京極高吉 神の国への道行き 第三章
六角定頼と浅井亮政の戦いはひとまず終わった。一見平穏になったかにみえるが火種はあちこちにくすぶっている。高吉も新たな戦いが始まるであろうということを予感していた。
六角家と浅井亮政の和睦が成立してから数年経った。この間和睦は良く守られている。元もこれは亮政に六角家を攻める理由がなく六角定頼も幕府の内紛に関わっていたからであった。
こうした情勢下で高吉と高延の連絡はひそかに行われていた。高吉は六角家の現状や周辺状況などを定頼の許可した範囲で高延に伝え、高延は京極家や浅井家の情報を秘かに流す。しかし高延からもたらされる情報は定頼が動くほどの物ではなく膠着状態は続いた。
「兄上からの報せは有用ではないのですか? 」
高吉は定頼にそう尋ねる。これに対して定頼はこう答えた。
「結局のところ浅井家以前に京極家を高延殿は御せていないのだ。おそらく高清殿が健在な限りそれは変わるまい」
「なるほど。それはそうでしょう」
定頼の言葉にうなずく高吉。脳裏に浮かぶのは京極家当主の座に固執し続けた父の姿である。久しく会っていないが尾張で別れた頃の姿は容易く思い浮かぶほど強烈であった。
「おそらく亮政はうまく高清殿を動かしているのだろう。高清殿には自分が忠実な家臣だと映る様に」
「しかしそれだとすると、兄上が家督を継いだらそこもうまく行かなくなるのではないでしょうか」
高吉は素朴な疑問を口にした。これに対して定頼はほくそ笑む。
「その通りだ。亮政は江北の国人たちをうまくまとめているようだが守護との中が不仲ではひずみも生じよう。そして高清殿はもうご高齢なのであろう? 」
無言で頷く高吉。それを見て定頼は冷徹な笑みを浮かべた。
「しからばそう遠からぬうちに事は動くかもしれん。高延殿からの連絡はつぶさに伝えてくれ」
「しょ、承知しました」
凄みの入った笑みでそう言う定頼。高吉は平伏するほかない。
「(定頼様は遠からぬうちに事は動くと申された。それはつまり…… )」
定頼の葉圧減の意味するところは高吉にもすぐに理解できた。そして定頼の言ったとおり事は動き出す。それを知らせたのは高延からの手紙であった。
「父上が亡くなられた」
手紙の内容は簡潔であった。ゆえに勘定はうかがい知れない。しかしだからこそ高吉は高延の複雑な感情を読み取る。
「父上と兄上は争い手を組みまた仲たがいをし…… その思いは言葉にできぬのだろう」
高吉は手紙をすぐに定頼に届け自分は弔いの準備に入った。そしてその間事態は動き出し始めるのである。
高清の死を知った定頼はすぐに動いた。この時幕府の内紛も落ち着いていたので余力があったからということもある。だがそれに加えて高清の死という事実が行動の理由としては大きかった。
「今すぐに亮政と高延が連携するのは無理だろう。時間をかければ高延が亮政に取り込まれるかもしれん」
浅井亮政という男は豪勇の気質であるが目的のためなら体面をかなぐり捨てたこともできる。後ろ盾であった高清が亡くなった今、高延に頭を下げることもいとわないだろう。高延がそれを受け入れるかどうかは分からない。しかし不確定要素がないうちに行動はすべきである。
「高吉は高清殿の弔いの最中か。まあ、戦場に出す必要はないな」
定頼は高吉を置いて出陣した。高吉もそれは気にしていない。そもそも今まで戦場に立たされることはなかったのであるから。
「定頼様は亮政殿を討てるのか。兄上はどうするのか」
高吉の関心ごとはそれぐらいである。何はともかく再び六角家と浅井家の戦いが始まった。戦況は六角家有利である。そもそも六角家の方が軍事的に有利であったから当然であった。そして高延は高清の弔いを理由に出陣していない。京極家の将兵も同様の理由で参加していなかった。それでも亮政に従う国人たちは多くいたのでなすすべもなくやられるといい言うことはない。しかし最終的には軍事力の差か六角家有利の展開になっていった。
やがて高吉の下にこんな報告が届く。
「定頼様が佐和山城を攻め落としたようです」
「そうか…… そうなるともはや六角家の優位は決定的だな」
佐和山城は江北と江南の境にある要所である。ここを攻め落としたとなると浅井家の本拠地の小谷城までの安定した進軍路が確保できた。実際佐和山城を攻め落とした後で定頼は小谷城下に攻め込んだらしい。
この事実に高延は喜んだ。
「佐和山城が攻め落とされたとなると亮政も風前の灯火よ。俺は急いで挙兵の準備を整える。定頼殿と挟撃すれば亮政も終わりだ」
高吉の下に届いた手紙からは上機嫌な高延の様子がわかる。一方高吉は高延の見立てに懐疑的であった。
「今から挙兵では動きが遅いのではないか。こうなってくると亮政も別の手を打つのではないか」
この高吉の懸念は当たった。亮政は不利を悟ると定頼に降伏したのである。亮政は自分や国人たちの所領の保証と引き換えに六角家の軍門に降ることを選んだのだ。そして定頼はこれを受け入れた。受け入れるとなると亮政の勢力はそのままであるが江北も実質的に支配下に組み込める。堅城である小谷城を攻め落とすよりも利があると判断したのだろう。
今回の決定も高延の頭越しに決められた。後日とどいた高延からの書状にはともかく怒り狂った様子が読み取れるものであったという。一方高吉は気にしていない。
「もう京極家の名でできることもないのでしょうな」
諦観と共につぶやく高吉。だがみようによってはこれで近江に平穏が訪れたようにも見える。だが無視された高延の怒りが収まるはずもなく、新たな騒乱がすぐに起きてしまうのであった。
新たな騒乱を起こしたのは誰かというと高延であった。高延は亮政の降伏を認めていない。主君である自分に無断で行ったのだから乙津全のことである、というのが高延の主張であった。
「家臣の分際で勝手に和議を行うとは言語道断である。主従の在り方を知らぬ亮政を討ち取ってくれよう」
そう言って挙兵する高延であるが京極家家臣はともかく従う国人はほとんどいなかった。それも当然のことで亮政の降伏で自分たちの領地の保全も一応はされたのだから当然ともいえる。
高吉も兄の動きを知ったが動かなかった。定頼の下にいるのだから当然である。何より江北に兄の味方をするものも居ないから敗北するか頓挫するかのどちらかだと思ったのだ。
「兄上も無謀なことを。もし江北を追われるようなことがあれば佐和山城で迎えよう。定頼様もそれぐらいは許してくれるはず」
定頼は事態を静観するつもりのようである。定頼も高延が勝つとは思っていないのだ。
ところがここで驚くべきことが起こった。高延の挙兵の翌年に亮政が急死したのである。そして息子の久政が家督を継いだがまだ十七歳の若さであった。しかも勇猛で知られた亮政と違い文弱気味で大人しい気性らしい。
そんな久政が家督を継いだのだから江北の国人たちの態度も変わる。
「我々が浅井家に従っていたのは亮政殿の武勇あってのこと。別に浅井家に従う家臣ではない」
「あの久政殿の弱弱しさよ。あれでは頼むに足りぬ」
国人たちのおよそ半分は久政を見限っていった。そして高延に鞍替えしていったのである。思わぬ事態に高延は上機嫌であった。
「これはまさに天恵。このうえは久政を打ち破って江北を取り戻してくれる」
高延は家臣達と従う国人たちを連れて久政に攻撃を仕掛ける。一方浅井家も家臣団や味方する国人たちと共に高延の攻撃を迎え撃った。一応久政を盛り立てるという建前であるが、どちらかというと高延の手腕を疑問視した国人も少なからずいたのである。
「高延様は勇猛であるが血の気が多すぎる。あの方に我らのことを任せるのは不安だ」
「左様左様。ならば若い久政さまを担ぎ上げ、実際のことは我らで取り仕切る方がよろしい」
この際久政に味方した者たちにはどちらかというと亮政と不仲であったものも多い。亮政が万事取り仕切るのを内心は不服に思っていた国人たちも多かったのである。
こうして江北を二分した戦いは同等の戦力であったのでなかなか決着がつかなかった。というのも両者とも定頼を自分の味方に付けて勝とうとしたが、定頼は事態を静観していたのである。
「双方つぶしあって弱体化してもらえばよい。その上で六角家が支配するのが良い」
これが定頼の考えである。これについては高吉も感じ取っていた。だが定頼の支配下にいてはどうすることもできないのである。
「双方疲弊して戦うのをやめてくれればよいのだが」
高吉としては早く戦いをやめてほしい一心である。しかし戦いは続きなんと九年の長きにわたった。そしてある日高吉の下に高延からの書状が届く。
「久政と和議をしたい。定頼殿に仲介を頼めぬか」
高吉にしてみれば断る理由もないので定頼に和睦の仲介を提案した。すると定頼は苦笑いをしてこう答える。
「久政の方からも同じ申し出があった」
結局定頼の仲介で和睦は成立した。この際久政は高延を主君として仰ぎ、高延も久政を重んじるということを確認している。一応江北の主になるという高延の願いは成就された。
「これでやっと正しき形に戻った。万事めでたい」
喜ぶ高延。一方高吉は複雑な心中である。
「結局六角家の傘下なのは変わらない。兄上がそれで満足するとも思えない」
この高吉の懸念は的中することとなる。
高延と久政の和睦から二年後、六角定頼がこの世を去った。六角家の影響力を大きくし近江を実質一つに支配した傑物の死は否応なく混乱をもたらすことになる。そしてその混乱をもたらしたのは誰であろう高延であった。
「定頼は死んだ。もはや近江で私に敵う者はいない今こそ六角家を打ち破って京極家が真の近江の支配者となるのだ」
この高延の呼びかけに賛同した江北の国人は少なかった。彼らとしては領地の安定と保証が何よりも大事なのである。従って高延も久政も六角家に従っているという状況が一番好都合であった。ゆえにその状況を破壊しかねない高延の挙兵には従えないのである。
高吉も高延の行動を諫めた。
「兄上は勘違いしておられる。皆が望むのは江北、いや近江の安定。兄上の行動はそれを揺るがすもの味方する者はほとんどおりますまい」
高延は書状を送って兄を諫めたが聞き入れなかった。高延は挙兵しわずかな味方と共に六角家の領地に侵攻する。これに対抗するのは定頼の息子の義賢。若かった久政と違い立派に成人しており家中もよくまとめていた。
「高延が攻め込んできたか。良かろう返り討ちにして格の違いを見せてくれる」
義賢も自ら兵を率いて出陣した。その数は高延の率いる軍勢の数をゆうに上回るものである。決着はすぐについた数で劣る高延宇があっさりと敗北したのだ。
「兄上も馬鹿なことを。六角家に従っていれば江北の主で入られたのに」
そんな風に嘆く高吉。するとここで思いがけぬことが起きる。なんと高吉に京極家当主への就任が打診されたのだ。困惑する高吉であるが理由を聞いて絶句する。
「戦で敗れた兄上が行方知れずになったですと? それで私に京極家の主になれと」
呆れ果て混乱する高吉。しかしこれは浅井久政からの要請でもあったようだ。久政は京極家を主として仰ぐという条件を律儀に守るつもりらしい。また義賢も江北地域の円滑な支配のために京極家当主の座を空席にしたくなかったようだった。
この何とも身勝手ともいえる動きに高吉は呆れ果てた。
「結局皆己の都合しか考えていない。己の都合で人の生きる道を平然と決める。こんなことが許されるのか」
これまで何度も嘆き続けてきた高吉。今回は一入であった。だが高吉に選択肢などない。六角家の厄介になっている以上その意向を無視できるわけもないのだ。
「願わくば兄上が見つからぬことを。どこかでひっそりと生きていてもらえればいいのだが」
高吉は京極家の当主に就任し小谷城に入った。そこで久政に迎え入れられ京極家当主として生きていくことになる。
「もうこれ以上もめ事はこりごりだ」
高吉は久政とお互い協力し六角家の下で江北地域を支配していくことを確認した。そして暫くは江北だけでなく近江全体が静かになったのである。しかしその平穏もかりそめのものにすぎず、しばらくしてまた打ち破られるのであった。
今回の話の主役は完全に京極高延でした。思えば父に反発し追い出して家督を継いだかと思えば自分を担げあげた勢力が専横を始める。それに対抗するために父を呼び戻して勝利するも実権は父を呼び戻した奴に奪われる。そしてその息子と戦い和睦したかと思えば最後は行方知れずになるという波乱万丈の物です。ある意味当時の近江の混乱の象徴と言える人物ですね。
さて次回は高吉の最後の話となります。いろいろあって京極家の当主に就任してしまった高吉ですがまだ運命に翻弄されます。果たしてその先に待つのは何か。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では
 




