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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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松平忠吉 初陣は関ヶ原 後編

 いよいよ始まる関ヶ原の戦い。この天下分け目の戦いで忠吉は初陣を迎える。

 忠吉の初陣はどうなるのか。そして忠吉は生き残れるのか。

 家康は清州に到着した翌日、風邪をひいて一日清州城で静養することにした。というのは建前で実際は秀忠の到着を期待しての仮病である。前日に即時決戦に決めたとはいえ秀忠の部隊が間に合ってくれるに越したことは無い。そういう家康の思いである。

 一方でこの話を聞いた忠吉は不思議に思った。

「あれだけ元気そうだった父上が風邪? そんなはずはあるまい」

 忠吉はそう思った。そして家康の体調を確かめようと会いに行ったが風邪を移してはいけないということで門前払いにされる。結局翌日家康たちは清州を発ち岐阜に至った。

「結局何だったのか」

 忠吉はキツネにつままれたような気持で岐阜に向かうのであった。

 岐阜に到着した家康たちは翌日には東軍の武将たちが待つ赤坂の陣に到着した。ここで開かれた軍議に忠吉も参加した。

 この軍議にて家康は大垣城を捨て置き西上する作戦を選んだ。これは西軍を誘き出し時間のかかる城攻めより野戦で決着をつけようという腹である。

 これに東軍の諸将も賛同する。しかし忠吉は疑問を抱いた。

「(兄上がまだ合流していないのに進軍するのか? )」

 忠吉はてっきり秀忠隊が合流してから進軍するものだと思っていた。しかし家康は十一日の時点で秀忠を待たずに進軍することを決めている。東軍の諸将もそれは察しているようだった。秀忠隊について何も言わないのは、現状なら自分たちの手柄をあげる機会に恵まれるからという理由がある。

 もっともそうした事情に忠吉は気付かない。それゆえに思った通りに口にする。

「あの、父上」

「なんだ忠吉」

「兄上は待たなくてよろしいのですか」

 忠吉は何気なしに言った。それに対し家康は厳しい顔をする。

「構わん」

「ですが」

「構わんと言っている。このような大事に遅参するような者どもなど当てにならん」

 家康は厳しい口調で言い放った。その言い方に忠吉は絶句する。

 軍議の場は静まり返ってしまった。そんな時直政が口を開く。

「忠吉様。心配はいりませぬ」

「いや、そういうわけではなく」

「ここにおられる方々はいずれも劣らぬ名将。我らと力を合わせればどんな敵でも蹴散らして見せましょう」

 直政がそう言うと福島正則が立ち上がった。

「その通り! 石田の奸計にたぶらかされた者など一蹴してくれようぞ」

 そう言って政則は豪快に笑った。そんな政則を家康は頼もしげに見る。

「此度も福島殿の戦ぶり存分に眺めさせてもらおうか」

「もちろんです。家康殿」

 家康の言葉に政則は元気良く応えるのであった。

 こうして軍議はつつがなく終わった。しかし忠吉はまだ納得していない。

「(兄上と合流して決戦の臨むのではなかったのか。父上はいったい何を考えて)」

 確かに本当に最初はそういう計画だった。しかし予想外の事態による計画の変更は良くある話だ。実際徳川本隊ともいえる秀忠隊の不在はいろいろと不都合がある。忠吉はそうした不安も抱えているのであった。

そんな忠吉に近づく影。それは家康であった。

「忠吉よ」

 後ろから、しかも思いもよらぬ人物に声をかけられ驚く忠吉。

「ち、父上」

 驚く忠吉に家康は言った。

「頼むぞ」

 それだけ言って家康は去っていった。残された忠吉はしばし呆然としていたが、家康の言ったことをかみしめる。

「(本当は父上も不安なのだ。ならば私が支えなければ)」

 忠吉はそう思い直すと気合を入れ直すのであった。


 軍議の翌日東軍はまだ日の出ないうちから進軍を始めた。やがて関ヶ原に差し掛かったが霧が濃く視界も悪かった。また斥候の連絡で西軍が待ち伏せているという情報も得ていたので、行軍を止めて戦闘態勢につくことにする。

 忠吉は直政と共に先鋒を務めることになった。他の先鋒の部隊に徳川家の武将はいない。忠吉は直政と共に徳川家の先鋒を任されたことになる。

 初めて忠吉が立つ戦場は霧に隠れて目指す敵も見えない。馬上の忠吉は当然のごとく恐怖を感じていた。手綱を握る手に力が入り顔色も青い。隣に立つ直政とはだいぶ違う。

 直政は忠吉に声をかけた。

「心配はいりませぬ。拙者がいる以上は何も恐れることはありません」

 そう声をかけられた忠吉は深呼吸をした。そして直政の方を向く。

「申し訳ありません義父上」

「何の。初陣にて緊張することは何もおかしいことではありません」

「そうですか」

 直政の言葉で緊張がほぐれたのか忠吉の顔色も良くなった。そしてもう一度深呼吸をすると霧に包まれた関ヶ原を睨みつける。

「必ずや父上の名に恥じない戦いをして見せます」

 そうきっぱりと言う忠吉。もはや緊張は解けているようだった。

 そんな忠吉に直政は満足そうにうなずく。

「さすがは忠吉様」

「いえ、義父上のおかげです。しかし…… 」

 忠吉は改めて周囲を見渡した。

「何も見えませんな」

「全くです」

 周囲の霧はあまりに濃かった。現状では敵どころか味方を確認することもおぼつかない。

 直政はしばし霧を睨みつけてから言った。

「少し前に出ましょうか。このままでは戦もおぼつかない」

「わかりました」

「ただ警戒は怠らずに」

「はい」

 二人は頷きあうと前進する。相変わらず霧は濃く周囲の様子はわからない。

 忠吉たちはゆっくりと前進する。すると徐々に霧が晴れてきた。すると前方に何かが見えた。

「あれは…… 」

 見えたのは西軍の宇喜多秀家の部隊だった。直政はそれを確認すると叫んだ。

「突っ込め! 」

 その号令と共に直政の部隊は宇喜多隊に向けて突貫する。忠吉は直政に遅れて叫んだ。

「我々も続け! 」

 忠吉の号令と共に忠吉の部隊も突撃する。

 一方忠吉は気付かなかったが後方には福島正則の部隊が存在した。政則は直政と忠吉が突撃したのに気づくと叫ぶ。

「遅れるな! 我々の力を見せてやれ! 」

 そう言って部隊共々突撃した。さらに宇喜多隊に向けて銃撃する。

 この銃撃をきっかけに各方面でも戦闘が始まった。こうして関ヶ原の戦いの火ぶたが切って落とされたのである。


 直政は福島隊が宇喜多隊に攻撃を仕掛けたのを確認すると、忠吉に声をかけた。

「一時下がりましょう」

「下がる? しかし福島殿が」

「あくまで我々は不意を突いたまでの事。これ以上は被害が増えます。一度体勢を立て直すべきかと」

「そうですか。ならば義父上に従いましょう」

 忠吉は頷くと直政と共に兵を下がらせた。そして体勢を立て直すと再び西軍に向かっていく。

 戦いの戦況は一進一退と言うべきで東軍西軍ともによく戦った。しかし最終的には西軍からの寝返りが起きて東軍の優勢となる。

 忠吉は戦いの趨勢が決まったと感じると安堵の息を漏らした。

「なんとか初陣はうまくいったか」

 そこに直政が駆けつける。

「忠吉様」

「おお。義父上」

「いや見事な戦いぶりでした」

「いやなんの」

 直政に褒められて忠吉は照れた。そんな忠吉をさらに褒める。

「殿もお喜びでしょう」

「だと良いのですが」

「きっとそうですよ。もう戦いも終わります。あとは万一に備えて殿の周りを固めましょう」

「そうですね」

 そう言って忠吉と直政は家康の本陣に向かおうとする。すると

「ん? 」

 忠吉の耳に激しい地鳴りが聞こえてきた。思わず忠吉は音の方を見る。そして愕然とした。

「な、なんだあれは」

 そこには家康の本陣向って突撃する一団があった。驚く忠吉だがすぐに叫ぶ。

「義父上! 急ぎましょう! 」

「ええ! 勿論のこと」

 二人は兵を連れて謎の一団に向かっていった。

 

 この時家康の本陣に向けて駆けていたのは島津義弘率いる部隊である。島津義弘は西軍であったが作戦の不一致等で積極的に動かなかった。

 やがて西軍が潰走するにあたり戦場を離脱することを決意した。そして義弘率いる島津軍は敵中を突破して戦場を離脱しようとしたのである。だから家康の本陣に向けて突撃しているわけではない。

 忠吉と直政が目撃したのは離脱中の島津軍であった。しかし敵中を突破して離脱するという前代未聞の作戦を忠吉たちが知る由もない。

「あれは島津殿? まさか破れかぶれになって父上の陣に突撃するつもりか」

 傍から見れば島津家の動きはそう見えるものだった。驚いた忠吉は全力で島津家に追いすがる。

「忠吉様! 無理はいけませんぞ! 」

 直政は自分の前をかけていく忠吉に追いすがった。直政もまさか島津家が戦場を離脱しようとしているとは思わない。しかし本陣に突撃して玉砕するというのも考えられなかった。

「(いったい何を考えているのだ? 島津殿は)」

 そう疑問に思ったがすぐに忠吉を追いかける。

「(どう動こうとも追撃せぬ訳はないな)」

 そう考え直政も島津家を追撃する。

 一方島津家からしてみれば戦場から離脱しようとしてみれば、必死で追撃してくる敵に捕まったという感じであった。ここで島津家は大将である義弘を逃がすため義弘の甥である島津豊久を中心として追撃を食い止める。

「どんな手を使ってでも叔父上を薩摩に返す! 皆の者! 奮起せよ! 」

 この時豊久らはその場から動かず忠吉たちを迎え撃った。彼らはその場で死ぬ覚悟である。

 追撃する忠吉はここで島津勢が本陣に突撃するつもりでないと気付いた。しかし追撃を止めるつもりもない。

「(せめて首の一つでも取らなければ)」

 そう考えていると島津兵の一団がこちらを待ち構えていた。そして発砲してくる。

 弾は忠吉には当たらなかった。しかし忠吉隊は少し怯む。するとそこに向けて島津兵が襲い掛かってきた。

「何!? 」

 忠吉は驚嘆した。銃撃してこちらをひるませるまではわかるが、こちらに突撃してくるのは理解を超える行為である。

「この者たちはここで死ぬ気か? 」

 襲い掛かる島津兵を切り倒しながら忠吉は言った。

 死を決意し襲い掛かる兵は強い。数で上回る忠吉隊も劣勢に追い込まれる。

「くっ! だが私は死ぬわけにはいかない! 」

 忠吉の脳裏に浮かんだのは家臣たちと愛しい妻であった。家臣や妻のためにここで死ぬわけにはいかない。忠吉は襲いかかる島津兵を切り倒していく。さらに

「忠吉様! 無事ですか」

「お助けに参りました」 

 直政が本田忠勝を連れてやってきた。忠吉たちは島津兵を蹴散らすと再び追撃を始める。だがその前に再び島津兵が立ちふさがった。

 以前と同じく銃撃する島津兵。だが今度は玉が一発忠吉に命中した。

「ぐはっ! 」

 忠吉は肩を討たれてしまった。その痛みに悲鳴を上げそうになるが必死でこらえる。さらに襲い掛かる島津兵に向けて立ち向かっていった。

「死んでたまるかぁぁぁ」

 忠吉は咆哮しながら敵を切り倒す。

「殿を死なすな! 」

 忠吉の家臣たちも必死で忠吉を守る。

 こうして壮絶な死闘を続ける島津兵と忠吉たち。何とか島津兵を退けるが味方はかなり疲弊していた。さらに直政も負傷している。

 この状況を見て忠勝は言った。

「忠吉様。これ以上の追撃は無用かと」

「…… わかりました」

 実際忠吉自身の傷も深い。これ以上の追撃はあきらめるしかなかった。

 こうして後に島津の退き口と呼ばれる死闘は終わった。忠吉たちは島津家臣を多く打ち取ったが大将である義弘には逃げられてしまう。忠吉も直政も傷を負った。結局のところ痛み分けと言った終わり方であった。


 戦いが終わり忠吉は父家康に目通りをした。家康は初陣ながら素晴らしい戦いぶりをした忠吉をほめる。

「全く見事なものじゃ。これからも徳川を支えてくれい」

「もちろんです。父上」

 忠吉の部隊は島津家臣を数名討ち取っている。初陣の場としては素晴らしい成績であった。この功績からか忠吉は尾張に転封された。石高は六十二万石。大幅な加増であった。

 こうして忠吉は父の期待を上回る形で初陣を終えたのである。忠吉は領地に帰ると政子に傷を見せて言った。

「無事とは言えぬが生きて帰ってきたぞ」

 政子は泣きながら忠吉に抱き付いた。

「良く生きて帰ってきてくれました。政子は嬉しくて嬉しくて…… 」

「ああ。心配話かけてしまったようだな。すまない」

 そう言って忠吉も政子を抱きしめた。

 後日、家康は重臣を集めて後継者を決める会議を開いた。この場で直政と忠勝は後継者として忠吉を挙げたという。

「忠吉様の初陣は素晴らしかった。この後必ず偉大な将になります」

 直政は誇らしげに義理の息子をほめたたえた。

 しかし後継者に選ばれたのは秀忠であった。

「確かに忠吉の勇は素晴らしい。しかしこの後の世に必要なのは世を治める才である。秀忠にはそれがある」

 こうして後継者は秀忠になった。

 秀忠が後継者になったことを知った忠吉は喜んだ。

「これで兄上もご安心なされるだろう。よかったよかった」

 そして改めて決意する。

「これよりは父上や兄上、さらには徳川の家を盛り立てるために力を尽くそう」

 そう誓うのであった。

 しかし関ヶ原の戦いから七年後の慶長十二年(一六〇七)忠吉は病を患い急死してしまう。享年二八歳の若さである。

 忠吉と政子の間に子供はいなかった。そのため領地は弟の義直が継ぐことになる。

 義直が継いだ尾張徳川家は御三家と呼ばれ徳川幕府において重きをなすことになる。



 この話にある通り松平忠吉は関ヶ原の戦いが初陣でした。しかし初陣で島津の精兵とやりあったのはある意味不幸ともいえます。しかも島津の捨て奸を目の当たりにしたわけですからトラウマになってもおかしくないと思います。

 結果生き残り忠吉の初陣は上出来といった形になりました。しかし義父の直政共々負傷もしていますし、直政に至っては傷がもとで関ヶ原の二年後に死んでしまいます。忠吉も若くして死ぬわけですがこうなると怨念のようなものも感じてしまいますね。

 さて次の主人公は明応の政変の前後に活躍した人物です。この年代の武将は何人か取り上げていますが、その中でも個人的に気になっていた人物なので書く方も楽しみにしています。読者の方々もお楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡ください。では

 

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