赤沢朝経 戦人 第三話
管領細川政元の下で戦い続ける赤沢朝経。だが朝経は政元への不安を抱くようになって行った。
やがて朝経は行動を起こす。しかしそれは朝経の人生を狂わせることになる。
永正元年(一五〇四)の三月に朝経は政元への反逆を企てる。この行動は朝経なりの政元への抗議のようなものであった。
「殿はわがままが過ぎるのだ」
もっとも事前の根回しもない行動であったので他の内衆の同意は得られなかった。結局六月には赦免されて復帰している。
この赦免に大きな役割を果たしたのは薬師寺元一であった。
「赤沢殿ほどの武人をここで失うのは惜しゅうございます」
そう言って政元を説得したらしい。
さすがの朝経も元一に感謝した。
「此度はかたじけない。まさかあの時話を聞かせた小僧に救われるとは」
「いえ。日ノ本一の武勇を誇る赤沢殿を失うわけにはいきませぬ」
「ふむ。そうかそうか」
朝経は喜んだ。ゆえに元一の目に宿る暗い光に気付いていない。
しばらく二人は話していたが、ふと元一は言った。
「赤沢殿はこの頃の殿をどうお考えですか」
元一の問いに朝経は深く考えずに答える。
「まあ、いい印象は無いな」
朝経がそう答えるとや否や元一は朝経に顔を近づけた。思わず朝経は後退る。一方の元一はそれを気にせず話し始めた。
「実は赤沢殿と同じようにこのところの殿のありように不満を抱く内衆も多くいます」
「そ、そうか」
「もし殿がこのままならば細川家の行く末も危ないと申すものまでいる始末」
「それはそうだな。俺もそう思う」
朝経はまた深く考えずに答えた。それは元一のこぼす愚痴に同意しているだけのつもりである。だが元一はとんでもないことを話し始めた。
「この上は政元さまに隠居していただき澄元様に跡を継いでいただこうと考えております」
元一が話したのは政元への謀反の計画であった。これにはさすがの朝経も絶句する。だが元一はそんな朝経を無視して話を進めだした。
「このところ政元さまへの内衆内での不満はかなり高まっております。これを利用しない手はありませぬ」
朝経は無言でうなずく。
「まずは某が兵を挙げまする。これには政元さまに敵対する勢力との協調の上でのことです。この時赤沢殿も共に兵を挙げていただきたく…… 」
「俺もか?! 」
絶句した朝経は思わず声を上げた。いつの間にか謀反に同調することになっている。
「だが俺は…… 」
「赤沢殿の無類の武辺があれば何も恐ろしくはありません」
「うむ。それはそうだが」
「赤沢殿を助命したのもこの時のため。どうかお力を」
そう言って元一は頭を下げた。朝経は柄にもなく悩み始める。
「(つい先だって赦免してもらっておいてまた謀反するのはどうなんだ。しかし政元さまについていくことに不安もあるのは事実であるが…… )」
基本的に朝経は物事を深く考えない。そんな男が考え込んだところでいい答えが出るはずもない。結局朝経は元一が言った次の言葉で心を決めた。
「天下無双の赤沢殿のお力をどうか」
「よし、引き受けよう」
結局のところ朝経は自分の力を褒め称えるものに弱い。
こうして朝経は元一の謀反に加担することになるのであった。
こうして朝経は元一と共に挙兵した。永正元年の九月のことである。
「これより我々は澄元様を主とする」
そう元一は声高に宣言した。しかしこの謀反は同月中に鎮圧されてしまう。
「なんという事だ。これではどうしようもないではないか」
元一共々拘束された朝経はそうつぶやいた。何もかも政元の恐ろしいまでの迅速な対応のなせる技である。
この時朝経と元一を捕らえたのは内衆の香西元長と元一の弟の長忠であった。元長は代々仕える譜代の内衆で政元の後継者には澄之を支持している。内衆内での軋轢は政元も承知済みのことでありそうした関係性を理解しての人選と言える。
また長忠はこの功績をもって兄の領地と役職をそのまま継いだ。これについてどういう約束が政元と長忠の間にあったかはわからない。しかし現実として長忠は兄を討つことでその後を継ぐことになったのである。
拘束された元一と朝経は政元のいる京に送られた。その後の両者はまるで違う結果を迎える。
元一は京で自害させられた。かつて元一は政元と男色の関係にあったがこのところは不仲であったという。今回の謀反計画に元一を走らせたのはそうした現実があったからかもしれない。
一方で朝経は生かされた。朝経自身もここで死ぬつもりもなく京で拘留され続けることになる。
「自ら死を選ぶなど馬鹿馬鹿しい。俺は死なん」
朝経はこの状況を何とかしようと考えていた。そんな朝経に対し周りの内衆たちは冷ややかな目を向ける。
「いったん許されてすぐに牙をむく。まるで獣だ」
「いや、獣でもここまでのことはしまい。むしろ悪鬼のたぐいなのだろう」
内衆たちは冷ややかな目を向けながらもどこか朝経を恐れていた。実際延暦寺を焼き払い大和で略奪をする姿は確かに悪鬼と言っても過言ではない。
また内衆の恐れは政元にも向いている。今回の恐ろしく迅速な行動は元一のように謀反に走りそうな面々の心を挫いた。一方で朝経のような危険人物を生かしている。普段の奇怪な行動と相まって、一部の内衆には政元が何かこの世のものではない恐ろしいもののようにも見えていた。
「結局一番恐ろしいのは殿だ」
「ああ。逆らおうなどとは思うまい」
「赤沢殿もそう思っているだろう」
内衆は口々に言った。また拘留されている間に朝経の中で政元の存在はより大きくなった。
「(俺がどのように力を振るおうとも政元さまにはかなわんのだ)」
朝経は拘留されている間に見えない政元の存在を強く感じるようになっていった。そして拘留されている間もしかしたら政元の気が変わって殺されるかもしれないという恐怖に襲われる。そんな朝経の拘留は一年近くで終わった。
赦免された朝経は政元にこう言った。
「これよりは誠心誠意政元さまに尽くしまする」
「ほう。それは良いことじゃ」
憔悴しきった朝経に政元は笑って言うのであった。
朝経が謀反を起こした永正元年、対立していた畠山尚順と義英が和睦するという出来事があった。これは政元の支援を受けていた義英が政元からの独立を企図してのものである。さらに翌年義英と尚順は周防に逃げていた足利義尹を上洛させようと計画しはじめた。これに政元は激怒した。
政元は永正三年(一五〇六)に義英・尚順を攻撃する。その陣頭で指揮を執ったのはほかでもない朝経であった。この抜擢に不満を漏らす内衆も少なくない。
「殿は赤沢殿に甘すぎる。また謀反を起こしたらどうするのだ」
「その通りだ。今までの武功があるとはいえあ奴は謀反人なのだ」
だが一方でこんな声も聞こえる。
「いや今の赤沢殿に謀反を起こすような気はあるまい」
「その通りだ。このところは随分と殿に従順になっている」
実際赦免されたのちの朝経は以前の傲慢さは鳴りを潜めている。そんな姿に内衆たちは驚いていた。
そんな朝経は細川家の軍勢を引き連れて河内(現大阪府)に向かう。そして出陣してきた尚順・義英連合軍と交戦した。
細川軍は圧倒的な強さを見せつけて尚順・義英連合軍を撃破した。朝経も自ら槍を振るって敵を蹴散らす。その強さは以前と何ら変わらないものだった。しかしその戦いぶりは変わっていた。
「殿に逆らうものには容赦するな。全て駆逐しろ」
かつて朝経は己の力を誇示するように戦っていた。しかし今はただ目の前の敵を淡々と、そして容赦なく討っていく。
「細川家の力を見せつけろ。敵を倒せ。そうすれば殿に切り捨てられない」
今の朝経は自己顕示でも出世のためでもなく政元に切り捨てられないために戦っている。その恐怖から生まれる強さは以前の強さを上回っていた。
朝経は尚順・義英連合軍を打ち破るとそのまま河内になだれ込んだ。そして畠山方の城を落とし河内を制圧する。
さらに同年に朝経は再び大和に侵攻した。そして大和の寺社を焼き払い制圧する。
「殿に従わぬ寺は焼き払え。逆らう坊主どもは皆殺せ」
朝経は徹底的に容赦なく寺社を焼き払っていった。以前は略奪などもしていたが今回は何も奪わない代わりにすべてを焼き尽くす。そして寺社から奪い取った領地を政元に差し出していった。
「すべては殿のため。細川家のために。そうすれば生き残れる」
もはや朝経は自分が生きるためだけに戦っていた。かつての朝経がその姿を見れば激怒しそうな姿である。だが今の朝経にはほかの選択肢は存在しない。
「もはや名はいらぬ。地位もいらぬ」
そう言って朝経は戦い続けた。大和を制圧した後も近畿の各地を転戦し細川家の勢力を拡大させていくのである。
永正四年(一五〇七)四月に政元は丹後(現京都府)の一色氏を攻撃するために出陣した。朝経もこれに同行する。
一色家は領地を接する武田家と戦いを繰り広げていた。この武田家は応仁・文明の乱の頃から細川家と親しい関係にある。このことから政元は武田家を支援するために一色家に攻撃を仕掛けた。
武田家と一色家の一進一退を続け戦局は膠着状態になり始めていた。ここに朝経を含む細川軍が参戦したのである。当然戦況は武田家有利に傾いた。
朝経はこの戦いでも最前線で大暴れした。
「此度の戦いには殿も同行している。無様な姿を見せるわけにはいかん。無様な姿を見せればどうなるか」
相変わらず朝経は政元への恐怖に駆られていた。だがそれでも今まで通りの戦いぶりで一色家を打ち破っていく。
しかしこの一色家との戦いに関して政元の関心は低かった。実際問題細川家と武田家の関係性から介入したが細川家からすれば旨味の少ない戦いではある。
行軍の最中に政元はこんなことを言ったという。
「修験道の修業のために陸奥へ行きたい」
政元は相変わらずの様子であった。さすがに内衆一同で引き留めて陸奥行だけは断念させる。だが丹後の府中を攻撃する頃には同行していた澄元共々帰京してしまった。
朝経は政元が帰京後も前線で戦い続けている。
「戦って、戦って、勝ち続けるのだ。そうすれば俺の価値は証明され続ける。俺は切り捨てられない」
切り捨てられないために朝経は戦い続けた。やがて朝経は武田家と共に一色家当主の一色義有を今熊野城に追い詰めるところまで行く。だがこの時点で別の思惑が動いていることに朝経は気付かなかった。
この時政元の養子の一人である澄之は細川軍本体とは別行動をとっていた。澄之に同行しているのは薬師寺元一の反乱を制圧した将の一人である香西元長である。
この別動隊は一色家の有力家臣である石川直経が籠る加悦城を攻撃していた。直経は有力家臣だけあってなかなかの軍事力を誇る。それだけに激しい攻防が予想されていた。
しかし澄之は早々と直経と講和し政元を追うように帰京してしまった。
この情報を朝経も入手した。さすがに朝経も愕然とする。
「何を考えているのだ澄之様は」
これでいまだ一色家と交戦しているのは朝経の部隊と武田家の軍勢だけであった。いわば朝経は取り残される形になった訳である。
朝経の家臣もこの状況に不安を覚える。
「殿。我々も撤退するべきでは」
この進言はもっともなことであった。しかし朝経はそれを却下する。
「何か大きな手柄を立てたわけでもないのに引き下がれるか。政元さまに手ぶらで顔を合わせるつもりか」
朝経は顔を青くしながら言った。朝経はともかく自分が用済みだと思われ始末されるのが恐ろしい。
「ともかくもう少しで城も落ちる。その後に帰ればいい」
そう言って朝経は攻城戦を続けることにした。しかしこの時、京では大事件が起きたのである。
永正四年の六月。細川政元は行水している最中に殺害された。享年四二歳。天下に名をとどろかせた男のあまりにも呆気ない死にざまである。
暗殺を計画したのは香西元長と薬師寺長忠であった。奇しくも薬師寺元一の謀反を制圧した二人である。この暗殺も政元の後継者問題や内衆の軋轢により起こったものと言える。
この政元横死の報はすぐに丹後の朝経の下にも届いた。
「殿が、死んだ? 」
朝経はにわかには信じられなかった。あれだけ恐れた男がこのようにあっけなく死ぬとは思えない。朝経は何度も使者に尋ねた。だが何度訊ねても帰ってくる答えは同じである。
しばらく朝経は呆然としていた。だが正気を取り戻すと家臣に指示を飛ばす。
「今すぐに一色家と和睦をしろ! 」
政元死亡の情報はすぐに知れ渡る。そのうえで丹後の奥深くにいるのは危険すぎた。
幸いにも追い詰められていた一色義有は和睦に応じた。和睦が整うと朝経はすぐに引き上げ始める。
「とにかく急げ! 丹波(現京都府)に入ればひとまずは安全だ」
現在丹波は細川家の支配下にあった。そこまで逃げれば体制を立て直すこともできる。朝経はそう考えた。また一色家の追撃は和睦した以上ありえない。そういう計算も朝経にはあった。しかし朝経は驚嘆させる再び事態が起きる。
「申し上げます! 」
「何だ! 手短にしろ! 」
息を切らせて駆け込んでいた伝令に朝経は怒鳴った。だが伝令の言葉を聞いて絶句する。
「石川直経殿の軍勢が迫ってきます! 」
なんと澄之と和睦した石川直経が朝経を追撃してきたのである。この行動は直経の主家である一色家の意向を無視したものだった。
「ば、馬鹿な…… 」
まさか追撃が来るとは思わなかった朝経。だが今はとにかく逃げるしかない。
「(とにかく逃げろ。とにかく逃げて…… どうする? )」
逃げる最中で朝経の頭の中にそんな疑問が浮かんだ。逃げ帰ったところで政元はいない。今までずっと政元の命令で動いてきた。
「(だがこれからは誰に命令されればいいのだ)」
政元の三人の後継者の誰かか? だがいったい誰に仕えればいいのかそれが朝経にはわからなかった。
朝経は細川家の中で確かに存在感を発揮していた。しかしそれは戦いだけのことである。それ以外のことを考えようなどとは考えもしない。その結果どうすればいいのかわからなくなっていた。
気づけば朝経たちは丹後と丹波の国境の目前まで迫っていた。しかしここでついに直経に追いつかれてしまう。
「ああ、もう終わりだ」
追いつかれた朝経はすべてに絶望した。そして
「もう考えるのも暴れるのも面倒くさい」
そう言って自害した。
朝経はかつて馬鹿馬鹿しいといったことをためらわずに行った。こうして赤沢朝経はその生涯を終えたのである。戦場で暴れ続けた男の寂しい死にざまだった。
というわけで赤沢朝経の話はこれで終わりです。朝経は何度か謀反しそのたびに政元に許されました。それは朝経を政元がそれほど評価していたからなのか別の理由があったからなのか。それは定かではありません。
思い返してみると朝経の活躍というのは明応の政変で政元が実権を握ってから政元が死ぬまでできれいに終わっています。そういう意味でも朝経と政元は表裏一体と言える間柄であったのでしょう。ゆえに政元が死ねば朝経も死ぬしかなかったのかもしれませんね。
さて次はある有名人物の弟の話です。この人物は兄に比べて無名と言ってもいい人物です。どんな話になるかお楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡ください。では




