表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
44/399

松平康元 徳川家康の弟の話 第一話

 徳川家臣松平康元の話。

 尾張と三河の国境で生まれた松平康元。生まれたばかりの康元には知る由もないが彼はのちの世に名を遺す人物と兄弟であった。この話はそんな康元の生涯を綴っていく。

 尾張(現愛知県西部)知多郡。今でいう知多半島のあたりである。ここは三河(現愛知県東部)との国境に近い。そういうところで生きている勢力というのは、だいたい西か東かどちらかの大きい勢力に属しているものである。久松家もそうであった。

 久松氏は尾張の織田家に従っていた。当代は俊勝である。妻は同じく知多郡の勢力である水野氏の女で名を於大と言った。

 俊勝も於大も再婚で俊勝には前妻との間に息子がいた。一方で於大も子を産んでいる。俊勝と於大の間に生まれた第一子が三郎太郎であった。

 当時尾張と三河の国境は様々な勢力から影響受けた。尾張を治める織田家。それに対し三河を治める松平家。さらに駿河、遠江(双方とも現静岡県)を治め、松平家を支配下に置く今川家、などである。

 そうした事情で戦いは尽きなかったが三郎太郎はすくすくと育った。性格は父の実直さと母の穏やかさを受け継いでいる。

 三郎太郎は父より母になついた。母の於大も息子を慈しむ。そんな穏やかな関係の中で三郎太郎はどうしても気になることがある。なのである日聞いてみた。

「母上」

「なんですか? 」

「母上はどうして遠くを見ているの? 」

 於大は時折寂しげに遠くを見ていることがあった。それは何処からか手紙が来て、於大が一人で読んだ後に決まって起こることである。三郎太郎にはどうしても気になった。

 息子からの思わぬ問いに於大は表情を硬くした。しかしすぐにいつも通りの穏やかな笑顔になる。

 於大は三郎太郎の頭をやさしく撫でる。そして三郎太郎の言う遠くを見て言った。

「私が見ている方には私の大切な人がいるの」

「大切な人? 」

「ええ。もしかしたらあなたにも大切な人であるかもしれないわ」

 三郎太郎は首をかしげた。於大の言っていることの意味が分からない。於大はそれ以上何も言わなかった。

 於大が見ているのは三河と遠江を越えた先にある駿河であった。その府中には於大の息子がいる。幼名を竹千代。今は元服し松平元康。のちの徳川家康である。この状況には複雑な事情があった。

 もともと於大の実家の水野氏は松平家とも懇意であった。また松平家と今川家も強い縁がある。そのため関係強化のために於大を松平家の当主である松平広忠に嫁がせた。そして竹千代が生まれる。

 しかし水野氏の当主が於大の兄の信元に変わると水野氏は織田家に従属するようになった。織田家は今川家と敵対している。このため広忠は於大を離縁しなければならなかった。

 こうして竹千代と於大は離れ離れになったのである。

 もっともそんな事情を三郎太郎は知らない。ただよくもわからず母の言う自分にとっても大切かもしれない人に思いをはせるのである。


 永禄三年(一五六〇)今川義元は大軍を引き連れて尾張に向かった。この事実を知った俊勝は今後の動向を家臣たちと議論する。

「今川殿は三万近くの大軍らしい。これでは織田殿は持つまい」

「左様。ここはいち早く今川殿に下るべきかと」

「しかしそれでは水野殿との仲も悪くなりましょう」

「うむ。それに周りはまだ織田殿に従うものも多い。下手をすると周りが皆敵になる」

 家臣たちは議論に熱中した。俊勝はそれぞれの意見を黙って聞く。正直難しい話であった。

 この時三郎太郎はまだ八歳である。父たちがなにか難しい話をしているのはわかったが、その理由や内容まではわからない。ただ幼い弟と共に母の下でのんびりしていた。

 そうこうしているうちに今川軍の先陣は尾張と三河の境まで到着した。ここに至って俊勝たちは結論を出す。それは今川軍に協力しない代わりに敵対もしない。いわば日和見の態度である。幸いと言っていいかわからないが今川軍の進軍ルートから俊勝の領地は離れていた。そのため今川軍から積極的に協力を求められるということも無い。こうした選択をするのも生きる道である。

 そういうわけで安心する俊勝たち。三郎太郎もよくわかっていないが安心する。

だがここで予想外の客がやってきた。

 城の仲が再び騒がしくなった。於大は家臣から話を聞くと慌てて部屋を出ていく。そしてしばらくして帰ってきた。

「あなた達も準備しなさい」

 三郎太郎と弟たちはよくわからないまま身なりを整えさせられた。三郎太郎の弟たちは不安そうにしている。それに気づいた三郎太郎は母に尋ねた。

「どうしたのですか」

 於大は息子に微笑んだ。

「心配はいりません。私についてきなさい」

 そう言って於大は三郎太郎たちを連れていく。

 三郎太郎が連れていかれた場所では俊勝が見知らぬ若武者を歓待しているところだった。

若武者は背丈こそ低いものの体はがっしりとしていた。風貌は勇ましい感じではないが不思議と威厳を感じさせる。

 三郎太郎は弟たちをかばうように若武者を見ていた。すると若武者はその視線に気づいたのか三郎太郎の方を見る。そして笑った。

 不意に笑いかけられた三郎太郎は動揺した。一方の若武者の方は於大に尋ねる。

「その子らがそうですか」

「はい。その通りです」

 於大は三郎太郎に自分の前に出す。そして、言った。

「あなた達の兄上ですよ」

「え!? 」

 三郎太郎と弟たちは驚いた。自分たちに兄がいるなどとは思いもよらなかったからである。

 この俊勝のもとを訪ねた若武者は竹千代こと松平元康である。元康は今川軍の先鋒として進軍していた。その際たまたま時間ができたので母を訪ねてやってきたのである。

 元康は三郎太郎たちに再び笑いかけた。

「私は松平元康。そなたたちの兄にあたるものだ」

「は、はい。わ、私は三郎太郎です。この者たちは弟です」

「そうか、三郎太郎か。この先にそなたたちが大きくなった時力を貸してほしいものだな」

 そう元康は言った。三郎太郎は思わずうなずく。元康はそれを満足そうに見ると立ち上がった。

「これで目的は果たせました。申し訳ありませんが拙者はこれで」

 そう言って元康は於大と俊勝に礼をした。俊勝は頷いていう。

「そうですかお忙しいところを引き留めて申し訳ない」

「何の。ここ来たのは私の意志です」

「そうですか。ではご武運を」

「ありがとうございます。それと今後拙者に出来ることがありましたら何なりと」

「それは…… ありがたい」

 俊勝は元康に礼をした。元康はそれにうなずくと於大の方を見る。

「それでは母上。お体を大事に」

「はい。元康殿もご健勝で」

「はい、勿論です。三郎太郎殿たちもお元気に」

 元康はそう言い残して去っていった。その後姿を三郎太郎はじっと見つめている。そして於大も潤ませた目で見送っていった。

 この対面のあと元康は今川軍の先鋒として見事務めを果たした。だがこの後起きた事態が元康と三郎太郎たち親子の運命を大きく変えることになる。


 その水野元信の使者の報告は衝撃を持って迎えられた。

「今川義元殿が討ち死にだと…… 」

 報告を聞いた俊勝は絶句するしかなかった。

 今川義元。東海一の弓取りと呼ばれ駿河、遠江、三河の三国を治める大大名が死んだという。にわかには信じられない話である。

 義元は尾張で行軍中に織田家の攻撃を受けてあえなく戦死した。いわゆる桶狭間の合戦である。

この時義元の主要な家臣も軒並み戦死した。この事実は今川家にとっては計り知れないダメージである。

三郎太郎は絶句する父に声をかける。

「父上…… 」

 そのか細い声に覚醒した俊勝は使者に尋ねた。

「元康殿はどうした」

「はい。殿が速く撤退するよう使者を送ったそうです」

「そうか。ならば大丈夫だろう」

 俊勝はそう言って於大の方を見た。於大は落ち着かない様子で息子たちを抱きかかえている。

 実際に俊勝の読み通り元康は尾張から撤退した。そして三河の岡崎城に帰還する。岡崎に帰還した元康は今川家からの独立し戦国大名として立つことを決意した。

 この情報は俊勝たちの下にも届いた。於大は息子の無事を知りともかく安堵する。三郎太郎も母が元気になったのを素直に喜んだ。一方で元康率いる松平家の独立は三河と尾張の国境に位置する勢力に新たな判断を迫ることになる。

 俊勝はこの状況の変化に対しある決断を下した。

「我々は元康殿に従うこととする」

 その決断とは元康に従うというものである。これは元康個人との縁もあるが迅速に三河を制圧していく元康に早いうちから従うことで、久松家の安泰を図ろうという意図もあった。

 この決断を元康は喜んだ。そして俊勝や於大、そして三郎太郎たちを岡崎に招く。

「これよりは一族として私を支えてほしい」

 元康はそう言って三郎太郎とその弟たちに松平の姓を授けた。こうして三郎太郎たちは正式に元康の弟となったのである。

 しかしまだ幼い三郎太郎にはよくわからないことであった。しかし父や母に促されて一応礼はする。

「ありがとうございます」

 それをみて元康は笑った。

「これより兄弟なのだ。堅苦しいことはいらん」

「兄弟…… 」

 三郎太郎は元康の言葉とその笑顔に不思議と心惹かれた。そして自然と言葉が口から出た。

「ありがとうございます。兄上」

 それを聞いて元康は喜んだ。

「兄と呼んでくれるか。そうか! 」

 元康は快活に笑う。三郎太郎もつられて大笑いするのであった。


 こうして久松家は松平の一門に加えられた。さらに三郎太郎は元康から名をもらい康元と名乗るようになる。

 俊勝は元康に従い三河平定の戦いに付き従う。幸いと言うべきか西三河は今川家や織田家の影響力を免れていて容易に制圧することができた。

 またこの途中で元康は尾張の織田信長との同盟を締結した。仲介したのは於大の兄の水野元信である。この同盟は元康や元信、さらに俊勝や康元たち親子の運命に関わってくることになる。

 それはさておき俊勝は三河平定の戦いで奮戦した。康元もそんな父の奮戦を喜ぶ。

「さすが父上」

「当然だ。それにここまで厚遇してくれた殿の恩にも応えなければならん」

 俊勝が言う通り元康は俊勝や康元、そしてその弟たちを厚遇した。康元たちは元康の居城である岡崎城で母の於大と共に暮らしている。その扱いは手厚いもので康元たちは無い不自由なく暮らしていた。

 元康も弟たちを可愛がりその将来を期待した。

「ゆくゆくは松平の家を盛り立ててくれ」

 そう言って元康は弟たちを可愛がる。そんな兄に康元たちもなついていった。

 そうした中で元康は未制圧の東三河に侵攻した。こちら側はまだ今川家の勢力もの残っていて激戦が予想される。

 元康はまず鵜殿長照が城主を務める上之郷城を攻撃した。鵜殿家は今川家とは親戚にあたる。三河の今川方の最重要拠点と言える城だった。

 この上之城攻撃に俊勝も参加した。俊勝は松平家の重臣酒井忠次と共に奮戦し遂には上之郷城を攻め落とす。城主の長照は戦死しその子供たちは捕えられた。

 元康はこの捕らえた長照の遺児と駿府で人質になっている元康の妻築山殿と長男の竹千代(のちの信康)と長女の亀姫と交換することに成功した。

 俊勝はこの人質交換の立役者になったといっても過言ではなかった。勿論元康も俊勝をほめたたえる。

「此度は真に見事。俊勝殿の武名はとどろいたことでしょう。康元たちも喜んでいるに違いない」

 元康も母の再婚相手である俊勝には少し気を遣っていた。

「ありがたき幸せです」

「ついては上之郷城を俊勝殿に与えたい」

 それを聞いた俊勝は少し考え込むといった。

「もったいないことです。しかし…… 」

「しかし? 」

「拙者は岡崎にとどまり城の留守を守りたく思います」

「そうか…… なるほど」

 元康は俊勝の考えを理解した。俊勝にとっては妻と子がいる城である。今では少し複雑な関係になってしまったが妻や子への愛は変わらないという事だった。

「わかった。俊勝殿の思う通りに」

「ありがとうございます」

「しかし褒美は褒美。上之郷城は貴殿のものだ」

「かしこまりました。でしたら城主は康元ということでよろしいでしょうか」

「康元に? 」

 これには元康は驚いた。康元はまだ十歳である。そんな子供に城主を任せるというのはいささか信じられない話であった。

 驚く元康に康元は続ける。

「政務は拙者が代行します。しかしこの後の松平家を思えば康元に色々と身に着けさせる必要もありましょう」

「そうか。ならばそうしよう」

 こうして康元はわずか十歳にして城主となった。

「私の城ですか」

「そうだ。元康さまから頂いた」

 康元は驚いた。まだまだ子供の自分に城が与えられるなど信じられなかった。

「政務についてはしばらく私や家臣たちが補佐する。だがゆくゆくは独り立ちするように」

「はい」

「それと元康さまへの恩義を忘れる出ないぞ」

「はい! 」

 父の言葉に康元は元気良く応える。ここにはいない元康に頭を下げた。

「ありがとうございます兄上」

 康元にとってはここまで厚遇してくれる兄を誇らしく思った。そして今後も一生ついていこうと決意するのであった。


 というわけで第一話でした。正直タイトルはこれでいいかと悩みましたがたまにはこういうのもいいだろうと自分で納得しました。

 松平康元ですが三英傑の一人の弟であるにも関わらずあまりにも知名度がありません。というかその活躍を記した資料も少ない有様です。ですので脚色や創作等がだいぶ多くなりそうですがそこはご容赦を。

 しかし今回の話は康元の話と言うより桶狭間の戦い前後の久松家の話となってしまいました。次からは康元がちゃんと話の中心となりますのでご安心ください。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ