茨木長隆 盛衰 前編
摂津の武将。茨木長隆の話。
茨木長隆は長いものに巻かれるのを良しとし大きな野心など抱かないように生きてきた。しかし戦国の動乱が長隆の運命を激変させる。
応仁の乱以後日本では小領主が乱立している。こうした人々は大きな勢力の傘下に入り自分の権益を守り生き抜いていた。茨木氏もその一つである。
茨木氏は摂津(現在の大阪府と兵庫県の境あたり)の領主である。当代は長隆という。
長隆はいわゆる傑物と言う人物ではなかった。良くも悪くも小領主と言った出世より身の安全、と言ったふうに考えている男である。
「兎も角我らの土地を守れればそれでいい」
そうよく口にしていた。
また茨木氏は一度衰退している。これは細川家と言う大きな勢力に逆らったからだ。
「長いものには巻かれる。それが一番確実な道だ」
それを茨木家の家訓としている。
そんな長隆だから特に何か大きな野心を持つということも無くただ淡々と領地を守り、情勢を理解して勝ち組につく。そう言う選択をして生き残ってきた。
幸い長隆は、戦はともかく実務に長けていた。また様々な謀略の才もあったのか様々な勢力と提携する。そうして小さな自分の領地を守っていた。
長隆はそれが自分の人生なのだと理解していた。そこには自分の感情はない。ただ日々生き残るために働き続けるだけである。
しかしふと思うことはある。
「私はこのままでいいのか」
このまま自分の領地を守るだけの人生でいいのか。何かもっと大きなものを目指さなくていいのか。そんな疑問が浮かぶ。
もっとも浮かんだところで茨木家の領地では大願など果たせないのは百も承知である。
「これが私の人生なのだ。他に生き方などない」
結局そういう結論に行きつくのであったる。しかし長隆の中にある野心はくすぶり続けていた。
さてこの頃の近畿地方は非常に混沌とした有様であった。そもそもは管領であった細川政元と将軍の足利義稙の対立から始まり、その政元が暗殺され後継者争いが始まる。そしてその戦いは今でも続いていた。
現在は政元の養子で跡を継いだ細川高国と、高国に敗れた澄元の子供の晴元が争っている。将軍は義稙と敵対していた足利義澄の子供の義晴が就任していた。
近畿の諸勢力は状況により高国と晴元のどちらかに所属している。一方で晴元は所領である阿波(現徳島県)の領主たちを配下に加えていた。
現時点で長隆は高国の勢力に所属している。しかしこのところ高国の勢力でいざこざが起きていた。結果丹波(現京都府)の国人たちが高国に反発し晴元と連携を取り始める。
そして阿波から晴元の家臣の三好元長や三好政長をはじめとする軍勢が到着し高国の軍勢と戦いに及んだ。そして晴元方が勝利し高国は将軍の義晴を連れ近江へと落ちのびる。
この情勢の変化の中で長隆をはじめとする摂津の領主たちは晴元の配下になっていった。
「何はともかく生き延びなければ」
みなこういう考えで晴元にひれ伏した。かつて茨木家は反抗した細川家にひれ伏して家を残したことがある。今回も同じことであった。
さて長隆が仕えることになった晴元はまだ十三歳の少年である。当然政務をとれるわけもなく、諸事は家臣たちが行っていた。
その中で筆頭ともいえるのが三好元長であった。三好氏は阿波の領主ある、彼らは一族総出で細川家に仕えていた。元長は祖父を高国との戦いで失っておりその雪辱を晴らすべく今回の戦いでも活躍している。
元長は将軍義晴の兄弟である義維と晴元を伴い堺に入った。そして義晴と高国の政権にとって代わる準備を始める。これにより堺には疑似的な幕府機構が誕生し、その長である義維は堺公方と呼ばれるようになった。そうした組織を堺公方府ともいう。堺公方府は虎視眈々と天下に号令する機会をうかがっていた。
一方で晴元や元長、そして堺公方府にはあまり畿内の地理に明るい人物はいない。また逃亡したものの高国と義晴は健在である。こうした状況の中で元長は晴元や義維を支える人材を探していた。その中で元長が目をつけたのが長隆である。
元長は長隆を呼び出してこう言った。
「貴殿はよく領地を治め、政に長じている。その才を晴元さまのために生かしてくれまいか」
そう言われて長隆は戸惑った。長隆としてはあくまで自分の領地を守れればいい。そう考えていたからである。
「(私は自分の領地を守れればそれでいいのだが)」
一方で自分をここまで評価してくれているという事実に、心躍るものがあったのも事実である。元長の言葉は長隆がいつも心の奥底に封じていた気持ちを呼び戻すのに十分なものだった。
「(いったいどうするか)」
そう逡巡する長隆に元長はこういった。
「貴殿は摂津の小者で終わるつもりか? 」
長隆は別に自尊心が強いわけではない。それに野心も大したことは無い。だが不思議と元長の言葉は突き刺さるものがあった。そして揺らいでいた長隆の心は動きを止め安定する。
目の色を変えた長隆は言った。
「そのお誘いお受けいたします」
こうして摂津の小領主だった長隆は政権奪取を狙う細川晴元の家臣になった。この決断が長隆の人生を大きく変えることになる。
こうして長隆は細川家臣となった。その細川家だがその内情はいささか複雑である。
細川家は元長などの阿波の領主たちを家臣にしている。だがそのほかに長隆をはじめとする摂津など畿内の領主たちも家臣に加わっていた。また幕府の運営も行わなければならないので幕府に仕える武士たちとも連携している。これに加え畿内の大名の家臣の一部は独自に細川家と結ぶ動きなどもあった。
こういうわけで細川家の勢力圏では常に複雑な利害関係があった。そんな中で長隆は地道に仕事をこなしていく。長隆の仕事は丁寧で的確であった。そうした仕事ぶりが評価され長隆は高国と義晴が去った京都の代官を任される。
「私の仕事ぶりがここまで認められるとは」
こうなると長隆の細川家内での地位は上昇する。とは言えあくまで摂津の出身の家臣たちの筆頭と言ったところであるが。
そんな中で大永九年(一五二九)に三好元長が阿波に帰るという事態が起きる。これは元長が高国、義晴との和睦を図ったことを主君の晴元が怒ったことと、元長の同族である政長をはじめとする一部の家臣が元長を讒言したことなどがあった。この讒言については元長の功績が大きいため妬まれていたからである。
長隆は讒言こそしなかったが元長の行動には呆れた。
「主君を放りだして逃げるとは何事だ」
元長は長隆を見出した人物である。それを忘れて長隆は怒った。しかし一方でこんなことも考え始める。
「元長殿がいない今活躍すればさらに出世できるかもしれん」
それは晴元に仕える前には考え付かないようなことだった。かつてくすぶっていた野心に完全に火がついている。まだ晴元はまだ幼い。うまく立ち回れば信頼されるかもしれない。
そう言うわけで長隆は元長不在の穴を埋めるべく奮闘した。しかし事態は急転する。晴元と元長に敗れた高国が捲土重来を期して躍動し始めたのだ。
このころ京都を守備していたのは畠山家臣木沢長政である。長政は畠山家臣でありながら独自に行動し堺公方の政権に参加していた。
長隆と長政は協力して京を防衛することを誓った。
「ここは何としてでも京を守りぬこうではないか」
「ああ、そうだな木沢殿。ここで我らのはたきぶりを見せようぞ」
しかし高国の攻撃はどんどん激しくなった。やがて事態は高国方の優勢に転じていく。すると信じがたい事態が起きる。
「木沢殿が京におりませぬ! 」
「なんだと!? 」
なんと長政は高国の勢いを恐れて京を放棄してしまった。この事態に長隆は愕然とするしかない。
結局京は高国方に制圧されてしまった。そして長隆はいいとこなしのまま京から逃げ延びる。
「これでは出世どころではない。木沢殿は何という事をしてしまったのだ」
ほうほう体で逃げ延びる長隆は、長政への恨み言を口にするのであった。
畿内において高国の優勢は明らかであった。この事態を打破するために晴元は阿波に戻っていた元長を呼び戻す。
阿波の兵と共に帰還した元長はすぐさま対高国の戦いを始める。元長としては主君の晴元に刃向かうつもりは毛頭なかった。そのため晴元のために戦うことにためらいはない。
一方でこうした状況を、長隆をはじめとする一部の細川家臣たちは気に食わなかった。
「一度主君を放り出したものを重用するとは」
この段階で元長への恩を長隆は完全に忘れている。そして元長を呼び戻したのは自分たちの不甲斐なさということも忘れていた。
兎も角復帰した元長は対高国の戦いを進める。しかし高国も好機を逃さんと必死で抵抗した。そのため状況は膠着していく。
長隆は元長に尋ねた。
「この状況を打破する手はあるのですか? 」
こうは言っているが実質手はないのだろうと長隆は考えていた。それだけ微妙な情勢である。双方隙を相手に見せないようにしていた。
元長は長隆に向けて快活な笑みを見せた。
「心配はいらんよ。手はある」
自身満々と言ったふうで元長は言った。長隆はそれが無性に腹が立つ。それは要するに嫉妬なのだが長隆はそうした感情を自覚しないようにしていた。
「(こう入っているがどうせ手は無いのだろう)」
長隆はそう考えて元長を見下そうとした。
そんな中で高国が播磨(現兵庫県)の守護の赤松政佑と守護代の浦上村宗と共に攻撃を仕掛けてきた。この攻撃は激しく晴元方は追い詰められる。
「ああ、ここで終りか」
長隆はくじけそうになった。しかし事態は急変する。
「赤松殿が寝返りました! 」
「何だと! 」
報告を聞いた長隆はさっきまで驚いた。それは赤松政佑が裏切り高国と村宗を攻撃したという報告である。
実はこれは元長の作戦であった。元長は高国が赤松主従の援軍を得て攻撃してくることを知った。だがこの赤松主従はいろいろと因縁があり関係に亀裂を抱えている。それを知っていた元長は分断工作を仕掛け政佑に高国と村宗を攻撃させたのであった。
この政佑の裏切りの効果は絶大で高国軍は壊滅し情勢は一気に晴元方の優勢に転じた。
晴元は元長をほめたたえる。
「この勝利はそなたのおかげだ。よくやった」
「滅相もございません。私は殿のために働いたまで」
そうにこやかに言う元長。そんな元長を長隆は複雑な目で見つめる。
「(結局元長殿が帰ってきた途端にこちらが有利になった。これが元長殿の実力。私では及ばないのか。いや、私は負けたわけでない。そもそも元長殿が阿波に帰ったせいで不利になったのだ。それを挽回しただけに過ぎないではないか)」
長隆は嫉妬や羨望の入り混じった複雑な感情を元長に向けた。しかしそれを元長が気付く様子はない。
この後高国は逃走先で晴元の家臣に捕縛された。そして晴元の命令で自害しその人生に幕を閉じる。
こうして細川家同士の戦いは終わった。だが戦いの火種はまだ消えていない。新たな混乱はすぐ目の前まで迫っている。そして長隆はその混乱の中で重要な役割を果たしていくことになる。
この茨木長隆と言う人物はこの時期の畿内において重要な立ち位置にいました。にもかかわらず生没年不詳だったりします。またその立場に関してもまだよくわかっていないある意味ミステリアスな人物です。長隆に関しては今後の研究が期待されますね。
さて長隆は今後どのような動きをしてどのようなことが起きるのか。ぜひお楽しみにしていてください。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡。では




