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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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松平康元 徳川家康の弟の話 第二話

 康元が松平家に仕えるようになってから時がたった。松平家は徳川家に看板を変え康元は立派に成人する。

 康元は徳川家の下で困難に立ち向かう。そんな中で康元に悲しい出来事が起きるのであった。

 康元が上之郷城の城主となってから十年経った。もう康元もとっくに成人している。

「あっという間だな…… 」

 しみじみとつぶやく康元。この十年の間に本当にいろいろなことがあった。

 まず兄の元康が名を家康に変えた。さらにその後徳川に改姓した。ゆえに今の康元の兄は徳川家康と名乗っている。康元は松平のままであるが。

 その家康だが今では三河だけでなく遠江も支配する大名に成長している。本拠地も岡崎城から遠江の浜松城に変わった。それに伴い於大は浜松に移っている。三河の上之郷からは少し遠い。

 康元は部屋に戻ると一通の手紙を読み始めた。差出人は母の於大である。浜松から時折手紙が届く。

「母上もご健勝そうだな」

 手紙には自分の身の回りのこと。康元の父、俊勝の様子。弟の成長などが記されている。

 康元はふと手紙を置くと縁側に出た。そして母のいる浜松の方を見つめる。その姿はかつて於大が家康の手紙をもらった時と同じ姿であった。

 しばらくそうしていた康元だがよく見ると雨雲が出始めた。康元は部屋に戻ると再び手紙を読み進める。すると手紙の内容が変わってきた。

「これは…… 」

 そこに記されているのはこのところ家康の周りが騒がしいという事であった。なんでも度々使者が出入りし、そのたびに家康は遅くまで家臣と話し合っているという。

 この部分が康元にはひどく気になった。

「(使者の出入りが激しくなったのか。ならば何か大きな動きがあるという事か)」

 手紙には家康が悩ましげな様子であるとも書かれている。

「兄上が思いつめるほどの厄介ごとか…… 」

 康元は徳川家の運営にそこまで関わっているわけではない。しかし自分なりに情報収集を行っている。そうした中で思い浮かぶのは武田家の事であった。

 武田家は武田信玄が当主を務める大大名である。そして徳川家とは領地を接し険悪な関係であった。

「信玄殿が動くのか」

 康元は一人つぶやく。そのつぶやきは重い。武田家は当時最強ともいえる戦国大名であった。徳川家とは兵力も違う。その武田家に攻めかかられたら、と思うと冷や汗が出てきた。

「覚悟を決めなければならんな」

 立ち上がった康元は武田家の領地である甲州(現山梨県)の方を睨んだ。雨雲はそちらの方から近づいてきている。


 元亀三年(一五七二)、武田信玄は軍勢を二手に分けて出陣した。目指すは徳川の領国である遠江と三河である。康元の不安が的中した形になった。

 信玄は自ら軍勢を率いて西進する。さらに重臣の山県昌景率いる別働隊も順調に進軍していった。

武田両軍は順調に進軍し徳川領国を制圧していく。武田軍の威容に領主たちも従っていった形であった。

 この事態に家康は徳川家の総力を挙げて対応する。康元も兵を連れ上之郷から浜松に参上した。

「お久しぶりです。兄上」

「おお。久しぶりだな康元」

 兄弟は久しぶりの再会を喜んだ。

「そなたが来てくれれば百人力だ。武田の者など襲るるに足らん」

 家康はそう言って康元をねぎらう。だが康元から見た家康は今まで見たことも無い位に疲れて切っていた。

「(兄上がこれほどまでになるとは)」

 康元はこれまで堂々とした兄の姿しか知らない。そんな兄が疲れ切っている様子を見て、現状の重さを再認識した。

 疲れ切っている家康の手を康元はしっかり握った。

「兄上。何も心配はいりませぬ。この康元。一命を賭して戦いましょう」

「そうか…… 頼む」

 兄弟の間でそんなやり取りが行われていると、伝令がやってきた。

「織田家よりの援軍が到着されました」

「そうか。通せ」

 家康はこの緊急事態に織田家に援軍を要請していた。織田家の援軍の将は、佐久間信盛、平手汎秀、そして家康康元兄弟の叔父の水野元信である。

「此度は援軍の儀。ありがたいと信長殿にお伝えください」

「承知しました。しかし今はまず戦のことを」

 佐久間信盛はそう言った。信盛はどこか神経質な感じの男である。

 家康と織田家の将たちは今後の方針を話し合い始めた。康元はその間別室で信元を待つことにする。

「(叔父上にも久しぶりに会うな)」

 康元からしてみれば兄以上に久々に会う叔父である。ここまでいろいろと世話にもなっていたのでちゃんと礼も言いたかった。

 しばらくして話し合いは終わったようだった。しかし部屋から出てきたのは信盛と汎秀だけである。康元は二人に丁寧に頭を下げた。それを見て汎秀はきっちりとあいさつを返す。しかし信盛は挨拶もせずに立ち去ってしまった。

 康元はそれを呆然と見送ったが。そこへ部屋の中から声がかかる。

「康元よ。入れ」

 声をかけてきたのは家康であった。中では信元が恰幅の良い体で待ち構えている。

「久しいな。今は康元であったか」

「はい。お久しぶりです。叔父上」

 康元は座るとちゃんと挨拶する。信元はそれに満足そうに笑いかける。

「しかし立派になったものだ。俊勝殿はご健勝か」

「はい。この度の戦でも手柄を立てて見せると言っております」

 それに家康が苦笑した。

「さすがと言うべきか。心強い」

「しかし母上は無理をしないでほしいと言っております」

「そうか。於大の言いそうなことだな」

 信元も苦笑した。康元もつられて苦笑いする。

 しばらく三人は談笑していた。とは言えいろいろ時間もないので信元と康元は戻ることにする。

 部屋を出るとき信元は言った。

「無理をして母を泣かせるようなことをするなよ」

「もちろんです」

「叔父上も気を付けて」

「ふん。心配はいらん」

 そう言って信元は自信満々に帰っていった。

 その後徳川家は三方ヶ原で武田家と合戦に及ぶ。のちの三方ヶ原の戦いである。

 この戦いで徳川家は大敗し多くの家臣を失った。さらに援軍で来た平手汎秀も戦死してしまう。だが康元と信元は生き残った。

「何とか於大に顔向けできるな」

「はい…… 」

 二人は心身ともにボロボロの姿で浜松に帰還するのであった。

 徳川家はこの戦いで窮地に陥る。しかし武田信玄の急死により辛くも難を逃れるのであった。

 この戦いの後に康元の下へ於大の手紙が届く。そこにはこう書いてあった。

「あなたも家康殿も俊勝さまも兄上もみな生きています。本当に素晴らしいことです」

 その内容に康元の心は救われるのであった。


 三方ヶ原の敗戦の後も徳川家と武田家の抗争は続いた。武田家は信玄亡き後息子の勝頼は積極的な攻勢に出る。そして天正三年(一五七五)に徳川家の長篠城を包囲した。

 この事態に家康は直ちに兵を送ることにする。だが今回康元の出陣は無かった。

「康元は上之郷にて守りを固めてほしい」

 家康はそう康元に命じた。長篠城は三河の奥地にある城である。ここが落ちれば三河に徳川家への不信も広がる。家康はそうした時の備えを康元に命じたのであった。

 勿論この事情を康元も理解している。ちゃんと納得したうえで、城で待機していた。しかし康元は落ち着かないでいる。それは別の理由がある。

 今康元の目の前には若武者と言うにも幼い少年がいた。少年の齢は当年きっちり十五歳。元服したばかりである。

 緊張した様子の少年に、康元は心配そうに声をかけた。

「大丈夫か? 長福丸」

「は、はい兄上」

 この少年は康元の弟で幼名を長福丸。今は定勝と名乗っている。定勝は今回の戦いで初陣を飾ることになった。それにあたり兄の康元の下へあいさつに来たのである。

 現在この場に康元と定勝以外の人間はいない。定勝はこの部屋に入る直前までは落ち着いていたのだ。しかし兄の顔を見て気が緩み緊張がぶり返してきたのである。

 そんな定勝の姿に康元は同情した。

「(まあ仕方のないことだな)」

 康元自身、初陣は非常に緊張した。さらに今回戦うのは以前大敗を喫した武田家である。正直ここまで緊張するのも無理はない。

「(兄上も神経をとがらせているようだしな)」

 つい最近康元の下に於大から手紙が届いた。丁度武田家の攻勢が始まったころである。内容は定勝が次の戦いで初陣をするから手助けしてほしいということ、そして家康が武田家の攻勢に対して気をもんでいるという事だった。

 その手紙を読み今に至る。康元は内心で母親に謝った。

「(母上には申し訳ないが私にはどうしようもできん)」

 今回康元は出陣しないのだから現地で定勝を助けることはできない。実際康元のできることは城の守りを固め万が一の事態に備えることだけである。

 康元はしばらく考えていった。

「長福丸、いや定勝よ」

「は、はい」

「私も初陣は緊張した。それは今でも覚えている」

「は、はい」

「それに敵は武田軍。恐れるのも無理はない」

「あ、兄上」

 定勝の顔色はいよいよ蒼くなっていた。そんな定勝に康元は言った。

「だが兄上が何の準備もしていないわけがない」

 そう康元が言うと定勝は息をのんだ。康元は真剣な顔で話を進める。

「兄上は先の大敗を糧に準備を進めてきた。此度はきっと勝てる。それに信長殿の援軍も来るそうだ」

「本当ですか」

「ああ。叔父上から連絡があった。信長殿は自ら兵を引き連れてくるそうだ。徳川と織田が手を組めば武田も敵ではない」

 康元は勢いよく言いきった。その言葉に定勝の震えも止まる。

 定勝の震えが止まるのを見て康元は笑った。

「此度も叔父上は来る。立派な姿を見せれば叔父上も母上も喜ぶだろう」

「兄上…… わかりました。松平定勝。立派に初陣を飾ってきます」

「そうか。まあ無理はせずに頑張るのだぞ」

「はい! 」

 そう元気よく返事した定勝に緊張の色はなかった。こうして康元に励まされた定勝は戦場に向かうのである。

「私に出来ることはこれまでだな」

 そうつぶやくと康元は胸をなでおろした。

 この後徳川・織田連合軍は武田家と合戦に及んだ。いわゆる長篠の合戦である。この戦いで徳川・織田連合軍は圧勝し武田家に大打撃を与えることに成功した。

 定勝は手柄を上げることはできなかったものの、怪我もなく無事に初陣を果たした。

「母上も喜んでいるな」

 合戦後康元の下に届いた手紙には定勝に怪我が無くてよかったと書かれていた。他には久々に信元と話せたと書いてある。その場には俊勝も居たそうだ。

「私もそこにいたかったな」

 康元は両親や叔父、弟の和やかな姿を思い浮かべてしみじみつぶやくのであった。


 長篠の合戦の後、徳川家は武田家への攻勢を強めた。依然武田家は勢力を保っていたが長篠の敗戦が響いたのか以前ほどの勢いを見せないでいる。

 康元も兄に従って戦場に赴くことも多い。目立った戦果は挙げられなかったものの一定の活躍は出来ていた。

 そんな中、珍しく父から手紙が届いた。なんでも家康に命じられて信元を呼び出すことになったらしい。そうわけだから時間があればお前も顔を見せろ、と言った内容であった。

「叔父上とも久しく顔を合わせていないな」

 長篠の合戦の時は会う機会がなかった。その後もお互い忙しく顔を合わせる機会もない。そもそも康元も信元も仕える家が違う。

「久々に会いたいものだな」

 康元は何とか時間を作ろうと考えた。しかしその後届いた報せが康元に衝撃を与える。

 それは久しぶりに届いた母からの手紙であった。いつもの手紙なら近況報告やらで長文となっている。しかし今回の手紙には簡潔にこう記されていた。

「兄上が亡くなりました」

 康元は手紙を落とししばし呆然とした。そして慟哭した。

 後日、さらに詳しい報告が康元のもとに届く。

 信元はどうやら主君の信長に謀反の疑いをもたれたらしい。なんでも信元の家臣が武田家に兵糧を送っていたという事だそうだ。

 その情報を信長に伝えたのは佐久間信盛らしい。

「あの男か」

 康元は吐き捨てるように言った。脳裏には三方ヶ原の合戦の時の無礼な態度が浮かぶ。思い出した康元は、今回の件と合わせて怒りに震える。

 信元は謀反の疑いをもたれたあと家康の下に逃げ込もうと考えたらしい。おそらく信長と同盟者である家康の力を借りようと考えたのであろう。俊勝は信元を連れてくる役を家康に任されたそうだ。

 その後信元は家康の下に逃げ込んだ。しかし

「兄上が自害させたのか…… 」

 家康は信元を自害させた。これは信長との同盟関係がある以上、大名としては仕方のないことと言える。それは康元にも朧気ながらわかる。しかし納得は出来ない。

「(兄上と信長殿は盟友のはずだ。何とかできなかったのか)」

 康元はそう考える。だがこの時点で徳川家と織田家の間には大きな力の差があった。そういう背景もあり家康は信長に気を遣わなければならなかったのだろう。

 今回ばかりは康元は家康に憤りを覚えた。そんな折、康元は家康に召還される。

「いったい何を話すつもりなのか」

 憤りを抱えたまま康元は家康に相対した。目の前にいる家康は相変わらずの様子に見える。

「お久しぶりです。兄上」

 康元は家康に挨拶する。しかし家康は答えない。二人の間に沈黙が流れる。

 やがて家康がぽつりと言った。

「俊勝殿は隠遁するそうだ」

「え!? 」

 康元は憤りも忘れて絶句した。そんな康元を尻目に家康は続ける。

「此度のことで私は俊勝殿に何も説明しなかった。ただ信元殿を三河に案内してくれとしか言わなかった。だがそれがいけなかったのだろう」

 家康は深くため息をつく。

「いよいよ自分が嫌になる」

 そう言って家康は康元を見た。その眼には悲しみとあきらめが浮かんでいる。それを見て康元は悟った。

「(兄上も本心は嫌だったのだな。だが今の徳川家は織田家の助けが無ければ危うい。ゆえに些細な傷も許せなかったのだな)」

 康元は兄の本心を少しだけ言理解した。それですべてを受け入れられるわけではないが、すっかり怒りは収まっている。

 家康は改めて康元に言った。

「これからも頼むぞ」

 康元は胸を張って応える。

「もちろんです。父の分も働いて見せます」

「そうか。ありがとう」

 この後久松俊勝は完全に表舞台から姿を消した。佐久間信盛は後年信長から追放される。その際に信長は信元が冤罪だったとして水野家を復興させた。新たな当主は家康が保護していた信元の弟の忠重である。

 それを知った康元はほっとした。

「これで信元殿も少しは浮かばれるか」

 康元は、今は亡き叔父に思いをはせるのであった。


 第二話は成長した康元とその親族の話といたところでしょうか。康元の弟は立派に成人する一方で叔父は死に父は隠遁してしまいました。康元にとってはこの時期が一番立て込んでいたのではないかと思います。

 さて水野元信の死についてですが、元信は三河と尾張の国境周辺で一定の勢力を持っていました。元信はそれを疎まれ謀殺されたともいわれています。一方元信を讒言したといわれる佐久間信盛はこの後追放されてしまいました。何とも無常な感じがしますね。これも戦国の世のという事でしょう。家康もいろいろな激動に巻き込まれ康元もついでに巻き込まれていきます。今後をお楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では 

 

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