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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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松平忠吉 初陣は関ヶ原 前編

 徳川家康の息子。松平忠吉の話。

 松平忠吉は徳川家康の第四子に生まれた。忠吉は幼いころに養子に出され健やかに成長していく。

 これは戦国も終わりの時代に戦いを知らずに育った忠吉の初陣の話。

 天正八年(一五八〇)。遠江(現静岡県)の浜松城にて徳川家康の第四子、福松は生まれた。のちの松平忠吉である。

 東海に名を知られた大名の子に生まれた福松だが、人生の転機はあまりにも早く訪れた。

 福松誕生の翌年、徳川家の親戚筋に当たる東条松平家の当主家忠が死んだ。この家忠だが世継ぎがおらずこのままだと東条松平家は断絶となる。

「それはいかんな。家忠の働きを無に帰するのはいかん」

 松平家忠は病弱ながら家康に従い各地の戦いで奮戦した。そんな家忠や東条松平家を不憫に思ったのか家康はある決断を下す。

「福松を世継ぎにして東条松平家を存続させる」

 こうして福松は松平家の当主となった。福松が物心がつく前の話である。

 それはともかく松平家の当主になった福松はすくすくと成長していった。一方で戦国の世は終焉に向かいつつある。

 天正十年(一五八二)の本能寺の変の後に起きた様々な動乱を経て天下は豊臣秀吉の下にまとまっていく。徳川家康もいろいろあって秀吉に臣従した。

 その後家康は秀吉の命令で関東に入封された。福松もこれに従って関東に向かう。

 文禄元年(一五九二)福松に新しい領地が与えられた。武蔵(現東京都、および埼玉県)の忍である。ついでにこの時元服して名を忠吉に改めた。

 元服し名前と領地が変わっても忠吉のやることはさほど変わらない。今まで通り家臣たちに支えられて領地をまとめるだけである。

 幸い忠吉は温順な性格で利発でもあった。また家臣たちも野心があるようなものはおらず忠実に忠吉に仕える。

「私は皆の助けでやっていけている」

 忠吉がそう言うと家臣たちはかぶりを振った。

「いえいえ。皆殿をお慕いしているからこそ尽くしているのです」

「その通り。殿でなければここまでお慕いしません」

「そうか。皆ありがとう」

 こんな調子で幼い忠吉を中心に松平家はまとまっていた。

 さてそんな忠吉は周りの人々にも愛された。実兄の秀忠は年の近い弟をかわいがりその将来を期待する。

「福松よ。お前が大きくなったら私の力になってくれ」

「もちろんです兄上」

 秀忠は家康の家督継承候補の第一位であった。しかしその立場は安定したものとはいいがたい。それゆえに実弟の忠吉が味方になってくれることを期待している。もとより忠吉は兄にとって代わろうと思うような少年ではない。忠吉も兄を慕い尊敬するのであった。

 また徳川の重臣たちからも忠吉は愛された。特に徳川家の四天王と呼ばれた井伊直政は殊に忠吉に期待している。

「(忠吉さまの器量は本物だ。もしやすると徳川の家を継ぐかもしれん)」

 そう直政は考えていた。もっとも忠吉にそんなつもりはないのだが

それはともかく直政は忠吉に期待したその期待の表れか直政は自分の娘の政子を忠吉に嫁がせる。これで直政は忠吉の義父になった。

「これよりはよろしくお願いします。義父上」

 忠吉は直政にそうあいさつした。そこには他意はなくただ純粋に義理の父親を慕う気持ちが現れている。これには直政も感動するのであった。

 こうして兄からも好かれ妻もめとった忠吉は、まだ若いながらも周囲に感謝の念を抱いた。

「(まだ若輩者の私にみんなよくしてくれる。その期待に何としてでも応えなければ)」

 そう忠吉は考えていた。しかし時代はもはや戦国とは言えない平穏な時代である。戦で手柄を立てることはできない。

「(私に出来るのは領地を栄えさせることぐらいか)」

 現状できることはそれぐらいである。もっともそれでも立派なことであるのだが。ともかく若い忠吉にとってはやはり武功をあげて期待に応えたいという気持ちが強かった。

「(私は初陣すら経験していないのだ)」

 忠吉はそんなおのれの身を歯がゆく思った。そしてそんな忠吉の思いが通じたのか時代は再び戦乱へと戻っていく。


 慶長三年(一五九八)豊臣秀吉が死んだ。最高権力者の死により豊臣政権の主導により保たれていた平和は揺らいでいく。特に家康は秀吉死後自身の権力を高めようと策動した。この動きに対し家康に反感を抱く者たちも反応する。

 そうした流れの中で家康は会津(現福島県)の上杉景勝の討伐を決定する。これは豊臣政権の名の下で行われる戦いであり、豊臣政権下の大名たちも多く参加した。勿論家康配下の重臣たちも従軍する。その顔触れには直政の姿もあった。

 一方この上杉討伐軍に忠吉は参加できなかった。

「私は父上も義父上も助けられないのか。情けない」

 忠吉は悲嘆に暮れた。今回の討伐軍には兄の秀忠や異母兄の秀康も参加している。忠吉の不参加には家康なりの考えがあったのであろうが忠吉としてはともかく父や義父、兄の役に立ちたかった。

 そんなふうに嘆く忠吉を家臣たちは慰めた。

「上様は殿に留守を任されたのです。これはとても名誉なことです」

「その通り。この上は立派に留守を務めて期待に応えましょうぞ」

 こう家臣たちに慰められて忠吉も気を取り直す。

「そうだな、皆の言う通りだ。この上は立派に留守役を務めよう」

「その通りです。殿」

 こうして気合を入れる忠吉であった。しかし事態が急変する。

 家康が兵を率いて会津に向かっているところ近畿にて石田三成が挙兵した。三成は家康に対して特に反発を抱いていた大名である。

 三成は大大名の毛利輝元を引き込み打倒家康の戦いを始めるのであった。

 この事態に会津に向かっていた家康は反転し軍を二手に分けて進軍することにした。一方は秀忠を総大将として中山道を進軍。もう一方は家康に従う大名を中心として東海道を進軍した。これには直政が先鋒として同行しており、直政と徳川四天王として並び立つ本田忠勝も軍艦として同行している。家康は江戸城で様々な対応をしたのち東海道方面軍に合流する予定であった。

 そして忠吉もこの東海道方面軍への参加を命じられた。

「ついに私の初陣か…… 」

 この命令を聞いたとき忠吉は自分の血が燃え上がるような感覚を覚えた。そして興奮冷めやらぬまま政子に報告する。

「ついに私も父上や義父上と馬を並べることになった」

 勇んで言う夫を妻は優しく励ました。

「それはおめでとうございます」

「父上と義父上の武名を汚さないためにも命を賭して戦うつもりだ」

 興奮して忠吉は言った。だがそれを政子はたしなめた。

「そのようなことは言ってはなりませぬ」

「何故だ?! 」

「領民も家臣も、そして私もあなた様をお慕いしております。もしあなた様が死ぬようなことになれば…… 」

 そう言って政子は泣き出した。それを見て忠吉は少し落ち着く。そして改めて言った。

「私はこれから戦いに行くのだ。死なぬとは言えない」

「殿…… 」

「しかしそなたの思いは受け取った。生きて功をあげるよう努めよう」

「はい…… ありがとうございます」

 そう言うと政子は微笑んだ。忠吉もつられて微笑むのであった。


 こうして忠吉は出陣となった、のだが。

「父上は何故動かないのだ」

 江戸城の家康はなかなか出陣しようとしなかった。これは対立する上杉への備えや先行して進軍している大名たちへの不信などがある。しかしそれらの事情を忠吉は知らない。

「どうしたというのだ父上は」

 なかなかに腰を上げない家康に忠吉はいらいらしていた。これは心を決めていざ出陣と思っていたのに気持ちに水を差される形になったからである。もっともそれは忠吉の都合なのだが。

 それはともかく家康の江戸逗留は八月の始めからから九月の初めまでの約一ヶ月に及んだ。この一ヶ月の間に事態は激しく展開している。

 家康に敵対する毛利・石田率いる西軍は畿内近国に軍勢を派遣し制圧する。そして西上してくる家康を待ち構えた。

 一方家康率いる東軍の東海道方面軍は尾張(現愛知県)の清州城に集結すると家康の到着を待った。しかし先にも記した通り家康はなかなか動かない。

 この家康の姿勢に怒ったのが賤ケ岳の七本槍として名を知られた猛将福島正則であった。

「家康殿は我々を捨石にするつもりか! 」

 激昂する政則を直政や忠勝は何とかなだめる。そしてまずは西軍に属する美濃(現岐阜県)の岐阜城を攻略することを決めた。

 血気にはやる政則をはじめとした東軍の諸将はすさまじい勢いで岐阜城に攻めかかった。そして迅速に落城させると周辺も制圧。西軍の拠点である大垣城の目前まで迫った。

 家康は八月二七日に岐阜城攻略等の報告を聞いた。するとすぐさま家臣たちに出陣の準備を始めるよう通達した。

通達は当然忠吉にも届いた。そしてこの突然の知らせに忠吉とその家臣たちは大わらわになる。

「兵糧の準備は大丈夫か」

「はい。装備も万全です」

「そうか、しかし急すぎないか」

 一応前々から準備はしていたが長い待機状態からの急な出陣である。これが初陣の忠吉はさすがに動揺を隠せない。

 そんな忠吉に家臣の一人は言う。

「兵は拙速を尊ぶべしともいいます。いかなる時も迅速に行動できるのが名将の証なのでしょう」

「そうだな…… さすが父上という事か。私も見習わなければ」

「その通りです。殿」

 忠吉は父親の行動に感心するとともに気を引き締めるのであった。

 さてこうして準備を整えた忠吉は家康と共に九月一日に出陣した。そして東海道を速やかに進み同月十一日には清州に到着する。そしてそのまま先発隊と合流しいざ西軍と決戦と行きたいところであった。だがここで忠吉はもちろん家康も予想だにしない事態が起こっていたのである。


 清州に到着した忠吉と家臣たち。とりあえず長旅の疲れをいやすことにする。初めての出陣でこのハイペースは忠吉にも家臣たちにも大変なものだった。

「皆ひとまず休め」

 この分だと明日には清州を経つことになるだろうと忠吉は考えていた。時間の許す限り休んで体力を回復させておくべきだと忠吉も家臣たちも考えは一致している。

 家臣や兵たちはつかの間の安らぎを得ていた。だが忠吉はどうにも落ち着かない。そんな忠吉に気付いたのか家臣の一人が話しかけてきた。

「どうなされました? 殿」

「ああ…… 何やら人の出入りが激しくてな」

「確かにそうですね」

 忠吉が気付いている通り清州城には多くの人が出入りしている。今までの目的地でも情報収集や様々な事情から多少の人の出入りはあったが、清州城に出入りする人の数はこれまでとは比べ物にならなかった。

 この状況は何かが起きたのだということを示していた。

「いったい何があったのか」

 忠吉には気が気でない。そんな時家臣が一人駆け込んできた。

「殿。お客様です」

「誰だ? 」

「井伊直政様です」

「なんだと!? 早く通せ…… いや、私が出向こう」

 来客の名を聞いて忠吉はひっくり返りそうになった。だが気を取り直して直政の下に向かう。

 忠吉は直政の姿を見るとすぐに声をかけた。

「義父上。お待たせしました」

「おお、忠吉様。久しぶりですな」

「はい。お久しぶりです」

 久しぶりに再会する義理の親子。直政は動きやすそうな軽装である。だが忠吉が気になったのはそこではなかった。

「(やはり少しやつれているな)」

 直政は病気が治ってすぐに東海道方面軍に参加した。だが病み上がりの身である。少し疲れているようだった。

 忠吉は思わず心配そうな目で直政を見た。直政はそれに気づいたのか朗らかな笑みを見せる。

「この通り病も癒えていい調子です。全く情けない話です」

「そんなことは…… それに父上もいろいろとご苦労だったようで」

「何の。福島殿やほかの皆も劣らぬ勇将ぞろい。拙者は楽をさせてもらっています」

「そうですか。ならいいのですが」

 そう言ってから忠吉は気になったことを聞いてみた。

「それにしてもこの人の出入りは何でしょう」

 忠吉の言に直政の目が一瞬鋭く光る。しかしすぐにさっきまでの朗らかなものに戻った。

「ああ。心配はいりませぬ。殿が清州までやってきたのでいろいろとあいさつをしようというものが多いのでしょう」

「なるほど」

 忠吉は一応納得した。それを見て直政は安堵したようだった。

「忠吉様。拙者はこれで」

「帰られるのですか。せっかくお越しいただいたのですから何かもてなしでも」

「忠吉様。今は戦の最中です。お気持ちは嬉しくいただいておきます」

「そうですか。しかしせっかくですからお泊り頂くだけでも」

「申し訳ありませんが今回は殿の呼び出しを受けて清州まで来ました。拙者は顔を見るだけのつもりでしたのでご容赦を」

 直政の言葉に忠吉は再び納得しかける。しかし今聞いた話の中に気になるところがあった。

「父上に呼び出されてきたのですか」

 忠吉はストレートに疑問をぶつけた。直政はばつの悪そうな顔をする。

「ええ、まあ」

「それではやはり何か」

「さっきも言いましたが心配はいりませぬ。では拙者はこれで」

 直政はそう言って足早に去っていく。残された忠吉は不安そうな顔で直政を見送るのであった。


 この時忠吉の考えていた通り一大事が起きていた。実は秀忠率いる東軍の中仙道方面軍の進軍が遅れていたのである。

 秀忠の中山道方面軍は西軍の城を制圧しながら進んでいたのだが、信濃(現長野県)真田昌幸の巧みな抵抗にあい大幅に予定を遅らせてしまっていた。

 家康はこの情報を清州城に到着する前後に聞き及んでいた。そこで今後の対策を協議するために直政や本田忠勝を呼び寄せたのである。

 三人の間で協議される議題は秀忠を待って決戦に臨むか、秀忠を待たずにすぐに西軍との決戦に臨むかであった。この点において直政と忠勝の意見は割れた。

 まず忠勝の主張はこうだった。

「今は秀忠さまの到着を待って戦いを挑むべきです」

 忠勝は秀忠の到着を待っての決戦を主張した。これには理由がある。

 秀忠が率いる中山道方面軍は主に徳川家臣団で編成されていた。いわば徳川本隊ともいえる編成である。忠勝の持つ兵の多くも中山道方面軍に参加していた。

 一方で東海道方面軍は豊臣家に従いつつ親徳川の立場で参加しているもので編成されていた。こちらにいる徳川家臣系は直政の部隊と忠吉の部隊、そして少数の忠勝の兵だけである。

 西軍は一応、豊臣家主君である豊臣秀頼を旗印にしていた。東軍に参加している武将たちは西軍首脳への反感や不信から東軍に参加しているといってもいい。だがそれは状況の変化で敵に転じる可能性も多くあった。

 これらの理由から忠勝は秀忠を待ち万全の体制で決戦を挑もうと考えていたのである。

 一方で直政は即時決戦を主張した。

「本田殿の主張も御尤もであります。しかし今我々が持つ勢いを削いでまで待つのもよろしからずと思います」

 直政は徳川本隊不在の状況でも決戦を急ぐべきだと考えていた。これはこれまでの戦いを見る限り東海道方面軍は信頼してよさそうである。ゆえにこの勢いをもって決戦に望み決着を早くつけるべきだと考えていた。

 また、直正には別の考えもあった。

「もしこれ以上敵方に時を与えれば秀頼さまご出座という事態も考えられます」

 これは家康にとって最も恐れる事態であった。この事態になれば家康に従っていた諸将の戦意は相当に落ちる。最悪裏切りも考えられた。

 直政も忠勝もはっきりと自分の主張を述べたが相手の意見も否定しなかった。二人ともどちらを選んでもリスクがあるのは承知しているしメリットも理解している。

 家康は二人の主張を黙って聞いていた。そしてしばらくの沈黙の後にはっきりと言った。

「秀忠を待たずに決戦とする」

 採用したのは即時決戦であった。直政は力強くうなずく。忠勝はいささか苦しげであったが納得しているようだった。

 家康は直政と忠勝の二人をじっと見た。

「此度はその方たち二人の働きにかかっている。特に直政」

「ははっ」

「頼むぞ」

「承知しております」

 直政は自信満々と言った笑みを浮かべた。一方で家康は少し不安そうである。そんな家康に直政は言った。

「心配はいりませぬ。戦いで後れを取る拙者ではありませぬ」

「そなたではない」

「は? 」

「忠吉の初陣は大変なものになるな」

 家康はしみじみとつぶやいた。そんな主君を見て直政と忠勝は思わず顔を見合わせる。

 一方で忠吉は東の夜空を見上げていた。中山道の方向である。

「兄上と轡を並べることになるのかな」

 忠吉はそんなことを考えていた。その願いは悲しかな叶わないのだが。


 こんにちは。お久しぶりです。

 今回から始まるのは松平忠吉の話です。タイトルの通り忠吉は初陣を関ヶ原で迎えることになります。その初陣でとんでもない連中と一戦交えることになるのですが、それは次回のお楽しみということに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡ください。では

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