真木嶋昭光 影の男 前編
山城の武将、真木嶋昭光の話。
永禄十二年(1569)足利義昭は征夷大将軍に就任した。その頃から真木嶋昭光は義昭に仕えるようになる。そしてその人生を義昭にささげることになる。
将軍・足利義昭はその男がいつから自分に仕えていたかを覚えていない。だがその男はいつからかそこにいた。
ある日義昭は気になって尋ねてみた。
「あの男は誰だ」
「あの男、とは? 」
尋ねられたのは奉公衆の一色藤長であった。藤長は義昭の問いに怪訝そうに返す。
「このところ見かける男だ。妙に陰気で黙って仕事をしている…… 」
藤長は自分と同じ奉公衆の中から該当する人物を思い返した。そして一人の名を挙げる。
「もしや真木嶋殿ですか」
「名前を聞いて思い当たるような奴ならばわざわざ聞かん」
「左様ですね。あちらの御仁です」
藤長がさした先には、確かに黙々と無表情に仕事をしている男がいる。人によっては確かに陰気だと感じる雰囲気であった。
義昭は満足げに頷いた。
「あの男だ」
「左様ですか。それで真木嶋殿がどうしました? 」
「…… あの男はいつから儂に仕えているのだ」
そう言われて藤長は思い出そうとする。しかし
「申し訳ありませんが私も覚えていません」
「藤長もか」
「はい。ですが私と同族の一色輝光の息子で、山城(現京都府)填島城を居城としているので真木嶋と名乗るようになったとか」
「なるほどな。それでどうして奉公衆になったのだ」
「どうやらかつて奉公衆であった填島家の縁を頼ったとか。この家は真木嶋殿の家とは別家ですが同じ名の縁というという子らしいです」
「ふん、そうか」
義昭は黙々と仕事をするその男、真木嶋を見た。そして藤長に尋ねる。
「有能なのか? 」
「それは、はい。いささか人付き合いは悪いのですが、それを補うほど有能です」
「そうなのか。ならば藤長」
「なんでしょう」
「真木嶋を連れてこい」
「ははっ」
そう言って藤長は真木嶋を連れてきた。義昭の前に連れてこられた真木嶋は、義昭の姿を確認すると無表情に無言で、しかし丁寧に会釈した。
義昭はそれをつまらなさそうに見たあとで言った。
「なんでもよく働いているようだな」
「ははっ」
初めて出た声は見た目通り陰気なものだった。義昭少し顔をしかめたが話をすすめる。
「儂に対するその忠義、みごとである。よって儂の昭の字をやろう」
何気なしに義昭は言った。真木嶋も藤長も目を丸くする。そんな二人の姿に義昭は意地悪そうに笑った。
「もうよい。仕事に戻れ」
「…… かしこまりました。ありがたき幸せでございます」
真木嶋は礼を言うと前の通り無表情に戻り仕事に戻った。
藤長は義昭に尋ねる。
「どういうおつもりですか」
すると義昭はふんぞり返って答えた。
「あのようなものにも気を遣う。そうすれば儂の度量の広さが周りにも伝わるだろう」
義昭はどうしようもない理由を口にする。それに藤長は盛大にため息をつくのであった。そんな二人は仕事に戻った真木嶋が感涙していることに気付いていない。
のちに真木嶋は昭の字を取り入れて昭光と名乗るようになった。
さて足利義昭だがその将軍就任までの経緯は多難なものだった。
そもそも義昭は十二代将軍義晴の次男として生まれ、興福寺に入り僧侶となった。しかし兄の十三代将軍義輝が暗殺されるという事態が起きる。義昭も一時幽閉されるという事態に陥った。
その後義昭は一色藤長やほかの奉公衆の助けを受け脱出することができた。そして兄の後を継ぎ将軍になるために各地の大名に協力を要請したがなかなかうまくいかない。
「将軍を助けるべき大名たちがこの有様とは」
義昭はよくそんな愚痴をこぼした。もっともこのころの大名たちは自分の領土の拡大と統治で精一杯である。それに零落した義昭を助けることにそこまで利点はなかった。
そんなこんなで零落してから五年ほどたったある日、義昭を助けて上洛したいという大名が現れた。織田信長である。
義昭はこれを喜んだ。
「全く見事な男がいたものだ」
上機嫌になった義昭は当時の信長の居城であった岐阜城に向かう。そして信長と共に上洛して京に入った。そしてついに永禄十一年(一五六八)将軍になるのである。
将軍に就任して上機嫌の義昭は信長にこんなことを言った。
「管領か副将軍か。どちらでも好きな職に就くといい」
管領は将軍の仕事を補佐し、時には代行する役職である。副将軍は前例のない役職であるが、要するに将軍に次ぐ立場なのであろう。この提案は義昭にとっての最大限の感謝のしるしであった。
しかし信長は
「丁重にお断りさせていただきます」
と、断った。信長は別に幕府のためとか義昭のために働いたわけではない。そして幕府を再興しようという気持ちなど微塵もなかった。あくまで義昭に利用価値があると判断し、利用しただけのことである。
もっとも義昭に信長の思惑などわからない。
「なんと謙虚な男だ」
安直にそう勘違いするのであった。
そんなこんなで将軍に就任した義昭は早速幕府の運営を始めた。このころには形骸化したといってもいい室町幕府であるが組織自体は存在するし仕事もある。そして仕事をするには人材が必要であった。
手持ちの人材はいないわけではない。しかし十分と言えるほどいるわけではない。そんな中で登用された人物に真木嶋昭光の姿もあった。
昭光は自分がどういう家系の生まれであったのかを良く知らない。父は元々一色性を名乗っていたが今の居城である填島城にちなんで真木嶋姓を名乗るようになった。
しかしながら真木嶋家に一色家とのつながりを感じさせなかった。昭光も填島城で生まれその頃から真木嶋の姓である。
そんな昭光だが生まれた頃からどこか影があった。それは性格でもあり雰囲気でもある。そしてあまり目立たず生きてきた。そんな昭光と同じように居城である填島城は小さな池沼に浮かぶ島にありあまり戦略的価値のない城である。若干攻め難いこの城を攻撃しようという理由もないので戦国の激動からは放っておかれたような雰囲気であった。悲しいかな日陰者というような城である。
昭光もそんな填島城と同様に日陰者であった。これまであまり目立たずひっそりと生きてきている。そうしているうちに常に陰気な感じになった。そんな昭光は曲りなりに城主の息子でもあるにかかわらず家臣たちからもどこか軽んじられている。
「若様はなんだか暗い。あのお方についていくのは不安だ」
「全くだ。覇気も無ければ度量も感じさせん」
「しかしまあこの城の主としてはふさわしいのかもしれんな」
こんな感じである。
一方で昭光の父の輝光も野心の無い男であった。できればこのままひっそりと暮らしたいと考えている。しかし戦国の世である。こんな城でも戦火に巻き込まれる可能性も無くは無い。
「どうしたものか。何とか大きい勢力の支配下にはいれないか」
こうした考え方は当時としてはさほど珍しくはない。生き残るために巨大な勢力の傘下に入るというのは立派な戦略である。
そんな時に義昭の将軍復帰の報が入った。輝光はこれを好機ととらえる。
「何とか義昭さまの庇護を受けるのだ」
この時ばかりは普段大人しい輝光も奔走した。そして同じ音で奉公衆でもあった填島氏の助けを借り息子を幕府の奉公衆に入れることができた。
義昭に仕えることが決まった息子に輝光は言った。
「これからはしっかり義昭さまに尽くすのだぞ」
「はい」
珍しく力のこもった感じで輝光は言った。それに対し昭光は淡泊に答える。
「(どこに行っても私は日陰者だ)」
昭光はそう考えていた。自分が目をかけられたり誰かに認められたりということはあり得ない。そう考えていた。
実際の所昭光は義昭に仕えるようになっても日の当たらない場所で働いていた。もっともその仕事ぶりはなかなか有能であったのだがそれに目をかけられるということもあまりない。昭光もそれを受け入れて黙々と仕事をこなして生きている。
そんなある日に昭光は主君の義昭から呼び出された。何事かと思い義昭の下に向かうとこう言われた。
「なんでもよく働いているようだな」
「ははっ」
昭光はいつも通りの陰気な声で答えた。しかし内心は動揺している。
「(義昭さまは私のことを目にかけてくれているのか? いや、そんなことあるはずない)」
動揺を隠すのに精いっぱいの昭光に義昭は言った。
「儂に対するその忠義、みごとである。よって儂の昭の字をやろう」
昭光はそう言われた後のことをよく覚えていない。ただ感涙していたことだけは覚えている。
「義昭さまは私の働きを見ていてくれたのだな…… 」
昭光は感動した。それだけで生きていけると感じるくらい感動した。そして
「(これよりは義昭さまを一生支えよう。それが私の使命なのだ)」
そう心に誓うのであった。
昭光が名前を変えてからしばらく経った。このところ義昭と信長の関係は悪化している。
義昭からしてみれば将軍として日本を治めようという気持ちでいる。そのためいろいろと行動した。しかし信長からしてみればそれらは余計な行動である。
信長からしてみれば義昭は自分の傀儡にすぎなかった。あくまで義昭はあくまで自分の天下統一のための道具に過ぎない。そう考えていた。
義昭はそんな信長の思惑に気付かなかった。だがいざ将軍として活動しようとすると、その活動に信長が制限をつけようとする。
これに義昭は当然怒った。
「将軍を助けるべき立場の者があれこれ口出ししおって。全く気に食わん」
そんな義昭を藤長はなだめた。
「落ち着きなされよ。我々は信長殿の力で幕府を維持できています。もし信長殿に見放されれば」
「何を言うか。大名どもが幕府を助けるのは当然のこと。そうだ。ならば信長以外の者に我らを助けさせればいいのだ」
「うまくいきますかな…… 」
藤長はそれ以上言わなかった。一方の義昭は意気揚々と対信長の作戦を進める。その作戦と言うのは信長と敵対する勢力を同盟させ、信長を倒そうというものだった。
幕府に従う者たちは信長と敵対し始めた義昭に不安を抱く。だがそんな中で昭光は義昭にためらいなく従った。
「義昭さまの言う通りだ。織田殿は義昭さまをないがしろにしている。将軍である義昭さまをないがしろにしていいわけない」
昭光は義昭に策動を積極的に手伝った。そこに迷いはない。昭光のやるべきことは義昭を支えることである。
こうして義昭は反信長の策動を続ける。昭光もそれを支えた。
やがて義昭の策動は信長包囲網として結実した。信長包囲網は甲斐の武田信玄などを巻き込む巨大なものとなる。この信長包囲網は効果的であり信長を追い詰めることに成功した。
この事態に信長は義昭に和解を提案した。しかし義昭はこれを一蹴する。
「こうなれば信長など怖くもないわ」
「いかにもその通りです」
自信満々に言う義昭に昭光は同意した。このころになると昭光は義昭の覚えもめでたくなり重用されている。
義昭と昭光は満足そうにしていた。だが藤長はあまり浮かない様子である。
「しかしいささかうまくいきすぎとも思います」
「ふん。藤長も存外臆病なのだな」
「そうかもしれません。しかし一寸先は闇ともいいますし」
藤長は不安そうにそう言うのであった。
果たして藤長の懸念の通りとなった。なんと信長包囲網において重きをなしていた武田信玄が急死してしまう。これにより背後を心配する必要が無くなったなった信長は兵を率いて京に向かった。
「ま、まだだ。まだ終わらん」
この事態なっても義昭はあきらめなかった。義昭と信長は一時和解するがすぐに手切れとなる。
この緊急事態に動いたのは昭光だった。
「義昭さま。私の城をお使いください」
「お主の城をか? 」
「はい。わが城は周囲を水に囲まれた天然の要害。簡単には落ちません」
この昭光のすすめを義昭は受け入れた。そして填島城に立てこもり信長に反抗する。
「ここで時を稼げば我らに味方するものも多くあらわれるでしょう」
「その通りだ。よく考えた昭光」
「なんと…… もったいなきお言葉です」
義昭の言葉に昭光は心の底から喜んだ。昭光にしてみれば義昭からの賛辞は何にも代えがたいものである。そして無表情ながらも喜んでいる様子の昭光に義昭も満足そうな顔をするのであった。
そんな主君と同僚のやり取りをよそに藤長は不安げであった。
「果たして大丈夫でしょうか」
藤長の物言いに昭光は怒った。そして陰気な目で藤長を睨む。
「そんなに私の策が気に入りませんか」
「そうではない。確かに真木嶋殿の考えはもっともだ。しかし」
「しかし? 」
「時をかけることが不利につながることは信長殿も承知しているだろう。はたして時を稼げるかどうか」
またまた藤長は不安そうだった。そしてその不安はやはり的中する。
信長は義昭挙兵の報を知るとすぐさま大軍を率いて上洛した。この際信長は用意していた巨大な船で琵琶湖を渡り素早く行軍する。これは義昭たちにとって予想外のことであった。
上洛した信長はあっという間に填島城を包囲した。その七万ともいわれる大軍の前ではいかなる城であっても無力である。城内の士気はあっという間に下がり、降伏ムードが漂った。さらに城に放火されたとあってはどうしようもない。
「もはやここまでか…… 」
義昭は降伏し信長に捕らえられた。昭光と藤長も同様である。
昭光は呆然とした様子で捕らわれた。
「こんなにあっけなく落城するなんて」
そんな昭光を藤長は励ます。
「気を落とされるな。これは城云々の話ではない」
そう言ってため息をつく藤長。昭光はその言葉も耳に入らない様子であった。
こうして義昭の挙兵はあっという間に終わった。信長は義昭を殺さず京から追放することに留める。しかしこれで十五続いた室町幕府は滅亡した。
しかし幕府が滅亡しようと義昭は生きている。そして昭光も生きている。
「(私は義昭さまの命ある限り影となり支え続けよう)」
そう昭光は決意するのであった。
真木嶋昭光という人物は足利義昭が将軍になってから登場した人物です。そしてそれまでの経歴はよくわかりません。
この話で言うと最後の最後で填島城に立てこもりあっさり負けますがその頃から名前が出るようになりました。したがってこの前編の前半に当たる時代で何をしていたかはわかっていないので完全に創作となております。ご容赦を。
しかし昭光ある時期からいきなり義昭の側近として活躍し始めました。実際はそれまで義昭の信任を得る仕事ぶりをしていたのでしょうが正直唐突に表れた感じがします。そう言う意味では不思議な人物と言えるのでしょう。そんな昭光が義昭共々どうなるのか。ご期待ください。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡ください。では
 




