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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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茨城長隆 盛衰 中編

 細川高国を滅ぼした長隆たち。しかし強大な敵がいなくなったことで今まで隠れていた歪みが露呈する。そしてその歪みは畿内全土を巻き込んだ混乱に発展していく。

 いろいろあったが細川家、引いては堺公方府内で三好元長の立場は抜きんでたものとなった。これはそれに伴う実績があるわけで、そこに問題は無いように思える。

 しかしそれでも嫉妬してしまうのが人間というものであった。この頃には細川家内では元長を妬み疎む声がところどころ生じている。

 長隆も元長を妬む一人である。

「どうにか元長殿を追い落とせないか」

 願わくば元長を追い落としその後釜に座りたい。そうした野心を長隆は抱えていた。

 長隆は元長追い落としの策をねった。そしてその策のために必要な人物たちと秘密裏に会合する。

 一人目は三好政長である。政長は元長と同じ一族であった。高国との戦いでは共に戦いに臨んでいる。しかし元長とは折り合いが悪い。

「元長の功績など本来は俺の及ぶところではない」

 政長は常々口にしていた。しかし実際のところは元長に及ばぬというのは周りの人々も政長自身理解している。それでも今の境遇を認められなかった。

 そんな人物だから長隆にも同調する。

「元長を追い落とすのだろう。俺も協力するぞ」

 政長は晴元を幼いころから支えている。そのため晴元も政長の意見は良く聞き入れた。長隆は政長のそうした立場を生かしてもらおうと考えている。

 長隆はさらにもう一人の人物と協力を得ようとした。その人物とはかつて一緒に仕事をした木沢長政である。

 長政は一度姿をくらませたが、情勢が晴元方の有利に転じると再び姿を現す。そして高国方の要人を討つとそれを手土産に堺公方府に復帰した。

 木沢長政とはそう言うえげつない人物である。しかしそうした男だからこそ謀略にも長けていた。また畠山家臣でもあるという特殊な立場はいろいろと役に立つ。そうした意味もあって今回引き入れた。

 長隆は長政を睨みつけて言う。

「今度は逃げないでくださいよ」

「それは茨木殿次第ですな」

 いけしゃあしゃあと長政は言った。やはりとんでもない男である。

 こうして集まった三人は元長追い落としのために策を練る。幸いと言っていいかわからないが三人ともそうした方面には明るく躊躇が無かった。

 やがて話がまとまり三人の役割も決まる。

 最後に長隆は言った。

「あくまでこれは細川家のため。我らの私欲ではない」

 その言葉に二人はにやにやと笑いながら頷いた。長隆も笑っている。

「そうだな。我らの主家のため」

「拙者は細川家臣ではないが、この策は私の主家のためになろう」

 もちろんこれらは本心ではない。ここにいる三人は自分のために動いている。そしてそれをお互い理解していた。だから三人はお互いをある意味で信頼できている。


 三人の策は要するに晴元と元長の中を裂くというものだった。単純だが効果的な策ではある。

 さて現在の将軍は足利義晴である。義晴は京に復帰できていないがいまだ将軍として健在であった。ゆえに長隆たちが推戴している義維は堺公方を名乗っているものの正式に将軍になっているわけではない。現状堺公方府としては義維を将軍に就任させることが最優先と言えた。そしてその活動を一番盛んに進めているのが元長である。

 一方で晴元はあまり積極的ではなかった。晴元はあくまで細川家の当主になることが目的で将軍についてあまり関心はない。実際どちらでもいいと考えている節があった。つまり晴元と元長とでは意識に差がある。また元長が一度阿波に帰ったことからもわかる通り二人の仲はそこまで良好というわけではなかった。

「つくならそこだ」

 長隆の考えに二人も同意する。

 こうして策動は始まった。まず政長は晴元と近い立場を利用して元長の悪評を吹き込む。

「元長は武功をかさに着て驕っております。放っておけば家中にいさかいが起きましょう」

 この讒言に晴元は大きくうなずいた。

「確かにな。この頃の元長は自分が細川家の当主のようにふるまっている」

「その通りです。不忠もの以外の何物でもありません」

「そうだな」

 もともと亀裂の入っていた関係である。また晴元自身がもともと元長をあまり良くは思っていなかった。このため政長の讒言を晴元は素直に聞き入れていく。

 一方で長隆と長政も動き始める。二人は義晴との和睦を画策し始めた。長隆は細川家臣の立場から、長政は畠山家臣の立場を利用して行動する。

 義晴は晴元との和睦に乗り気であった。

「高国が戦死してしまった以上はもはや晴元に支えてもらうほかない」

 この時期の将軍は強大な軍事力を持つ大名の存在が無くては存続できなかった。義晴としてはその条件を満たす存在であれば相手は問わないという姿勢でいる。一方の晴元は少し悩んでいた。

「果たして義維様をないがしろにしていいのだろうか」

 そんな晴元に長隆はささやいた。

「確かに義晴様と和睦すれば義維様に背くことになります」

「その通りだ」

「されど我々はそもそも義晴様と争っていたわけではありません。あくまで争っていたのは高国殿。もともと義晴に弓引くつもりでいたわけではありません」

「それはそうだな」

「むしろここで義維様を将軍職に就ければ君臣の関係をないがしろにすることになりましょう。ここで義晴さまを立てるのはむしろ天道にかなった事かと思います」

 長隆はそう説き伏せた。実際の所は屁理屈であるが一応筋は通っている。結局晴元は長隆の考えに従った。

「私は義晴さまと和睦する」

 この発言は堺公方府内に驚きをもって知れ渡った。当然元長は反対する。

「殿はこれまでのことを無に帰するつもりですか」

 しかし政長の讒言を信じている晴元は聞き入れなかった。さらにこの結果晴元に疎まれていることが知られた元長は細川家内で孤立していく。

 この状況を政長と長政は喜んだ。

「これほどうまくいくとは」

「左様。あとは元長を追い出すのみ」

 一方で長隆はまだ浮かれてはいない。

「まだ油断めされるな。相手は三好元長。侮ってはいけませぬ」

 長隆がそう言うと政長は顔を引き締めてうなずいた。

「確かにそうだ。この上は確実に元長を滅ぼす策を練らんと」

「それについては私に策があります」

「真か茨木殿」

「はい。万事お任せを」

 そう言って頷く長隆。

 そんな二人を尻目に長政はまだ浮かれている。

「二人とも心配しすぎだ。今の元長に討てる手はない」

 長政は状況を楽観視している。長隆にはそれが不安であった。

「長政殿。貴殿は畠山殿との折り合いが悪い。足元をすくわれぬよう気をつけられよ」

「心配はいらん。あちらでは皆私を恐れて文句は言わんよ」

 そんなふいに長政は言う。その態度がますます長隆の不安をあおるのであった。


 こうして長隆たちは元長を追い詰める。しかし長隆や政長の考えている通り三好元長はこれで終わる男ではなかった。

 享禄四年(一五三一)八月。まだ高国が死んでから半年も経過していないこの時、木沢長政の居城飯盛城が包囲された。包囲したのは長政の本来の主君、畠山義尭である。

 義尭はこれまで堺公方府を支持していた。そのため義晴との和睦にも反対している。また畠山家臣でありながら細川家内部で暗躍する長政に警戒心を抱いていた。

「ここで長政を討たなければ禍根を残す」

 そう考えて長政を攻撃したのである。そしてこの攻撃には元長も参加していた。両者は長政に同じ警戒感を抱いて手を組んだのである。結果包囲された長政は窮地に陥った。

 この事態に長隆と政長は晴元を動かし事態を鎮静化しようとした。その結果一度包囲は解かれるが翌年の享禄五年(一五三二)五月に義尭と元長は再び飯盛城を包囲する。

「これはまずいな」

 長隆は舌打ちした。結局懸念通りに長隆は主君に足元をすくわれている。

 いらだつ長隆に政長は尋ねた。

「しかしどうする。今回の件は奴の自業自得だが、今奴を失えば元長は息を吹き返すぞ」

「それはわかっている」

「ならどうする」

「案ずるな。策はある」

 そう言うと長隆は晴元に謁見した。晴元もこの事態に苛立っている。何せ一度仲を取り持って撤兵させたのにまた戦となった。面目をつぶされた形になる。

「晴元さま。私に策がございます」

「ほう…… なんだ」

「ここは本願寺の手を借りるのはどうかと」

 本願寺は一向宗の総本山の事である。当り前だが各地の一向宗に強い影響力を持っていた。そしてこの一向宗と言うのは侮れない軍事力を保持している。もし一向宗を動員できれば戦況を変えられるかもしれなかった。

 この長隆の提案に晴元はいぶかしげな顔をする。

「しかしこのところ本願寺は武家には関わらないようにしていると聞くぞ」

「その通りです。ですがかつて細川政元様は本願寺と結びその兵力を利用しています。それに元長は一向宗と対立する法華宗を庇護しています。これらを考慮すれば本願寺も了承するでしょう」

「うむ、そうか。ならば任せる」

 結局晴元は首を縦に振る。実はこの時長隆は水面下で本願寺と交渉を始めていた。これが以前、政長に言った策である。

「(本来ならもう少し時間をかけたかったが仕様がない)」

 長隆としてはいろいろと事後工作などの準備をしておきたかった。だが今は長政を救援することが先決である。

 こうして晴元は本願寺に援軍を依頼した。長隆の工作もあり本願寺は晴元の要請を受け入れる。そしてすぐさま本拠地の京から大阪に入ると近隣の門徒を動員した。その軍勢は三万にも上ったという。

 終結した一向宗の門徒たちは飯盛城を包囲する畠山義尭の軍勢を攻撃した。圧倒的な一向宗の兵力の前に義尭は敗走し最終的には自害する。こうして長隆は危機を逃れた。

 その後一向宗は元長への攻撃を始める。この時点で軍勢はさらに膨れ上がり二十一万と言うすさまじい大群になったという。この尋常ではない大軍を前に元長は妻子を避難させる。

 元長は息子の千熊丸に言った。

「いずれ父の無念を果たしてくれ」

「はい。父上」

 千熊丸は頷くと母親と共に逃れていった。

 残った元長は忌々しげに言った。

「奸臣どもめ。いずれ思い知るがいい」

 元長は一向宗の攻撃を受け法華宗の寺院の顕本寺で自害する。こうして主君を勝利に導いてきた名将はあまりに無残な最期を遂げた。

 さらに足利義維は元長の自害を受け自分も自害しようとした。これについてはさすがに晴元たちも止める。結局拘束された義維は阿波に送還された。

 こうして堺公方府は滅亡する。結局最後は内輪もめでつぶれるという最悪の結末であった。


 長隆達は一向宗の力を借りることで政敵の元長を排除した。

「これでようやく我々の時代だ」

 そう安堵する長隆。しかし事態は長隆の予想を大きく超えていく。

 元長を滅ぼした一向宗は次第に本願寺の指揮を離れ暴走していった。そして各地で蜂起し晴元の領国を脅かす。

 この事態に長隆は絶句した。

「まさか本願寺の制御を受け付けんとは」

 長隆は一向宗たちは最終的に本願寺に従うものだと考えていた。だが現実は一向宗は各地で蜂起し本願寺はそれを止めることができないでいる。長隆としては文句を言いたいところであったが、目の前の事態に対処しなければならなかった。

 この混乱の中で長隆は自分と同じ摂津の領主たちと共に一向一揆と戦っていた。しかしいくら戦っても終わりは見えない。何か策が必要だった。

 そこで長隆は晴元に進言した。

「晴元さま。ここはまず義晴さまとの和睦を成し遂げなければ」

「その通りだ。武家の力を合わせんと一向衆のやつらは止められん」

「左様です。合わせて六角殿に合力を頼みましょう」

 晴元と長隆は義晴との和睦を進めた。また近江の実力者で義晴を庇護している六角定頼との連携も画策する。幸い堺公方府はもう存在しなかったので晴元と義晴の和睦は順調に進み定頼との協力体制も確立した。

 一方で長隆は一向宗と対立する勢力との連携も画策した。その勢力とは法華宗である。

 法華宗はこの頃京の商家を中心に支持された。また彼らは自衛のために武装しており組織的な軍事力を保持している。長隆はそこに目を付けた。

 長隆は天文元年(一五三二)の八月に法華宗の寺にこんな手紙を送った。

「本願寺は最近頻発する一向一揆を自分たちとは無関係だと言っている。だが実際は奴らが裏で操っているのは一目瞭然だ。このままでは法華宗やほかの宗徒も滅ぼされてしまう。今こそ我々と共に立ち上がるべきだ」

 一向一揆を本願寺が煽っているかどうかはわからない。ただどちらにせよ一向一揆の暴走はすさまじいものだった。その現実が法華宗に火をつける。

 一方で窮地を脱した木沢長政は晴元の命令を受け一向宗の拠点に放火した。

「我らを脅かすものは皆排除する」

 長政はかつて一向宗に救われたことも忘れて放火した。この結果一向宗に打撃は与えられたが別の一揆を併発させる。長政はこれを何とか制圧するが戦いはいよいよ泥沼に入っていった。

 そんな中で京の山科の本願寺と細川軍と法華宗の連合軍がついに武力衝突に至った。この戦いでは数に勝る連合軍が勝利する。さらに法華宗は大阪から送られてきた本願寺の援軍を撃退した。

 晴元と長隆はこの機を逃してはならんと一気に攻勢をかけた。

「山科の本願寺を攻め落とすのだ」

 この指示を受けた細川軍は法華宗や六角定頼の援軍と共に山科の本願寺を包囲する。そして死闘の末に山科本願寺は敗北し寺は破壊尽くされた。これにより本願寺は本拠地を大阪の石山に移すことになる。しかし一揆は容易に収まらず各地での混乱は続くのであった。

 

 窮地に陥った本願寺だがいまだ完全に敗北したわけではなかった。さらに晴元や長隆を悩ませることがある。実は細川高国の弟の晴国が晴元打倒を目指して行動していた。そして本願寺と晴国は連携し晴元に対抗し始める。

 ここで長隆は晴元に提案した。

「ここは一気に決着をつけましょう」

「どうするつもりだ? 」

「こちらの戦力を集めて石山の本願寺を攻めます。ここが落ちれば一向宗の息も止まりましょう」

「そうだな。これ以上長引けばこちらも持たん」

 こうして天文二年(一五三三)一月に晴元たちは石山本願寺を攻撃した。しかしその頑強な抵抗と一向宗門徒の奮戦に返り討ちにあってしまう。

「こ、これはいかん」

 長隆はいち早く晴元のいる堺の防備を固めようとする。しかし勢いに乗った一向一揆は堺に攻め込んできた。この攻撃に晴元と長隆は二月に堺を脱出し阿波に逃れる。

「なんという事だ」

 呆然とする長隆と晴元であった。

 こうして総大将の晴元は阿波に撤退してしまった。しかし木沢長政らの晴元派や法華宗は何とか踏みとどまって戦っていた。そして長政は法華宗の軍勢と共に出陣し一向一揆を撃退する。これを知った晴元と長隆は五月に阿波から堺に帰還することができた。しかし一方で長政がいない京を晴国が脅かすなど情勢は安定しないでいる。

 このように死闘を続ける晴元派と一向宗。だが本心ではどちらも戦いの決着を望んでいた。長隆も晴元の意図を察し和睦の機を探していたがなかなかうまくいかないでいる。

「どうにか本願寺との間を取り持つ者を探さなければ」

 一番てこずっているのは仲介者の人選であった。普通仲介者は対立している両者と同等の力を持つ者か上回っているものが選ばれる。しかし武家と宗教の対立という特殊性や両者が畿内で抜きんでた力を持っているということが人選を難しくした。

「誰かいないのか」

 そう長隆が悩んでいると意外な人物が名乗りを上げた。名乗りを上げたのは三好元長の遺児の千熊丸である。これに晴元と長隆は驚いた。

「どういうことだ。千熊丸はまだ子供のはずだぞ」

「はい、その通りです。実際は三好家が仲介するという事なのでしょうが」

「政長は何と言っている」

「政長殿は存じていないようです。おそらく阿波に残る三好家が政長殿の知らぬところで進めていたのかと」

「そうか…… それで本願寺は何と言っている」

「それがどうも応じるつもりのようで」

「ううむ…… よし、この機を逃してはならん。和睦だ」

 晴元は和睦することに決めた。この決断を長隆は苦々しく思う。

「(まさか元長の息子がしゃしゃり出てくるとは。しかし今和睦しなければ機を逃す。腹立たしいが仕方ない)」

 こうして本願寺との和睦は成立し一応戦いは収まった。そしてこの時から千熊丸の声望は高まっていく。長隆は面白くないがまだ子供と言うことで気にしないでいた。

 さてこの和睦が成立すると、本願寺と同盟を結んでいた晴国の勢いは当然衰えた。これで現状晴元に対抗する勢力は畿内にはいなくなる。

 天文三年(一五三四)八月に晴元はついに上洛した。さらに翌月に六角定頼に伴われ足利義晴も京に復帰する。これでいよいよ新しい幕府のスタートかと思われたがまだ問題が残っていた。

 その問題と言うのともに戦っていた法華宗である。法華宗は将軍不在の京を守り抜いた実績を掲げ京の警察権を行使していた。これは幕府にとっては面白くないことである。

「法華宗どもめ調子に乗って」

 晴元は忌々しげにつぶやいた。調子に載せたのは自分たちなのだがそれは完全に忘れている。長隆は晴元の意を察して策をめぐらせた。

「ここは延暦寺に動いてもらおう」

 このころ法華宗と一向宗が対立していたのと同様に、比叡山延暦寺などのいわゆる山門と法華宗も対立していた。長隆は両者の対立感情をあおり天文五年(一五三六)延暦寺に法華宗を攻撃させる。この攻撃には六角氏も参加し京の法華寺院はことごとく焼失した。

 これで法華宗の軍事力はほとんどなくなった。これで京は完全に晴元に制圧された。さらに天文五年中には晴国も裏切られ自害し畿内に晴元の敵はいなくなる。こうしてついに晴元の覇権が確立された。

 この過程で長隆は地位を高めた。その結果細川家内での地位は抜きんでたものになる。

「私もついにここまで来たか」

 長隆は小領主からここまで出世できたことを素直に喜んだ。そして

「もうここまで来ればいい。あとはこの立場を守り暮らしていこう」

と言うように考えるようになった。長隆はここまで出世して小領主の頃のような心境になったのである。要するに長隆の野心はこの程度だった。

 しかし長隆の人生はまだ終わりではない。多くの人々が己の行動の報いを受けるように長隆にも報いが待っている。


 この時期の畿内は英雄不在の混乱の時期ともいえます。その中でも最も混迷を極めていたのが今回の話の時期です。武家の争いだけではなく一向宗や法華宗などの宗教勢力を巻き込み畿内は混乱に陥りました。その原因は晴元や長隆らの乱脈ぶりなのですがそれでも最後に勝ち残るあたりは節操のなさもある種の強さなのだと考えられさせますね。

 さて今回の話で中心となったのは主人公の茨木長隆と三好政長、そして木沢長政です。見てわかる通り彼らの名前は非常に似通っています。特に政長と長政。そのため私自身非常に混乱しながら話をかき上げました。これに関しては誰が悪いという事ではないのでどうしようもないことなのですが。読者の方々もわかりにくかったらご一報ください。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

 

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