぼすであろうぞ」
そう静かに、だが力強く言い切った。その言葉を受けた晴氏の顔が見る見るうちに赤く染まっていく。
「もういい! 負けたあなたと話すことなど何もない! 」
そう叫んで晴氏は部屋を出ていった。残された高基は晴氏の背を悲しげに見送る。
高基はこの四年後に息を引き取る。死に際の事はよくわかっていない。
晴氏は高基を倒し、力づくで古河公方の座を奪った。だがこれで晴氏の立場が安泰になった訳ではない。
「次は叔父上をどうにかせぬとな」
晴氏の叔父というのは下総小弓にいる足利義明の事である。
義明は元々鎌倉で僧侶となり空然と名乗っていた。だがある日、還俗(僧侶が一般的な身分に戻ること)をして義明と名乗るようになる。その後、上総の真利谷の大名である武田家の支援で小弓の小弓城に入った。
それだけなら目障りであろうがまだよかった。問題はその後に義明が小弓城を自分の御所として小弓公方を名乗ったことにある。そして自分が足利家の嫡流だと主張し始めた。これには高基も困惑し怒ったのである。
古河公方が高基から晴氏に変わっても義明は自分が嫡流との主張を変えていない。さらには南関東の諸勢力の争いに介入しその影響力を拡大しつつあった。
「あの男は…… 」
晴氏は叔父である義明のことを嫌っていた。それは義明が自ら陣頭に立って武勇を振るう猛将であったからである。かつて僧侶であったにもかかわらず自ら率先して血を流す姿がともかく気に食わなかった。さらに
「あれと私のどこが似ているというのだ。父上は」
高基は晴氏と義明が似ているといったことがあった。それも晴氏には気に食わない。
もっとも高基が晴氏と義明を似ていると言ったのは、その野心に溢れすぎる心の事だというのを晴氏は知らない。
このころはいよいよ北条家の勢力が大きくなっていった。伊豆、相模に加え武蔵の大部分を治めるようになっている。特に北条家が上杉家から奪取した河越城は上杉一族の扇谷上杉家の本拠地であった。武蔵の最重要拠点である河越城を手に入れた北条家は周囲への圧力をますます強めていく。その圧力を武蔵に隣接する領地を持つどちらの公方家も感じていた。
「北条のやつらめ。図にのって」
そのことに晴氏は相変わらず苛々していた。もっとも苛々していたのはそれだけでなく、古河公方の座についてから何か名をあげるようなことができていないからというのもあるのだが。
そんな折に晴氏のもとに北条家から使者がやってきた。晴氏は古河城の一室でその報告を受ける。
「何処の者だ」
「はい。北条家家臣、遠山綱景と申しております」
「なんだと? いったい何の用だ」
「どうも上様への祝辞と申していますが」
「今更祝辞だと? まあいい。会おう」
こうして現れたのは北条家の重臣で江戸城代を務める遠山綱景であった。晴氏の前に現れた綱景は恭しく平伏する。
「このたびの古河公方への就任。まことにおめでとうございます」
「ふん、そうか」
晴氏は胡乱な目つきで綱景を見下ろす。平伏している綱景の顔は見えないが、その言葉から世辞やら何やらは感じられなかった。
「公方様の器量により関東の争いも収まりましょう。全く持ってめでたい限りでございます」
「氏綱殿は息災か」
「はい。それにしても本来なら主君、氏綱自らが頭を垂れるはずでしたが、諸々忙しく私めがお目通りになることをお許しください」
綱景はどこまでも下手にしていた。その姿に晴氏の自尊心は満たされていく。
「(なんだ、北条の者共も私の器量におののいているのではないか。所詮は室町殿の家来の家。貴種である私に逆らおうとなど考えてはいないらしい)」
晴氏はそんなことを考えながら綱景を、そして綱景を通してここに居ない氏綱を見下ろしていた。
綱景は晴氏が上機嫌になってきたのを見計らって顔をあげた。
「実はこのたび公方様にお願いしたい事がございます」
「なんだ、申してみよ」
「はい。それは小弓の義明殿の事で」
「叔父上の? ふん、なるほどな」
晴氏は綱景の口から義明のことが出たことには驚かなかった。なぜなら綱景が城代を務める江戸城は小弓公方を睨む最前線に位置する。その対策に古河公方と縁を結ぶことはおかしくはない。
「(おおかた我々と同盟を結びたいという事なのだろう。下手に出ていたのはそのためか)」
晴氏はそう思った。だが綱景の口から出たのはそれ以上の事だった。
「今、義明殿は様々な家の争いに介入し、まるで公方様のごとくふるまっています。このままでは公方様の権威に傷がつきまする」
「ほう、それで」
「そこで晴氏様の指揮の下で我ら北条は義明殿を討ち果たし、古河公方の御威光を関東にしらしめたいと存じます」
「なんだと…… 」
綱景の申し出を晴氏は驚いていた。これが同盟の申し出なら古河公方と北条家は対等という心持だということになる。だが綱景の言い分はあくまでも晴氏を上に立て、古河公方のもとで義明を打ち倒したいという事だった。これだと北条家は古河公方の下に置かれることになる。
「つまり、北条は我らの臣になると? 」
晴氏は思い切って核心の部分を問いただしてみた。綱景は真摯な瞳で晴氏を見上げ頷く。
「その通りでございます」
綱景ははっきりと答えた。それを聞いた晴氏は神妙な表情をしながら内心ほくそ笑んだ。
「(要は私の威光を恐れたという事か。所詮はよそ者。領地は広がったが心細くなって泣きついてきたという事か)」
晴氏はこみあげてくる笑いを抑えて静かに口を開いた。
「北条殿の忠義、ありがたく思う。この上は上意に逆らう愚か者どもを共に打ち倒そうではないか」
「ははっ。ありがたき幸せ。わが主もお喜びになりましょう」
「ふはは。そうかそうか」
満足げに笑う晴氏は上機嫌であった。それゆえに自分を見上げる綱景の目が冷ややかなものだというのには気付かなかった。
晴氏と綱景の面会から数ヶ月後、晴氏はついに足利義明追討の令を出した。氏綱はこれを受け、表向きは古河公方の臣として足利義明との戦いに臨んだのである。この時氏綱が率いてきたのは嫡男氏康をはじめとする北条の精鋭およそ二万。これに対する義明方の軍勢は約一万であった。
明らかに義明方が不利である。だが義明はなぜかこの状況を楽観視していた。
義明は側近たちにこう漏らしていたという。
「所詮奴らは足利の臣。我らを前にすれば委縮するに決まっている」
要するに北条方は自分たちに本気で弓を引くわけはないと思っていたのであった。もちろん北条方にそんな心持はなく実際の所は義明のただの過信である。結果この過信が義明を殺したのであった。
主戦場となったのは下総国府台であった。ゆえにこの戦いをのちに国府台の戦いと呼ぶ。そしてこの戦いは数で勝る北条方の勝利で終わった。
「この度の働き、大儀であった」
晴氏は古河城で北条親子から戦勝の報告を聞いている。戦闘が行われていた時晴氏は古河城にいた。これは氏綱から
「この戦に晴氏様がわざわざお手を下すことはありますまい。我らだけで充分です」
そう言われていたからであった。晴氏はこれに納得した。晴氏自身も
「古河公方たるもの堂々と構えていればよい」
考えでいたからである。
何はともかく北条方は勝利し義明方は敗北した。この戦において義明本人はもとより弟の基頼、嫡男の義純までもが討ち死にし、小弓公方は滅亡する。これを晴氏は何より喜んでいた。
「して、叔父上の最期はどのようなものだったのだ」
喜色満面に晴氏が尋ねる。それに氏綱は心の内ではあきれながらも笑顔で答えた。
「基頼殿と義純殿が討ち死にしたとの報を聞き、こちらに突撃してまいりました。そこを我らの兵が射かけた矢に当たり亡くなったそうです」
「なんと! 曲がりなりにも足利一門がそのような猪武者のごときふるまい。全く持って愚かだ。敗れたのもうなずけるというものだ。のう氏康殿」
晴氏は氏綱の後方に控える氏康に声をかけた。氏康は冷笑を浮かべてうなずく。
「その通りでございます」
「全くだ。ははははは…… 」
上機嫌で笑う晴氏。ゆえに氏康が冷笑を浮かべていたのは、死んだ義明に対してではなく晴氏に対してのものだという事には気付かなかった。
「(全く、哀れなものだな)」
内心、そう思いながら氏康は晴氏を見つめる。一方氏綱はしばらく高笑いする晴氏を見つめていたが、タイミングを計って話を切り出した。
「上様」
「なんだ。氏綱殿」
「この機にお願いしたい儀が…… 」
「なんだ。申せ」
「われら北条の一族は元々他国の出。この関東に縁者はおりませぬ」
「ふむ。そうだな」
「そこで我が娘を晴氏様のもとに嫁がせたく…… 」
晴氏はさすがにこの申し出には驚いた。だが、そんな晴氏に畳みかけるよう氏綱は言う。
「これより先は公方様との縁をより強くし関東の平穏の一助になりたいと…… 」
「ふむ、なるほど…… だが、私にはすでに正室がいるのだが」
「そこはもちろん側室で構いませぬ。何より御正室の父上様からもご了承はいただいております。なにとぞ…… 」
氏綱は床に頭を突き破らんばかりにこすりつけた。そんな氏綱を晴氏は見下ろす。そこから見える氏綱の姿はどこか弱々しさを感じさせるものだった。
「くくく…… いや。悪かった。少し意地悪してみたくなったのだ」
「では! 」
氏綱は満面の笑みを浮かべて顔をあげた。それを見て晴氏はにやりと笑う。
「もちろん受け入れよう」
「ありがたき幸せ! 」
氏綱は再び額を地面にこすりつけた。そんな氏綱に晴氏はさらにこんなことを言い出した。
「それよりも此度の働きに見合う褒美をやらねばな」
そこまで言って考え込む晴氏。やがて妙案が思いついたのか手をたたいた。
「そうだ。氏綱殿。貴殿を関東管領に任じよう! 」
この発言には驚いた氏綱、氏康親子は顔を見合わせる。
「今や上杉は当てにならん。それよりも我々と強い縁を持つ貴殿を関東管領に迎えれば関東もより静謐に近づくであろう」
「そ、それは。ありがたき幸せにございます」
「ふははははは。なに気にすることはない。それより今日はめでたい日じゃ。これより宴と参ろう」
上機嫌で言う晴氏。やがて始まった宴会でも晴氏は終始上機嫌でいた。
こうして晴氏は古河公方の嫡流として関東に君臨する。もっともその実は北条の力に大きく頼るものであった。しかし、悲しいかな己の力を過信する晴氏はそれをまるで理解していない。結局そのことが晴氏の命運を決めることになるのであった。
というわけで足利晴氏の話です。この人の名前は北条家の関東制覇の過程でちょっとだけ出るぐらいじゃないのでしょうか。北条家の前半の敵というと山内、扇谷の両上杉という感じがします。とは言え、関東の戦国史においてはものすごく重要な人物であるのは間違いないのですが。
前半は晴氏の絶頂期までの話でした。この後はどんどん情況が悪くなっていきます。それが史実とは言え、むなしいものがありますね。
最後に誤字脱字等がありましたら連絡お願いします。