細川氏綱 解呪 第十一章
いよいよ決裂した長慶と晴元。氏綱は長慶を自陣に迎え入れいよいよ天下分け目の決戦が始まる。だがその推移は氏綱の思いもよらぬものとなる。
いよいよ始まった三好長慶と政長の戦い。主な戦場となったのは摂津である。長慶は氏綱と長教に軍勢の支援を要請していた。しかし一方で氏綱の出陣は求めていない。
これには氏綱も長教も疑問を抱かないではない。
「ここは私が出ていった方がよいのではないか。そうすれ我らに味方する者たちの意気も上がるはず」
「その通りです。これはやはり長慶はこの戦いを細川家の内内の争いということにしたいのでしょうな」
「あくまで政長殿との争いに収めたいという事か。だが晴元殿は自ら出陣するつもりだろう。その時はさすがに私が出なければ」
「それはそうなのですが。ただ長慶もそこだけは覚悟は決まっておらぬようです」
ため息交じりに言う長教。これに氏綱も肩を落とす。
「私は結局主君と認められなかったという事か。いや、致し方のないことではあるが」
「長慶もそこは割り切ってしまえばよいものを」
「しかしそうなると晴元殿が出陣した時三好家の者たちは万全に戦えるのか」
「ご心配なく。そこは一つ手を打っておきましたので」
この長教の発言に驚く氏綱。
「いつの間に。いや、さすがではある」
「なに、この時のことを見越して動いていただけです。まあこの手はうまく行くでしょう」
そう一って自信満々に笑う長教であった。
摂津で軍事行動を始めた長慶。その目標は河内十七箇所と呼ばれる地域である。摂津と隣接する場所にあるこの地は、京と大阪を結ぶ要地であり畿内の最重要地域の一つであった。かつて三好元長が管理していた土地でもあり、今は政長が支配している。長慶は晴元の下に復帰してから幾度となく河内十七箇所を自分に任せてほしいと訴えてきた。それは自分ならばこの重要地域を治められるという自負と、亡き父の遺領ともいえる地域を治めたいという願いである。尤もその訴えは退けられ続け今に至った。
「まさかかの地に攻め込むことになろうとは」
長慶としては大分複雑な心境である。結局力ずくで取り戻すことになろうとは思ってもいなかったのだ。
「まあいいじゃないか兄貴。こうなったら俺たちの力を晴元に見せつけてやろう。親父殿の領地も奪い返すんだ」
意気揚々と言う一存。そして
「何にせよかの地は京、大阪を結ぶ要地。手に入れぬ理由はありません。まあそれは敵方も分かっているでしょうが」
怜悧に言う冬康。二人は長慶と晴元の中が決裂するや上陸し長慶の援護にやってきた。
「私が呼びもしないうちに兵を動かすとは。ありがたいが、いささか浅慮ではないか? 」
さすがの長慶も苦言を呈す。ありがたくはあるが機会を損ずれば状況が悪化しかねない行為である。
だがこれに対して冬康はその答えをあっさりと言った。
「遊佐殿から逐一情報が入ってきましたので。実休兄上が氏之様を説き承諾は得ております。だから何の問題もありません」
「応よ。遊佐の舅殿から兄貴の力になってくれと何度も書状が来た。何を当たり前のことを言っているんだと思ったがな」
そう言って豪快に笑う一存。これに長慶は苦笑いする。
「長教殿もいつの間に手をまわしていたのか。油断のならない御仁だ」
「遊佐殿は兄上が晴元様との戦いに乗り気でないのを承知なのですよ。だから私たちを呼び寄せたのです。兄上があの無能な主君に良いように扱われるのが、もう我らも我慢ならないのですよ」
長慶の弟たちは皆晴元に反感を抱いている。それは父元長を死に追いやった政長を重用していることだけでなく、長慶をいいように扱っているように見える行動にも理由があった。ゆえにやってきた二人は最大の好機到来とやってきたのである。
「私もやることをやるしかないか」
ため息を吐く長慶。だがこの時点でまだ覚悟は決まり切っていない。
長慶たちは河内十七箇所の制圧を目指す。差し当たって、目標となったのが摂津榎並城である。榎並城は十七箇所の近くにありこの地を管理する拠点であった。言い換えればここを攻め落とせば十七箇所の制圧は容易になる。無論そんなことは晴元も政長も分かっていた。だから長慶の離反が発覚して間もないころに将兵を送り込んでいる。
この重要な城を任されたのは政長の息子の政勝であった。政勝はこの地の守りを自ら志願して引き受けている。
「父子二代にわたる因縁もここで終わりにしましょう。そうしなければ我らの家だけでなく晴元様にも災いが及ぶでしょうし」
この息子の申し出に政長は上機嫌であった。
「よく言った。さすがは儂の息子。長慶のような愚か者とは大違いだ。お前が長慶めを討ち取れば冥土の元長も悔しがろう。儂もすぐに出陣して向かう。待っておれ」
父に送り出されて出陣した政勝だがその表情は険しい。政勝は父と違って長慶を一切侮ってはいない。
「長慶殿の将器は父上や俺を越える。まともに戦っても勝ち目はない。それに四国の一族の者たちもみんな長慶殿の味方だ。いくら父上が預けてくれた兵があるとはいえ戦えるものではない。ともかく父上や晴元様の救援をまとう」
政勝は時間が許す限り榎並城の防備を固め兵糧を集めた。そして籠城の構えをとって長慶の軍勢を待ち構える。
一方の政長は準備が整い次第出陣したのだが、ここで敵対する摂津国人衆の抵抗を受けた。そのため迂回する形で行軍し数少ない味方である伊丹親興の手を借りて榎並城に向かう。政長は自分が晴元の威光を背に出陣すれば敵対する摂津国人衆から離反者も出るだろうと考えたのだが、池田家をはじめとする政長に反発する一同は敵対をつづけた。
「愚かどもめ。長慶を討った後で目にもの見せてやる」
政長は親興の手を借りて敵対する摂津国人衆に攻撃を加えつつ榎並城の救援に向かった。その間榎並城は長慶に包囲されるが政勝の準備が功を奏したのか落城する気配はない。
この状況に冬康は素直に感心した。
「これは驚きましたな。政勝殿は政長殿より愚かではないようです」
「伊達に政勝殿も晴元様の下で戦ってきたわけではないということだ。ただこうなった以上は榎並城の包囲を続けつつ他の城を落とすべきか」
長慶は榎並城の包囲を維持しつつ周辺地域の制圧に移る。士気と練度で勝る長慶の軍勢は次々に城を制圧し救援に来た政長も追い返した。だが戦況が好転しているわけではない。この時晴元は六角定頼から援軍の約束を取り付け出陣したのである。この情報は長慶の耳にも入った。
「定頼殿がやってきたら一巻の終わりだ」
表情を変えずに言う長慶。その様子に弟たちや主要な将たちの緊張も一気に高まる。榎並城はまだ落城する気配はない。
戦況は膠着状態になっていた。長慶方は摂津の政長方の城を制圧して行ったが肝心の榎並城を攻め落とせないでいる。一方の政長方は晴元もいよいよ出陣してきたが、単独で長慶方に挑めるような状態ではなかった。六角家の援軍を待っている状態である。
ただこの時点で事態を打破できる手段を持っているのは政長方であった。この時点で定頼は息子の義賢に一万の兵を預け援軍に送ることが決まっている。一方で長慶はあくまで氏綱からの援軍をもらうつもりはなかった。あくまで自分と政長の戦いで終らせるつもりなのである。
こうした状況でいよいよ事態が動く。行動を起こしたのは意外にも政長であった。
「もう我慢できぬ。なんとか政勝を救援しなければ」
政長は何度か榎並城の救援に向かおうとしたのだがそのたびに止められていた。六角家が来る前に大規模な合戦に及んで敗北したらそこで終ってしまうからである。だが数か月間息子が攻撃にさらされているのを見て我慢できなくなったのだ。
「晴元様! おそらく長慶たちも疲弊しているでしょう。ここで攻めかかるべきです」
「落ち着け政長。六角家の援軍はほどなくやってくる。その時を待つのだ」
晴元をはじめ政長方の諸将は何とか引き留めようとする。しかし政長は聞かなかった。そこで協議の結果攻撃するのではなく、榎並城を救援できる位置にある江口城に入ってそこから政勝を支援するという方策をとった。そして政長はすぐに出陣した。禄に兵糧も持たず。
この性急な動きは長慶たちの耳にも入った。入ったのは出陣したという情報だけだが、長慶はあることに気づく。
「このような拙速な出陣では六に兵糧も持ってはいないだろう。これまで戦う機会がなかった江口城にも兵糧は少ないはずだ。これは好機となる」
長慶たちは政長が江口城に入るや否や兵を動かし江口城を包囲した。江口城は三方を川に囲まれた天然の要害を持っている。しかしこの川を封鎖されてしまうと補給の手段がほとんどなくなってしまうという欠点があった。そして川を封鎖することのできる戦力を長慶は持っている。
「冬康。頼んだぞ」
「お任せを。いよいよ我ら水軍の本領発揮ですね」
冬康は水軍を率いて川を封鎖。残りの一点も一存が封鎖して少ない兵で江口城の包囲は完了した。
この素早い封鎖で江口城には碌な兵糧もなく孤立する。政長も焦った。
「政勝の救援に出たのになぜこのようなことに。なんとか六角家の兵が来るまで持ちこたえなければ」
政長は何とか耐えようとするが兵糧はあっという間に底をつく。この状況の上退路を封鎖されていることもあり逃げ出す兵も出てきた。
この状況はまさしく長慶の待ち望んだ好機である。
「江口城の兵は減った。兵糧もなく士気もない。今しかない」
長慶の耳にも六角家の軍勢が近づいてきていることは入っている。これ以上の時間はかけられない。
「この一戦にすべてをかけよう。一存。頼んだぞ」
「任せろ兄貴。親父殿の仇を討って見せよう」
自由に動かせる兵を終結させた長慶は江口城へ総攻撃を始めた。
「(晴元様はいない。今しかないのだ)」
江口城にいるのは政長だけである。それが長慶に総攻撃をさせる理由にもなった。
一存を筆頭とした長慶勢の将兵は勇躍し存分に暴れた。士気も低く弱り切っていた政長勢の将兵はなすすべもなく討たれていく。
「まさかこのようなことに。い、いやまだだ。榎並城に逃れて政勝と再起するのだ」
政長は榎並城に逃げ込もうとする。しかし川は封鎖されていて逃げる隙も無い。やがて一存率いる軍勢に追いつかれた。
「親父殿の仇! 三好政長はどこだ! 」
一存の怒声が近づく中で政長も死期を悟った。
「な、なんで儂が。元長の倅どもに討たれなければならぬのだ」
嘆く政長であるがどうしようもない。政長は一存率いる部隊に追いつかれ討ち死にした。
こうして三好長慶と政長の戦いは終わったのである。
高屋城の長教は長慶勝利と政長戦死の報告を聞いて愕然とした。
「結局我らの援軍に頼らずに勝利したというのか? 己の力だけで」
長教は要請を受けて河内方面で若干の軍事行動は行っている。しかしこの勝利に貢献したとは思えないほどのものであった。
「我らの援軍や氏綱様のご出陣を求めずにか」
呆然とつぶやく長教。それもそのはずで長教としてはこの戦いでも存在感を示し来る氏綱の政治体制の中で一定以上の地位と影響力を確保しようと考えていたのだ。それが長教をここまで戦わせたことの理由の大半である。しかし長慶が事実上単独で勝利してはただただ長慶の存在感が上がるだけであった。
いまだ呆然としている長教に対し氏綱は冷静であった。
「政長殿は討ち取られたそうだが晴元殿はどうしたのだ。あと六角家の援軍も」
氏綱はそう長慶からの伝令に尋ねる。伝令はうれしげにこう答えた。
「晴元様は政長殿が討たれると城を出て京に下がったようです。六角家の軍勢も政長殿が討たれたと知ると引き返したようです」
「長慶殿はどうしている」
「摂津にはまだ敵対しているものも居るのでそちらにも兵を送ると申されていました。残りの兵で氏綱様と共に上洛するおつもりのようです」
「そうか…… 分かった。長教殿と共に準備を進めておくと伝えておいてくれ」
「承知しました」
そう言って伝令は出ていった。氏綱さいまだ愕然としている長教にこう声をかける。
「我らは蚊帳の外でしたな…… 」
これに長教は答えられない。まさしくその通りである。
「戦ったのは長慶殿と政長殿だけ。私も晴元殿も戦っていない。管領の座を争っているはずなのに」
そう言って氏綱はため息を吐いた。そして脳裏にはこんなことが浮かぶ。
「(管領の座というのはこれほど軽いものであったのか。これではあってもなくても変わらない。必要とされるのは実のある力のみなのか。私の求め続けたものはこの程度のものであったのか)」
ここで氏綱は頭を振る。脳裏に浮かんだ思いを否定する様に。
「まだ分からぬ。いざ管領になれば違うかもしれない」
そうつぶやく氏綱。これに長教は聞かれていないのに答える。
「ま、まさしくその通りにございます」
これには氏綱も苦笑するしかなかった。
今回の話において主人公の氏綱はほとんど何もしていません。そして氏綱と晴元が戦うことなく晴元は管領の座を追われます。まあそれは次回の話ですが。ともかく長慶と政長の戦いが結果的に細川家の命運を決めたわけです。そう言う意味でこの戦いは歴史の転換点でもあったのかとも思います。
さていよいよ管領の座につくことになった氏綱。その先に待ち受ける現実とは。お楽しみに
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




