真木嶋昭光 影の男 後編
信長に敗れ京を追われた義昭と昭光たち。昭光は返り咲きを狙う義昭のため奮闘する。だがその前には過酷な運命が立ちはだかるのであった。
こうして京を追い出された義昭。だがその心は萎えていなかった。
「必ずや信長を倒し、幕府を復活させてみせる」
「その意気です。義昭さま。私も及ばずながら手助けしましょう」
意気揚々と目標を口にする義昭。そしてそれに賛同する昭光。この二人はまだまだやる気である。
一方で冷静な男もいる。一色藤長である。
「意気は良しとしてどうするのですか? 」
「どうするかだと? 決まっている。有力な大名の協力を得て上洛するのだ」
義昭が言ったのはかつて自分が将軍に復帰した時の方法だった。また数代前の将軍もこの方法で成功している。
自身満々に言う義昭。しかし藤長には疑問が浮かぶ。
「その方法で大丈夫ですか」
実際の所、義昭の方法でうまくいくかは微妙なところだった。まず畿内で一大勢力になっている信長と対決しなければならない。これは当然相応のリスクが存在する。それに加えて軍勢を率いて上洛するというのは大変な準備とコストがかかった。それができる大名はある程度限られる。というかそもそも流浪の身ではそうした根回しが出来るかどうかも怪かった。藤長はそうした部分を懸念している。
藤長が考え込んでいると昭光が口を開いた。相変わらず陰気な声である。
「それについては考えがあります」
「考え? 」
「左様。信長殿に反感を持つ大名はまだ多い。そうした方々に義昭さまが大義名分を与えれば利害は一致します」
「なるほど」
「そしてこのうちのどれかの懐に潜り込めれば働きかけもうまくいくではないかと」
いつになく多弁に昭光は言った。藤長も昭光の説明にうなずく。一応納得したようだった。
義昭は昭光の説明が終わった後で胸を張った。
「このように策もある。京に復帰するのもたやすいことだ」
それを見て藤長はため息をついた。
「随分な御自信ですね」
「ふん、当然だ」
「しかしまずはどこかに落ち着かなければ話になりません」
「それもそうだな」
義昭たちは現在京の片隅にいた。ここでは策も何もない。
「とりあえず河内の三好殿の所に行きましょうか」
河内の三好義継は義昭の妹婿に当たる。その縁を頼ろうという事だった。義昭の身の安全も保障できる。
「それでよい」
義昭は頷いた。それと同時に昭光もうなずく。こうしてとりあえずの目的地は決まり、義昭と昭光たち家臣は京を離れるのであった。
京を出た義昭一行は三好義継の下に向かった。そして腰を落ち着けて信長への反抗を画策しようとする。
ところが義継が信長と敵対し始めてしまう。これには昭光も藤長も困った。
「さすがにこれでは…… 」
「同感です。このままでは危ない」
こうなれば落ち着いて行動することもままならない。結局義昭たちは義継の下を去ることにした。しかし行く当てがあるわけでもない。義昭はかつての放浪生活に逆戻りした。
「まさかまた流浪の身になろうとは」
さすがにこの状況なれば義昭も悲嘆にくれた。そんな義昭を昭光は励ます。
「以前とは違います。確かに流浪の身ですが義昭さまは将軍のまま」
「確かにそうだな…… 」
「義昭さまを迎えるものが必ずいます」
「そうか。それもそうだな! 」
一応今でも義昭は征夷大将軍の肩書は持っている。前はただの前将軍の弟であったのだからだいぶ違った。
気を取り直した一行はとりあえず堺に腰を落ち着けることにした。しかしここも信長の勢力圏である。長くはとどまれない。
とりあえず昭光と藤長は今後のことを話しあう。
「次はどこに行くべきか」
「紀伊(現和歌山県)辺りはどうでしょうか。あそこのなら信長殿の影響もそれほど及んでいません」
藤長の提案は合理的なものだった。昭光は納得しつつも疑問を口にする。
「一理ある考えだ。しかしあのあたりの大名を頼って信長殿に勝てるのか…… 」
「まあ、無理でしょうな」
あっけらかんと藤長は答えた。それに昭光は絶句する。
絶句する昭光に藤長は続ける。
「おそらくこのままいけば信長殿の天下になるでしょう。信長殿は着実に力をつけ天下を窺いつつあります」
「だが義昭さまは」
「確かに征夷大将軍の肩書は非常に強い。しかしこれ以上は無理でしょう。ですからここはほとぼりが冷めるまで身を隠しておくべきかと」
藤長は冷然と言い切った。そんな藤長を昭光は暗い目で睨みつける。そして恨みがましく言った。
「一色殿は義昭さまの願いをないがしろにすると? 」
「結果そうなるのでしょう。しかし主君の命を守るのも家臣の役目と思います」
「私はそうは思わん。主君が思いを成し遂げるのを助けるのが家臣の役目だ」
「そうですか。ならば考えはあるのですか」
その問いに昭光は頷いた。
「毛利殿を頼る」
「ほう…… 」
藤長は感心したように昭光を見た。昭光は陰気な声で続ける。
「毛利殿と信長殿の関係は微妙なところだ。だがいずれかは従うか戦うか決めなければならん。もし戦うとなる時義昭さまを手元に置いておけば大義名分も立ちいくらかは有利になるだろう」
「なるほど。ですが毛利殿の家中には信長殿と親しくしようという者たちもいるとか」
「それは承知している。だからいっそこちらから飛び込んでしまえばいい」
昭光はとんでもないことを言い出した。それを聞いた藤長は絶句しかかるが何とか話を続ける。
「とんでもないことを言い出しますね」
「だが有効だ」
「それもそうですが」
確かに追い出されたとはいえ将軍がやってくれば粗末に扱ったり追い出したりするわけにはいかないだろう。そのうえで毛利領内にとどまれば毛利家は義昭を抱えている以上信長との対決に傾きざる負えなくなる。
藤長はしばらく黙った。そんな藤長を昭光は暗い目で見つめる。
やがて根負けしたように藤長が口を開いた。
「どちらにせよ義昭さまに伺いを立てなければいけませんね」
「当然だ。そのうえでどちらかの策を選んでもらう」
「構いませんよ。しかし私はこれまでかもしれませんね」
藤長は疲れ切ったように言った。昭光は不思議そうに尋ねる。
「これまでとは? 」
「申し訳ありません。私は少し疲れてしまいました」
「疲れた? 」
「ええ。義昭さまはいささか英気のみが強すぎます」
藤長は乾いた笑みを浮かべた。それは今までだれも見たことのない表情である。
「義昭さまの面倒はあなたにお任せするかもしれません」
「…… 無論だ。私は身命を賭して義昭さまを支える」
「そうですか。ならばよろしくお願いします」
昭光の決意に藤長はそう答えるのであった。
後日二人は義昭に今後のことを相談した。当然二人の案も話にあがる。そして義昭はあっさりと言った。
「昭光の言う通りにする」
義昭一行は一度紀伊に下りそこから毛利領である向かうことする。そしてそこで藤長は分かれることとなった。一応理由は畿内に残り連絡役を務めるという名目である。
「頼むぞ藤長」
義昭がそう言うと藤長は晴れ晴れとした表情で言った。
「お任せください」
そう言って藤長は昭光を見た。そして昭光が力強くうなずくのを見ると去っていくのであった。その後の一色藤長の人生ははっきりとしていない。
紀伊を出た義昭一行は天正四年(一五七六)に備後(現広島県)の鞆についた。ここはかつて室町幕府が誕生するきっかけになった土地である。そう言う縁もあって義昭たちは鞆を選んだ。
そう言う縁のある場所なので義昭も意気込んだ。
「必ずや幕府を再興して見せる」
「もちろんです義昭さま。この昭光必ずや義昭さまのお力に」
「ああ。頼む」
義昭が鞆に落ち着いたことは散り散りになった幕府の旧臣たちにも届いたようだった。そしてその内から何人かが鞆にやって来て義昭に仕えるようになる。義昭たちの再スタートは好調ともいえた。
一方で義昭を迎えることになった毛利家は困っていた。一応は貴人であるので丁重に迎えたが、これにより天下を窺う織田家との間には微妙な空気が立ち込め始める。ついでに義昭からは上洛の催促も頻繁に来た。
そうした中で毛利家がとった返答はこうだった。
「時期尚早」
要するに回答の先延ばしである。義昭は怒った。
「臆病者め! 」
そんな義昭を今までは藤長がなだめていた。しかし今はいない。だか代わりに昭光がちゃんとなだめる。
「心配はいりません義昭さま」
「昭光かだが…… 」
「毛利殿は後方にも敵を抱える身。そうそう動けないのも仕方ありません」
「むう。そうか」
「今は前々から協力を要請している方々の動向を見守りましょう」
「仕方ないな…… 」
昭光に諭され義昭は不承不承と言ったと雰囲気で納得した。
義昭たちは鞆に移るまでの間に多くの勢力に信長打倒を要請していた。しかし皆それぞれの都合がありなかなか腰を上げようとしないている。鞆に移ってきたのはその頃のことである。
だが昭光には勝算があった。
「(信長殿の勢力が強まればそれだけ危機感を抱くものも多くなる。それに信長殿についていけないと感じているものも多いようだ)」
実際信長の一部の家臣は信長に反感を抱いているようだった。もし信長が窮地に陥れば寝返りが起きるかもしれない。
「(そのためには是が非でも毛利殿に動いてもらわなければ)」
昭光が考えているのはかつて信長を追い詰めた信長包囲網の復活であった。当然以前を上回る規模のものである。
「必ずうまくいく…… 必ずうまくいく…… 」
このところそんなことを昭光はつぶやいていた。そのせいで周りの人間から避けられていたが今更それを気にする昭光ではない。昭光の頭にあるのは義昭の悲願を成し遂げること。それだけである。
やがて義昭たちが鞆に到着して数か月たった。このころついに義昭と昭光が待ち望んでいたことが起きる。
その時昭光は喜びを隠せない様子で義昭の下に向かった。そして義昭の姿を確認する否や叫んだ。
「義昭さま! 毛利殿がついに立ちました! 」
「本当か! 」
「はい。この書状によれば義昭さまに従い信長殿と戦うと」
「よし! 」
毛利家はついに信長との戦いを決意したのであった。さらに翌年本願寺や上杉謙信も信長への敵対を明らかにする。ここに新たな信長包囲網が誕生したのであった。
この状況に義昭と昭光は歓喜した。
「これで義昭さまの悲願も成し遂げられますね」
この時ばかりは昭光の陰気さも鳴りを潜めていた。実に明るい表情で微笑んでいる。
義昭は大きくうなずくと昭光の手を取った。
「これも昭光が尽力してくれたおかげだ。よく働いてくれた」
「滅相もございません…… 」
泣いて感謝する義昭。そんな義昭の言葉に感涙する昭光。ある意味似たもの主従である。
こうして義昭の策は成功し、あとは京に入るのを待つばかりであった。現状鞆での義昭たちの暮らしはあまりいいものではない。一応収入はあるが諸々の経費が掛かり苦しい生活であった。
だがそれでも義昭も昭光もあきらめなかった。
「すべては悲願のため」
京に戻り幕府を再興するためにはどんな苦労もいとわない。そう言う気持ちが二人の根底にあった。だがそんな二人の決意をあざ笑うかの如く事態は急変してしまう。
天正六年(一五七八)。その報告を昭光は始め理解できなかった。
「上杉殿が死んだ…… ? 」
上杉謙信の病死。越後の龍と言われ信長包囲網の一角を担った英傑の突然の死だった。謙信は死の直前に信長の軍勢に対し大勝している。この報告を聞いたとき義昭と昭光は今までにない位はしゃいだ。だが今回の報告はその喜びを一瞬で消し飛ばすものである。
昭光や義昭、そして家臣たちはしばらく絶句していた。これで京への帰還も室町幕府の再興も大きく後退したことになる。
「あ、昭光…… 」
義昭は一気に老け込んだ顔で昭光を見た。その表情はこの世の終わりを見たかのようである。そんな義昭に昭光は言った。
「ご心配いりません。まだ本願寺と毛利が残っています。それに謙信殿の後を継いだものが義昭さまのお力になるでしょう」
「そ、そうか。そうだな」
昭光の言葉で義昭は何とか元気を取り戻す。しかし事態はさらに悪化していく。
上杉家は謙信の死後家督争いが勃発し信長との戦いどころではなくなってしまった。これにより後方の憂いが無くなった信長は西進し毛利家を圧迫する。さらに追い詰められた本願寺は天正八年(一五八〇)に信長と講和した。この講和の条件に本拠地である石山の退去があるので実質本願寺の敗北である。
こうして信長包囲網は崩壊し義昭が京に戻り幕府を再興できる可能性は殆ど無くなってしまった。
この間にも義昭たちの生活苦は止まらない。最低限の見栄えを整え何とか位している有様であった。
このころになると義昭も老け込みすっかりおとなしくなってしまった。
「もう京に戻りたい。それだけでいい」
「義昭さま。それは」
「もう儂は疲れたのだ。昭光」
力なく言う義昭。それを聞く昭光も老け込んでいる。このところの情勢悪化は昭光にも堪えたという事なのだが、二人同時に老け込むのは二人の心の動きがそれほど近いという事なのだろう。
うなだれる義昭に昭光は言った。
「まだ毛利殿が残っています」
「そうだな。だがそれもどこまでか」
そんな義昭の悲嘆の通り毛利家は徐々に追い込まれていった。しかし時代はさらなる変転を見せる。
織田家の軍勢が備後の手前の備中(現岡山県)まで差し掛かったころ。天正十年(一五八二)。この年武田家を滅ぼした信長は天下統一の目前まで迫った。しかし毛利家との決戦のため出陣しようとした矢先に本能寺にて横死する。
信長を討ったのは織田家臣の明智光秀だった。光秀はかつて義昭に仕えていたことがある。だが今回の件について義昭は無関係であった。信長が死んだ頃義昭は眠りこけていたし、信長横死の報が届いた後は裏取りやら今後のための根回しやらで大わらわであった。
ともかく信長が死にかつて家臣であった光秀が畿内を抑えた。これを義昭たちはもちろん大喜びする。
「すぐさま明智殿と誼を通じましょう」
「うむ。とにかくこれで京に帰れるな…… 」
「はい…… 」
昭光と義昭はしみじみと言った。しかし事態はさらに変転する。なんと明智光秀が討たれてしまったのである。
討ったのは羽柴秀吉。こちらも織田家臣である。秀吉は主君の弔い合戦を名目に織田家中の支持を集めた。そして光秀と決戦におよびこれに大勝する。敗れた光秀は落ち武者狩りに討たれるという有様であった。
この報告を聞いて義昭は悲嘆にくれた。
「これでは京に戻れぬな。なんという事だ」
そんな義昭を昭光は励ます。
「そう悲しまないでください。こうなれば毛利殿に働きかけ京に戻りましょう」
「そうだな。それがいい」
しかし二人の期待をよそに毛利家は上洛しようとしなかった。これは毛利家の戦略的な都合がある。毛利家は近畿を制圧しつつある羽柴秀吉と友好関係を築こうとしていた。そう考えている以上前将軍を戴いて京に向かうなどできるはずがないのである。
結局義昭たちはおざなりにされた。しかしもう憤慨する気力もない。このころ昭光が願っていたのは
「何とか義昭さまだけでも京に戻せないか」
という事だった。義昭の悲願を果たそうという姿勢だけは変わっていない。変わったのは義昭の悲願の大きさである。
こうして義昭たちが放っておかれてしばらく経った天正十五年(一五八七)。天下は信長の後を引き継いだ秀吉の手で治まろうとしていた。そして秀吉が九州の島津家の討伐に向かう途中、秀吉が義昭を訪ねてくる。
応対したのは昭光であった。最低限の体裁は整えてあるがやはりどこかみすぼらしい姿である。
「よくぞいらっしゃりました。殿下」
昭光は陰気な声でそれだけ言うと秀吉を手早く義昭の下に案内した。その手際に秀吉とその供は呆気にとられる。
「何なんだおぬしは」
「真木嶋昭光です」
「いや、そう言うわけではなくてな」
そんなこんなやり取りがあって秀吉と義昭は対面した。そしてその結果義昭は京に戻れることになった。
「天下の征夷大将軍がこのような有様では。さすがに気の毒だ」
秀吉は義昭の現状に同情したのである。この秀吉の温情に義昭と昭光は感動し、二人抱き合いながら涙を流すのであった。
こうして義昭と昭光とほかの家臣たちは京に戻ることができた。そして天正十六年(一五八八)に参内し正式に征夷大将軍を辞する。
秀吉から一万石の領地を与えられる。こうして義昭は一介の大名になった。
義昭が秀吉から与えられた領地は何と填島であった。
「まさか填島に帰ることになるとは」
昭光は驚いた。こんな形で変えるとは思ってない。一応この付近の領主の息子であったのだから感慨もひとしおである。
「しかし義昭さまの在所としてふさわしいかどうか」
「よい。こんな静かな場所なら余生を送るに丁度よかろう」
そう言う義昭はすでに剃髪していた。もはや何も望むことは無いといった風である。
義昭は昭光に言った。
「もう儂の面倒は見なくてよいのだぞ」
それに対して昭光は首を横に振った。
「義昭さまに仕えることが私の幸せです」
相変わらず陰気な声だった。しかし義昭にとってはなんだか落ち着く声である。
義昭は笑った。
「ならば頼む」
「承知しました」
この後義昭は穏やかに暮らしながら秀吉の話し相手になったりわずかな軍勢を連れて出陣したりした。昭光は義昭に付き従い支え続ける。
そして慶長二年(一五九七)。
「昭光」
「はい」
「苦労を掛けたな」
「滅相もございません。義昭さまに仕えるのが私の喜びです」
「そうか。そうだったな」
そう言って足利義昭は波乱万丈の人生に幕を下ろした。
昭光は義昭の死後行われた葬儀を主導した。
「これが最後の奉公です」
義昭の葬儀には旧奉公衆の生き残りも参加した立派なものだった。これが昭光に出来る最後の奉公である。
葬儀が終わった後しばらくして真木嶋昭光は姿を消す。資料によっては豊臣家に仕えたとか細川家に仕えたとか言われているが確証はない。
ただ間違いなく言えるのは真木嶋昭光の存在は足利義昭が追放された時姿を現しその人生が終わるときに消えた。
まるで義昭の影であったかのようである。
この話の中で本能寺の変が起きました。足利義昭はその黒幕と言う説もありますが今回は採用しませんでした。その点についてはご容赦を。
さてこの話は前後編共に義昭の動向が中心となりました。これは主人公である真木嶋昭光の動向が義昭と共にあり続けたからというわけです。今まで取り上げた主人公にもそう言う人物はいましたが、昭光の場合は義昭が死ぬとともに動向が不確かになるということが変わっています。普通主君が死んでもそのあとは誰かに仕えて新しい人生を歩んだり隠遁したりというはずなのですが、昭光の場合は義昭の葬儀が終わった後はよくわかっていないのが不思議ですね。
さて次回の話は一話で終わる予定です。そのため少し話が長くなるかもしれませんがご容赦を。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では