細川氏綱 解呪 第六章
遊佐長教の後援を受けて挙兵した氏綱。今回は万事順調に行き晴元を京から追い払うことに成功した。だがここから晴元たちの反撃が始まってしまう。
氏綱は河内で上洛の準備を始める。ここに良い情報と悪い情報が一つずつ入ってきた。いい情報は将軍足利義晴が氏綱を支持することを決めたというものである。これは長教が主導したことで、国慶の上洛に合わせて義晴の下に使者を送っていたのだ。
「私の知らぬうちにそのようなことを。さすが長教殿だ」
事後承諾という形になったが氏綱は気にしなかった。結果として義晴の支持を引き出しているのだから長教を責める理由はない。
長教もこれには自慢げである。
「義晴様と晴元殿が不和であるというのは聞き及んでいましたので。国慶殿が入京できれば義晴様がこちらに味方するのは必然。いやはやうまく行きました」
「義晴様がこちらの味方になるということは私が管領に任じられる流れになるかもしれないな。そのためにもまずは上洛しなければ」
「その通りです」
うなずく長教。しかしそこで二人は頭を抱える。
「私としては早く上洛したい。しかし範長殿が四国の衆を引き連れてきたというではないか。そうなるとあまり軽々に動くのもよくないか」
「私がここに残り氏綱様が上洛するという方法もありますが」
「いや、長教殿はこれより義晴様と直接会っていろいろと話し合うことになっているのだろう? それを反故にするわけにはいかない」
長教はこの後義晴の下に向かい今後の調整をする予定であった。義晴が長教自身と話し合いたいと言ってきたからである。
「私はひとまず河内に残る。摂津の衆は大半が味方だから何も心配はいらない」
「そうですね。今の我らの戦力なら四国の衆にも引けを取りますまい」
「長教殿は義晴様のことを頼む。義晴様が挙兵までしてくれれば大義はこちらにある。それを実現すれば我らの勝利もいよいよ近づくということだ」
「左様で。では行ってまいります」
「頼んだぞ」
その日のうちに長教は義晴の下に向けて出立した。氏綱は河内に残り範長との戦いに備える。だがここで範長は思いもよらぬ動きを始めたのであった。
氏綱が河内で範長の動きを注視していた。一方の範長は四国から来援した将兵たちと合流する。この四国勢の中核をなすのは範長の弟たちであった。
まず三好家の本拠である阿波の将兵を率いる三好家次男の三好実休。
「まったく大変なことになりましたな。兄上」
続いて淡路(現兵庫県淡路島)の安宅家の養子になり淡路水軍を率いる三男安宅冬康。
「我ら兄弟がみな揃わなければならぬ事態とは。急ぎ対策を練りましょう」
最後は讃岐(現香川県)の十河家の養子に入り鬼十河の武名で名高い四男十河一存。
「兄貴たちは何を気の小さいことを言っておるのだ。俺たち兄弟がそろえば何も恐れるものなどないだろう」
こうした集った弟たちの姿を見て満足そうに範長は笑った。
「皆よく来てくれた。本当ならば久々の再会を祝いたいのだがな」
「そのような暇がないのはよくわかっています。ここまでの不利な状況になるとは思ってもいませんでした」
冬康が怜悧な声で言った。その遠慮ない物言いに苦笑する範長。一方一存は範長をかばうように言った。
「別に範長兄貴のせいではないだろう。晴元が兄貴に碌な兵をやらないからこんな事態になったんだ。俺たちをはじめから呼んでいればこんなことにはならなかったんじゃないか」
「そんな簡単に四国の衆を呼べるわけないだろう。私だって範長兄上を非難しているわけではない。この事態を冷静に受け止めているだけだ」
「まあ二人ともよせ。兄者も気にしてはいないのだろう」
実休が二人の間に割って入る。二人も喧嘩している場合ではないのは分かっているので黙った。二人が黙ったのを見ると実休は範長に尋ねた。
「して、兄者はこれからどう動くか考えているのだろう」
「ああ。まずは摂津を落とす。兵がそろい次第すぐに」
「さっさと城の一つでも落として他の連中をビビらせようってことか」
「そうだ一存。だが時間はない。おそらく義晴様は氏綱様に味方されるだろう」
「そこは俺も聞いているな。まあ晴元様と不和であったと聞いているし妥当だろうな」
「今水軍を総動員して四国の兵をこちらに送っています。ほどなく終わりましょう」
「そうか。ならば兵が集まり次第動くとする。今回の戦は素早さが肝要となる。皆の力を頼むこととなる。任せたぞ」
範長の言葉に三人はうなずいた。こうして三好兄弟たちの反撃が始まることになる。
年が明けて天文十六年(一五四七)晴元方の巻き返しが始まった。と言ってもその中心は範長率いる四国勢であり範長の巻き返しと言って過言ではないかもしれない。範長は兄弟たちとの協議通り先ず摂津の奪還を行うことにした。
前年のうちに集結していた四国勢は範長に率いられて摂津に侵出する。そして二月には原田場、三月には三宅城を開城させる。この両者とも力攻めであり圧倒的な軍勢の前に攻め落とされる前に降伏した形であった。一方で範長は降伏した城主たちを許している。
「敵対するのならば容赦はしない。だが城が攻め落とされる前に降伏するのならば領地は保障しよう」
範長は二つの城を攻めながらそうしたメッセージを無言で示したのである。これに当然摂津の国人たちは動揺した。
こうした動きに対して氏綱も黙っているつもりはなかった。氏綱は戻ってきた長教と協議する。
「まだ摂津に味方する国人は残っている。その者たちと共同し範長殿と一戦交えるべきではないか」
これに長教は難色を示した。
「範長殿の四国勢は手ごわい。今は京を確保しているし義晴様も味方されている。近々義晴様も挙兵されるから予定です。そうなれば国人たちの動きも変わりましょう」
「しかしただ手を拱いているわけには」
「ここで一戦交えて勝てればそれでよいのです。しかし敵方の数は我らより多い。ここで戦をして負ければ再度たちあがることもできなくなりましょう。義晴様が挙兵すれば大義はこちらにあります。さすれば味方する者も増え晴元様や範長殿を追いつめられるはず。ここは先ず我慢を」
そう長々とまくし立てる長教。これに氏綱は反論できず不承不承黙った。だがその内心はかなり焦っている。
「(もう少しで管領になれるという所なのに。ここで手を打たなければすべてご破算となってしまう。なんとかしなければ)」
三宅城が落城した数日後長教の言っていた通り義晴が挙兵した。だがここで同時期に近江の雄六角定頼が晴元に味方する姿勢を示す。定頼は晴元の舅でありこれまでも味方してきた。一方で将軍家との関係も重視している。そのため今回六角家は最終的な調停の段階で動くだろうと考えていたのだ。だがここでそれが破綻したのである。
「これは…… これはいかぬ」
これまでにない暗い顔を青くする長教。実際六角家の参戦で摂津の国人たちはほぼ晴元方に帰参した。ここで形勢は一気に逆転してしまったのである。
摂津を失った氏綱たちは国慶や義晴との連携が満足にとれなくなった。この隙をつき晴元は自ら出陣、国慶は京を追われてしまう。義晴も不利を悟って近江に逃れた。残す氏綱方の勢力圏は河内のみになってしまう。
「もはやこうなれば打って出るしかない。範長殿を打ち破り摂津や他国の国人たちを心変わりさせるしかない」
悲痛な表情で氏綱は言った。実際それぐらいしか手段はないのである。長教も頷くしかなかった。
「我らに援軍は期待できません。ですが今の兵たちで何とか範長殿の軍勢に対抗できるぐらいはありますが」
「順昭殿からの援軍も期待できないか」
氏綱はため息を吐いた。挙兵の時は兵を送ってくれた筒井順昭だが、今は大和の敵対勢力との戦いに戦力を割り振っているらしい。援軍の余裕などないようであった。
あと他に味方と言える存在と言えば畠山家の領地である紀伊の勢力である。だが今から援軍を要請したところでとてもではないが間に合わない。
「兵は拙速を尊ぶべし、という事か。範長殿の攻めが見事であったという事か」
今思ってみれば有効に動ける機会はいくらでもあった。しかしそれをせずにしているうちにこの事態である。氏綱からしてみれば後悔しかない。
「せめてここから出て摂津に入っておくべきだったかもしれない。いや、今更それを言っても仕様がないか」
改めて大きなため息を吐く氏綱。後悔しても仕切れぬことばかりであった。
「義晴様との連携をあてにしすぎた私にも責任はあります。氏綱様の責ではありませぬよ」
「いや、私が将である以上、責は私にある。管領という天下の政に携わる存在になるべきものが、己の責から逃げるようなものではあってはならぬのだ」
強い決意の籠った表情で言う氏綱。これを見て思わず長教はつぶやく。
「本当に見事なお覚悟です。まったく本当に晴元様とはまるで器が違いますな」
長教の知る細川晴元というのは知恵も優れている面もあるし目標達成にかける熱意もある。しかし一度管領になってからはその座を守ることに狡知を巡らせ、奸臣の言葉に耳を貸すことも多々あるという有様であった。正直長教から見れば管領の座にふさわしくないようにも見える。それは晴元の家臣でも同じように考えていそうであった。特に範長は表面上は従順ではあるが不満を抱えているという。
「ふむ。そうなると…… 」
長教はあることに思い至りつぶやいた。
「いったいどうした? 」
急なつぶやきにある種の期待も込めて尋ねる氏綱。だが長教は首を横に振った。
「申し訳ありませぬ。別に打開策が浮かんだというわけではありませぬ」
「そうか…… 」
「ですが、もしかするとこの先状況を一変させる手になりうるかもしれませぬ。ただまずは目の前の戦に」
「そうだな。この戦に勝たなければ明日はないのだ」
悲壮感を漂わせつつつぶやく氏綱。これに長教は「生き残りさえすれば道はある」と、言おうと考えた。しかし黙る。
「(この策は、今はできない)」
長教の頭の中にはある考えが浮かんでいた。しかしそれを口に出すにはまだまだ不確定要素が多いのである。悲壮感漂う氏綱に目を向けながら長教は黙った。さすがに内心それを謝ってはいたが。
範長の軍勢が河内に迫りつつある中で氏綱たちは合戦の準備を進めていた。そんなとき長教がこんなことを言い出す。
「此度の戦、氏綱様は城にとどまってもらえませぬか」
「何を言うのだ。決戦に総大将が出ていかないでどうする」
「それを言えば晴元様も出てきてはいませぬよ」
「それはそうだが」
戸惑う氏綱。だが長教の目を見て何か察する。
「(長教殿は何か考えがあるのか。それには私がここに残らなければならないという事か)」
しばらく考え込んで氏綱は長教に言った。
「分かった。将兵も畠山家の者も多い。長教殿が指揮を執る方がよかろう」
「その通りにございます。氏綱様は城で我らの勝利をお待ちください」
こうして長教の指揮のもと畠山家の将兵たちは出陣した。この時の長教はこれまでにないくらい緊張している。
「勝てばよし。負けてもあの手がうまく行けばそれでよし。それにはまずこの戦で生き残ることが肝要ではあるな」
長教は出陣にあたってある一手を打っていた。それがうまく行くかは未知数である。しかし長教の知る通りの流れであれば必ずやうまく行くはずであった。
「すべてはこの戦ののちのこと」
やがて長教の軍勢と範長の軍勢は摂津の舎利寺周辺で激突した。天文十六年七月のことである。両吟は激しい戦闘を行うが範長方が優勢であり、最終的には多数の損害を出して長教は撤退した。だがこれで長教が確信したことがある。
「範長殿と四国衆の軍勢は強い。だがそれこそが…… 」
長教はうまく逃げ延びて高屋城に退避した。氏綱は長教を迎え入れる。
「よくやってくれた。敗北したのも致し方ない。して、この後のことを考えてあるのだろう」
「はい、ですがこれを成すには少しばかり時がいりまする」
「分かった。それで私はどうするべきか」
「詳しいことは後で説明します。が、いかなる策かということだけは申し上げておきましょう」
「そうか。どのような策だ」
氏綱の問いに長教はこう答えた。
「三好範長殿をこちらに引き入れます」
戦国時代の初期からここまでにかけての戦国時代は正に混沌の時代です。一つの闘争が終わればすぐに新しい闘争が始まりそれを果てしなく続けてきました。その混沌は一つ一つが戦物語のようなもので、今回氏綱が関わる細川家の内乱もその一つです。そしていよいよクライマックスを迎えるのですが、それは新たな戦いの始まりとなります。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




