細川氏綱 解呪 第八章
高屋城に追いつめられた氏綱は籠城して窮地を凌ごうとする。そのさなかで細川国慶の戦死を知った。一途に戦い続けた男の死をきっかけに氏綱に変化が訪れる。そして氏綱を取り巻く情勢も激変していく。
氏綱たちが高屋城に籠城してから数か月がたった。この間氏綱たちと範長たちは延々とにらみ合いを続けている。高屋城には兵糧も豊富で長期の籠城戦も可能であったのだ。ただその一方で立てこもっていた兵の数がそこまでの数ではなく兵糧の消費も少なくて済んだという事実もある。
一方範長の軍勢も城を攻め落とせるほどの兵力ではなかった。範長は晴元の援軍を求めることはしない。そもそも晴元にその気がないのを理解している。四国から兵を呼び寄せようとも考えたが渡海などの手間を考えれば難しかった。
こうしてまんじりともせず数か月がたったのである。この間情勢は不気味なほど静かであった。そんな中で秘かに動いていたのが将軍足利義晴である。
「高屋城に籠った氏綱はまだ戦っているらしい。となれば晴元との戦もまだ続くかもしれん。今氏綱や長教を失うのは痛手であるな」
義晴は晴元と和睦を結んだものの内心では反攻の機会をうかがっている。そのために氏綱と長教の存在は必要であった。そんな折に長教からの使者がやってきたのである。使者は長教から伝えられたことをそのまま義晴に伝えた。
「我らは一時退き体勢を立て直したいと考えております。ひとまず範長殿と和睦したく義晴様から六角定頼様へ仲介を命じていただけませぬか」
使者からの伝言を聞いて義晴は苦い顔をした。これはまるで氏綱たちが戦いをあきらめたかのようにも見える。
「立て直してその後はどうするのか。しかしこれ以上どうすることもできないのも事実か」
義晴はしぶしぶ納得し定頼に和平の仲介を命令、というか依頼した。名目上は将軍でも命令を聞かせるには力が必要である。義晴は自分のその力がないのを不承不承十分に承知していた。
そう言うわけで義晴は定頼に和睦の仲介を依頼した。これに定頼は全く気乗りしていない。それも当然で、定頼からしてみれば娘婿の仇敵をみすみす見逃せと言われているようなものである。
「義晴様。氏綱殿は近い将来討たれましょう。もはやあきらめた方がよろしい」
定頼としては義晴と晴元の体制が維持するのが望ましい。義晴には庇護した恩人として、晴元には舅として実質的な上位に立ち、陰から権勢を振るう立場になるのが望ましいのである。それゆえに義晴には打倒晴元をあきらめてほしかったのだ。
しかし義晴は引き下がらない。定頼は晴元にバレぬように義晴をなだめつつ高屋城が落城するのを待った。ところが氏綱たちは数か月にわたって耐え抜いて見せたのである。こうなってくると戦いが長期化する方が定頼にとって望ましくなかった。
「こうなれば仕方ない。この和睦をきっかけに細川家の争いを儂が止めれば、天下の実権も儂の手に移るか」
こうして腰を上げる定頼。これこそが長教の狙っていた展開であった。
「氏綱様。定頼殿が動かれました」
「そうか。それは重畳だ。長教の思惑通りという事だな」
定頼が和睦のために重い腰を上げたという報告は長教の下にすぐ入った。
「まずは範長殿と和睦する。そうだな? 」
「はい。それでひとまずはこの包囲も解かれ、体勢を立て直す時間が出来ます」
「そして和睦が成れば範長殿と晴元殿の間がさらに不和になるという事か」
「いかにもその通りにございます。さすれば範長殿も晴元様を見限るでしょう」
長教の考えていた策は、範長と晴元の関係を悪化させて範長を氏綱陣営に引き込もうというものだった。範長自身と率いる三好家の将兵が晴元陣営の最大の戦力であることは言うまでもない。それを引き込めれば戦況は確実に一転する。長教の考えた逆転の策はこれであった。そのための一手としての範長と氏綱、長教の和睦である。これは氏綱と長教をなんとしてでも排除したい晴元してはとれも受け入れられないことであった。おそらく晴元には従順である範長も受け入れがたいことである。
「しかし定頼殿の仲介があっては範長殿も受け入れられますまい。そして和睦を主導したのが範長殿であるなら晴元様は範長殿に疑念を抱く」
「そこを突いて範長殿を離反させる。それが長教殿の策であったな」
「その通りにございます。何か不安がおありですかな? 」
氏綱はどこか不安そうであった。長教は首をかしげる。
「いや、範長殿は晴元殿に兎角従順だ。他のものなら長教殿の思い通りに行くかもしれないが、範長殿はどうするか」
「ここにきて不満を申されても仕様がありませぬよ」
「そうではない。長教殿の策は見事だ。しかしさらに何か一手打てるならば撃っておくべきではないか。そう思ったのだ」
そう言われて長教は少し考えこんだ。確かにこれだけでは少し不安である。
「氏綱様の言うことはごもっとも。なればもう一つ手を打っておきましょう」
「打てる手があるのならば頼む。この機を逃してはならんのだ」
そう長教に頼み込む氏綱。その姿は以前と変わらぬ謙虚な姿ではある。しかしその言動から今までとは違う凄みを長教は感じていた。
「(これほどの凄みを持たれるとは。まあいいことではあろう)」
今までとは違う氏綱の様子に戸惑いつつも受け入れる長教であった。
天文十七年(一五四八)四月、六角定頼の調停のもと範長と長教の間で和睦が成立した。先年からおよそ八か月に及ぶ籠城戦の果てである。
この和睦において氏綱の処遇については一切協議されていない。定頼も範長も長教が氏綱を庇護していることを黙認した形である。長教は和睦の協議の際そこについては一切話には出さなかった。範長もそこについては何も言及していない。定頼もそうだ。少なくとも定頼は早期の和睦の実現を目指した形であるが、もう一つ思惑があった。
「この和睦を足掛かりにして細川家の内紛の調停もできればいよいよ晴元は儂に頭が上がらなくなる。そうなればいよいよ六角家の名も高まろうて」
定頼はこうした思惑を持っている。そしてこの思惑を実現させようとするうえで長教から出たある提案は喜ばしいものであった。
「貴殿の娘を範長殿の嫁に? 」
「左様。定頼様よりそのことを範長殿に伝えてはくれまいか」
「ふむ。それは構わぬ。むしろ良いことだろう」
長教は自身の娘を範長に嫁がせたいと定頼に申し出た。氏綱の最大の後援者である長教と、晴元家臣で最大の実力者である範長が縁戚となれば定頼の目指す晴元と氏綱の調停にも利がある。そう考えれば断る理由はない。範長もこの提案については前向きであった。
「先年妻と離縁することになってしまいました。妻を新たに迎えることには文句はありません。細川家の争いを抑えるためになるのならむしろ望むところです」
範長は丹波の波多野家から妻を娶っていた。しかし不仲であり父の代からの因縁もあったので離縁する羽目になっている。
こういうわけで三者の思惑は一致し和睦は成立した。範長は高屋城を包囲していた兵を退き上げる。その際長教は範長にこう声をかけた。
「これより我らは義理の親子。何かあればご相談くだされ」
せいぜい人の良い笑みを見せる長教。そこに何か隠れた意図があるのは良くわかる。もっとも範長もそれは承知済みである。
「ありがとうございます義父上。この後はお互い主家の平穏のために尽くしましょう」
「それはもちろん」
お互い本心は晒さず絶妙な笑みで言葉を交わした。
範長が去った後で氏綱は長教に尋ねた。
「範長殿の様子はどうだった」
「この縁談に何か含みがあるとは感じていたようです。まあ実際はあれ以上のことはないのですが」
「そうだな。むしろ今後のことに含みがあるわけだ」
「ええ。まあなんにせよここから先は晴元様の動き次第になりましょう」
「晴元殿はこの和睦をどう感じるかな? 」
「まあ不快でしょう。定頼様が仲介されたことも相まって」
「なら自体は早々に動くかもしれないか」
氏綱は、事態は早々に動くかもしれない、そう言った。実際自体はすぐに動くことになる。
和睦の翌月の天文十七年の五月のことである。摂津の国人池田信正が晴元の屋敷に呼び出された。信正はこれを釈明と叱責のための物であると考えた。
「先だって氏綱様に味方したことを晴元様は怒っておられると範長殿は申されていた。気さんは許されたが何らかの罰はあるかもしれぬ。隠居させられるかもしれぬ」
信正は氏綱が挙兵した時降伏した国人の一人である。池田家は摂津でも大きな家であったので、その時の晴元の痛手も相当大きかった。また信正は政長の娘を妻に迎えている。そう言うわけで晴元方と縁の深い立場でもあった。呼びだしたのも政長である。政長は
「先だっての件で晴元様が信正殿を直々に呼びだせとのことだ。儂も同道するから心配するな」
とのことである。
晴元直々の呼び出し。そこを考えると釈明させたうえで何らかの罰を下す、というのも十分に考えられた。
「まあ長正はもう元服している。家臣との仲も良い。ここで隠居するのも良いだろう」
信正の息子、政長からしてみれば孫にあたる池田長正はすでに元服していてしっかり働いている。もう家督を譲っても問題ない状態である。
「政長殿もそれを望んでおられるようだしな。裏切った私が主のままよりいいかもしれん」
そんなことを考えながら晴元の屋敷に向かった信正。だが待ち受けていたのは想像を絶する事態であった。晴元の屋敷の門前に到着した信正を迎えたのは完全武装の兵士であった。この異常事態に戸惑う間もなく信正は供の家来と共に捕らえられてしまう。そして晴元の屋敷の庭に引きずり出された。庭を望む一室には晴元が鎮座している。その横には政長の姿があった。
当然信正は叫んだ。
「こ、これはいったいどういう仕儀ですか?! 」
これに対して晴元は冷然と答える。
「貴様にも覚えがあろう。私を裏切っておめおめと帰参できると思っていたのか」
「そ、それは。ですが釈明もできずいきなり捕らえられ引きずり出さすというのは侍の成すことでは…… 」
「黙れ! 」
政長が一喝し信正の言葉を遮った。そしてこう続ける。
「儂の娘を娶り一門の扱いにしてやったのを忘れた貴様こそ侍にふさわしくないわ。ここで腹を切って詫びるがいい」
そう言う政長の声から信正は怒りを感じなかった。あるのは嘲りと嘲笑、そして何かこの先のことを期待するような声色である。ここで信正は気づいた。
「(政長殿に謀られたか)」
池田家は摂津でも最大の国人である。そして池田家の嫡男は政長の孫。さらに今池田家には政長に近しい家臣も何人かいた。政長は池田家を我が物にするため信正を排除しようと考えたのである。その手段として離反を理由にした誅殺なら体裁は整っていた。なにより晴元が信正の行動に怒り心頭なのである。
信正はすべてを悟り覚悟を決めた。
「(政長殿を信じのこのこ出向いた私が間抜けであったのだ。こうなるのも仕方ない。後は頼むぞ長正)」
覚悟を決めた信正は晴元の眼前で見事に腹を切り果てた。供をしてきた家臣たちも殺されたようである。
「これで池田家は儂のものだ」
思惑通りに進み満足げな政長は欲深な笑みを浮かべる。ところがこの後事態は思わぬ方向に進む。
池田信正切腹の報は瞬く間に摂津の国人たちの間に広がった。そして誰よりも衝撃を受けたのが嫡男の長正である。
「御爺様は父上を庇ってくれなかったのか」
長正も呼び出された理由が先だっての件であることは理解している。そしてその件で罰を受けるかもしれないとほかならぬ父から聞いていたのだ。だとしてもそれで死を仰せつかったのなら政長は何故かばってくれなかったのか、という疑問は浮かぶ。
信正切腹後に池田家には政長が家督を継ぐようにという通達も来た。信正の男子は長正しかいないから当然ではある。しかしそれに付随して
「特定の家臣の言うことをよく聞くように」
という命令があった。この特定の家臣とは政長に近しい者のことである。これが何を意味するか。それはすぐにわかった。
政長に近しい家臣は我が物顔でふるまいだし長正の意向を無視することさえあった。そしてそのたびに
「これは政長様のご意向にございます。政長様のために働けば池田家の行く末は何も心配することはありませぬ」
などと言った。これではだれが池田家の当主かわからない。
その上池田家にあった宝物も政長に献上されてしまった。これには無論長正も抗議する。
「池田家に代々伝わる家宝を何故御爺様に献上しなければならぬのだ」
この長正の訴えは無視された。すべては政長の為でそれが池田家のためになる。その名目で押し通したのだ。
こうした池田家家中の動きは摂津中に広まった。そして長正への同情も日に日に強くなる。もともと政長の評判が最悪であったのに加え、政長の孫でありながら池田家の当主として家を守ろうとする長正への評価が高くなってきたのである。
こうして摂津で政長の不満が高まる中で摂津の国人たちはある決意をする。そしてその決意が氏綱や長教、範長を巻き込んで大きなうねりになっていくのであった。
今回の話であまり氏綱の出番はありませんでした。それも仕方のないことでここから先は三好範長、のちの三好長慶の時代になり細川家も少しづつ歴史の隅に追いやられていきます。ただその中でも氏綱は確かに存在感を示していきます。いったいどうなるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




