土居清良 銃と鍬 第四話
一条家の猛攻をしのいだ清良。しかし新たな脅威が清良に迫る。そして戦いの果て、戦国の終わりに清良はどうなるのか。
清良たちが河野家や毛利家の助けを受けて一条家と戦っている頃、土佐ではある勢力が急成長している。その勢力と言うのは土佐の国人勢力の長宗我部家であった。
長宗我部家の情報は清良も得ている。これも代々土居家が情報を重視しているからだ。しかし詳しいところまでは知らない。
「いったいどういう経緯で成長していったのだ」
清良は弥兵衛に尋ねた。弥兵衛は自分の知る情報を話し始める。
長宗我部家は鎌倉の頃に土佐にやってきた一族とされる。その後土着して土佐の中で強力な国人勢力の一つとなった。しかし十九代の長宗我部兼序の代にほかの国人の攻撃を受けて滅亡してしまう。だがその時生き残った兼序の遺児の千雄丸が一条家に逃げ込み、元服して国親と名乗り家を再興したそうだ。
それを聞いて清良は何とも言えない気持ちになった。
「我々と似ているな…… 」
確かに土居家も一度滅亡するが清良が逃げ延びて再興している。偶然が逃げ延びた先も同じ一条家であった。
「それでその後どうしたのだ」
「はい。長宗我部家を再興した国親殿はすでに亡く、その息子の元親殿が今の当主とか」
「そうか。それで一条家との関係は? 」
「昔は従っていたようですが今は独自の行動をとっているようです。実際土佐の東側は一条家の支配が及ばなくなりつつあるとか」
「なるほどな…… 」
弥兵衛の報告に清良は強い不安を感じる。そして弥兵衛に言った。
「弥兵衛。悪いが長宗我部家の動向を探ってくれ。手が足りなければ一条家に回している間諜を使っても構わない」
「かしこまりました」
そう頷くと弥兵衛は去っていく。そして永禄十二年(一五六九)に驚くべき情報が入ってきた。
「宗珊殿が死んだだと!? 」
「はい。なんでも兼定殿に誅殺されたとか」
それは清良の恩人である土居宗珊が主君の一条兼定に誅殺されたという事だった。
土居宗珊という男は一条家のことを第一に考えている忠臣である。そんな男を主君が殺すというのはあまりにもひどい話であった。
「確かに宗珊殿は兼定殿に疎まれていた。だがそれでも命を奪うほどのモノではあるまい」
「はい。私も同じです。なんでも宗珊殿が長宗我部殿に内通したというのが理由だとか」
「それこそ信じられん…… まさか」
清良の表情が険しくなる。それを察して弥兵衛が話しを続ける。
「どうやら一条家中に宗珊殿が長宗我部家に内通しているという噂が立っていたようです。ですがその噂の立ち方があまりにも都合よく感じます。おそらくは」
弥兵衛はその先を言わなかった。だが清良は弥兵衛の言いたいことが分かる。
「(おそらく長宗我部家は宗珊殿を除こうと策を弄したのであろう。それに兼定殿はまんまと嵌ってしまったという事か)弥兵衛。もう報告はいい。下がっていいぞ」
清良は険しい表情で言った。弥兵衛は清良の心情を察してその場を去る。
残された清良は宗珊の下で世話になった日々を思い返していた。二年という短い間であったが宗珊は清良に様々なことを教えている。清良にとってみればもう一人の父親のような存在であった。
「(宗珊殿。さぞかし無念であったでしょうね)」
清良は宗珊の冥福を祈った。そして次に考えるのは長宗我部元親である。
「(恐ろしい男だ。己の目的のためにはいかなる手を使う。それが戦国の世なのだろうがそれにしても恐ろしい)」
まだあったことも無い男を清良は畏怖の念を抱いた。
その後忠臣の宗珊を殺したことで兼定から家臣たちは離れていった。その結果元親は労せず一条家を制圧し、兼定は豊後の大友家の下に追放されてしまう。こうして土佐は長宗我部家の手に落ちた。
この報告を聞いた清良は新たな戦乱を予感する。それが今までのものとは比べものにならないものになるであろうということも。
長宗我部家が土佐を制圧しようとしていたころ、伊予は比較的安定していた。これは河野家と西園寺氏の友好関係が維持されていたこと。それに加えて大友家が九州での対応に追われ伊予に干渉することができなかったことが挙げられる。
この頃の清良は毛利家の援軍として中国地方に派遣されることが良くあった。これは毛利家と河野家、そして西園寺氏の関係によるものである。河野、西園寺としてはいざというとき毛利家の助けがどれだけ心強いのかはよくわかっていた。そのため関係維持のため援軍である。
清良が毛利家への援軍として参加するときは小早川隆景の旗下に入った。これは以前の戦いの縁であり隆景が要望しているからという面もある。
「この度もかたじけなく思います」
そう隆景は言った。隆景は清良が援軍として派遣されるたび丁重に扱ってくれる。それに清良は感動した。
「何の。こちらこそあの時の恩義を返せるのですから」
「そうですか。そう言っていただけるとありがたいですね」
清良は自慢の兵を率いて奮戦する。この中国地方でも珍しいすべての兵に鉄砲が配備された清良の軍は様々な戦場で活躍した。
一方で清良は各地の小勢力が徐々に大勢力に併合されていく光景もよく目にした。
「それが時代の流れと言う事か」
何処でも強大な勢力が現れると抗う力のない小勢力は従うか滅ぼされるかの選択を常に迫られていた。清良は西園寺氏に従っているがより大きい勢力が現れたらどうするか。そうしたことを考えるようになっていった。
そうした時に思い浮かぶのは長宗我部家のことである。
ある日、清良は隆景に四国の情勢について聞かれていた。
「このところの伊予はどうです」
「特に大きい戦も無く西園寺様と河野殿も仲良くしています」
「それは我々にとってはありがたいですね」
「ですが土佐では大きな動きが」
「長宗我部、でしたかな」
清良の言葉を遮るように隆景は言った。隆景はしてやったりとほほ笑む。それを見て清良は苦笑した。
「全く小早川殿は素晴らしい耳をお持ちのようです」
「何。これも毛利の家の存続のため。情報と言うのは何よりも大事ですから」
「その通りです」
「して、清良殿は長宗我部家の動きをどう感じますかな」
隆景に問われて清良は考え込んだ。そして
「懸念しております」
と、率直に言った。隆景は興味深そうに清良に尋ねる。
「ほう。それは何故? 」
「長宗我部元親が兼定殿を追い詰める手腕。ただものではないと感じます。それと」
「それと? 」
「うまくは言えませぬがどこか野心のようなものを感じますね」
清良は不安そうに言った。別に確証のある話ではない。だが清良はいずれ長宗我部元親が伊予を狙うということを確信していた。
「ふむ…… 」
隆景は清良の物言いに不思議と納得しているようだった。そんな隆景に対し清良はしっかりと頭を下げる。
「今後毛利殿のお力をお借りすることがあるかもしれません。その時はどうぞ良しなに」
その言葉に対し隆景は微笑んだ。
「今も力をお貸しいただいているのです。その時が来れば何なりと」
「ありがとうございます」
清良は心底安堵したように言った。その様子に隆景は
「(やはり純朴な御仁だな)」
と、感じ入るのであった。
天正三年(一五七五)。以前に土佐を追放されていた一条兼定は捲土重来を期して戻ってきた。そして土佐を治める長宗我部元親に戦いを挑む。
この時一部の伊予の勢力も兼定に手を貸した。だが清良は兵を出さなかった、と言うか前もって拒否されている。
「恩知らずの力など借りん! 」
兼定がそう言ったかどうかはわからないがそう言う心情なのであろう。結局清良は兵を出さなかったが間諜を一条軍に紛れさせた。
「長宗我部殿の戦を少しでも知っておきたい」
この時点で清良の関心は長宗我部元親にあった。そんな清良に一朗太は尋ねる。
「まだどちらが勝つかわかりませんぞ」
「いや、長宗我部殿が勝つ」
「それは何故ですか? 」
「寄せ集めの軍と強い意志に統率された軍。どちらが強い? 」
そう問われて一朗太は頷いた。
結局兼定率いる軍勢が敗北し兼定は再び土佐を追い出される。一方で清良が潜り込ませた間諜は無事に帰ってきた。そしてそこから得られた情報をもとに清良は長宗我部家への対策を講じる。
やがて長宗我部家の伊予侵攻が始まった。元親は伊予だけでなく四国のほかの地域にも侵攻している。
「ならばこちらに来る軍勢は少し減るか」
清良としてはわずかな慰めであった。それでも長宗我部軍は強大である。
「弥兵衛。河野殿との連絡を綿密にとってくれ」
「かしこまりました」
「一朗太は毛利殿に援軍の要請を」
「承知しました」
こうして清良たちは四国統一を目指す長宗我部家に立ち向かう。
長宗我部元親は家臣の久武親信に兵を預け清良のいる南予地方を攻撃させた。親信は元親から信頼の厚い勇将で、親信も主君の期待に応えるべく意気込んでいる。
長宗我部家が南予侵攻で警戒しているのは清良であった。清良の勇名は長宗我部家にも届いている。
「一応降伏の使者を送ってくれ」
親信は清良に降伏の使者を送った。もとより受け入れられるとは思っていないが降伏してくれればありがたい。もっとも断られたが。
清良は長宗我部軍の攻撃をうまく防いだ。幸いかつての一条家の侵攻の時の経験が役に立っている。しかし長宗我部軍もなかなか隙を見せないので反撃の機会もつかめなかった。
結局追い払うのがせいぜいと言った状況である。長宗我部家の侵攻は断続的に行われている。伊予以外の地域は徐々に長宗我部家の手に落ち始めていた。
「いよいよ厳しいな」
だがこれであきらめる清良ではない。そして天正七年(一五七九)に清良は思い切った策の出る。
その時清良は岡本城という城を築いて拠点にしていた。長宗我部家はこれを主に狙って攻撃を仕掛けてくる。そこで清良はあえて城の守りを手薄にした。城に残る部下たちには
「敵が攻めてきたら一目散に逃げるのだ」
と言っておいた。
守りが手薄になった岡本城を長宗我部軍は始め警戒した。どう見ても罠の危険性がある。親信はそういうところの警戒は怠らなかった。しかしこのまま攻めあぐねていてもどうしようもないのも現実である。そこで親信は夜遅くに小勢で奇襲をかけることにした。
「罠と判断したら逃げよ」
こうして親信の部下たちはあたりが暗くなると奇襲を仕掛けた。すると城兵はあっさりと逃げ出し岡本城は落城する。
「あっけないな」
あまりにも簡単に落城し親信の部下たちは気を抜いてしまった。そして周囲に敵の気配はなかったのでそのまま休んでしまう。だがこの時逃げ出した城兵と清良の軍は合流し近くに潜んでいた。もしも休まず周囲の警戒を続けていたら捕捉できたかもしれない。それほどの差である。
「敵は休んでいるな」
「はい」
「ならば行こう」
清良たちは明け方に気付かれぬよう城に侵入し一気に敵兵を殲滅した。そして長宗我部家の旗を掲げ城の周囲に兵を潜ませる。
やがて完全に日が昇りあたりも明るくなった。親信たちは岡本城に掲げられた旗を確認する。
「成功したという事か」
旗が掲げられているのを成功と判断した親信たちは無警戒で近づいた。そして城門の前に立った時周囲から突如銃撃される。
「何!? 引き上げろ! 」
驚く親信。しかしすぐさま撤退の指示を出す。だが銃撃と同時に城門が開き中から清良率いる精兵が突撃してきた。さらに城からも銃撃される。
「これはいかん」
親信がそうつぶやいたとき運悪く銃撃に当たってしまった。だが親信は激痛をこらえて指揮を執る。
「早く撤退しろ! 一人でも多く生き残るのだ! 」
長宗我部軍は味方の死体を乗り越えて撤退していった。だが親信は銃撃を受けたこともあり打ち取られてしまう。
親信ほか数名の将と多くの兵を打ち取った清良たちは勝鬨を挙げた。
「我らの勝利だ! 」
この戦いで清良の名はさらにとどろいた。一方親信を失った長宗我部家は南予への侵攻を一時あきらめざる負えなくなる。
こうして南予方面の戦況は長宗我部家不利に傾いた。しかしほかの地域は相変わらず長宗我部家優位である。
清良が親信を打ち取った翌年の天正八年(一五八〇)長宗我部家は阿波(現徳島県)・讃岐(現香川県)を支配する三好、十河両家との戦いに勝利して阿波・讃岐をほぼ手中に収めた。
他方伊予では南部は清良の奮戦で保っていたが、東部は長宗我部家に降伏してしまう。中央部は河野家が毛利家の援軍と共に何とか抵抗しているという状況だった。
「どうもうまくいかないな」
清良は嘆息した。家臣たちも元気がない。清良にとって気がかりなのは悪化する情勢だけではない。
「民には苦労ばかりかけてしまう」
「その通りですな」
一朗太は頷いた。以前戦いは続いている。当然領民にかかる負担も軽くはない。武器弾薬には金がかかるのだ。
「できるだけ負担は避けたいものだ」
「しかし軍備にかける金を減らすわけにはいきません」
苦渋の表情で一朗太は言った。一朗太だって領民を苦労させたくはない。だが大森の地を守るには軍備を整えるしかない。
そんな状況でふと清良はつぶやいた。
「私は領民たちと安穏に暮らしたいだけなのだがな」
その言葉に弥兵衛もうなずいた。
「私も同じです。いえ、皆そうです」
清良が見渡せば家臣一同頷いていた。土居家家中には野心を持つようなものはいない。ただ自分の愛する土地で平穏に行きたいと思っているようなものばかりである。
しかしこの戦国の世で平穏に暮らすには戦うしかないということを皆理解していた。
「ままならものだな」
清良は再び嘆息する。
その後長宗我部家の侵攻は天下統一を目指す織田信長の介入で一時停滞する。しかし天正十年(一五八二)に信長が本能寺で横死すると再び息を吹き返した。
長宗我部家は阿波、讃岐と順番に制圧する。さらに伊予への圧力を強めていった。南予でも軍勢を立て直し西園寺氏の諸城を落としていく。清良は抗ったが自分の城を守るので精一杯であった。
「母上の生家を救えんとはなんと情けないのだ。私は」
清良は悔しがったがどうすることもできない。
さらに毛利家の助けで抵抗していた河野家だが、毛利家が遠征の疲れで実力を発揮できなくなると劣勢に追い込まれる。
そして天正十二年(一五八四)に西園寺氏は長宗我部家に降伏した。西園寺氏に従う清良も同様に長宗我部家に降伏する。
「ここまでか…… 」
清良は死を覚悟した。それは頑強に抵抗して長宗我部家の重臣まで討ち取っている。命を奪われても仕様がない。
しかしなかなか処罰は下らなかった。これは河野家がまだ抵抗していたことで戦後処理がなかなか進まなかかったからである。そうして一年が経過したところで再び事態は急変したのであった。
西園寺家が長宗我部家に降伏してから一年後の天正十三年(一五八四)。織田信長の家臣でその天下統一事業を引き継いだ羽柴秀吉が大軍を率いて四国に侵攻してきた。長宗我部家はこれに対抗する。
秀吉は四国を阿波、讃岐、伊予方面の三方向から攻めた。そして伊予方面は羽柴家に従った毛利家に任される。出陣した毛利軍の先鋒を務めるのは小早川隆景であった。
これを知った清良は静かに言った。
「長宗我部殿は勝てまい」
「でしょうね。数が違いすぎます」
一朗太も同意する。
「伊予も早々に落ちるだろう。隆景殿が来るならば」
清良はしばらく考え込むと弥兵衛に言う。
「すまない弥兵衛。これより私の書いた書状を小早川殿に届けてくれ」
「かしこまりました」
清良が書いたのは清良の主君の西園寺公広やほかの南予の諸将が、毛利家や羽柴家に敵意が無いということが書いてあった。これを隆景が信頼してくれれば自分たちや南予の諸将は助かる。清良はそう考えていた。
その後清良たちの予想通り羽柴家の軍勢は着々と四国を制圧していった。毛利軍もまず長宗我部家に味方した東予方面を制圧し、続いて河野家を降伏させる。この経過を受けて南予方面の長宗我部軍は撤退した。清良は公広やほか南予の諸将と共に隆景の下に赴いて降伏する。
隆景は降伏してきた諸将にこう言った。
「あなた達を害するつもりはありません。それは秀吉さまも同じ。安心して沙汰を待ちなさい」
公広を始めとした皆は安堵のため息を漏らした。そんな中で清良は一人隆景に頭を下げる。そして顔をあげると照れくさそうな顔をした隆景が清良の方を向いていた。
その後長宗我部家は降伏し土佐のみを所領とした。そして伊予には新たな領主がやってくる。その新領主は何と隆景であった。
伊予に入った隆景は領主たちをそのまま家臣として採用した。西園寺氏も隆景の家臣になり清良も一緒であった。
隆景は清良を直臣として採用しようとした。
「貴殿ほどの御仁が手元にいれば心強い」
しかし清良はこれを断る。
「申し出有難く思います。しかし私は大森の地を守れればいいだけの男です。隆景さまは日本すべての政に関わるようになるでしょう。そうなればむしろ私は邪魔になります」
ここまで言われれば隆景もあきらめるしかなかった。
こうして伊予は新領主の小早川隆景の下で運営されることになる。しかし隆景の治世は二年で終わった。隆景は別の領地に加増転封され伊予を去る。清良はほかの領主たち共に隆景の転封には従わず伊予に残った。
この時新領主の戸田勝隆に西園寺公広が暗殺されるという事件が起こった。地域と強いつながりを持った小領主はいろいろと目障りだったのだろう。
これをきっかけに清良はある決意をした。
「私はこれより侍の身分を捨て一介の民になる」
家臣たちはどよめいた。しかし誰も反対しない。そして一朗太が代表して進み出てきた。
「それが殿のお心なら我々も従いましょう」
「もう殿ではなくなる。お前たちは従う必要もない」
「その通りです。しかし我々は清良様についていきたいのです」
「そうか…… ほかの皆もそうか」
清良に問われ弥兵衛や大五郎をはじめとする皆は頷いた。それを見て清良も納得する。
「では皆で侍を止めるか」
こうして土居家は静かに滅亡するのであった。
その後清良は家臣たちと大森に住み農作業をして過ごした。
「まさか殿様が俺らと暮らすようになるとは」
「本当に驚きだ。こうなったらしっかり恩返ししようや」
清良たちは農民たちに温かく迎え入れられた。そして平穏な日々を送ったという。
土居清良は寛永六年(一六二九)まで生きた。この間清良を召し抱えようとやってくるものもいたがすべて断っている。戦乱が無くなり太平の世になった以上、清良にしてみれば侍をやる意味はなかった。
「大森の皆が安らかに暮らせるように」
それが清良の最期の言葉であった。享年八四歳。多くの人々に見守られての安らかな死であった。
領民たちは清良の遺徳をしのび清良明神として祀った。清良は今でも土地の人々に慕われ皆を、清良も皆を見守っている。
個人的に土居清良という人物は最後まで自分の領地にこだわる、いわば一所懸命の精神で生きていた人物なのかなと思います。それゆえに隆景の転封にはついていかず自分の土地に隠棲したのでしょう。そう言う意味では戦国武将らしくないとも言えますね。
しかし四国の古来からいる勢力と言うのはことごとく滅亡していますね。長宗我部氏や三好氏、河野氏などは様々な事情で滅んでいます。彼らは故郷から離れた場所で死なざる負えませんでした。そう考えると侍を止めて民として死んだ清良はある意味幸せだったのかもしれません。
さて次は短い話になる予定です。次の主人公は早死にしてしまうのですがひも解いてみるとなかなかいろいろあった人生の人でもあります。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では