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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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細川氏綱 解呪 第十二章

 氏綱が関わることなく長慶は政長を倒した。うろたえる長教とは別に気にしてはいなかった氏綱。しかしこの後で氏綱はむなしい現実を知ることになる。

 政長を打ち破った長慶はひとまず榎並城に入った。正確には政長を討ち取った勢いで攻め込んだのだが、すでに政勝達城の将兵の姿はなかった。政長が討たれたのを知るや急いで撤退したようである。

「抜け目のない御仁だ」

 長慶は素直に感心した。政長が敗戦したことで晴元も撤退している。河内は現状氏綱、長慶方の勢力圏になるのだから城にとどまる理由もない。当然の、真っ当な判断であろう。

 さて政長撃破の数日後、氏綱が手勢を率いてやってきた。その兵数は大分少なく付き従っているのも氏綱の家臣しかいない。長教ら畠山家の家臣がいないのだ。

「長教殿はどうされたのですか? 」

 長慶は素直に疑問を口にした。これに氏綱は苦笑しながらこう返答する。

「私はともに来てもらいたかったのだ。これまで私を支えてくれた功もある。しかし断られてしまった」

「そうですか。氏綱様の上洛にあたってはともに私と共に脇を守っていただきたかったのですが」

「私もそれでよいでしょうといったのだが。いろいろと心に瑕疵があるらしい」

 この物言いに今度は長慶が苦笑した。現状長教は色々と自分の立場を気にしているようである。これまでだいぶ思い通りに事が運んだ分、長慶の実質単独での勝利に大分衝撃を受けているようであった。

 氏綱としては長教にも共に上洛してもらいたかったが、断られてしまっては仕様がない。

「これより京に向おうと思う。よろしく頼む。長慶」

「承知しました。ただ晴元様のことは」

「分かっている。それは任せよう」

「ありがたき幸せにございます」

 こうして氏綱は上洛することになったのだが、ここで思いもよらぬ事態が起きてしまう。


 氏綱と長慶は京に向かって進軍した。そしていざ京に入ろうというところで驚くべき知らせが長慶の下に届く。それを氏綱に伝える長慶の顔は青かった。

「氏綱様。大変なことになりました」

「どうしたのだ? 晴元殿が京の御所に立て籠りでもしたのか」

 撤退した晴元が京に退いたという情報は氏綱も知っている。ゆえにそうした考えが浮かんだのだ。

「(もしそうだとしたら長慶の顔が青いのも分かるな)」

 せっかく直接戦わずに済んだのに晴元が京での戦いを選んだのならば、長慶の目論見も水の泡である。だったら顔が青いのもよくわかるというものであった。

 ところが実際はそれ以上の問題が発生しいていた。

「晴元様が義晴様と義藤様を連れて京を出ていったようです」

「何だと…… 」

 長慶の報告を聞いて今度は氏綱の顔が真っ青になった。義藤は義晴の嫡男である。じつはかつて坂本に避難していた時に義晴は将軍の座を義藤に譲っていた。その時、氏綱はもちろん晴元もろくに関わることが出来ず定頼が取り仕切っている。ある意味で義晴の独立心の現れても言える行動であった。それはともかく長慶によれば晴元は京に退くや否や義晴と義藤を連れて坂本に落ち延びたのだという。

「長慶よ。義晴様は病であったと聞くが」

「はい。このところ体の調子が思わしくなく表に出ることもありませんでした。そんな義晴様を御所から動かすとは」

「晴元殿も必死なのだろうがなんということを。義晴様も抵抗できなかったのだろうな」

「おそらくは。なんにせよこのようなことをなさるとは…… 信じられませぬ」

 長慶は憤っていた。そもそも三好長慶という男は君臣の関係を大事にし、家臣は主君に尽くすべきという考えの男である。その考えて晴元に尽くしてきた。今まで晴元の命だけは守ろうという姿勢できたのである。

 こうした思想の男にとって今回の晴元の行動は問題であった。晴元が義晴たちを連れて近江に逃れたのは氏綱や長慶に対抗するため、幕府の大義名分を保つための行為である。だがそのために主君である義晴を病にもかかわらず移動させた。これは家臣が自分のために主君を蔑ろにしたと言っていい行為である。

「晴元様は公方様を何だと思っておられるのだ」

 長慶は珍しく感情を露わにして憤っていた。青い顔が一転して真っ赤になっている。そんな長慶に氏綱は素直に驚いた。

「おぬしもそのような顔をするのだな」

「いえ、お恥ずかしい限りです」

「しかしこうなるとやっかいであるな」

 現将軍である義藤も前将軍で実権を握っていた義晴もいない。そうなると氏綱は管領になれないのだ。しかしここまで来た以上は京に入らないわけにはいかない。

「ひとまず京に入り残っている奉行たちと話すべきだと思うが」

「それでよいと思います」

 悲願はさておきとりあえず京に入る氏綱であった。


 上洛し京に入った氏綱であるが管領にはなれないでいる。これに対して氏綱は不満や不満が無いわけでもない。だが将軍不在なら管領である晴元もいないとなると、誰かが行政を担わなければいけなかった。

「ひとまず京の情勢を安定させなければ。長慶。頼みにしているぞ」

 氏綱としては晴元の重臣として畿内の行政にもかかわった長慶に寄せる期待は大きい。しかし長慶は京を出ていかなければならない事情があった。

「申し訳ありませぬ氏綱様。摂津で伊丹殿がまだ抵抗を続けております。これを制さなければいけませぬ」

「そうか。それももっともだ。四国の衆に頼るばかりではいかぬからな」

 摂津の伊丹親興は晴元の撤退後も降伏せず長慶たちに敵対していた。これに一存達四国衆が対応しているが、長期の在陣は心身の負担になっているようである。当初の目的である政長撃破が叶った以上は撤退を望むのも無理はなかった。

「私はこれより畿内の手勢を率いて親興殿を囲むつもりです」

「親興殿は私を認めぬという事か。それならば私が降伏するように言っても聞かないだろうな」

「氏綱様を認めないというより、晴元様に味方した以上は退けないというわけでしょう。さすがにどこかであきらめてくれるでしょうが」

「分かった。ならば向かうといい。もし私の力が必要ならば申し出よ」

「ありがたき幸せにございます。では」

 そう言って長慶は出ていった。残された氏綱は改めて自問する。

「何も世の中は変わっておらぬ。争いは絶えず混乱も治まらない。私は何をすればよいのだろうか」

 一人嘆く氏綱。答えは出ない。


 長慶は摂津に出陣し伊丹親興の籠る伊丹城を囲んだ。しかし親興は頑強に抵抗する。近江に逃れた晴元たちも再起を目指して蠢動を始めた。氏綱もこれに対応し軍備を進める。幸い国慶に仕えていた家臣が氏綱のもとにも集っていた。彼らは京周辺の地理にも詳しかったので迎撃の準備も進む。

 こうした状況の中で氏綱は和睦を模索していた。晴元と和睦したいというより将軍である義藤とその父義晴を呼び戻したかったのである。

「御所に公方様が居られるのでは天下の静謐もままならぬ。ひとまず和睦し今後の細川家のことも晴元殿とお話ししたい。なんとかならぬのか」

 以前長慶に話した通り氏綱は管領の座につければ、そのあとを晴元の息子の譲ることに抵抗はない。それで細川家が再び一つになれればよいとも考えていた。

 だがこうした考えは周囲には全く理解されないでいる。特に国慶の家臣であった者たちからは猛反対を受けていた。

「国慶様は氏綱様が管領の座につき天下を静謐に導くことを望まれた。それを蔑ろにするようなことを氏綱様が申されるのですか」

 こうした声が旧国慶家臣たちの間から頻出したのである。さらに長慶も晴元との和睦に関して後ろ向きであった。だがこれはどちらかというと実現性の問題からの否定である。

「氏綱様は公方様の後ろ盾無しで戦い抜いてきたお方。ゆえに公方様というお方が側にいることの意味をよく理解で来てはおられぬ。晴元様が義晴様と義藤様を手放すわけがない」

 現状晴元方の士気は高いらしい。舅である六角定頼が積極的に後援しているというのもある。京をうかがう東山の裏山に中尾城という城を築きはじめ徹底的に戦う姿勢を見せていた。何より晴元は一切戦いをやめるつもりがない。

「私はあきらめぬぞ。高国の時と同じような目に氏綱を合わせてやる。長慶も絶対に許さぬ。私は絶対に勝ち京に戻るのだ」

 こうして両者譲れぬ状態が続く中、足利義晴がこの世を去った。

「細川家の争いに翻弄されただけの人生であった。私が残せたものなど何もない」

 義晴は中尾城に入りたがっていたがまだ築城途中であった。そのため坂本と中尾城の間にある穴太に入り、ここで亡くなったという。最後まで京に入ることをあきらめなかったようである。


 氏綱は京で治安の回復と維持に努めた。幸い国慶家臣たちや京に残留していた幕臣たちの奮闘で、氏綱の政は滞りなく進む。だがそれゆえに氏綱の中である疑問が湧き始めていた。

「私は管領になれていないのに皆は言うことを聞く。それは長慶の力があってのことだ。だからもし管領になれていたとしても長慶がいなければ誰も私の言うことを聞かないのではないか? 」

 かつて国慶は氏綱が管領になれば世の中は良くなるといった。だが今の氏綱はとてもそうは思えない。現状京のことは任されていて、氏綱にも一定の権限はある。だがそれを保証するのは長慶の軍事力であった。

「晴元殿や義輝様と和睦が済み私が管領になればこれも変わるのか。いや、そうではないだろう。結局力の強き者がいなければ将軍だろうと管領だろうと無力なのではないか」

 氏綱はそうした心境に至りつつあった。そして自分がなぜ管領なりたかったということも思い返す。

「私が管領になろうと思ったのは周りの皆に望まれていたからだ。父上は己の立場のため。養父上は己の系譜を残すため。植長殿や国慶殿もそれぞれの考えがあった。しかし私自身の意思はどこにもなかったのだ」

 それにやっと気づく氏綱。そしてそれゆえに引き下がれないことにも気づく。

「晴元殿を追って代わりに京に入った以上は管領になるしかない。管領になり天下を静謐に導かなければならないのだ。そのためには長慶の力にすがるしかない」

 そう思いいたる氏綱だが何の明るい未来も見えない。晴元に勝利し管領になったとしてもそれが形だけのものであるということも理解している。しかしもはや引き下がれないところまで来てしまっているのだ。

「私に天下を静謐にする力はあるのだろうか」

 そうつぶやく氏綱。それに答えてくれる者はいない。


 これまで氏綱と晴元は管領の座を争って戦ってきた、という話でした。ただこれに関して衝撃的な話があります。というのも晴元は管領の座についていないのではないかという説があるのです。これは当時の一次資料に晴元が管領の座についたという情報が存在しないというのが根拠です。だとしたらこの話は何だったのかという風になりそうですが、その点については分かりやすさを優先したということでご容赦を。

 さて京に入った氏綱は現実を認識することとなりました。その上で氏綱はいったいどのような結末にたどり着くのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では


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